第3話 組織から来た少女

 三人は登校する。学校のみんなも猫耳になっていて、周囲はそのことの話題で持ちきりだった。

 体育館に生徒を集めて緊急の全校集会が行われたが、特に有効な手立てがあるわけでもなく、慌てず勉学に励むようにと言われただけだった。

 先生達ももちろん猫耳になっていた。檀上に立つ校長や教頭も猫耳だった。

 誰が何の目的でこんな猫耳を広めたのか陽翔にはさっぱり分からなかったが、事態は受け入れるしかなかった。

 こんな事態になっても、授業は行われる。教室に戻ってホームルームを始めようとした先生に、幸奈が挙手をして提案した。


「先生、わたしからみんなに話があるのですが、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「いいですよ。どうぞどうぞ」


 礼儀の正しい綺麗なお嬢様の発言に、庶民の冴えないおっさんの先生は喜んで場所を譲った。

 幸奈は先生に代わって教壇に立ち、衝撃の事実を口にした。


「今回の猫耳の事件。実は我々の組織はその兆候を前から掴んでいたのです」

「組織?」

「それって勘解由小路さんの?」

「そうです。わたしは組織から来た人間です」

「「「おお~~~」」」


 周囲から何故か感嘆の声が上がった。

 その声を幸奈は手で止めて話を続けた。話す彼女の頭にも猫耳が揺れていた。


「止められなかったのは我々の落ち度です。しかし、我々は偶然にも猫耳化を抑制する装置を開発することに成功しました。今朝登校する前のぎりぎりの時間のことでした」

「猫耳化を抑制する装置?」

「それがあれば猫耳を抑えることが出来るの?」


 生徒のみんながざわざわとする。希望に溢れようとする幸奈の言葉だったが、彼女の顔は晴れなかった。


「ですが、これはあくまでも偶然の産物。猫耳にはまだ解明出来ていない謎が多く、出来たのはこの一機のみ。ただ一人の分しか用意出来なかったのです」

「つまりわたし達の誰か一人にだけ?」

「その猫耳を抑制する装置を?」

「そうです」


 お嬢様は猫耳を揺らして答えた。

 クラスのみんながざわめきだす。友達を出し抜こうなんて誰も思わず、ただ一人の挑戦者であり晒し者でもある立場になる気もせず、事態は進行しなかった。

 誰もが誰かが名乗りを上げないかと周囲を伺っていた。

 先生が時計を気にしながら立ち上がろうとした。


「では、ここは先生が」

「あたしにください!」

「おおー!」


 クラスのみんなの視線が集中する。先生が上げかけた腰を止めた。

 挙手をしたのは日葵だった。幸奈はにっこりと微笑んだ。


「あなたは横山日葵さんですね」

「はい! あたしにください! その猫耳を抑制する装置を!」


 日葵は猫が嫌いだ。だからこそ挑戦に出たのだと陽翔には理解出来た。

 幸奈は改めて教室のみんなを見渡した。


「他には誰かいませんか?」


 教室のみんなが静かになる。他には誰もいなかった。

 猫耳に特に困っていなかったこともあったし、友達を出し抜けない協調性のこともある。それにただ一つの装置とやらに胡散臭い物を感じていた。

 まずはそれがどんな物か見てみたい。

 生徒のみんなは喜んで日葵を人柱に差し出したのだった。

 幸奈は募集を締め切った。


「では、横山さんと先生とでジャンケンで決めてもらいましょうか」

「え? 先生も?」


 日葵は驚いて冴えない中年の風貌の先生を見つめた。幸奈も微笑んで先生を見た。


「だってさきほど名乗りを上げられてたでしょう?」

「気づかれてたのなら仕方ありませんね」


 先生は上げかけていた腰を上げて、しっかりと立ち上がった。

 不敵な笑みを浮かべて日葵を見る。その背後には闇のようなオーラが感じられた。


「横山さん、言っておくけど先生はジャンケン強いよ」

「先生……」


 怪しく立ちはだかる先生に日葵は固唾を呑んで身構える。彼女の体は緊張で固くなっている。

 先生は両手を大きく円を描くように回し、怪しい不気味な構えを取った。


「ジャンケンティーチャーと呼ばれたこの力、まさか生徒の前で披露することになろうとはね。ククク……」

「ごくり……」


 見ているだけで日葵が気圧されているのが分かった。だが、日葵自身の選んだ道だ。

 勝負は正々堂々。誰もが見守ることしか出来ない。

 これからどんな戦いが起こるのか。

