公爵令嬢が倒せない

紫月 朔彌

前編




「これで私の99戦99勝ですわね」

「ぐっ……」


 文字通り勝ち誇った眼差しでそれはもう魅力的に微笑む彼女の前で俺は言葉を詰まらせた。

俺の手には銀色に光るナイフが、一方彼女の手にはゼラニウムの花で鮮やかな赤色に染め抜いた装いも華やかな羽根扇子が握られている。


 そんな俺達が繰り広げるこのやりとりはたった今彼女が告げた通り、これで99回目をカウントするというのに、どうしたら彼女に勝てるのかいっこうに掴めない。


 いつも殺されかけるのを楽しんでいるかのように見える彼女に狂気を垣間見つつ俺が愕然としていると、彼女は上座から俺に有り難いお言葉を下さった。


「そろそろ三桁に突入という事で、何かしら新たな境地に至れるのではと期待していたのだけれど、見込み違いだったかしら? 手口がマンネリ化しているわよ」

「初心に返ろうかと思いまして。そういう貴女は何時も斬新ですね」

「あら、そうかしら?」

「ええ、貴女は頭がおかしい。暗殺者に刃物を突き付けられて、どうしてそんなふうに笑っていられるのですか?」


 惜しげもなく俺に振る舞われるのは、社交界の場にこそ相応しい、大輪の花を思わせるような悠然とした微笑みだった。



*****


 俺がその依頼を受けたのは一年程前の事。

まあ、それ自体はよくある貴族間の権力・勢力闘争という、何の意外性も面白味もない、よくある話だった。

王太子のお妃様候補に挙がっている、対立関係の公爵家の令嬢を暗殺せよというアレである。


 当時、十六にして既に組織で一番の腕を誇っていた俺のもとにその依頼が舞い込んできたのはまあ、当然といえば当然だった。

何しろ依頼主も殺害対象も超大物なのだから。


 さすが国で五本の指に入る大貴族というだけはあって、提示された報酬はかなりのもので、危険な仕事ではあれど自分の腕に自信のあった俺はその依頼を快諾した。


 元来、気の短い性分の俺にしてはかなり慎重に事を運んだと思う。

対象の家に使用人として潜り込んでから半年程は彼女の護衛や屋敷の構造を探る事に時間を費やした。


 殺害対象の令嬢はというと、美貌を湛えられ、求婚者が後を絶たないというだけあって、凡庸な感想にはなるがまあ美しかった。


 趣味は裁縫と読書。

年頃の貴族令嬢にしては生活パターンは規則正しく、毎日決まった時間に起床し、決まった時間に寝て夜更かしをする様子も無い。

たまに付き合いで夜会に出席しても、夜遊びに更ける事は無い。

王太子妃の有力候補というだけあって男の影も無く、賢く品行方正な令嬢だった。


 そうして、特に任務遂行に妨げになるものは無いと判断した俺はさっくりと殺してしまおうと、護衛をあっさりと気絶させてから夜会帰りの彼女に忍び寄った。


 今にして思えば、せっかく美貌を謳われた令嬢なのだから、せめてあまり傷を付けずに首筋をひと突きにしてやろうだなんて気を利かせようとしたのが間違いだったのかもしれない。


 愛用の得物を彼女の背後から振りかざした俺だったが、その後の展開は全くの想定外だった。



*****



「ふふっ、でも貴方のおかげで私は退屈せずに済むわ」

「だからどこの国に、退屈しのぎに自分を狙う暗殺者を蹴散らすご令嬢がいるんですか!?」

「私は私よ。それに貴方だって変わっているわ」


 俺が繰り出したナイフを弾いた扇で彼女はそのままパタパタと顔に風を送る。


 どう考えてもナイフと羽根扇子ではナイフの方が硬度で勝りそうなのに、何をどうやってさも当然のように弾き返されてしまうのか判らない。

半年前と全く同じように、いとも簡単に返り討ちにされてしまった。


 柔らかそうに見える羽根の中に、鋼鉄でも仕込んでいるのだろうか。

だとしたら、そんなものを夜会に持ち込んで何をするつもりなのか?


 彼女に変わっていると言われてはおしまいだ。



「今、私に変わっていると言われてはおしまいだと思ったでしょう?」

「だから、人の心を読まないで下さいといつも言っているじゃないですか!」

「貴方が判り易いのよ」

「これでも感情が読めないと皆から言われているのですが」


 半年前の暗殺未遂をきっかけとして、彼女は何故か俺をよくそばに置いておきたがるようになった。

バレた以上はさっさと姿を眩まそうと考えた俺の首根っこをひっ捕らえて見せた彼女のあの笑顔は忘れたくても忘れられない。


 バラされたくなかったら、これからも自分を狙い続けろと令嬢にあるまじき脅しをかけながら、新しい玩具を手に入れた子供のように、爛々と目を輝かせながら俺を見つめていた。



 その日からの攻防は、事実一方的な展開であったと思う。


 食べ物に無味無臭の毒薬を混ぜては何故か看破され、寝込みを襲うも得物を振りかぶった瞬間に眠っていた筈の彼女とばっちり視線がかち合いすごすごと退却させられ、彼女がスウィーツにうつつを抜かしている間にと思い、手元に応戦する道具が何もないタイミングを見計らってナイフを突きつければまさかのマカロンで応戦された。


 食事用のナイフで人を殺せる俺をして、マカロンで防御は無理だと思う。

だというのに再度ティータイムを狙って毒矢で奇襲をかければ、彼女はびっくり人間な反射神経を発揮して、全ての矢をマカロンで防いでみせた。


それらを一つ経るごとに、俺の中である疑問が首を持ち上げる。



「貴女はいったい、何者なんですか?」


 何をどうやってだとか些末な疑問を通り越して、一番の謎がこれだ。

俺がそう訊ねると彼女は決まってこう答えるのだった。


「私はただの公爵令嬢よ」



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