第172話 俺達は結局、何のモデルをすればいいんですか?…

「も…申し訳ないです…みっともないところを…」




ひとしきり涙を流して落ち着いたのか、光仁がほんのり顔を赤らめながらも改めて、自分が座っていた席に腰を下ろす。




それほど、光仁にとってはこの人生で初めてといってもいいくらいの出来事だったのだろう。


本当の意味で、寺崎 光仁という一個人が認められたということは。


本当に本当に、何もできない、というレッテルを貼られて、それをどうすることもできずに生きてきた学生時代。


それが、ひょんなことからカメラと出会い、撮影というジャンルに魅入られ、自分の大したことのないものの全てをそれに捧げてきた半生。


それでも、本当の意味で自分のことを認めてくれた人間がいたかと言えば、そうではない。


確かに、今の写真館の人間や、これまで依頼をしてきてくれた企業などは、光仁のことを高く評価してくれてはいるが、それでも本当の意味で、光仁個人を認めているかと言えば、そうとは言い切れない部分がある。




だからこそ、本当の意味で自分を認めてくれた、今目の前で優しげな笑顔を浮かべながら、優しい眼差しを向けてくれている涼羽と志郎の二人の言葉が、嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだ。




特に志郎は、これまで光仁のことを使えないやつというレッテルを貼り、ことあるごとに光仁をストレスのはけ口にしていた不良と似た風貌をしていることもあり、そんな志郎に自分を認めてもらえた、ということが、余計に光仁の嬉しさに拍車をかけている。




「いえ…むしろそんなにも僕達の言葉で喜んでもらえたなら、本当に嬉しいです」


「そうですよ、まさかそんなに喜んでもらえるなんて…俺達は本当に自分が思ったことをそのまま、伝えただけですから」




いきなり涙を流された時はさすがにぎょっとしたのだが、それが嬉しさによるものだと聞いて、まるで自分のことのように嬉しそうな表情をその顔に浮かべて、柔らかくも優しい言葉を贈る涼羽。




その涼羽と同じように、それでいて、自分達は本当に自分が思ったことを伝えただけだと強調し、光仁が自分にとって尊敬に値する人物だということをアピールする志郎。




二人共、この自分の選んだものに対して常に全身全霊を傾け、常に全力で取り組んでいる人のために、何か少しでもお手伝いを、という気持ちが固まっており、それゆえに、こんな風に喜んでくれる姿を見るだけで、自然と笑顔を浮かんできてしまう。




「あ…ありがとうございます…ありがとうございます…」




そんな二人の言葉が、気持ちがまた嬉しくて、嘘偽りなど微塵もない、本当に素直な気持ちを伝える光仁。


また涙腺が刺激されてくるのを、どうにかこらえることに全力を注ぎ、どうにかそれをこらえることに成功する。




「あ…遅くなりましたが…今回の企画の内容について、お話させていただきます」




そして、気を取り直して、本題に入ろうと、光仁はその表情も声も引き締め、それまでのあたふたとしていて、気弱な印象とはまるで別人のような真剣さ、そして凄みを見せ始める。




「(!おお…やっぱこの人、すげえ…こういう人が、俺が目指している、自分のやるべきことに全力で取り組める人なんだな…)」


「(!凄い…俺も、この人見習って、もっと自分のやることに真剣に取り組めるようになっていきたい…)」




そんな光仁を見て、涼羽も志郎もその姿を素直に凄いと思うと同時に、この人のようにもっと自分のやることに全力で取り組んでいきたいと、図らずもそう思ってしまう。




「今回の企画は、今全国でも有名な冠婚葬祭の企業の企画なんです」


「冠婚葬祭…」


「有名企業ってことは…当然規模も全国区ってことですよね…」


「はい、これは、国内有数のライバル企業と決定的な差をつけるための、文字通り社運をかけたものです」




全国規模を誇る企業の、社運をかけた企画だと聞かされ、涼羽と志郎の表情に少し曇りが出てしまう。


それほどの責任重大な企画に、ただの高校生にすぎない自分達が関わっても大丈夫なのかと。


そんな不安が、二人の心によぎってしまう。




「大丈夫です」


「!え…」


「!え…」


「最初にお二人をお見かけして…そして、ここでやりとりさせて頂いて…僕はもう、あなた達なら絶対にこの企画を成功させられる、重要なキーマンになってくれると、確信しています」