 みんなの期待の眼差しが見つめていたが、先生は拳と闘気を収めて引き下がった。

 空気と緊張が緩むのをみんなは感じた。

 日葵を見る先生の瞳は優しかった。


「だが、先生も教員の端くれ。生徒のためならここは喜んで譲ることにするよ。猫耳を抑制する装置は横山さんが受け取ってくれ」

「では」


 幸奈が訊ねる。先生は晴れ晴れとした顔で答えた。


「はい、先生は辞退する」


 微笑む幸奈に告げて、先生は自分の席に座った。

 そこにはもう冴えない不気味な先生はいなかった。生徒思いの優しい先生の姿だけがあった。


「おおー」

「さすがは先生」

「大人だー」


 周囲から歓声と拍手が上がる。

 幸奈は改めて日葵と向かい合った。


「それでは、この装置は横山さんの物ですね。セバスチャン」

「はい、お嬢様」


 幸奈が呼びかけると、いつの間にか控えていた執事が大きな鞄を差し出した。


「その装置はここに入っています。我々の科学チームはこれを冥一号と名付けました」

「冥一号……!」


 その宇宙の深淵と途方もない深さを感じさせる名前に、日葵は緊張の息を呑む。改めて自分がとんでもない物を受け取ろうとしているのだという実感が湧いていた。

 幸奈の視線と態度はどこまでも優しかった。まるで聖母のように。


「受け取ってくれますね? 横山さん」

「はい、これで猫耳を防げるんだ……」


 受け取って、日葵は鞄を開けた。

 期待や不安や希望や様々の感情が入り混じったその顔だったが、鞄の中を見て急に陰り一色になった。

 言いにくそうに目の前に立つ聖母のようなお嬢様に向かって言う。


「あの、勘解由小路さん」

「幸奈で結構ですよ」

「幸奈さん、あの……これで本当に猫耳が抑えられるんですか?」

「はい、うちの科学チームはそう言っています。冥一号はそのための世界でただ一つの装置なのです」

「あくまでも装置だと言い張るんですか?」

「はい」


 みんなからは死角になっていて、鞄に何が入っているのか分からない。陽翔が席に座ったまま背伸びをしても見えなかった。

 日葵が何を戸惑っているのか分からない。


「だって、これって……」


 日葵は鞄からそれを取り出した。それは黒い装置? だった。そして、白いヒラヒラが付いていた。

 日葵はそれを体の前に当てて叫んだ。


「だってこれって……メイド服じゃないですかーーー!」

「???」


 お嬢様は心底不思議そうに首を傾げた。そして、しれっと言った。


「冥一号ですよ?」

「ねえ!!」


 振り返ってクラスのみんなに見せつける。

 クラスのみんなが目をそらした。

 日葵は改めて幸奈に向かって訴えた。


「これで本当に猫耳を抑えられるんですか? ねえ!」

「うちの科学チームを疑うんですか?」


 今まで友好的だったお嬢様が始めて不機嫌な顔を見せた。

 先生が腰を浮かせかける。


「いらないならやっぱり先生が……」

「シャラップ!」


 立ち上がりかけた先生をぴしゃりと遮り、日葵は覚悟を決めた。


「分かりました。科学チームを信じます……」


 そうして日葵は教室を出て行った。そして、戻ってきた。

 彼女は制服を着た女子高生からメイドさんへとチェンジしていた。

 みんなの好奇の視線を集めている。


「何この羞恥プレイ」


 メイド服は日葵にとてもよく似合っていた。恥じらう姿もとても良かった。生徒のみんなは男子も女子も揃って感嘆の声を上げていた。

 孝介が声を掛けてくる。


「陽翔、今の感想は?」

「べ……別に」


 なぜそれを訊いてくるのか。陽翔は照れた顔を悟られないように机に身を伏せた。孝介は面白そうに笑うだけだった。

 日葵はみんなの視線に我慢出来なくなって叫んだ。


「もう! 見ないでよ!」


 日葵はさっさと自分の席に付いて頭を抱えて座ってしまう。彼女の頭ではまだ猫耳が元気に居座っていた。

 幸奈は微笑む笑顔を先生に向けた。


「先生、今日は彼女はあの服装で授業を受けても?」

「構いませんよ。事態が事態ですからね。目の保養にも良いですし、他の先生には先生から伝えておきましょう」

「ああもうー!」


 日葵が叫ぶ。教室のみんなから笑いが零れた。

 日葵はその日一日をメイドさんとして過ごした。

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