010:幻影の精霊ファナム
クロの匂い追跡により、無法地帯の危険指定区で変わり果てた姿になっているシンクを発見した。
容体を確認するまでもなく、すでに息はなかった。
「・・なんて事だ。一体誰がこんな事を・・」
リンは、癒しの精霊シルティナを呼び出した。
「シルティナ、彼の傷を癒してくれ」
「畏まりました。しかし、傷は癒せても・・」
「分かってる。頼む・・」
「分かりました」
癒しの精霊ですら、死んだ人を生き返らす事は出来ない。そんな事は分かっている。
しかし、傷ならば癒す事は出来る。
見ていられなかったのだ。
傷ついたままのシンクを。
短い間だったが、一緒に住んでいたのだ。
リンにとってシンクは既に家族同然だった。
シルティナにより、シンクはまるで寝ているのかと錯覚してもおかしくない状態に様変わりしていた。
「ありがとう、シルティナ」
「また何かありましたらお呼び下さい」
クロがリンの顔色を伺いながら近寄って来る。
「んと、どうするにゃ、ご主人」
いつもは態度が偉そうな猫精霊のクロもこの時は、リンのいつもと違う雰囲気にオドオドしていた。
「血の匂いを追ってくれ」
シンクをソッと抱き上げた。
「シンク、ごめんね・・助けてあげられなくて」
ここ以外にもシンクの血の匂いがするというクロに、その場所まで案内してもらった。
案内されて辿り着いた場所は、小さな小屋だった。
しかし、リンには見覚えのある場所でもあった。
そこは、以前シンクの姉であるマリーさんが拉致された場所だったのだ。
リンの気配を察知して中から出てきた男共にも見覚えがあった。
こちらの姿を見て、男共が酷く動揺しているのが分かる。
リンにという訳ではなく、リンが抱えていたシンクを見て驚いていた。
「何故、そいつが生きてやがる!!」
シンクを殺した犯人は、どうやらこいつらで間違いないようだ。
「チッ!まあいい、お前にも恨みがあったしな」
「兄貴!やっちまいましょう!」
男の一人が、血の付着したナイフを取り出し、こちらを威嚇する。
恐らく、シンクの命を奪ったものだろう。
リンが耳を澄ましても微かに聞こえるかどうかの小声で何やらブツブツと呟いた。
視線は、男共を睨み付けたまま離さない。
「ああ?何言ってやがる!今さら命乞いしたって遅いぜぇ?」
やがて、リンの横に1人の精霊が現れた。
虚空に浮いているのだ。
紫色の髪で顔を隠しており、年齢の程は伺えないが、大きさからしてまだ幼いのだろう。
「ファナム、こいつらに死よりも苦しい幻影を与えてくれないか」
「段階は?」
「…6だ」
「分かったわ」
それだけ告げるとリンは、そのまま後ろを振り返り、小屋を後にする。
しかし、男共がリンを追う事は無かった。
その後二人の何かに脅える声だけが、辺りに響いていた。
リンの召喚した精霊は、幻影の精霊ファナム。
その名の通り、ありとあらゆる幻影を相手にみせる事が出来る。
今回リンが依頼したのは、死よりも残酷な幻影だ。
ファナムは、自身の幻影を10段階の強さで見せるようにしている。
今回は6なので、半分よりもやや上といった感じだろうか。
リンはすぐに公の元へと向かった。
シンクが奴らによって殺害されてしまった事、犯人の居場所などを説明した。
極力面倒毎には関わりあいたくない為、用件だけ告げると足早に公を去った。
後は公に任せよう。
その足でマリーの待つ萬屋へと戻って来た。
戻る道中、リンはマリーに何と説明するべきなのかを何度も何度も頭の中で考えていた。
萬屋が見える場所まで行くと、マリーの姿が見えた。
リンは、シンクを抱いたまま、マリーの元へと向かう。
ピクリともしない、シンクの姿を見たマリーは、言葉を失っていた。
「リンさん、シンクは・・まさか・・・」
「ここではあれですので、中へ入りましょう」
萬屋の中へ移動したリンは、ソファーにそっとシンクを寝かせた。
シンクは本当にただ眠っているようにその顔は晴れやかだった。
