第222話 お願いします!!この人を…この人を助けてください!!
「涼羽!!」
「お兄ちゃん!!」
羽月が、大好きな兄である涼羽を独り占めできる、絶好のデート日和である日曜日。
その日曜日も、もう昼下がりを迎えている。
位置的には、あの公園から町の中心の方に歩いて二十分程。
ちょうど、町の住人が行きやすい立地にある、町のかかりつけともなっている総合病院。
大学病院のような、より専門的で大きな体制の施設と比べると見劣りはするものの、それでも人を治すことにその情熱と人生を捧げているという、そんな医師や看護師、そしてスタッフの面々によって成り立っているこの病院。
この日は日曜日ということもあり、通常の外来は閉まっているので、救急の方からボロボロに打ちのめされて、ひどい怪我を負ってしまうこととなったストーカー男を、その小さな背中に背負った涼羽が救急患者として運び込んだのだ。
当然、その光景を目の当たりにしたスタッフ達は、その瞬間は一体自分の目に何が映っているのか、まるで分からない状態となってしまっていたのだが…
いざ、患者として運び込まれてきたストーカー男の状態を目の当たりにすると、すぐさま目の前の患者を救おうとする医療のスペシャリストとして、行動を開始したのだった。
もともとが極度の運動不足でかなり弱っていた身体なのに、そこにこれでもかというほどの暴行を受けてしまったため、かなりの重傷を負うこととなってしまっているストーカー男。
しかも、その体重ゆえにかなりの負荷がかかっていた膝に、強烈な一撃を受けてしまったため、正常な状態ならばまずそうならないような方向に脚が曲がってしまっている。
見るからに危険だとすぐに判断を下したスタッフ達は、迅速に涼羽が背負っていたストーカー男の身体をストレッチャーに乗せると、すぐさま治療に入るために、院内に運び込んでいった。
診断の結果、幸い頭部は強く打たれなかったため脳に異常はないものの、ずっと殴る蹴るの暴行を受け続けていた顔及び上半身にはひどい内出血が起こっており、皮膚が黒に近い紫色に変色してしまってるのに加えて、肋骨の大部分が複雑骨折を起こしてしまっている。
膝の方は皿が砕けてしまっているのに加え、複雑骨折まで起こしてしまっているため、後遺症なく、歩けるようになるかは五分五分の状態となってしまっている。
その診断結果を聞かされた涼羽は、ストーカー男がそんな状態になってまで自分と羽月のことを護ってくれたこと、自分があのチンピラ達の腕を握りつぶしてしまうのを止めてくれたことが本当にありがたく、申し訳なくて…
でも、自分にはもうどうすることもできなくて…
ただただ、その顔を涙でくしゃくしゃにしながら、土下座するくらいの勢いで、ひたすら病院のスタッフにその頭を下げながら懇願し続けた。
――――お願いします!!この人を…この人を助けてください!!――――
人目もはばからず、その感情をむき出しにして助けて欲しいと懇願する涼羽の姿。
しかも、こんな小さく華奢な身体でこの患者を背負ってこの病院まで走ってきて…
その背中は、ストーカー男の血で汚れてしまっているが、そのことにすら無頓着なまま、ただただ助けて欲しい一心で、その頭を下げたまま、叫ぶように懇願し続ける涼羽の姿に、その場にいた医療スタッフ達は、その心を激しく打たれることとなり、何が何でもこの患者を元通りの五体満足な身体に戻してやる、と言わんばかりに、その情熱と気迫をむき出しにして、いざ戦場に出る兵士のような緊張感を携えながら手術室へと入っていったのだ。
そして、ストーカー男を救うための手術が始まって、そのすぐ外で無事を祈っている涼羽のところに、事情を羽月から聞いてすっ飛んできた父、翔羽とその父を呼びに行った妹、羽月が姿を現したのだった。
「…お父さん…羽月…」
まるで淡い雪のように消えてなくなってしまいそうな、そんな儚げで危うい雰囲気に満ち溢れた涼羽。
しかも、そんな弱弱しい表情に加え、普段なら絶対に見せることのない、無防備に泣き腫らした顔。
父、翔羽と妹、羽月に向けて放たれた声も弱弱しく、本当に消えてしまいそうなものだった。
