第144話 お兄ちゃんの妹は、わたしだけなの!
「ただいま~」
学校での勉学、そして秋月保育園でのアルバイトも終えて、自宅に帰ってきた涼羽。
自身が帰ってきたことを告げる声も、日々が充実していることが伺える、快活なものとなっている。
そんな涼羽の声に反応するかのように、いつも通り中からこちらへと、ぱたぱたとした足音が響いてくる。
この流れも、いつも通り、ではあるのだが…
「……?……」
いつも通り響いてくる足音に聞き耳を立てていた涼羽の顔に、疑問符が浮かんでくる。
どうも、普段聞いている足音と、感じが違う、と。
何が、と言われたら、言葉にはできないけど、どこか、違う、と。
どうもこの日に限って、普段聞きなれている足音と比べると、違和感を感じてしまう。
なんだろう。
何が、違うんだろう。
聞こえてくる足音に対して、もやもやとした思考に耽っているところに…
その足音の主が、涼羽の前に姿を現した。
涼羽の妹である、羽月の姿が、玄関の方に出てきたのだが…
いつもの、この世で一番幸せ、と言わんばかりの笑顔ではなく…
この日に限っては、あきらかに不機嫌で、その幼さの色濃い輪郭を、膨れさせてしまっている。
これは、いつもやきもちを焼いたりするときの、拗ねている顔。
しかも、玄関前で腕組みしながら仁王立ちをしているその姿。
なんだか、夫の浮気を知って、その真相を追究しようとする妻のような雰囲気になっている。
それは、気のせいなのだろうか、と思ってしまう。
しかし、この妹がそんな顔を、最愛の兄である涼羽が帰って来たところに見せる、ということはなかった。
少なくとも、涼羽が知る限りでは。
一体、何をそんなに不機嫌になっているのだろう、と涼羽が思っているところに、羽月の口が開き、その可愛らしい、それでいて不機嫌丸出しの声が、響き始める。
「…おかえり、お兄ちゃん」
「??た、ただいま…羽月」
玄関まで出向いてくる足音に、違和感を感じていたら、実際に姿を見ても、いつもと違っていた、という今日の羽月。
いつもとまるで違う妹の様子に、戸惑いを隠せず、何もしていないにも関わらず、妙な後ろめたさまで感じてしまう。
自分が知る限り、羽月の機嫌を損ねるようなことをした覚えのない今の涼羽。
だが、目の前で仁王立ちをしている妹の不機嫌な顔は、あきらかに兄に向いていて、あきらかにその不機嫌の原因が、兄であることを示している。
とはいえ、涼羽自身はまるで身に覚えがないことであり、いくら考えても、羽月が一体何でこんなに不機嫌になっているのかがさっぱり分からない。
分からないから、聞いてみるしかない。
そう思い、少々恐々としながらも、妹に問いかけてみることにした。
「ど、どうしたの?羽月。何かあった?」
とにもかくにも、理由が分からないことにはどうしようもない。
そう思って、放たれた涼羽の言葉だったのだが、そんな涼羽の声に対し、ただでさえ不機嫌モードなのが、一層不機嫌な様子になってしまう羽月。
どういうわけか、さらに不機嫌になって、よりじとっとした視線を向けてくる妹、羽月。
そんな妹の真意がまるで分からず、その疑問符まじりの表情に、さらに疑問符が浮かんでしまう。
そんな、事情を何も分かっていない様子の兄、涼羽。
そんな兄を見て、心底不機嫌です、というアピールをするかのように、重々しく言葉を発し始める羽月。
「…お兄ちゃん」
「な、なに?」
「…お兄ちゃんの妹は、このわたしだけだよね?」
「え?え?そ、そりゃあ、もちろん…」
言いようのない重々しさで、涼羽にとっても羽月にとっても至極当然のことを確認してくる羽月の意図が、まるで分からない涼羽。
なんでそんなことを聞いてくるんだろう、という疑問しか、浮かんでこない。
自分の妹は、羽月一人だけなのだから。
そんなこと、当たり前なのに。
