第130話 涼羽ちゃんって、男の子だったの?

「で、涼羽ちゃん。ひとつ聞きたいんだけど…」


「?はい、なんでしょうか?」




ひとしきり、涼羽を抱きしめて可愛がって満足したのか…


落ち着きを取り戻した彩が、涼羽に問いかけの言葉を投げてくる。




そんな彩の言葉に、一体なんだろうと思いながらも…


涼羽はその問いかけに対し、答える意思を見せる。




「涼羽ちゃん、なんで男の子の制服着てるの?」




そして、その彩の疑問符に満ち溢れた問いかけ。


これまで、どこからどう見ても可愛らしい女の子の装いをしていた涼羽しか見ていなかった彩からすれば…


一体なぜ、そんな涼羽が男子用の制服を着ているのか、疑問に思うのも無理はない状態と言える。




「!!そ、それは…」




その問いかけに、思わず涼羽も言葉を発せない状態になってしまう。




なぜなら、彩は涼羽の本来の性別を知らず、涼羽のことを見た目通りの美少女保母さんだと、思い込んでいるから。


結局、珠江が涼羽を可愛らしくしたくて、女の子の格好をさせていることもあり…


今の今まで、彩に対して自分が男だと言うきっかけを掴めなかった涼羽。




これまで、女の子だと思われていたからこそ、彩もこうして気軽に自分にべったりとして、可愛がってきてくれているのだと、そう思い込んでいる涼羽。


だからこそ、ここで今更自分が男だと伝えてしまってもいいものか…


それによって、秋月保育園にも、不利益が及んでしまうのではないのか…


そんな不安が、頭の中をよぎってしまう。




もうこんな状況になってしまっているのなら、包み隠さずに本当のことを話してしまったほうがいい。


でも、それをすると、今度は秋月保育園の方に迷惑がかかってしまうかもしれない。




答えのでない、堂々巡りの思考に陥ってしまっている涼羽。




そんな涼羽のことなど、気にも留めることなどなく…


まるで空気を読むことのない声が、涼羽の胸元から上がってくる。




「お兄ちゃん、この人、誰なの?」




これまで、涼羽にべったりと抱きついて甘えていた羽月が…


自分だけの大好きなお兄ちゃんである涼羽にべったりと抱きついてくる彩のことが気にかかったのか…


まるで問い詰めるかのような、少し硬い声で、兄である涼羽に問いかける。




「!羽月…」


「ねえ、お兄ちゃん。なんでこの人、こんなにもお兄ちゃんに気軽にべったりしてるの?」


「そ、それは…」


「ねえ、なんで?」




自分だけの兄に、気軽に抱きついて可愛がってくる妙齢の女性…


それも、容姿の整った、明らかに異性に人気のあるであろう…




そんな女性のことが、いかにも気に食わない、と言わんばかりの口調の羽月。


その羽月が、涼羽を呼ぶときの一人称。




それが、涼羽にべったりとしたまま、自分の問いかけの答えを待っている彩の耳に、届いてしまう。




「………?お兄ちゃん?」




今、この涼羽にそっくりな女の子は、涼羽のことをなんと呼んだのだろうか。


今、自分の耳には、あきらかにそう聞こえた。




でも、こんなにも可愛らしい、清楚で母性に満ち溢れた女の子が…


どうして、『お兄ちゃん』などと呼ばれているんだろう。




そんな、ぐるぐると頭の中を渦巻く疑問を集約したかのような、彩のぽつりと吐き出された一言。




「…ねえ、あなた」


「?なんですか?」


「今、涼羽ちゃんのこと、『お兄ちゃん』って、呼んでたわよね?」




自分の聞き間違いだったかもしれない。


いくらなんでも、こんな、誰が見ても、とびっきりの美少女にしか見えない子が、そんな風に呼ばれるはずはない。


だから、自分の聞き間違いなんだろう、と。