「!!…」


「!!…」


「ですから、大丈夫です。モデルの経験がないとか…そんなのは僕にとっては重要ではないんです。重要なのは、本当に僕の描いたイメージ通りの人物であるかどうか、それだけですから」


「……」


「……」


「それに、分からないことだらけだというのは承知の上で、僕はあなた達に声をかけさせて頂いたんです…分からない点は、僕はもちろん、僕を手伝ってくれるスタッフ達が全力でカバーさせて頂きます」




そんな二人の不安を感じ取ったのか、光仁から静かで、それでいて一点の淀みも曇りもない、強い声が向けられる。


光仁は、絶対に大丈夫だと、この企画を成功させてくれると確信していると、断言して、涼羽と志郎の不安を和らげ、取り除いてくれるであろう言葉を贈る。


その強い、何があろうと、自分が声をかけた人物を、そんな自分のことを手伝うと言い切ってくれた二人を信じ抜こうという、それまでの気弱でおろおろとした姿からは想像もつかないほどの強い口調で、強い思いで、言い切ってくれている。




そして、その上で分からないことがあっても、自分と自分を支えてくれるスタッフ達が、全力で二人を支えていくから、と。


一点の迷いも、曇りもない強さで、言い切ってくれている。




この日初めて会ったにも関わらず、そこまで自分達のことを信じて、支えてくれると言ってくれる光仁の強い気持ち、そして言葉に、自然と涼羽も、志郎も、その手に力が入ってしまう。




「(凄い…今日会ったばかりの俺達のこと、こんなにも信じてくれるなんて…それどころか、全力で支えてくれるなんて…)」


「(すげえ…これだよ…これが、今の俺にない…俺が求めている強さだよ!!俺は、また凄い人と関わりを持つことができたんだ!!…)」




いざ仕事、自分がその生涯を捧げている撮影においては、他の追随を許さぬほどの行動力、そして決断力を見せる光仁。


そのモードは、まさに別人だと言っても過言ではないほど。




涼羽も、この強さを、そして真剣さを見習い、自分のものにしていきたいと、低身低頭の思いで、光仁が関わる企画に、全力で取り組もうと意気込む。


志郎も、目の前にいる光仁が、まさに自分が求めている強さを持っていることを確信し、この人から学べるだけ学んでいこうと、そのモチベーションが天井知らずに膨れ上がっていく。




光仁自身は、この状態に無意識で入ってしまうため、この状態の自覚が全くと言っていいほどなく、それが余計に普段の気弱さ、おどおどとした様子を隠せなくしている。


とはいえ、ずっとその劣等感を刺激され続けて、自分は駄目な奴なんだという意識をこれでもかと言うほどに植えつけられてきてしまったため、それを払拭するのは、一筋縄ではいかないのだろう。




自分としては当たり前のようにやっていることなので、別に褒められる要素などない、と。


自分が当たり前のようにできることなのだから、それほど大したことではないのだ、と。




そんな卑屈とも言えるほどの気持ちが、逆に光仁の向上心を際限なく高める要因とも、なっているのだが。




人生の全てを撮影に捧げているということもあり、その有り余るほどの向上心の全てを撮影に向けているため、そのスキルも天井知らずに伸びていく。


それは、まさに天から与えられたギフトと言っても過言ではない、他の人がどんなに欲しくても手に入れられないもの。


それがある限り、光仁の撮影に限界はないということが言える。




「で、今回はその中でもブライダル…結婚に関する企画です」


「結婚…ですか?」


「はい。今最もがっぷりよつになっていて、そこから一歩抜きん出たい、という部門が、ブライダルの部門なんです」


「………」


「そのための撮影…その企画の顔となる、イメージの撮影を、僕が依頼されたというわけなんです」


「………」


「ブライダルキャンペーンと言っても、これまで通りというわけには行かず、今までにない何かが求められる…それでこの企画に関わる人達が必死になって、作り上げようとしているところなのです」


