第115話 え?男の子なの?

「さあ~て、涼羽が作ってくれた美味しい弁当…って」




愛しい息子が作ってくれた、美味しい美味しい弁当をレンジでチンして…


十分にあったまったところで、最愛の子供達のいる席に戻ってくる翔羽。




しかし、自分の席として取っていたはずの、息子、涼羽の右隣には、すでに誰かが座っていた。




「ねえ、教えて?」


「お、教えてって言われましても…」


「あたし、あなたみたいに可愛くてほんわかとした声、出せるようになりたいの」




しかも、涼羽に迫るかのように息がかかるほどの至近距離まで顔を近づけながら…


いつになく必死そうな様子で、懇願するかのように問い詰めている、この食堂のウエイトレスの姿。




その可愛らしさの色濃い容姿と、まさに二次元から抜け出してきたかのようなアニメ声。


それらのおかげで、ウエイトレス内でも屈指の人気を誇る、大原 菫が…


自分が座ろうとしていた、涼羽の右隣の席に座って、涼羽に懇願しながら問い詰めるようにしていた。




「ねえ、どうしたら、そんな風に自然体で可愛らしい声が出せるの?」




いつものような、どこかきゃぴきゃぴとした感じはなく…


まさに、目の前の問題が解決できなくて、どうしようもなくなっていたところに…


偶然見つけることのできた、解決の糸口。




その解決の糸口を決して逃すまいと、必死になって聞き出そうとするその姿。




普段から、演技の練習ということもあり…


どこか、作りこんだようなキャラになってしまっている感のある菫。




だが、その作りこみが明らかに偏ってしまっていることもあり…


どうしても、同じようなイメージのキャラクターしか、演じることができないでいる。




今時な感じの、きゃぴきゃぴとした、ギャルっぽいイメージが先行してしまっているため…


どうしても、そんなイメージのキャラクターのオファーしか来なくなってしまっているのだ。




本来、菫が演じたいのは…


ふんわりと優しげで、落ち着いていて…


清楚で奥ゆかしい感じの…


まさに、大和撫子と言えるイメージのキャラクターであるのだ。




だが、そんな大和撫子な存在とは程遠いイメージのキャラクターしか演じることのできない現状…


そんな現状を、どうにかして打破したい。




しかし、自分でどうにかしようにも、どうすることもできない…


そんなもどかしい日々が、ずっと続いていたのだ。




そんなところに、自分の前に現れた…


自分の理想の声とキャラを持つ存在。




だからこそ、もはや菫にとって唯一無二の希望と言える涼羽。


その涼羽から、どうにかして自分を変えるためのきっかけを聞き出そうと、必死になってしまう。




「あ…あの…僕、そんな…」




まさか自分が、目の前にぐいぐいと迫ってくる相手にそんな風に思われていることなど、露ほども思わず…


どうして、自分に対してこんなにまで必死な様子で問い詰めてくるのだろう…


そうしたこともまるで分からないまま、おたおたとしながら返答らしい返答もできないでいる涼羽。




あきらかに困り果てて、どうすることもできないでいるその様子…


しかも、自分より年上であろう、可愛い系のお姉さんにこんな風に迫られて…


まともに視線を合わせることもできずに、ただただ困り続ける…




そんな涼羽の姿も、菫にとっては非常に可愛らしくて、奥ゆかしいと思え…


そんな仕草を、ごく自然に、嫌味もなく振舞える涼羽のことが、さらにうらやましくなってしまう。




「もう!なんて可愛らしくて…清楚な感じなの!?」


「そ、そんなこと…ないです…」


「ううん!見てるだけで、本当にどうにかしたくなっちゃうくらい可愛いもの!」


「ぼ、僕…そんな…」


「しかも、こんなに可愛いのに『僕』なんて!ねえ、本当に教えて!?どうしたら、そんな風に自然に可愛らしく振舞えて、そんなに可愛らしい声が出せるの?」




よほどたまらなくなったのか、ついには涼羽の身体に自分の身体をべったりとくっつけてくる始末。


いきなり、自分の右腕を包み込むかのような柔らかな感触に、思わず涼羽はびくりとしてしまう。




「!や、やめてください…恥ずかしいです…」




その程よい大きさの、女性としての象徴を押し付けられる形となってしまい…


思わず、その童顔で優しげな美少女顔を赤らめて、恥らう素振りを見せてしまう。




だが、そんな涼羽の仕草が、菫にとっては自分の理想ともいえるものであり…


こんなにも自然で可愛らしく、しかも恥ずかしがりやで儚げな涼羽のことが…


もっともっとうらやましく思えてしまい…


もっともっと興味が沸いてきてしまう。




「ちょっとちょっと、さっきから仕事そっちのけで何してるのよ、あんた!」


「その子、すっごく困ってるじゃない!離してあげなさいよ!」




あきらかに恥ずかしがって困り果てている涼羽があまりにも可愛すぎて…


内心、身悶えしながら目を奪われていた受付嬢達が、はっとしたように我に帰り…




困り果てている涼羽をそっちのけで、ぐいぐいと迫り続ける菫に、抗議の声をあげる。


二人にとっては、鼻につく感じで気に入らない存在であることもあり…


