第174話 本当にどうにかなりそうな気がしてきたぞ!

「どうなんだね?…例のプランは?」




お蔵入り目前の風前の灯状態のこの企画を救うモデルとしてこのビルに連れて来られた涼羽と志郎が、一階にあるホールの方で、メイキャッパーやスタイリストのみんなにもみくちゃにされている頃。




同じビルの上層階にある、あきらかに重役専用だと分かるその部屋の中で、二人の老齢の男性が、話をしている。


もうこの世の終わりだ、とでも言わんばかりにずーんと沈んだまま、言葉らしい言葉も発せない状態でいるのは、この企業のトップ――――




そう、社長と呼ばれる一人の老人。




寂しくなる様子などまるでない、ふさふさとした様子で真っ直ぐに伸びている、自然に白く染まったその髪を、ワックスでぴっちりと撫で付けている。


もうすぐ還暦を迎える歳ではあるが、それにしては身体の方は締まっている感じで、重力に対する抵抗力は落ちてはいるものの、決してだるだるの醜いフォルムにはならないだろう。


さすがに皺など、衰えは隠せないものの、顔立ちそのものは十分に整っていると言えるものであり、実際に若い頃は異性の注目を集めていた。


身長は現在の二十台男性のほぼ平均といったところで、そう高くもなく、低くもなく、という感じだ。




この企業に入社してから実に四十年ほど。




一途にこの会社に人生を捧げるかのようにこつこつと仕事をこなしていき、その中で多大な苦労を積み重ねてきた。


それでも、決して状況に負けることなく、地道に成功を積み重ね、地道に出世もしていき、とうとう、といった感じで社長の座に着くこととなった、正真正銘のたたき上げの苦労人である。




決して飛びぬけた、天才的な才能(センス)に恵まれている、などということはなく、むしろ不器用と言える彼。


だが、ここに来るまでずっと積み重ねてきた経験というものは、決してそんな才能などと比べても見劣りなどすることもなく、むしろ半端な才能にあぐらを書いている人間では太刀打ちなどできないであろう、しっかりしたものを持っている。




そして、それゆえに労働者の目線で、何をどうすればいいのかを、わざわざその立場にまで降りてきて、そこにいる労働者と共に、考えてくれる。


この会社で働いてくれる人間は、まさに宝だ、という信念を持って、決して社長という立場に立ったからといって驕ることなどなく、共に働いてくれる人間と切磋琢磨しながら、この会社の経営に取り組んでいる。




だからこそ、全国規模の会社でありながら、その風土は非常によく、お互いがお互いを支えあって、それぞれがその個性を活かしながら、仕事に取り組むことが出来る、そんな環境となっている。




そんな、他の会社からは理想だと思われる環境を、こつこつと作り上げてきた人物に声をかけたのは、涼羽の父である、高宮 翔羽が勤務している会社の専務である。




実は専務は、ここの社長とは同じ学校に通っていた同級生であり、学校を卒業してからも常に親友として、交流を続けていた。


今、社内の膿を出し切ろうと必死になっており、そんな自分の理想となるこの企業の環境をぜひお手本にしようと、割と少なくない頻度で、ここの社長に教えを請うようにしながら、いろいろと語り合ったりしている。




その関係もあり、会社同士がビジネスパートナーとして、それぞれの専門分野で抱えているエキスパートを互いに出向させたりして、それぞれの弱い部分を補っているという、割と理想的な関係を構築していっている。




ちなみに翔羽も、最近は研修という名目で、専務と一緒にここに来ることがあり、ここの社長と専務が話し合っていることを横でしっかりと聞かされたり、時にはこちらの業務の進捗が悪くなった時に、部下と共に応援に出たりしている。




そこで翔羽の圧倒的な処理能力、管理能力が余すことなく見せ付けられることとなり、ここの社長も社員も、翔羽のことはぜひここに来て欲しい人材だという認識と、なっている。




「…今日も朝から、寺崎君が代わりのモデルを探しに行ってくれてはいるんだが…」


「…そうか…」




親友である専務に問われ、ようやくと言った感じで重い口を開き、問われたことに対して答える社長。


そんな社長の声に、専務の顔にも重苦しさが浮かんできてしまう。




今回の企画の危機――――撮影当日になって、メインとなるモデル二人が不慮の交通事故にあってしまった――――のことは、専務もすでに聞かされている。


会社同士が親密なビジネスパートナーということもあり、何よりこの人生の大部分を共に歩んできた親友が予期せぬ事態に苦しんでいると聞かされ、いても立ってもいられずに、社長のところまで飛んできたのだ。




