第10話

「あれは〈 辟雍へきよう 〉なり!」

 検非遺使はすかさず学僧を振り返って質した。

「貴僧は叡山の学侶(がくりょ)とお見受けする。ならば、〈 辟雍 〉はご存知あろう?」

「あ……」 ※学侶=学僧と同義

 学僧は喘いで腰掛けから滑り落ちた。

 ここでまた、満足そうに頷きながら陰陽師が進み出る。

「〈辟へき〉は〈璧〉の略字で〝丸い〟という意味。

 〈雍よう〉の元々の字は〈雝〉だ。


 この〈雝〉の字をよおく見てみろ!

 ほら? 〈水〉と〈邑〉と〈隹〉が入っているだろう?

 隹(とり)が渡ってくる場所には必ず清らかな水……池や湖や川がある。

 その水辺に邑(むら)ができる。

 人が住み着けば祖霊を祀る。


 ここまで言えばもう解説などいらぬな?

 要するに、太古、漢字を生んだ彼の外つ国では、清い水の畔(ほと)りに円形の霊廟を建てて祭祀を執り行ったので──〈 辟雍 〉という字が生まれた」

「おまえはそれを矮小に転用したのだ!」

 ここへ来て検非遺使の声の内の怒りの響きが顕(あら)わになった。

 中原成澄(なかはらなりずみ)は咆吼した。

「焼き殺した七人の娘の骨は……〝あそこ〟へ秘してあるのだろう? あの自分だけの霊廟に!」

「グッ……」

 永遠の学生(がくしょう)、藤原精衛(ふじわらせいえい)が自分の丹精を込めた美しい庭にガックリと両膝を折った瞬間であった。


 果たして、池の浮島の丸い祠(ほこら)から七つの髑髏(シャレコウベ)が見つかった。



 藤原精衛は市井(しせい)で目に止めた自分好みの美しい娘たちに件(くだん)の文様を送りつけては、拉致して、焼き殺して来たのだった。

 もし、八番目の標的となった歩き巫女の鳰(にお)が、不気味さを嗅ぎ取り有雪(ありゆき)の元へそれらの文様を持ち込まなかったなら──このおぞましい殺戮は更に続いたに違いない。


 藤原精衛の犯行の詳細はこうである。

 目星をつけた娘に謎の文(ふみ)を送る。娘たちは、鳰がそうだったように興味を覚え文様の示す通りの行動をとった。つまり、早晩の差はあれ、皆、精衛の待つ神前の鳥占いの屋台へ至ったのである。

 その場で精衛は娘に鳥を与え、その後を鳥飼いの鳶(とび)丸に追わせて戸口に草を置かせた。

 鳶丸はそれを貴人らしい風流な親切心とばかり思っていたが、何のことはない、標的の住処を知る〈目印〉だったのだ。

 戻って来た鳥飼いにおおよその場所を聞いてそこへ赴き、戸口の草の束から娘の住処を確認する。後は、頃合いを見計らって拐(さら)ってくればいい……

  焼き殺した娘たちの骨は、最初は自邸の庭の躑躅(つつじ)の繁みに隠していた。

 だが、その数が増えるにつれ精衛は自分だけの秘密の〈辟廱〉を建てることを思い立ったのである。

 この男の淫靡で歪んだ享楽を育んだのは庭に来る鳥たちだった。

 最初、これら可愛らしい鳥たちを罠にかけて捕らえるのに無上の喜びを覚えた精衛。

 次には自分だけの供物として鳥たちを焼く楽しみに浸り……美しい供物が小鳥から人間の娘に変転するのにさほどの時間は要しなかった……


 『毎日、草を届けるのか?』と訊いた有雪の皮肉な質問はある意味重要な鍵だったかも知れない。

 と言うのも、鳥飼いが戸口に草を置いたのはいつもなら精衛に命じられた最初の一回だけだったから。

 鳰以外には。

  鳰の場合は例外続きだった。

 まず、鳥飼いは早く歩き過ぎて途中で気づかれ、直接、道で、草を手渡す破目になった。

 戻って来て鳶丸がこのことを告げると精衛は落胆した。が、鳶丸が、再度鳰をつけて住処を確認したことを明かすと翌日改めて草を届けるようそれとなく促した。

 でなくては精衛自身がこの新しい標的の居場所を知ることができないからである。

 鳶丸はそうした。のみならず、以後毎日、草を届け続けた。

 何故か?

 答えは簡単。恋をしたから。

 神前で出会った時から、鳥飼いは歩き巫女に恋をしたのだ。

 後をつけた際、早く歩き過ぎたのも恋の熱に心が踊っていたせいである──


  歩き巫女に送りつけられた三枚の文様を読み取った段階で成澄たちは真犯人の正体を知った。

 左獄に繋がれている鳥飼いに『鳰に〝鳥を渡した者〟を知っているか?』と質せばそれでよかった。

 鳥飼いは〝知らないこと〟は喋らなかっただけで、〝知っていること〟なら全て素直に話してくれた。

 犯人が藤原精衛だと知った成澄はその邸に急行したが、間一髪、精衛の姿は邸にはなかった。無論、鳰の姿も。

 成澄たちがあの夜、一縷の望みを託して鳥辺野(とりべの)を狂奔していたのはこういう経緯からだった。

 勿論、鳶丸は直ちに左獄より解き放たれている。

 この鳥飼いが今回の事件で無実だと知った成澄は獄舎から開放すると同時に住居を用意し薬師を派遣して拷問の傷の療養に専念させた。この検非遺使はそういう男である。

 なお最後に付け足すと、この鳥飼いや歩き巫女が〝鳥の名〟を有していたのは全くの偶然だった。

 先の七人の犠牲者に鳥の名の者はいなかった。

 あくまで精衛は見た目──その容貌から獲物を決めていたようだ。

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