その嫌悪感を隠そうともせず、思い切りきつい口調になってしまっている。




「ほっといてください!これは、あたしとこの娘の問題なんですから!」




そんな受付嬢の二人の抗議の声に、真っ向から抵抗の声をあげる菫。


自分にとっては千載一遇のチャンスであることもあり…


何が何でも、今ここで涼羽を離すわけにはいかない、という思いに満ち溢れている。




「な、なんですって~!!あんたウエイトレスのくせに~!!」


「お客様ほったらかしにして、自己都合で動いてんじゃないわよ~!!」




鼻につく存在である菫からの、まさかの反撃に、思わず立ち上がって怒りを露にしてしまう受付嬢の二人。


接客サービス業の店員である菫のその態度に、余計にその怒りを刺激されたようだ。




「さあ!教えて!」




自らが二人の怒りの火に油を注いでいることなど気にも止めることなく…


ただ、ひたすら真っ直ぐに涼羽のことを見つめ…


同性であると思い込んでいる涼羽の身体にべったりと自身の身体をくっつけ…


とにかく、自分の知りたいことを聞き出そうと、さらに問い詰めにかかる菫。




そんなことをしても、肝心の涼羽が恥ずかしがって、萎縮してしまい…


ただでさえ、自分にとって自覚のない部分のことなのだから…


答えることなどできるはずもないゆえに、ますます聞き出せなくなってしまうのだが。




もともとが猪突猛進な性格の菫には、涼羽の答えが欲しい、という…


それだけしか見えておらず…


その自分にとって今後の人生を左右するその答えを、今か今かと待ちながら…


必死にその答えを求めて、暴走し続ける。




「お兄ちゃんから離れて!」




いきなりのことで、呆気にとられていた羽月も我に帰り…


最愛の兄が、自分以外の女性に迫られていることにご立腹な様子で…


兄、涼羽に迫っている菫に、抗議の声をあげる。




そして、この可愛い兄は自分だけのものだと自己主張するかのように…


兄の左腕をぎゅうっと抱きしめて、自分の方へ引き寄せようとする。




「ちょっと黙ってて!!あたしとこの娘の…って、え?」




そんな羽月に反撃の声をあげようとして、ふと…


自分にとって、聞き捨てならない一言を羽月が発していたことに気づき…


その勢いが、止まる。




「え?お兄ちゃん?え?」




羽月が放った、『お兄ちゃん』の一言に…


今度は、盛大に思考が混乱の渦に呑まれてしまう菫。




まさか、今自分が理想の大和撫子だと思っている、この人物が…


どうして、『お兄ちゃん』などと呼ばれているのか…




そのことに、疑問と驚きを隠せない様子の菫。




「え?え?この娘、女の子でしょ?」


「違うもん!お兄ちゃんは男の子だもん!」




菫が、確認のためにどうにか絞り出せた声に対し…


羽月は、真っ向から否定の声を返す。




まあ、女の子だと思っちゃうのも無理ないけど。




そう、思いながら。




「ほ、本当なの!?あなた、男の子なの!?」




今まで、自分の理想の美少女だと思っていた相手が、実は男だと断言され…


盛大なほどの驚きを見せながら、今度はその当人である涼羽の方へと、確認の声を向ける。




「…は、はい…男です…」




恥じらいに頬を染め…


視線を菫から逸らしたままの状態で、どうにか儚げな声を絞り出す涼羽。




そんな姿も、どう見ても可愛らしい美少女にしか見えないのは、どうしようもないのだが。




「…うそ…」




当人である涼羽からも、男である、という自己申告が返ってきてしまい…


半ば呆然とした様子の菫。




容姿もそうだが、声も、全然声変わりしていないかのような、可愛らしい女の子の声。


なのに、男の子だという事実。




そんな事実に、現実逃避するかのように動きが止まってしまい…


それは、厨房のシェフからの、料理ができたぞ、という声で、ようやく再起動を果たすこととなった。








――――








「あ…あたし…男の子にあんな風に迫ったりして…」




ひとまず、このテーブルに座っている四人がオーダーした料理を全て運び終えた菫。


自分が同性だと思って、べったりとしていた相手がまさか男の子だったという事実に…


今度は、菫の方が盛大に顔を赤らめてしまうこととなる。




家族構成が母と姉三人という、見事なまでに女性ばかりな構成であり…


さらには、学生時代は一貫して女子校に在籍していたこともあり…


異性との触れ合いが極端になかった菫。




ゆえに、男性に対する免疫がほぼ皆無であり…


涼羽が男の子であると分かって、もうどうしていいのかが分からない状態となっている。




接客の時は、声優業に必要な演技の練習であり、仕事であると割り切っているので…


ここまでうろたえることはないのだが。




ただ、それでもどこか、男性と接すること事態に内心不安を抱きながら接客をしており…


それを無理に隠そうとして、どこかきゃぴきゃぴした、男性に媚びるようなキャラになってしまっていること…


それに、菫自身が気づけないでいる状態なのだ。




