検非違使秘録〈鳥の痕〉

sanpo=二上圓

第1話

「相変わらずの風流ぶりだな?」

 

恵空(えいくう)の言葉に精衛(せいえい)はただ微笑んだだけだった。

 一町家を誇る大邸宅。その広い庭から、止む間もなく鑿(のみ)の音が響いて来る。池の中央の浮島に丸い祠(ほこら)を立てている最中なのだ。

 公卿を務める父に溺愛されて育った一人息子の藤原精衛(ふじわらせいえい)は公の職に就くでもなく《詩経》に耽溺し学問三昧の日を送っている。趣味は──学問以外では──作庭である。

 広大な敷地に四季の草花や珍しい樹木が面白く植えられていた。

「それにしても──果実の樹が多いな?」

 友が言うのに、今度は精衛も即座に答えた。

「鳥も美しい庭の景色の一つだからな」

「!」

 鳥を呼ぶために種々の果実の樹を植えていると知って恵空は改めて瞠目した。

 そう言えば、いつもここへ来るたび、邸中、心地良い鳥の囀りに満ちていた……

「いやはや、おまえと言う奴は!」

 呆れた、とばかり恵空は首を振って見せる。

 恵空は叡山の学僧である。精衛とは幼馴染だった。

 恵空も元々は貴人の出だが、こちらは十歳の時、父の命で叡山に預けられた。

 この時代、一族の内何人かは僧籍に入れるのは常道だった。血縁の高僧の元で修行して出世して行く。そして、聖俗を超えた磐石な派閥を形成し続ける──

 恵空が時々こうして友の邸へ遊びに来ることができるのも、身を寄せている僧院の阿闍梨(あじゃり)が大叔父に当たるから。大目に見てもらえるせいだ。

 とはいえ、そんな恵空にとってさえ眼前の友人はこの上なく羨ましい存在だった。

(多分、この男は一生、こうやって自分の好きなことだけをして風雅に暮らして行くのだろうなあ……)

 今一度目を閉じ、耳を澄ませて、友人自慢の〝風景の一部〟という鳥たちの声を堪能しようとした矢先──

 柔らかな音色が乱れ、一声、鋭い叫びが木立を震わせた。

「失礼! 精衛様……」

 庭を突っ切って駆け寄って着る影がある。手に何か捧げ持っている。

「本日ご要望の一羽、ここに──」

 掌をゆっくりと開けると、宝石のように真っ青な小鳥が見えた。

「大丈夫です。怪我などしてはいませんよ」

 精衛が差し出した籠に器用な手つきで小鳥を入れる。鳥はすぐに止まり木へ飛び移った。

「この者、鳶(とび)丸と言うのだ。鳥を扱わせたら京師(みやこ)に右に出るものはおるまい。都一の鳥飼いさ!」

 嬉しそうに貴人の若者は鳥籠を覗いた。

「この鳥だって……なあに、一日もしたら仲間の元へ返してやるのだ。ほんの一時、傍にいて慰めになってくれればそれで良い。なあ?」

 答えるように青い小鳥はルルル、と鳴いた。

 恵空も笑って、友の掲げる籠を覗き込んだ。

「ほう! 何と言うのだ、この鳥は?」

 膝を折って控えていた鳥飼いが答える。

「ルリビタキです」



「鳰(にお)が来てるって?」

 夜具の中から有雪(ありゆき)は面倒臭そうに鼻を鳴らした。

 昨夜も散々っぱらタダ酒を飲んで千鳥足で帰って来た。今日はこのまま心行くまで惰眠を貪るつもりだったのに……

「そう名乗ったんだ。おまえに用があると言ってるぞ」

 部屋の戸口に立った婆沙(ばさら)丸。ニヤニヤして玄関の方を指差した。

「何だ、ありゃ、おまえの愛物(いいひと)か?」

「よしてくれ! 俺は、歩き巫女になど興味はない」

「そうかな? 〈橋下の陰陽師〉と〈歩き巫女〉ならいい取合せじゃないか!」

 田楽師の婆沙丸は面白そうに笑った。

「それに、中々の器量良しだ」

 今度ニヤリとしたのは陰陽師の方。漸く起き上がって夜具の上で胡座をかくと、

「惚れたのか? だが、生憎(あいにく)だったなあ……」

  元々婆沙丸は惚れっぽい質(たち)である。

「あの娘は狂乱(きょうらん)丸にノボせているんだ。だから──今日、やって来たのもお目当ては狂乱丸だろうよ」

「え?」

 鳩が豆鉄砲を食らったように目を剥く婆沙丸だった。




「鳰よ、おまえの魂胆は見え見えだ。とっとと帰りな」

 玄関まで出て来て、有雪はぞんざいな口調で言い放った。

「それに、おまえの目当ての狂乱丸は今、ここにはいない。留守だ」

「あら!」

 歩き巫女の鳰は露骨にガッカリした声を上げた。

 白い上衣に紅袴。なるほど、先刻の婆沙丸の言葉ではないが白装束の有雪とは似合いの取り合わせである。

 昨今、一条橋界隈に腐るほどいる無位無官の〈巷の陰陽師〉も〈歩き巫女〉も似たような存在だった。

 庶民相手に卜占(ぼくせん)を垂れたり、憑き物を落としたり、邪を祓ってやる。が、どちらも何処までも胡散臭い。その上、〈歩き巫女〉は遊女とも同一視されていた。実際、彼女たちの一部はその種の仕事も請け負ったのだろう。

 とはいえ、婆沙丸が認めたように、眼前の娘は見目麗しく、格式ある本物の巫女といっても通用するくらい品が良い。掃き溜めに鶴とはまさに、これ。

「狂乱丸様はお留守なの? それは大層残念だけど……でも、仕方がない。今日は本当に〝おまえ様〟に用があって来たんだもの」

 鳰は花びらのように可愛らしい唇をすぼめた。

「頼みごとがあるのじゃ。でないと気になって、最近は夜も眠れぬ」

「ハハア? 夜も眠れぬのは狂乱丸のせいだな? だが、俺の〈恋占い〉は高くつくぞ?」

 即座に巫女は吹き出した。

「誰がおまえ様に占いなど頼むものか! おまえ様の卜占は当たらないと評判じゃ」

「何だ、仲間内にまで知れ渡っているのか?」

 それまで縁の柱の影からこっそり様子を窺っていた婆沙丸、たまらず笑いながら出て来た。

 鳰は弟の田楽師に視線を向けた。軽くお辞儀をしてから、再び有雪に向き直ると、

「おまえ様は、占いはカラッキシだけれど、謎を解くのは得意とか。だから、こうしてやって来たのじゃ。のう、これは一体何だろう?」

 歩き巫女が懐から取り出した紙片は三枚。

 そこには確かに奇妙な文様が記されていた。

「──?」

   

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