とにかく、家にあがろうと思い、靴を脱いで玄関にあがったその瞬間、涼羽の身体に、いつもの感触。妹の羽月が、その小柄な身体をべったりとくっつけ、抱きついてきたのだ。
「は、羽月?」
妹、羽月にこうしてべったりと抱きつかれるのはもはや日常茶飯事であるため、そのことについては何も思うことはない。
だが、いつもならこの時点でものすごく幸せそうで、嬉しそうな笑顔を浮かべて、まるで欲しいおもちゃを買ってもらえた子供のようにはしゃぐはず。
それが、今日この日においては、そういった仕草や様子がまるで見られない。
それどころか、無言で兄である涼羽の胸に顔を埋めて、その両腕で兄の身体を抱きしめたまま、ぐいぐいと、涼羽の身体を壁の方へと押し込んでくる。
まるで、逃がさない、と言わんばかりに。
「羽月?俺、着替えてご飯の準備、しないと…」
もうすぐ父である翔羽が帰ってくるので、すぐに着替えて夕飯の準備をしたいのだが…
羽月は、無言でべったりと抱きついたまま、離そうとしてくれない。
「…お兄ちゃん」
「?な、なに?」
「…お兄ちゃんって、本当に自覚ないよね」
「????な、なにが?」
「…お兄ちゃんが、ちょっと優しくしてあげただけで、勘違いしちゃう子、いくらでもいるんだよ?」
「?な、何のこと言ってるの?羽月?」
「…昨日の帰りに、わたしの学校の子と、会ったでしょ?」
「?昨日?…」
まるで、法廷で罪状を読み上げられるかのように…
もしくは、突きつけるかのように、重々しい様子で向けられる羽月の言葉。
その言葉が何を示しているのか、何が言いたいのか、全くもって分からない涼羽。
そして、昨日の帰り、という言葉に対し、その記憶を引っ張りだろうとする。
昨日の帰りは、以前の時のように香奈が涼羽に会いに来て、しばらく甘やかしていた。
そんな様子を見て、やきもちを焼いた美鈴が、香奈に対抗するように自分に甘えてきた。
それを見ていたクラスの女子達に思う存分に可愛がられた。
さらには、自分のところに来た香奈を、母親である水蓮のところに連れて行ったら、水蓮と莉音にめちゃくちゃに可愛がられたこと。
そんなこんなで、学校を出るのが遅くなって、秋月保育園に急いでいたら、羽月の学校の制服に身を包んだ女の子に、声をかけられた。
と、そこまで来て、ようやく羽月の言っている子のことに思い当たった。
「…!ああ、莉奈ちゃんのこと?」
昨日の記憶から引っ張り出せた、羽月と同じ学校の女の子。
幼げで可愛らしい、甘えん坊タイプの女の子。
昨日が初対面だったにも関わらず、まるで本当の妹のように、自分に嬉しそうに甘えてきてくれた女の子。
涼羽は、本当に親しげな感じで、下の名前でその女の子の名前を口に出す。
そんな涼羽の言葉を聞いた羽月の顔が、ますます不機嫌になっていく。
そして、その不機嫌さを表すかのように、涼羽の身体を抱きしめる力が強くなっていく。
もっとも、運動が苦手でもともとが非力でか弱い女の子であるため、力を入れたところであまり変わりはないのだが。
だが、自分の胸の中から上目使いで、よりじとっとした視線を向けてくる妹に対し、何か変なことでも言ったのかと思ってしまう涼羽。
「?え?え?莉奈ちゃんがどうかしたの?」
莉奈の名前を出した途端に、さらに不機嫌になった妹、羽月。
そんな羽月に、またしても親しげな呼び方で彼女の名前を出してしまう涼羽。
「…お兄ちゃんって、どうして…」
「は、羽月?」
そんな兄、涼羽に対して、その不機嫌さを抑えることができなくなったのか…
ついに、その憤りを爆発させることと、なってしまう。
「どうしてそんなに、誰でも簡単に甘えさせたりしちゃうの~~~~!!!!」
あきらかに怒っている、ということが分かる、妹の突然の大きな声。
その怒りを含んだ、しかしそれでも鈴の鳴るような可愛らしい声が、高宮家の玄関で響く。
「え?え?」