「そうなんですか…」


「で…俺達は一体、何のモデルをすれば、いいんですか?」




ここで志郎が、単刀直入に自分達が何のモデルをすればいいのかを、光仁に聞いてくる。


ブライダルと言っても、まだそんなことに意識のいかない二人からすれば、いまいちピンとこない部分もあったからだ。


特に世間知らずな面も多い涼羽と志郎なだけに、余計であると、言えるだろう。


涼羽自身も、モデルと言っても端役…


つまり、おまけの役のモデルなのでは、と思ってしまっている。




それならば、ここまで光仁が大慌てしてモデルを探す、などというところまで至らない、ということに、二人共、まるで考えがいかなかったようだ。




「…お二人には、このキャンペーンのイメージ…その顔となるモデルをして頂きます」


「!え…」


「!そ、それって…」


「鷺宮さん…あなたには、新郎のモデルを」


「!マ、マジっすか!?」


「高宮さん…あなたには、新婦のモデルを、して頂きます」


「!え?え?」




一瞬、何を言われたのか分からなくなってしまう二人。


まさか、端役だとばかり思っていた自分達が、よりにもよって主役だなんて。


それも、志郎が新郎の役で、涼羽が新婦の役だと、光仁はきっぱりと言い放つ。




「ちょ、ちょっと待ってください!」


「?はい、なんでしょう?」


「お、俺らみたいな学生が、そんな大それた役でいいんですか!?」


「いいも何も…僕はあなた達だから…自分のイメージにぴったり合う、最高のモデルだと思ったから、声をかけさせて頂いたのですよ」




さすがにそんな大きな企画の、しかも顔となる部分のモデルと聞かされて、盛大に慌てた様子の志郎が光仁にそれでいいのかと、確認の声をあげてしまう。


しかし、そんな志郎の声に対し、光仁はさらりと、むしろ涼羽と志郎の二人しかいないと断言してしまう。




「で、でも!」


「?はい?」


「ぼ、僕、男なんですけど…いくらなんでも男が新婦の役なんて…」


「いえ、高宮さん…僕はあなたがいいんです」


「!そ、そんな…」


「この企画のイメージには、あなたは絶対に必要不可欠…僕は、そう確信しています」


「!え、ええ!?…」


「この際、本来の性別に関しては置いておいて…あなたがウエディングドレスを着て、その本来の魅力を解放する…それだけで、全てが僕のイメージ通りになるんです」




志郎に続くように、当然ながら涼羽もあたふたと、それでいいのか、といった感じの声をあげてしまう。


特に涼羽の場合、男であるはずの自分が、ウエディングドレスを着て花嫁になる、などと言われてしまったのだ。


女装自体は周囲の涼羽が大好きな女性陣にさせられたりしたことはあるのだが、それはその場でほぼ終わるようなものだった。


だが、今回のこれは、そうして撮影された自分の姿が、企業のイメージとして使われることとなってしまう。


そんな重要なポジションのモデルを、いくらなんでも男である自分がしてしまっていいのか、という思いも、当然ながら出てきてしまう。


もちろん、女装自体に非常に抵抗があることも、理由の一つだが。




しかし、涼羽のそんな声に対しても、光仁はむしろ、この企画のイメージには涼羽は絶対に必要不可欠だと断言してしまう。


そして、涼羽の本来の性別に関しては一旦は考慮せず、涼羽が自分のイメージ通りのウエディングドレスを着て、光仁の強い感受性が捉えた、涼羽の本質的な魅力を解放することで、全てが自分のイメージ通りになると、これまた断言してしまう。