涼羽の場合は、同性だと思ってあんなにもべったりとしてしまっていた相手がまさかの異性だったということで…


本当に素のままで、どうしていいのか分からずに、おろおろとしてしまっている。




それでも、涼羽が自分の理想の声と雰囲気の持ち主であることに変わりはなく…


結局は他に客がいないのをこれ幸いに、本来ならば翔羽が座るはずだった、涼羽の右隣に…


そのまま菫が座ってしまっている。




「…あ~…本当なら、俺が涼羽の隣に座っていたのに…」




最愛の息子である涼羽の隣の席に、すでに菫が陣取ってしまっていることもあり…


仕方なしに、羽月の左隣に座ることにした翔羽。




菫が我に帰って、オーダーされて完成した料理を取りに行っている間に座ることができたのだが…


あまりにあまりな、急な展開に翔羽自身も我を忘れてしまっており…


結局、ふと我に帰った時には、改めて菫がその席に座ってしまっていた、という…


そんな状況になってしまっていた。




気づいた時は、すでに遅く…


かといって、いくら食堂のウエイトレスだといっても無理に席を立たせてしまうのも気が引けてしまい…


仕方なしに、涼羽の隣をあきらめることとなってしまった翔羽なのである。




こういうところは、変に小心者で、無駄にフェミニストな翔羽なので、あった。




ちなみに、当然と言わんばかりに受付嬢の二人も、席を移動した翔羽の向かいに移動している。


もともとの狙いが翔羽であるのと同時に、自分達が気に入らない相手の向かいにそのまま座り続けるのを拒否する形となってしまっている。




「ほら、羽月、食べよっか」


「うん!お兄ちゃん!」




ひとまず、騒動が落ち着いたところで、自身の心も落ち着けることができた涼羽。


自身にとって、可愛い妹である羽月に、来た料理を食べようと促す。




そんな兄の優しい声に、羽月もにこにこ笑顔で返事する。




まさに、母と幼い娘のようなほのぼのとしたやりとりに、思わず翔羽や受付嬢達の頬も緩んでしまう。




「あ~…やっぱり俺の子供達は可愛いな~」


「本当に、部長のお子さん達って、可愛いわ~」


「こんなに可愛いと、見てるだけで癒されてくるわ~」




本当に、見ているだけで幸福感が湧き上がってくるかのような兄妹のやりとり。


まさに幸せのおすそ分け、といった感じで芽生えてくる幸福感を抱きながら…


自分達も、食事に入ろうとする。




「(わ~…男の子なのに…こんなに優しくて、おっとりとしてて、可愛いなんて…)」




菫の方も、涼羽が男だと分かってパニックに陥っていた心も落ち着きを取り戻してきており…


その心で、改めて涼羽の方へと視線を向けてしまう。




その視線の先に映る涼羽の姿は、本当に優しげでおっとりとしていて…


しかも本当に可愛いと言えるものである。




そんな涼羽を前に、気がつけば男性とやり取りする時のあの不安感がどんどんなくなってきていることに、ふと気がついてしまう。




「(…あれ?…あの子見てたら、なんだか男の人って感じが、しなくなっちゃってきてる…)」




涼羽の実の妹である羽月からの申告…


そして、当人である涼羽からの申告もあり…


この子は男の子だという認識が急に植えつけられたため、頭が混乱していたのだが…




心を落ち着けて、改めてよく見ていると…


どこからどう見ても、男に見えない。




そんな思いが、菫の心を満たし始めていく。




むしろ、男だって分かっても、不安な感じがしない。


それどころか、妙な安心感まで感じてしまう。




菫の胸中に、言いようのない安心感が芽生えてきて、それがどんどん大きくなっていく。




そんな安心感が大きくなってきたところに、改めて涼羽の姿を見てみると…




「(やっぱり…どう見てもあたしの理想の女の子だ…仕草も…声も…雰囲気も…)」




妹である羽月と、お互いににこにこ笑顔で触れ合うその姿。


先程までの、自分に迫られてひたすらに恥らうその姿。




清楚で、奥ゆかしくて、おっとりとしてて、お母さんみたいで…




本当に、男性にとっての理想のお嫁さん、と言えるほどに…


どこからどう見ても、大和撫子な雰囲気に満ち溢れている。




「…美味しい。これ」


「ほんと?お兄ちゃん、ちょっとちょうだい?」


「うん、いいよ…はい、あ~ん」


「あ~ん…ん…美味しい!」


「ふふ、美味しいでしょ?」


「うん!」




しっかりと味わいながら、しずしずと目の前の料理を食べていく涼羽。


その美味しさに、その可愛い顔を綻ばせてしまう涼羽。


妹の、ちょうだい、という声に笑顔で応え、あ~んまでしてあげる涼羽。


妹が美味しいといったことで、まるで自分のことのように喜ぶ涼羽。




その他愛もない、ひとつひとつのやりとり。




妹に、ここまで優しく接することのできる涼羽。




そんな、母性と慈愛の女神のような雰囲気に満ち溢れている涼羽。




そんな涼羽に、菫は…


まるで、女性としての理想像を見つけた、という目で…


涼羽の一挙手一投足を、目で追い続けるのだった。

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