最初に言語を用いた人間は陽キャかオタクか

 言語というのはコミュニケーションそのもの、あるいはコミュニケーションを成立させる技能の中核的な要素のひとつである。と言って、ここに「異議あり!!」と言う人はいないだろうと思う。どう?


 まあ異議はないとして、とすると、一見初期に言語を習得・利用したやつらは陽キャなのではないかと思われる。コミュニケーション可能なオタクはまあいてもいいが、コミュニケーション不可能な陽キャはいないでしょ。定義上存在しないというか。とするとまあ、なんか原初の世界では陽キャが「言葉」を手にしたのではないか、とそんな気がする。


 しかしよくよく考えてみると、コミュニケーションが得意で、共感的で、明るいひとたちというのは、実はそんなに言葉を必要としない。

 たとえばこういう人たちは、人の顔とか、雰囲気とかで、今その人が何考えてるか結構わかる。で、元気だったら、「ウェーイwwwww」って盛り上がってれば言葉はいらない。一方で、落ち込んでる時には、背中をさすってやったり、抱きしめてやったりすれば良いわけで、これまた言葉はいらない。


 ということは、むしろ、イキリ早口オタクみたいなやつの方が「言葉」を必要としていたのかもしれんなと思う。そうすると、原初の言葉はオタクのものだったのかもしれない。


 なんでそう思ったかというと、ダイエット界では有名な論争として、「筋トレ」と「有酸素運動」どっちを優先すべき? というものがあるのね。まあ大体「きのこ」と「たけのこ」どっちが好き? という論争と同じで、不毛な話ではある。

 不毛だがなぜなくならんのかというと、多分楽しいんでしょうね。そういう、論を争わせることそのものが。わりと原始的欲求なのかもしれないなと思ったわけ。でじゃあ、そう考えると、ほんとに「原始」に遡ると、言語はそうやって論争のために生まれたんじゃあねえかと思ったわけ。

「今の若い奴は初期土偶には顔なんて無かったことを知らないで、顔の善し悪しを議論してるけど、『古典』にちゃんと触れてから話して欲しい……」

「出た、老人のマウント」「現在も未来から振り返ったら古典なのだが?」

「そもそも土偶とか作ってる奴は全員キモキモのオタクなんだから仲良くしろよ」


 とかやってそうじゃん。で、それはやっぱ楽しいんだと思うんだよな。楽しいっていうのは、「快楽物質が出る」状態を全て包含した言葉ね。この場合は。

 一方陽キャは単にマンモスを狩って、焼いて食ってうめーね! って喜んでる。これはこれで楽しい。でこっちは言語あまりいらんでしょ。な。


 原初、言葉はオタクのものであった……。


 何が言いたかったのかというと、フィットボクシングは有酸素運動メインと言われてるけど(言われてない? そういう界隈があるンすよ)、ダッキングくらいまで来ると結構筋トレ的というか、少なくとも低負荷でながーくやるものではないぞって気づいたという話なんだよね。ダイエット日記では明らかにこっちをメインで書くべきなのだが、なんか前説が盛り上がったからまあいいかみたいな。今度詳しく書きます。


2020年08月28日 08時50分の測定結果

体重:102.30kg

体脂肪率:32.10%

筋肉量:65.90kg

体内年齢:47歳


 今日は暑いが、メガシンカ実装されたんで頑張ってます。俺の100 %スピアーが火を噴くぜ。

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