そう思い、意識を改めて、涼羽の妹である羽月に対し…


自分の頭の中を混沌の渦に陥らせている、その疑問に対する答えを求める声をかける。




「はい、そうですけど?」




そんな彩の問いかけに対し、『それが何か?』とでも言わんばかりに…


至極、そう呼ぶのが当然と言わんばかりの口調で、羽月は彩の問いかけに対する回答の声を出す。




そんな羽月の声に、彩は驚きの表情を隠せない。




「え?え?…ということは…」


「?」


「…涼羽ちゃんって、男の子、なの?」




そして、ついにその疑問の核心を突く問いかけの声を、羽月に向けてその場に響かせる。


まさか、そんなはずは…


その思いを、心に秘めたまま。




「?そうですよ?だって、わたしのお兄ちゃんなんですから」




そして、そんな彩の問いかけに、これまた至極当然と言わんばかりに答える羽月。




そんな羽月の答えに、彩は一瞬、意識が真っ白になってしまう。




「……………」




まさか…


まさか…


こんなにも、可愛らしくて…


こんなにも、清楚でおしとやかで…


こんなにも、母性的で家庭的で…




完全にフリーズした状態の彩に対し、羽月は一体どうしたんだろう、という顔になり…


妹である羽月と、就業先の顧客である彩との会話を、二人に挟まれながら聞いていた涼羽は…


一体どうすればいいんだろう、と、答えの出ない問題に対し、必死で思考をフル回転させることとなってしまっていた。








――――








「…そうなの…やっぱり、男の子なのね?涼羽ちゃんって…」


「…は、はい…」




ようやくフリーズ状態から復帰した彩が、まだ少し動揺が残っているであろう声で…


改めて、今度はその当人である涼羽に対し、問いかける。




そして、もうどうすることもできないと思ったのか…


その問いかけに、素直に肯定の意を見せる涼羽。




「…す、すみません…なかなか、いい出せなくて…」




実際、珠江がとびっきりの美少女保母さんとして紹介をしてしまっていたため…


涼羽としても、うかつに自分が男であることを話すわけにもいかなかったのだ。




機を見て、本当のことを話したいとは思っていたものの…


どうしても、そのきっかけが掴めず…


時間が経てば経つほど、後の反動が大きくなってしまうと思いながらも…


結局、この日まで話すまで至らなかったのだ。




「…本当に、すみません…なんだか、騙してしまったようで…ずっと本当のことを言いたかったんですけど…」


「…………」


「…珠江さんは、悪くないんです…悪いのは、言うべきことを言い出せなかった、僕なんです…」


「…………」


「…ですから、責めるなら、僕を責めてください…」


「…………」




涼羽としても、非常に心苦しく、申し訳なく思ってしまう。


今まで、同性同士だと思って接していた子が、まさかの異性だったのだ。




それを思うと、涼羽の罪悪感は、際限なしに大きく膨れ上がっていってしまう。




いくら珠江がノリで涼羽を美少女保母さんに仕立て上げたとはいえ…


本当のことを言い出せなかった自分に非があると、涼羽は主張する。




そんな風に、秋月保育園をかばおうと、自らが悪いと主張し続ける涼羽を見て…


彩は、そんな涼羽さえも可愛いと思ってしまう。




「(もう…こんなにも可愛らしい容姿で、男の子って言われても…)」




ずっと女の子だと思っていた相手が、実は男の子であったこと…


そのことについても、彩はもういいとさえ思っている。




むしろ、それが涼羽でなかったなら、本当の意味で騙されたと思っただろう。