そんな、普段ならば絶対に見ることのない息子の姿に、翔羽は何も言えないまま、静かに涼羽の隣に腰を下ろす。
羽月も、あまりにも悲しげで見ていられないほどに弱弱しくなっている兄の隣に腰を静かに下ろし、この最愛の兄が消えてしまわないようにと、本当に心配そうな表情で兄の顔を見つめている。
「…羽月から聞いたぞ…大変だったな、涼羽…」
「…お兄ちゃん…」
「…俺は…なんともないよ…それよりも…あの人が…」
普段は見せないであろう、あまりにも儚げで弱弱しい姿の涼羽に、翔羽も羽月も不安げな表情を隠せないまま、搾り出すかのような声を涼羽にかける。
そんな二人の声に、涼羽は自分は大丈夫だとは言うものの、自分と羽月をかばって大怪我を負ってしまったストーカー男のことが心配で心配でたまらないのか、全然大丈夫そうには見えない。
翔羽は、羽月から事の一部始終を聞いて、自分の最愛の子供たちをその身を挺して護ってくれた存在のことを知り、しかもその存在がまともに見ていられないほどの大怪我を負ってしまったとまで聞かされ、大慌てでこの病院に来た。
その慌てっぷりを証明するかのように、プライベート用のシューズは踵を踏んだままになっており、しかも仕事着と普段着兼用のYシャツはボタンが掛け違えてしまっていて、普段のきっちりとした印象の翔羽は今はどこにもいない。
羽月も、兄とお揃いで着ていたコーデのままとなっていて、まだかすかに息を乱しているところが、父、翔羽と同様に大慌てでここまで来たことを物語っている。
「…その人は、どうなんだ?具合は…」
「…ずっと殴られてたところがひどい内出血を起こしてて…それに、肋骨もほとんど骨折してて…」
「!そんな状態で…ずっとお前達を護ってくれていたのか…」
「…一番ひどいのは膝で、皿が割れてる上に複雑骨折までしてて…ちゃんと歩けるようになるかどうか、分からないって…」
「!!そうか……」
「…うん…」
重傷だとは聞いていた翔羽だったが、先に診断結果を聞かされていた涼羽から改めて、自分にとっての恩人の状態を聞かされて、その顔に悲痛な表情が浮かんでくる。
そして、そこまでひどい状態になりながらも自分にとって命よりも大事と言える子供たちを護ってくれたことに、もはや感謝の念しか浮かんでこない。
せめて、再び何事もなく日常に復帰できるように、その恩人のために祈る翔羽。
そして、自分にとって返しきれないほどの恩を少しでも返すために、その恩人のサポートは最大限、させてもらうと心に誓う。
「…俺の…せいなんだ…」
「?涼羽?…」
「?お兄ちゃん?…」
「…俺が…いくらあの人が無闇にいわれのないひどい言葉をぶつけられたからって…あのガラの悪い人達に…むきになって怒ったりしなかったら…」
「!!涼羽…」
「!!お兄ちゃん…」
「…俺のせいで…あのガラの悪い人達が怒って殴りかかってきて…それから俺と羽月を助けようとして…あの人が……あの人が……」
ずっと、自分があのチンピラ達を無闇に刺激しなかったらと、思わずにはいられなかった涼羽。
結果的に、涼羽がチンピラ達に非常に反抗的な態度をとってしまったため、チンピラ達がその低い沸点を刺激されて、涼羽に手をあげてくることとなった。
そして、そんな涼羽をかばおうとして、あのストーカー男はその身を挺してチンピラ達の攻撃を受け続けていたのだ。
最終的にチンピラ達を退けたのは涼羽だったのだが、それも、いくら相手があのチンピラ達とはいえ人を無闇に傷つけることをしたくないという思いから、どうしてもストーカー男と羽月を自分の手で護るという覚悟が定まらなかった。
そのせいで、ストーカー男が下手をすれば元の生活に戻れないほどの大怪我を負うことになってしまったのだと、涼羽はずっと自分を責め続けている。
ましてや、涼羽と話すことが楽しくて、嬉しかったと。
涼羽が自分のためにチンピラ達に対して怒ってくれたのが、嬉しかったと。
そんな涼羽を、その身を挺して自分が護れたことが嬉しかったと。
そして、自分なんかのために涼羽が取り返しのつかないことをしなくて本当によかったと。