「もう!わたしの学校、お兄ちゃんのファンクラブまであるくらい、みんなお兄ちゃんが大好きなんだから!」
「あ…莉奈ちゃんもそんなこと言ってた…そういえば…」
「もう莉奈ちゃん、お兄ちゃんに会えて…しかもお兄ちゃんに甘えさせてもらえたの、めっちゃくちゃ嬉しかったから、みんなにすっごく嬉しそうに話してたんだからね!」
「え?そうなの?」
「そうなの!それに…」
「??」
「莉奈ちゃん、お兄ちゃんのこと、本当のお兄ちゃんみたいに思っちゃってるんだよ?」
「え?」
「おまけに、莉奈ちゃんと連絡先まで交換しちゃってるから…ぜ~ったい莉奈ちゃん、お兄ちゃんに会いたくなったら、連絡してくるよ?」
「ま、まあそれは別にいいんだけど…」
「だめ!お兄ちゃんの妹は、わたしだけなの!お兄ちゃんは、わたしだけのお兄ちゃんなの!」
「は、羽月…」
「やっぱりお兄ちゃん、ぜ~んぜん分かってない!」
「?何が?」
「わたしがどれだけ、お兄ちゃんのことがだあ~い好きなのか、ぜ~んぜんわかってない!」
「そ、そんなことは…」
「あるの!それに、お兄ちゃんが他の人達にどれだけ愛されるのかも、お兄ちゃんぜ~んぜん分かってない!」
「俺、そんなに好かれてなんか…」
もう、堰を切ったかのように止まらない、羽月の想い。
それが、とめどなく言葉として溢れてくる。
実際、莉奈が涼羽と出会えたことが、莉奈本人がどれほどに嬉しかったことか…
莉奈が涼羽に甘えさせてもらえたことが、莉奈にとってどれほどに幸せで、嬉しかったことか…
そういった莉奈の喜び、幸福感などは、莉奈がその時の事を話している様子が、全て物語っている。
一体、自分がどれだけ人に愛される存在なのか。
一体、自分のしていることが、人にとってどれほど嬉しいものなのか。
一体、自分の周りにどれほどに独占欲の強い人が多いのか。
その辺のことに関しては、涼羽は本当に自覚がないと言える。
ただただ、自分のしたことで人に喜んでもらえることが嬉しい。
それだけゆえに、自分のしていることで、どれほど他の人にとって影響が大きいのか…
自分が他の人のためにすることで、どれほどにその人の心を奪ってしまうのか…
そういうところに関して、全く自覚がないのだ、と、羽月は言っている。
羽月からすれば、兄、涼羽の全てを自分だけのものにしたいという思いでいっぱいであり、そんな兄の優しさは、全部自分だけに向けて欲しいのだから。
だから、自分の愛されっぷりに無自覚な点、そして、誰に対しても優しく接することのできる博愛主義な点は、妹の羽月から見れば本当に危なっかしくてしょうがない。
大好きで大好きでたまらない、この世で最愛の兄が、いつ誰に奪われてもおかしくない。
大好きで大好きでたまらない、この世で最愛の兄が、自分だけのものにならなくなってしまう。
年齢が三つ離れていることもあって、涼羽が小学校を卒業してからは、同じ学校に兄妹で通うことがなくなってしまったこともあり…
さらには、涼羽が秋月保育園でアルバイトを始めたこともあって、一緒にいられる時間が本当に少なくなってしまっている。
その現状もまた、羽月の不安を煽ってしまうものとなっており、いつ誰にこの兄を奪われてしまうのか、気が気でない状態と、なってしまっている。
ましてや、涼羽の妹はこの世で自分一人だけだという思いがあり、それは決して変わることのないつながりだという自負がある。
涼羽が、自分にとって血のつながった兄であり、自分が、涼羽にとって血のつながった妹だということ。
そのつながりが、羽月にとっては他の誰にも不可侵な領域で、生涯決して変わることのない、本当に特別なものであるということ。
だからこそ、兄に対する独占欲というのはこれでもかというほどに強い羽月。
その兄が、自分以外の人間を大切にするだけでも気に食わないのに…
今回の莉奈に至っては、まるで本当の妹のように扱って、本当の妹のように包み込んでいるのだ。