言われなければ恐らく誰も気が付かないだろう。
そして、シンクの死の経緯を全てマリーに説明した。
涙をグッと堪えていたマリーだったが、堪えきれなくなったのか今はボロボロと大粒の涙を流していた。
犯人が既に捕まったことに対しての安堵はあったが、犯人が以前マリーを拉致した奴らだと分かった時はさすがにショックを隠せないようだ。
全てを伝え終えたリンは、マリーに質問をする。
「精霊の力で、一時だけですけど、シンクと話す事が出来ます。あくまでもマリーさんが希望すれば…」
「お願いします」
まだ最後まで言い終えていないにも関わらず、マリーは即答だった。
「お別れの挨拶と、一言だけ・・・ありがとうと言いたい・・です」
「分かりました」
リンはいつものように詠唱を唱え、先程も召喚したファナムを呼び出す。
「ファナム、シンクの魂を姉のマリーさんだけに見せてくれないか」
ファナムは、前髪の切れ目から、マリーの姿を視認する。
「分かったわ」
そして、程なくしてマリーの前に薄ぼんやりと輝いたシンクが現れた。
勿論、リンには見えていない。
だけどもリンには今シンクがどんな顔をしているのかが何となく分かっていた。
いつものようにヘラヘラと笑っているに違いないと。
「ねーちゃん、何て顔をしてるんだよ!」
「シンク・・」
「ねーちゃんは、何時でも笑顔でいてくれよ!」
「・・・ごめんね、本当にごめんね・・」
「なんでねーちゃんが謝るんだよ?」
「だって、だって、私、シンクに何もしてあげられなかった・・」
シンクは、笑っていた。
その表情は何処か儚げでいて、何処か悲しそうな表情にも見て取れる。
きっと、昔の事を色々と思い出しているのだろう。
「馬鹿だな、ねーちゃんは。俺はねーちゃんから返せないくらい、色々してもらっだぜ?あの時だってほら――」
いつしか二人は、昔話をしていた。
最初は涙を零していたマリーだったが、いつの間にかシンクと一緒になって笑っていた。
「その顔だよ、ねーちゃん!やっぱりねーちゃんは、笑った顔が一番だぜ!」
「うん、ありがとう」
「その顔で迫れば、兄ちゃんを落とせるかもしれないぜ!」
「もう、シンクったら!」
再び二人が声を上げて笑っていた。
「えっと、俺そろそろ行かなきゃ行けないんだ」
!?
「シンク・・。えとね、ありがとう。私なんかの弟になってくれて、お姉ちゃん、嬉しかったよ」
その言葉を聞いて、シンクが少しだけ涙を零した。
「あれ、おかしいな・・・最後まで泣かないって決めたのに・・・。ねーちゃん、最期に一つだけ。俺は、ねーちゃんの弟で本当に幸せだったぜ。じゃあな!」
「バイバイ・・シンク・・」
マリーは、シンクの言葉に何度も何度も「うんうん」と頷いていた。
シンクは消えてしまった。
マリーは、シンクが消えた一点を眺めながら、涙を零していた。
しかし、その表情はどこか晴れやかだった。
「泣いてたら、またシンクに怒られちゃうから・・」
ファナムは、顔を前髪で隠している為、その表情を窺い知ることは出来ない。
しかし、恐らく、ここに居る誰よりも優しい顔をしているのだろうとリンは思っていた。
「ファナム、ありがとう」
ファナムは、コクリと頷き帰っていった。
リンが死者を送る経験をしたのは、今までも何度かあった。
その度に今回のように一番親しかった者には、最後のお別れのチャンスを促していた。
本人がそれを望むかどうかは、半々だった。
マリーのようにお別れを望む者もいれば、逆に気持ちの整理が出来ないからと断る者もいたのだ。
しかし、ファナムも万能ではない。
亡くなってから、丸一日間しか死者の魂を呼びよせる事が出来ない。丸一日経過した魂は、死後の世界に旅立ってしまうのだ。
何とも言いようのない空気が数日の間流れていた。
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