今こうして自分が悪いと主張して、他をかばおうとするその姿。


そうしてまで、自らを捨てて、他を思いやる心。




それを、微塵の打算もなく、本当に純粋に行なえる涼羽だからこそ…


彩は、騙されたとも思えず、ましてや、怒る気も毛頭なくなってしまう。




小さく、幼さの色濃い容姿とはいえ…


年頃の女の子である羽月が、こんなにもべったりと甘えてくるところを見ると…




いかに涼羽が、妹である羽月のことをその母性と慈愛で包み込んでいるのかが、よく分かる。




そんな男の子が、不純な思いであの秋月保育園で働いたりなど、するはずもない。


ましてや、あの人を見る目が確かな、秋月園長が自ら、スカウトしてきた子なのだ。




もう、男の子でも女の子でも、どちらでもいい。


そんなことは、本当に些細なことだと思えてしまう。




そう思うと、目の前の可愛らしい男の子が、本当に…


前以上に、可愛らしく見えてくる。




「…ねえ、涼羽ちゃん」


「!は、はい…」


「…涼羽ちゃんって、本当にずるいわね」


「!え…」


「…だって、こんなにも可愛くて、本物の女の子よりも女の子らしくて…」


「!そ、そんなこと…」


「お肌もすっごく綺麗だし…身体つきも、すっごく素敵で…」


「!あ、うう…」


「…だから私、涼羽ちゃんのこと、怒ったりなんかできなくなっちゃうじゃない」




少し責め立てるような口調で、意地悪な言葉をむけてしまうものの…


その顔には、優しげな笑顔が、浮かんでいる彩。




とにもかくにも、結果的に騙していたことを懸命に謝罪していた涼羽のことを…


今度は、男の子だと知りながらも、ふわりと抱きしめてしまう。




「!か、唐沢さん…」


「もう…なんて可愛いの、涼羽ちゃんったら」


「そ、そんなことは…」


「私、涼羽ちゃんが男の子だって分かっても、こうしたくなっちゃうじゃない」


「や、やめてください…」


「いや、やめてあげない」


「だ、だめです…僕、男ですし…唐沢さんみたいな美人な人が、男の子相手にこんなことしてたら…」


「だあめ。涼羽ちゃんが、私に対して、騙してたって思うのなら…本当に悪いって思ってるなら…」


「!は、はい…」


「…だったら、私がこうして涼羽ちゃんのこと可愛がっても、抵抗しちゃ、だめ」


「!そ、そんな…」


「涼羽ちゃんったら、本当に可愛い…私、涼羽ちゃんだったら、男の子でも全然いいって思えちゃうわ」




自分の腕の中で、可愛らしくも儚げな抵抗をする涼羽が、どこまでも可愛らしすぎて…


そんな涼羽のことを抱きしめ続けている彩の顔が、ますます緩んでしまう。




むしろ、年頃の男の子でありながら、自分のような女性にこんな風に抱きつかれて…


邪な欲望を抱くどころか、そんなことしちゃだめだと…


まるで、娘を心配する母親のようなことを言い出す始末の酢の姿を見て…




ますます、涼羽のことが可愛らしく見えてしまう。




「うふふ…涼羽ちゃんには、うちの彩華がい~っぱいお世話になってるものね」


「!あ、彩華ちゃんは本当にいい子で…」


「ふふ…最近彩華ったらね、い~っつも私がお料理してたり、お掃除してたら、すぐにそのお手伝いをしてくれるのよ」


「!そ、そうなんですか?」


「ええ。私も『どうしてそんなに、いつもお手伝いしてくれるの?』って聞いたらね…」


「き、聞いたら?…」


「『りょうせんせーが、そうするとパパとママがよろこんでくれるって、いってたから』だって」


「!あ、あれは…」


「もう、本当に彩華がいい子に育ってくれて…涼羽ちゃんがどれだけ、私の娘も含めて、あそこの園児達のことを大切に想って、包み込んでくれてるのか、すっごくよく分かるもの」