そんな兄の行為が、まるで『妹』という本当に特別な領域に、自分以外の人間が入ってきたような気がしてしまった羽月。
自分は涼羽のことが本当に大好きで大好きでたまらなくて、涼羽のことは自分だけのものにしたいと思っている。
だが、兄、涼羽からすれば、その気になれば誰でも妹として包み込んでしまえるのだということが、今回の莉奈に対する扱いを見ても、よく分かってしまう。
自分にとって兄は本当に本当に特別で大切で、最愛の存在であるのに…
兄にとっては、自分が特別でも大切でもないのだと、そう思えてしまう。
それが、本当に嫌で嫌でたまらない。
この兄は、何があっても自分だけのものなのだと、常日頃からそう思っている羽月。
それと同時に、他の子を自分と同じように扱って欲しくないと、常日頃からそう思っている。
だからこそ、兄、涼羽に関しては、本当にちょっとしたことでもやきもちをやいてしまう。
だからこそ、兄、涼羽に対して、必要以上に自分の愛情をぶつけたくなってしまうのだ。
「お兄ちゃんの妹はわたしだけなの!他の子を妹にするなんて、だめなの!」
「え~…莉奈ちゃんは甘えさせてあげるとすっごく喜んでくれたから、またそうしてあげたいんだけど…」
「!だめ~!そんなの、ぜ~ったいだめ~!」
本当に、涼羽のことに関しては、とことんまでわがままになってしまう羽月。
そんな妹に、どうしていいのか分からず、困った表情を浮かべてしまう涼羽。
「もう!お兄ちゃんなんか、ぜ~ったいに許してあげない!」
その博愛主義っぷりが、変わる様子のない兄に対し、とうとう業を煮やした羽月。
その小柄な身体を伸ばして、両腕で兄の顔を自分の方に引き寄せると、兄のその艶のいい唇を、自分の唇で奪ってしまう。
「!!ん、んんっ!!」
目の前の妹に、いきなり唇を奪われて、思わず後ろに引こうとする涼羽。
だが、今は壁の方に詰め寄られて、追い込まれている状態。
これ以上、後ろに下がることができず、逃げることができない。
そんな兄の唇を、羽月の舌が通り抜け…
兄の口腔内を貪るかのように、激しく動き始める。
羽月の舌が動くごとに、涼羽の身体に、背筋をなぞられるかのようなぞくりとした感覚が襲ってくる。
その感覚に耐え切れずに、涼羽の身体を支えている膝が崩れ、壁を背にした状態で座り込んでしまう。
「ん~~~~…」
「んっ!んうっ!」
羽月の舌が、涼羽の舌に絡み付いてくる。
まるで、兄である涼羽とひとつになりたい、とでも言わんばかりに。
そんな妹の舌の動きが、涼羽の身体をびくびくと震わせてしまう。
その感覚から逃げようとするも、すでに身体に力が入らなくなってしまい、抵抗らしい抵抗ができなくなってしまっている。
「(お兄ちゃんは、わたしだけのお兄ちゃんなんだから…ぜ~ったいに、誰にも渡さないんだから!)」
「(は、羽月…離して…こ、こんなの、恥ずかしすぎるよ…)」
激しい羞恥と、言いようのない感覚に襲われ、もうふにゃふにゃ状態の涼羽。
そんな兄が本当に可愛らしくて、こうしているだけで、本当に兄を独り占めしているような感覚になれて、幸せいっぱいの羽月。
そんな幸福感が強くなればなるほど、より兄、涼羽の唇を貪ろうと、激しい動きになっていく。
妹、羽月が激しくすればするほど、涼羽は身体の機能を奪われてしまう。
羽月は、ひたすら涼羽を独り占めしたくて、その唇を貪り続ける。
そんな妹の行為から逃れようとしても、身体が言うことを聞かなくてどうすることもできない涼羽。
完全に男女逆となっているこのやりとりは、兄、涼羽が涙目になっても許してもらえず…
羽月のその小柄な身体に見合わない、大きな独占欲が満たされるまで、続くこととなった。
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