専務の方も、どうにかしたいとは思ってはいるものの、肝心のモデルに関しては全て写真家である寺崎 光仁に一任している、ということを聞いており、さらにはその光仁が、業界のモデルにこだわらず、あくまで自身が直感で感じ、この人以外にいない、というモデルを使用すると聞いているため、できることが見つからないでいたのだ。




加えて、人材を投入しようにも、情報処理のようなデジタルな部分に関しては専門分野であり、すぐにでも応援体制を作ることができるのだが、今回は必要な部分が完全に自分の会社の得意分野の範疇外となってしまっている。


せめて、自分が持っているパイプの中にある、業界モデルとのつながりもここで使ってもらおうと思い、どうしても光仁がモデルを見つけられない状況に陥っているならば、すぐにでも連絡を取ろうと思っている。




まさに、そんな時だった。




「しゃ、社長!!」




盛大に慌てているのが、目に見えて分かる様子で、今回のブライダルキャンペーンのスタッフの一人が、社長室に飛び込んできたのだ。


普段なら、落ち着いてドアをノックしてから入ってくるはずなのだが、それすらも忘れてしまうほどのことがあったようだ。




そして、確かに慌ててはいるものの、まるで絶望の中に希望を見出したかのような、歓喜の表情を浮かべているところが、良き報せであることを伺わせる。




「ど、どうした?そんなに慌てて…それに来客中なんだ。いくらなんでもノックもせずに飛び込んでくるなんて…」




いきなり来客中のところに、大げさに飛び込まれて、そのスタッフに苦言の言葉がついつい出てしまう社長。


いつもなら、もっと厳しく叱咤するのだが、今の状態ではそれすらままならない様子で、沈んだ表情のまま、たしなめる程度の言葉になってしまっている。




「も、申し訳ありません!!で、ですがこれだけは真っ先に社長にお伝えしなければ、と思いまして!!」




社長室の中に、社長と友好関係にある、パートナー会社の専務がいるのを見て、さすがにしまった、とは思うのだが、それでもこれだけはいち早く社長に伝えなければと、まず非礼を謝罪し、すぐさま事の報告に移り始める。




「な、なんだ?何かあったのか?」




じっと言葉も発さず、事の成り行きを静観している、親友の専務をよそ目に、一体何をそんなに慌てて、自分に伝えようとしているのかが気になって、その先を促す社長。




「はい!!見つかったんです!!」




主語もへったくれもない、とても報告とは思えないような、このスタッフの言葉。


よほど慌てているのが分かってしまうほどに、簡潔で、普通に聞けば一体何のことなのか、さっぱり分からないであろう、この報告。




だが、そのスタッフの歓喜に満ちた表情が、その何を、を伝えてくれている。




だからこそ、社長もわざわざ、何を、などとは聞こうともしなかった。




「!!み、見つかったって…ほ、本当なのか!!」


「はい!!本当です!!寺崎さんが、本当に見つけてきてくれたんです!!」


「そ、そうか!!そうかそうか…」




そのやりとりだけで、全てが伝わっている二人の会話。


それまで絶望に打ちひしがれ、まるで生気の抜けた表情になっていた社長の顔に、その生気が吹き込まれたかのような、歓喜に満ち溢れた表情が浮かんでくる。




「寺崎君が見つけてきたモデルなのだから、よほどイメージにぴったりなのだろうとは思うが…そのモデルさんとやらは、どんな人なんだ?」


「は、はい!!それが、二人共現役の高校生なんです!!」


「!!こ、高校生!?それは本当かね!?」


「は、はい!!ただ、花婿役の子は本当にモデルをしていてもおかしくないくらい、長身でスタイルも顔立ちもいい、スポーツマンな感じの男の子です!!」


「お、おお…そうなのか…」


「はい!!もう一人の子は…もうただただ、可愛いとしか形容のしようがないくらいに可愛い子なんです。ただ、その子もスレンダーで非常にスタイルもよく、顔立ちは幼げであどけなさが残る美少女、という感じで…」


