「何について書かれた作品か?」

 前々回「美談に水を差す」と前回「水を与え過ぎる」は両方とも"テレビにおける涙"について書きました。

 前者はタレント側に対して思う事で、後者は番組作成側に対して思う事でした。この差異に気がついた方は私と感性が似ている方。同じ事を言っていると思った方、あるいは私が想像もしない別な事を想像した方は私と感性が似ていない方なのかと思います。


 蓮實重彦氏が三島由紀夫賞を受賞され、授賞式での質疑応答が物議を醸しました。気になりネットで件の授賞式を見ました。面白い授賞式でしたね。

 あれは記者の中で「小説には著者の意気込みや情熱、読者へのメッセージ等が含まれている」と思い込んでいるから生じた齟齬の様に見えます。

 そういう小説はありますが、全てがそういう小説ではありませんよね。あの質問をした記者は普段何を読んでいるのでしょう。

 

 思っている。だけで終わってはいけないのでしょうか。

 違う考えを持っている。だけで終わっても良いのではないでしょうか。

 

 恋人がショーケースの中で輝く指輪を見て「綺麗だね。」と言ったらそれは「綺麗だ」と思っただけの事で、「欲しいな。」とは言ってないと思うのですが。え?女心がわかってない?

 恋人がボディービルダーの輝く肉体を見て「格好いいね。」と言ったらそれは「格好いい」と思っただけの事で、「筋肉が欲しいな。」とは言ってないのと思うのですが。え?これも違う?


 考えが違っていたら、考えが違った事を笑って受け入れればいいだけの事。

 どうして同一化しなければならないのでしょう。

 著者が抱く作品のテーマなんて気にせずに自分の中に何か思いが生まれたなら、それは自分にとって良い作品。

 何も生まれなかったら合わなかった作品。

 指輪やダンベルを押し付けられたら嫌な顔をするくせに、思いは平然と押し付ける品の無い人が多くて何だかな。と思います。

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