ボロボロの状態で、ひとつひとつを嬉しそうに、誇らしげに話してくれたストーカー男の言葉が嬉しくて、しかしそれ以上に申し訳なくて。
暴力は何も生まない、何もいいことなんか起こらないと、ずっと思っていた涼羽であるがゆえに、今回のように仕方がなかったとはいえ、人を傷つけてしまったこと。
そして、そんな自分のために人が傷ついてしまったことが、本当に悔しくて、悲しくて、苦しくてたまらなかった。
涼羽の目に、その悲痛な思いと後悔から来る涙がまた溢れてくる。
そんな涼羽を見ていられなくて、翔羽も羽月も涼羽のことを、その心を癒そうとするかのごとくに優しく抱きしめる。
「涼羽…もういい…そんなに自分を責めるな…」
「お兄ちゃん…泣かないで…お兄ちゃんは…わたしとあの人を護ってくれたもん…だから…お兄ちゃんは何も悪くなんかないもん…」
「…お父さん…羽月…」
「羽月の言うとおりだ、涼羽…お前はちゃんと、最終的には二人を護りぬいたんだ」
「そうだよ、お兄ちゃん…」
父と妹の言葉に、その悔しさと苦しさと悲しさでいっぱいの心が溶かされるような感覚を覚える涼羽。
その感覚が、また涼羽の目に涙を溢れさせてしまう。
いつもおっとりとしていて、陽だまりのように温かく優しい涼羽が、こんなにも自分のしたことで苦しんで、その顔を泣き腫らしている姿を初めて目の当たりにする翔羽と羽月。
その優しすぎる心ゆえに、今回のようなことが許せなくて、自分を責めてしまう。
そして、こんなちょっとした慰めの言葉にも、こんなにも反応して涙を流してしまう。
そんな息子が愛おしくて愛おしくてたまらず、ますます涼羽を抱きしめる腕に力が入ってしまう翔羽。
そんな兄が愛おしくて愛おしくてたまらず、ますます涼羽に抱きつく腕に力が入ってしまう羽月。
二人の愛情がまた嬉しくて、ほろほろと涙を流し続ける涼羽。
いつもなら恥ずかしくて、ツンツンとした抵抗の一つでも見せるところが、今はもうされるがままとなっている。
「涼羽…一度家に帰って、着替えてきなさい」
「え…」
「お兄ちゃん…背中、あの人の血でいっぱいだよ?」
「あ…」
「それに、顔も涙でくしゃくしゃだぞ?風呂にでも入って、さっぱりしてくるといい」
「お父さん…」
「お兄ちゃんが戻ってくるまで、わたしとお父さんでここにいるから」
「羽月…」
「な?涼羽?」
「ね?お兄ちゃん?」
「……うん…ありがとう……」
翔羽と羽月のその言葉に、その苦しさと悲しさに満ち溢れていた涼羽の表情が少し和らいでいく。
手術室のランプは、その中の状態を示すごとくに明るく点灯しており、手術開始からまだ一時間ほどということを考えても、まだまだ手術は終わらないはず。
涼羽は、素直に二人の言葉に甘えることにした。
「羽月…ごめんね、せっかく羽月が買ってくれた服なのに…こんなにしちゃって」
そして、背中が血だらけという言葉に、涼羽はせっかく羽月が買ってくれた服をもうこんなにも汚してしまったことにようやくと言った感じで気づき、そのこと本当にが申し訳なくて、その思いをそのまま言葉にする。
「ううん…いいの。お兄ちゃんがいつもみたいにわたしのそばにいてくれたら、それでいいの」
そんな兄が本当に愛おしくて、可愛らしくて、羽月はふんわりとした笑顔を涼羽に向けて、優しい口調と声でいつものように自分のそばにいてくれればいい、と言葉を贈る。
「ありがとう…羽月」
兄が大好きで大好きでたまらない妹の優しい言葉が嬉しくて、涼羽の顔に普段のようなふんわりとした優しい笑顔が浮かんでくる。
「じゃあ…一度帰って、着替えてくるね」
「ああ、いってらっしゃい…涼羽」
「いってらっしゃい、お兄ちゃん」
いつ見ても、本当に仲睦まじい高宮親子のやりとりが、この病院の中で行なわれている。
そのやりとりが、本当に周囲の空気を浄化してくれるような雰囲気すらかもし出している。
そんな空気感をその場にもたらしつつ、父と妹の笑顔を背に、涼羽は一度自宅へ帰ろうと、その足を動かし始めるので、あった。
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