「ふむ…そうなのか…」


「ですが、容姿に関して言えば、そんじょそこらのモデルでは太刀打ちできないくらい飛びぬけてるのは、間違いないです!!ああ…あんな子がお嫁さんになってくれたら…なんてついつい、思ってしまいます!!」




これまで専業のモデルにこだわらず、時には全くの素人をモデルとして見つけ出し、そこからちゃんとした撮影にまでしていた光仁であるからこそ、素人を選んだこと自体に驚きはなかった。


ただ、それでも今回選ばれたのが、現役の高校生だということに、さすがに驚きを隠せなかった。




しかし、スタッフの報告を聞いているだけで、花婿役も花嫁役も非常に整った、見栄えのいい容姿であることが伺え、一つ一つをふむふむと、自分の中に落とし込むかのように聞いていく社長。




あの寺崎 光仁が選んだ、というだけで、すでに期待感は十分すぎるほどだが、こうして実際にそのモデル候補の容姿を見てきた人間から、それを聞かされると、それまでこの企画の失敗イメージしかなかったところに、ふつふつと成功のイメージが浮かんでくる。




「そうか…そうか…いいぞ!!本当にどうにかなりそうな気がしてきたぞ!!」




先程までの沈んだ雰囲気は完全に鳴りを潜め、管理職となってからも地道に現場でのたたき上げを続け、その積み重ねで社長まで上り詰めた彼の顔に、本来の強気で前向きな表情が戻ってきた。




そんな社長の姿を見て、スタッフも振り切れそうなほどにやる気が漲ってきている。


スタッフは今回、代役のモデルとなる涼羽と志郎を見てきていることもあり、余計にそのやる気が漲ってきている状態だ。




「うむ…よかったな」


「ああ!!」




その本来の姿が戻ってきた親友の姿を見て、専務から本当に心の底から、というのが分かる、喜びの声が贈られる。


そんな親友の声に、社長の方もその年齢を感じさせないほどの元気な声を返す。




「そうだ…で、その高校生二人の名前は?」


「は、はい!確か、花婿役の子が、鷺宮 志郎と言う子で…」


「ふむ…もう一人の花嫁役の子は?」


「はい…花嫁役の子が、高宮 涼羽と言う子です」




漲ってきたやる気と対照的な、事務的な社長とスタッフのやりとり。


今回、代役でモデルになってくれる二人の名前だけでも聞いておこうとした社長の声がきっかけとなった、そのやりとり。


そのやりとりの中、聞こえてきた名前を聞いて、専務の顔に驚きの表情が浮かんできてしまう。




「ちょ、ちょっと待ってくれ!!」


「!?は、はい!?」




決して忘れることなど、できるはずもないその名前を聞かされて、思わず大きな声をあげてスタッフの方に確認を取ろうとする専務。




そんな専務の声に、スタッフの方は驚いて、思わず退いてしまっている。




「い、今、花嫁役の子の名前はなんと言ってたんだ?」


「え?え?」


「ほら、君が今言った、花嫁役の子の名前だよ」


「あ、ああ…名前ですか…高宮 涼羽って、言ってましたよ、その子」


「!!なんと…」




自分の耳に飛び込んできたその名前が、聞き違いなどではなかったことを知り、何ともいえない複雑な表情を、その顔に浮かべてしまう専務。


しかし、それもほんの少しの間のことで、むしろあの涼羽が、今回の花嫁役のモデルとしてここに連れて来られたことに、何か運命的なものを、感じてしまっている。


その感覚に、思わず笑みが、漏れ出てしまう。




「あ、あの…もしかして花嫁役の子のこと、ご存知なのですか?」


「!お、おい、そうなのか?」




事務的な報告で出した、花嫁役のモデルの名前に対する専務の反応を見て、もしかして知り合いなのでは、と思い、おそるおそるとではあるが、問いかけの声をかけてみるスタッフ。


