第12話

 自慢じゃないが字が下手だ。

 将来的に全て電子化されて文字を書かなくなるとは思うのだが、そんな人類の未来を語ったところで期末テストにパソコンとプリンターを持ち込みOKとなるわけもなく。

 子供の頃に「上手じゃなくていい、丁寧に書け」と言われて意味がわからず混乱した私であるが、意味がわかるようになった現在では丁寧に書いても汚い字になる、という進歩なのか退化なのかハッキリしない状況になっている。

 走り書きしたメモなんかは私以外には読めず、ていうか時間が経つと私自身ですら文字の解読が必要になり、数日後には解読不能になっていることも多い。あたかも古代文字のごとしである。さすがにテストのたびに研究家ばりの作業をするハメにはなりたくないので、授業のノートは可能な限り読める字で書くよう心がけている。

 しかしなぜこんなに字が汚いのか。

 ちょっと考えてみたのだが、おそらく「基本的に、字を書くという行為をやりたくない」という思いが根底にあるから、な気がする。

 どういうことかご説明しよう。小学校で文字を書き始めた子供にとって、何か文字を書く=勉強、という図式がほぼ成り立つ。つまり、勉強なんかしたくない=文字を書きたくない、字を書くことは面倒な勉強と同義、となる。私はその感覚を今も引きずっているため、ペンを動かして文字を書くのが嫌なのだろう。

 わかりやすく言うと、かつて森でヘビに噛まれた人が、森そのものを忌避するのと同じことである(この例え合ってるか?)。

 そして、勉強したくない、文字を書きたくない、せめて勉強時間を減らしたい、文字を書いている時間を減らしたい……とステップアップしていき、文字を高速で書くことによって勉強時間の短縮に繋げようとしているわけだ。

 後で解読作業などしていたら余計に時間がかかり、最初から読める字を書いた方が結果的に時間短縮になる気がするが、どうも私の右手は正論を受け付けてくれないようである。

 そんな私であるが、芸術の選択授業で「音楽・美術・書道」とあるうちの書道を選んだ。

 なんでだよアホなのかお前は、とお思いかもしれないが、私がアホなのはさておきこれには理由があるのだ。

 字が上手くなりたいとか、友人に合わせたとかではない。

 実に単純な理由なので、当ててみたい方はちょっとお考えくだされ。


 さて、思い付きましたでしょうか。

 答えは簡単、音楽や美術のセンスはもっとひどいから、でした。

 音楽はまずリズム感がまったくなく、何分の何拍子、みたいなやつが微塵も理解できない。音程はあまり自覚できないのだがズレているらしく、カラオケでは音痴扱い。西内まりやに申し訳が立たないぜ。やはり周囲に合わせて西野カナを歌った方がいいのか……いや結局私が音痴なのには変わりないんだけど。どっちが誰だかわからない? 大丈夫、私もたまに混乱する。

 美術はつまり絵を描くとか彫刻するとかなのだが、私の絵心のなさと言ったら文字の一歩先を行くレベルで、子供の頃ドラえもんを描いたらただの青いゴミ袋が誕生していた。画力は現在でも大差ない。彫刻についてはもはや言うまでもないが、

「? これは?」

「何ですかね?」

 という先生との心温まる会話が過去にあったことをお伝えしておく。

 そんなわけで一番どうにかなりそうなのが書道だったのだ。

 何だろう、この芸術の神に愛されてない感じ。ギター弾けたり水彩画が入選したりする子たちは、本人の努力はもちろんあるが、神に才能もらってるなーって気がする。

 一方の私は、芸術センスはおろか運動神経も良くないし勉強も好きじゃないし、おかしいな、いろんな神から見放されているような。さらには好きなお菓子を貪ることもできない金銭事情……詐欺だ! 贔屓だ! 責任者出て来い!

「パァァァ……(ひとすじの光の擬音)ミヤビ……聞こえますかミヤビ」

「えっ!? あ、あなたは!?」

「我は神。責任者出て来いとお前が言うから出て来ました」

「マジですか! これはどうも、わざわざすみません」

「よいですかミヤビ。自分と他人を比べてはなりません。あなたと他人を比較するのは、また別の他人の役目なのです」

「なるほど」

「人は皆、配られたカードで勝負するしかないのです。考えるべきはそれをいかに使うか。後の状況を切り開くのは己の判断だけですよ」

「素晴らしいお言葉です神様! ところで、神様は何の神様でいらっしゃるので?」

「我は『ポーカーでツーペアが限界になる』神です」

「いらねえー! 貧乏神系だ! あっ、だからカードの例えなんか話したのか!」

「ツーペアは限界というだけで、基本はワンペアが出ます」

「もう帰って!」

 私はトランプも弱いのだがそれはともかく。

 本物の責任者が登場したところで今の私をチェンジできるわけもないし、まあ芸術センスがないからといって悲観するほどのことでもない。赤点さえ取らなきゃ何でもいいのだ。

 というわけで私は小学校でも使っていたお習字バッグを用いて、今日も書道の授業を受けるのであった。

 あのツルッとした文鎮の手触りっていいよね。持ったときの重みも。


 そういえば、芸術の中には一応、「文芸」というものが端っこに存在しているではないか。

 これについてはほんのちょっぴりだけ友達よりセンスがあると自負している。

 ただ、一口に文芸といっても中身はいろいろあるので、これぞと自慢できるものが何なのかはイマイチ判然としない。

 いや待て、ひょっとしたら文芸のすべてにおいてセンスがあるのではないか?

 そうか、そうだったのか! 私は文芸の申し子だったのだ!

 よろしい、ならば試しに俳句でも詠んでみようではないか。


 西日差す

 西内まりやと

 西野カナ


 (ミ・ヤービ作)


 韻すら踏むこの美的センス。やはり私の才能はあらゆる文芸に通じていたのだ、わぁーっはっはっはっはっはっは死にたい。

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