「ぼ、僕はそんな…彩華ちゃんは、もともといい子だから…」


「だからね…涼羽ちゃんには、これからも彩華のこと、お願いしたいもの…だから、本当は男の子だったとか、そんなこと、もうどうでもいいもの」


「!か、唐沢さん…」


「ね?だから…私はもう、騙されたとかそんなこと、全然思ってないから…」


「!…あ、ありがとうございます…」




自身の娘である彩華が、どれほど涼羽にいい方向に導いてもらっているのか…


そして、その影響でどれほどにいい子に育ってくれているのか…




そのおかげで、もともと仲の良かった家族が、ますます仲のいい家族に、なっていっている。




そして、彩華は本当に涼羽のことが大好きで大好きで仕方ないらしく…


家では、常に涼羽のことを、その小さな身体と、舌足らずな言葉を目一杯使って、懸命に…


それでいて非常に楽しそうに、嬉しそうに家族にお話をするのだ。




彩華の涼羽に対する甘えん坊っぷりは、涼羽の実の妹である羽月を思わせるほどになっており…


涼羽が保育園に姿を見せると、我先に、と言わんばかりに、涼羽のもとへと…


ぱたぱたと、可愛らしい足音を響かせながら、駆け寄ってくるのだ。




そして、べったりと抱きついて、うんと甘えてくる。




そんな彩華のことを、涼羽も非常に可愛らしく思っており…


ついつい、妹の羽月にしている時と同じように、とろけるかのような優しさで、うんと甘えさせてしまう。




そうしながら、彩華に家のお手伝いすることの大切さ…


そして、そうすることで両親が喜んでくれると…


さらには、自分のしたことで、人に喜んでもらえることの大切さ、そして嬉しさを…




本当に、優しく、嬉しそうな笑顔でお話をしてあげている。




大好きで大好きでたまらない涼羽が、そんな風に言ってくれることだから…


いつもいつも、自分が笑顔で嬉しそうにしていると、同じように嬉しそうな笑顔を見せてくれる涼羽の言うことだから…


だから、彩華も涼羽がそんな風に言ってくれることだからと、懸命に思いつく限りの、両親のお手伝いをしてみるようになっているのだ。




幼いゆえに、できることは限られているのだが…


それでも、小さな娘が懸命にできる範囲で、お手伝いをしてくれるその姿に…


父親も、母親である彩も、非常に嬉しそうに見ている。




そして、可愛い盛りの娘である彩華に、それほどのいい影響を与えてくれている涼羽だから…


今更、本当は男の子でした、なんてことくらいで、その信頼が揺らぐはずもなく…




むしろ、それでも全然構わずに、目一杯可愛がってあげたいとすら、思ってしまっている彩。




「ふふ…だから、これからも、可愛い保母さんとして、彩華のこと、よろしくね」


「!ぼ、僕男ですから…保母さんでは…」


「うふふ…何言ってるの。あんなにも可愛くて、あんなにもお母さんみたいで…」


「!そ、そんなこと…」


「涼羽ちゃんって、本当にいい子ね。私、涼羽ちゃんみたいな男の子、欲しくなっちゃう」


「ぼ、僕みたいなって…そんな…」


「涼羽ちゃん本当に可愛い…彩華があんなにも懐いてるのも、すっごく分かっちゃうわ~」


「うう……」




ひたすらに涼羽を可愛い可愛いといい続ける彩に対し…


涼羽はもう、恥ずかしさにその頬をずっと熟れたリンゴのように染めてしまっている。




そんな涼羽がとにかく可愛らしくて…


ますます可愛がりたくなってしまう彩。




傍から見れば、少し歳の離れた姉妹が、仲睦まじく触れ合っているようにしか見えない光景。


少し反抗期な妹を、妹大好きな姉がべったりと可愛がってしまっているような、そんな光景。




「涼羽ちゃんが男の子だってことは、私、ちゃんと黙っていてあげるから」


「!ほ、本当ですか?」


「ええ。だって、こんなにも可愛い男の子なんて、いるはずないって、みんな思っちゃうもの。だから、言ったところで、本当だって思ってもらえないもの」


「!そ、そんなことは…」


「だって、今あの保育園で、園長先生と市川先生以外で、涼羽ちゃんが男の子だってこと、誰が知ってるのかしら?」


「!!………」


「ふふ…でしょ?」


「うう…」


「さ、涼羽ちゃん今から保育園でアルバイトでしょ?一緒にいきましょ?」


「は、はい…」




妹、羽月にべったりと抱きつかれ…


その羽月ごと、彩に抱きしめられ…


自分が男であると知ったにも関わらず、前以上に嬉しそうにべったりと抱きついている彩に促されるように、秋月保育園へと足を進め始める涼羽。




自分が男だと知ってもなお、べったりと抱きついてくる彩にどうしても恥じらいを隠せないままの涼羽。


その涼羽を、心底嬉しそうな表情で見つめ続ける彩。


そんな彩の視線もまた、涼羽の恥じらいを際限なく膨れ上がらせるものとなってしまい…




妹と、保育園の園児の保護者である女性にべったりとされながらの道中…


ひたすらに、その可愛らしすぎる恥じらいの表情を披露することと、なってしまうのであった。

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