そして、その声に引きずられるかのように続いて、問いかけの声をかけてくる社長。




「あ、ああ…その子は確かに私の知り合いの子だよ」


「!そ、そうなんですか!?」


「!い、一体どんな子なんだ!?」


「…まず言えるのは、私にとっては本当に恩人である、ということだな」


「!お、恩人…ですか?」


「ああ、そうだ」


「恩人…一体、どんなことでお前にそんなことを言わせているんだ?」




社長とスタッフの問いかけの声に、ただ一言、恩人だと告げる専務。


その一言を告げた時の顔は、まさに嬉しさと喜びに満ち溢れた、とびっきりの笑顔となっている。




そんな専務の顔を見て、一体どんな人物なのかが気になってしまい、ついつい掘り下げるかのように専務に質問の声を向けていく社長とスタッフの二人。




「ほら…うちの社が誇る…まさにエースと言える存在、知っているだろう?」


「!ああ、高宮さんですね!!」


「!ああ、高宮君か!!彼は本当に素晴らしい存在だな!!」


「そうだろう?」


「?で、その高宮さんが、どうしたんですか?」


「!っておい!?まさか!?」


「そう…今回花嫁役のモデルをしてくれるその子は、その高宮君の子供なんだよ」


「!そ、そうなんですか!?」


「ああ、そうだ」


「そ、そうなのか!まさかとは思ったが、本当にそうだったとは!」




自分達も本当の意味で世話になっている存在である翔羽のことが話に出てきて、二人も思わず嬉しそうな表情になってしまう。




このタイミングで翔羽のことを出された意図に、スタッフの方は気づくことがなく、間の抜けた疑問を出してしまう。


だが、社長の方はさすがに気づいたようで、その浮かんできたものを確認する目的で、スタッフとは違う意図の問いかけを専務に向ける。




そして、それを肯定する言葉が、親友である専務の口から出てきたその瞬間、社長の顔にまさに愉快だといわんばかりの痛快な笑顔が浮かんでくる。


そんな社長とは対照的に、社長のそばでその言葉を聞いたスタッフは、まるで想像もつかなかった、と言わんばかりの驚きの表情を浮かべ、声をあげてしまう。




「で、その高宮君が、ちょっと前まで、社そのものに非常に不信感を抱いていて、私に対しても敵意を持っていたこと、お前には話したな?」


「あ、ああ…確かにそんなこと言ってたな、お前」


「そうだ。無論、我が社が彼にしたことを考えれば、それも無理もないと…しかしそれでも、どうにかして彼の心を解きほぐさないと、と思って…結局どうにもならずだったということも…」


「そうだったな…相手がお前でなかったら、間違いなく彼の引き抜きを実行していただろうな」


「おいおい……だが、その高宮君の心を解きほぐし、あろうことか私と常務との和解にまで、事を運んでくれた人物がいたんだよ…」


「!え……」


「…それが、彼の子である、高宮 涼羽君なんだよ」




翔羽と和解する以前の、どうしても踏み込めない一線…


そして、どうにかして翔羽に行いと結果で謝罪しようと、躍起になっていた頃のこと。


それを、目の前の親友に、相談として、時には弱音として、ぽつぽつと吐き出していたのだ。


だからこそ、社長もそのことを知っており、事あるごとに気にかけていたのだ。




しかし、一時を境にそれまで聞いていた話がまるで嘘のような、目の前の親友と翔羽の、信頼感に満ち溢れた、確かな関係性。


そして、部下と上司の理想系と言っても過言ではない、そのやりとり。




どうやって、そこまでの関係になることができたんだと、ついつい聞いてはいたのだが、その度に専務は、笑顔で『我が社に天使が舞い降りてきてくれたんだよ』と返すばかりだった。




一体何のことだろうと思い、気になってはいたのだが、結局具体的なことは何一つ聞けずじまいだった。




それを今この時、ようやくと言った感じで、聞かせてもらう形になったのだ。




まさか、専務がことあるごとに天使だと言っていたその人物が、この日ここに、まさに救いの手となって現れた、代役の花嫁役モデルである涼羽だったなんて。




それを聞かされた社長は、その運命的とも言える出会いに奇妙な縁だと思い…


そして、目の前にいる親友にとっては文字通り、自分達だけでなく、会社そのものの恩人となっている涼羽に対して非常に興味が沸いてきてしまう。




もうその湧き上がってくる興味、そして好奇心を抑えることができなくなり、年齢を感じさせないほどの生き生きとした動きで、興味の対象となっている涼羽の元へと、足を動かしていくのであった。

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