「とにかく、もうこうしている時間も惜しい…」


「え?」


「幸い、今回の撮影場所はここから近いところです。今からお二人を、この企画に関わる人達に顔合わせをしておきたいのです」


「!え…」


「!そ、それって、今からですか?」


「はい、今からです」




仕事モードに入った途端、別人としか思えないほどの強引さで、今度は二人を今回の企画に関わる人間に顔合わせすると言い放つ光仁。


そして、二人の手をとって、席を立つ。




「さあ、早く行きましょう」




そして、先程までの気弱さからは想像もできないような力強さで涼羽と志郎の手を引っ張り、半ば強引に席を立たせ、善は急げとばかりに、外に出ようとする。




「(え?え?…今から、このまま?)」


「(まじか…すっげーな…これが常に本気で、全力で生きている人間の行動力ってやつなのか…)」




もはやこうなっては光仁についていくしかないという状況になってしまい…


驚きと戸惑いだらけの心境の中、その手を引かれて、このファミレスの出入り口付近まで移動させられる。


そして、涼羽と志郎のも含めて、一括で会計を済ませると、光仁は二人に一言。




「さあ、行きましょう」




屈託のない、これから旅行に行く子供のような無邪気な笑顔で、涼羽と志郎の二人を、自分が今、全力でどうにかしようと取り組んでいる作業場へと、連れて行こうとその足を進めるのであった。








――――








「さあ、着きました」


「わあ…」


「でけ…」




先程まで三人で入っていたファミレスから歩くこと、約十分程。


光仁に連れて来られたそこは、光仁が言っていた企業の本社の前。


TVでも普通にCMが流れており、全国的な知名度を誇る、某有名企業。


その名前は、そういったことに疎い涼羽と志郎でも一応ながら知っていたほど。




今から、一介の学生に過ぎない自分達が、こんなにも大きい有名な企業の、その社運を左右するほどの大きな企画に関わることになるんだ、と。


今から、この企業の企画イメージのキャラクターとしてのモデルを、することになるんだ、と。




そう思うと、自然と緊張感が増してくる。


普段は本当に自然体で、非常に落ち着いて色々な物事に取り組んでいる涼羽。


普段は非常にマイペースで、それでいてとにかく自分を向上させようと自己啓発に取り組んでいる志郎。




そんな二人にとって、こういった、まさに真剣白刃を突きつけられているかのような緊張感は、滅多に味わうものではないと、思えてしまう。




「(うわ…話では聞いてたけど…実際にその場所まで見ちゃうと、また緊張してきちゃう…)」


「(おお…喧嘩に明け暮れてたあの頃でさえ、ここまでの緊張感なんて、なかったぜ…)」


「さあ、入りましょう」




そんな緊張感に、その身体を縛り付けられたかのような錯覚さえ覚えてしまっている二人にさらりと、この企業のビルの中に入ろうと声を響かせる光仁。




非常に落ち着き払った、いい意味で淡々とした様子で、先陣を切るかのように、全面ガラス張りのドアを開いて、中に入っていく。




「?どうしました?」




その緊張感のあまり、その場から動くことすらできずにいる涼羽と志郎に対し、首だけ振り返って、横目で見ながら、どうかしたのかと、声をかける。




「(う、うわ…どうしよう…なんか、動けない…)」


「(マ、マジかこれ…足が動かねえ…)」




光仁から声をかけられても、動くことができずにいる涼羽と志郎。


自分達を襲うその事態に、次第に焦りの心が出てきてしまい、無理にでも動こうとしてしまう。


しかし、それでもどうしても足が動いてくれない。




「…大丈夫ですよ」




そんな二人に対し、ふわりと優しい声をかけてくる光仁。


その声が、涼羽と志郎の緊張をやわらげてくれる。




「先程も言いましたが、お二人が分からないことだらけなのは承知の上です。もちろん、その辺りは僕と、僕を支えてくれるスタッフが全力でサポートさせて頂きます」


「あ……」


「………」


「ですから、僕がお二人のことを信じているように、お二人も僕のことを信じていただけたら、嬉しいです」




非常に穏やかな笑顔で、二人が安心できる言葉をくれる光仁。


そんな光仁の言葉に、涼羽も志郎も次第に動けなくて固まっていた身体が、動かせるようになってくる。




「さあ、改めて、行きましょう」




ようやくと言った感じで、その足を動かせるようにまで至った二人を見て、嬉しそうにその頬を緩ませる光仁。


そして、改めて自分が開けたドアの奥へと、二人を連れて足を進めていく。




涼羽と志郎は、この状況でこんなにも穏やかに、いい意味で淡々とできる光仁のことを、改めて凄い人だと実感し、本気でこの人からいろいろなことを学ばせていただこうと、固く決心するので、あった。

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