その三


 外では霜の降りている寒い朝、目を覚ましたリムは早速自分の聖剣を探すために、部屋を出た。


 窓から朝の白い光が入っているホテルには、誰もいないようだ。怪物たちとジェンティレスという少年は、朝は寝て夜に活動しているらしい。

 これはいい機会だと、リムは一人ほくそ笑んだ。


 しかし、ホテルのどの部屋も、鍵がかかっていて入ることは出来ない。

 それならば、一度聖剣を諦めて外に出ようと、ホールの巨大なドアの前に立ったが、押しても引いてもびくともしない。


 鍵をかけているのではなく、何か魔法によって開かないようにしているようだった。聖剣があればこんな魔法など、叩き切ってしまうというのに……リムは悔しさのあまり歯ぎしりをした。


 数十分後、リムは二一〇号室に戻り、ベッドの上に倒れこんだ。キッチンや浴槽やトイレなど、覗ける部屋は全部見て回ったが、もちろん聖剣は見つからない。

 恐らく、怪物たちの自室か、空き部屋に保管しているのだろう。


 今はもう一度寝てしまって、怪物たちが起きてくる夜に、再び探りを入れてみよう。リムはそのような計画を立て、目を閉じた。


 夜もすっかり更けて、フクロウが鳴く頃に、リムは再び目を覚ました。部屋から出てホールを覗くと、怪物たちはすでに円卓の上に食事を並べて、宴会を始めていた。


「あ、リムちゃん、おはよー」


 声がした方へ振り返ると、ジェンティレスが二一一号室から出てくるところだった。


「おはようは朝の挨拶だ。それから、軽々しくリムちゃんと呼ぶな」

「あ、そっか。ごめんごめん」


 リムが眉を吊り上げても、イノンはにこにこ笑うだけで、先に廊下へと歩き出した。

 ホールへと降りたジェンティレスへ、怪物たちは挨拶をした。その後ろのリムへも、声を掛けてくる。


 彼らの、敵対心など全く見せない姿に、リムは驚いた。怪物たちは退魔師のリムへも普通に接するほど心が広いのか、ただ単に間が抜けているのか、彼女にはまだ判断できなかった。


 ジェンティレスはリムを連れて円卓の間を歩き回り、勝手に飲み食いしている怪物たちを紹介していった。それを終えると、二人で空いている円卓に座った。


 すると、すぐさまコック係のゴブリン、ギギとググとゲゲが大皿いっぱいに盛り付けられた三種類の料理を持ってきた。二人でそれらを分け合って食べた。


 始めは、リムはこの中に毒が入っているのではないのかと警戒していたが、それならばジェンティレスと同じ物を食べさせはしないだろうと判断し、遠慮せずにどんどん食べた。


 ここで英気をつけようという思惑もあったが、もう一つは単純に、料理がおいしかったからだ。

 作ったのはゴブリン達だが、この味は人間の料理にも引けを取らないと感じ、リムは彼らの腕を認めてしまっていることが急に恥ずかしくなった。


 食事を終えると、リムはジェンティレスと話した。と言っても、リムが一方的に、ジェンティレスに共にこのホテルから出ようと説得していたのだが。


「もう一度聞くが、何故このホテルで暮らしているんだ?」

「それは、ぼくが赤ん坊の時にホテルの前に捨てられて、それをみんなが育ててくれたからだよ」

「だがそれは、作られた偽の記憶なのかも知れないぞ」

「うーん。でも、ぼくにはホテルのみんなが大好きって気持ちがあるから、この気持ちは本物だから、記憶が嘘でも本当でもどっちでもいいんだ」


 ジェンティレスは真っ直ぐな瞳でそう言い切った。

 どうやら彼は思った以上に重症らしい、リムはそう思ってさらに強く説得を続けた。


「しかしだな、その気持ちも作られたものの可能性も、あるのだぞ」

「……リムちゃんの言ってることは難しくてよく分かんないけど、自分の気持ちも偽物だって思ったら、何を信じたらいいのか困っちゃうんじゃない?」

「奴らのことだ、疑っても疑いすぎることはない」

「じゃあもし、ぼくの中にみんなが大好きって気持ちと、大嫌いって気持ちがあったなら、ぼくは大好きって気持ちを選ぶよ。だって、そっちの方が楽しそうだから」


 ジェンティレスは無邪気に笑った。


 リムにはなぜ彼が笑顔なのかが理解できなかった。

 怪物たちのことを大好きだと言い切るのもそうだが、好きでいる方が楽しいとはどうことなのか? 彼の中には人間として当たり前に持っている、怪物への共振や嫌悪感を持ち合わせていないのか?


 リムは同じ人間と話しているはずなのに、迷宮の奥へと入り込んでいく気持ちになった。

 ふと、他の円卓を見ると、怪物たちはそれぞれで騒いでいた。酒をたしなむもの、食事をむさぼるもの、会話を楽しむもの……リムは現実離れしたその光景を見てると、だんだんと眠くなってきた。


「リムちゃん? 眠たくなっちゃったの? 僕もそろそろ眠るから、一緒に戻ろうよ」


 ジェンティレスに促され、リムは「ああそうだな」と立ち上がった。

 この場で眠れば彼らに隙を作ることとなる。鍵など怪物たちには意味を成さないのかもしれないが、何もないよりかはましに思えた。


 寝て、起きて、また次の夜。リムは用意されていた寝巻からいつもの騎士姿に着替えると、すぐにホールへ下りた。

 ちなみに、服の用意と洗濯は、メイド姿のウルルという狼人間がやってくれたらしい。


 彼女はゴブリン達が運んできた料理をがつがつと食べると、円卓に一人きりで座り、怪物たちの様子をじっくりと観察した。何かぼろが出てくるのではないかと、ひそかに期待していた。


 怪物たちもジェンティレスも、その日はリムに頓着せず、好き勝手に騒いでいる。

 それが少し、寂しいと思わないわけでもない……という感情が生まれ始めていて、リムは慌ててそれを打ち消した。


 そんなリムの前に現れたのは、完全に酒に酔ったウルルだけだった。

 ふらふらとした足取りで近付いて、「リム~、一緒に飲もうぜ~」と誘ってきたが、ライオットが急いで押し戻して行った。


 どうやら怪物たちも、リムがどうするのかを窺っているらしい。

 それならば、こちらから先手を打ってやろうと、リムが行動を開始したのは三日目の夜だった。


 怪物たちの弱みを握り、そこから聖剣を奪い返す。そしてその聖剣で脅しながら、ユーシーに吸血鬼化の呪いを解いてもらう。

 その後は、じっくりと、今までの恨みも込めて、奴らを……リムは自分が建てた完璧な作戦に、下を向いたまま小さく笑った。


 まず、リムがむかったのは、彼女を噛んだ張本人である吸血鬼のユーシー、悪魔のレン、死神のクレセンチのいる円卓だった。

 三人はそれぞれにトランプを持ち、ポーカーを楽しんでいる。


「……お前ら、毎晩ポーカーしているな」


 歓迎されながら椅子に座り、しばらくの間彼らの様子を眺めていたリムは、心底呆れながらこう言った。

 取り札を配りつつ、ユーシーが何度も頷いた。


「仕方ない。俺たちしかルール知らないから」

「他の者達は、人間の遊戯を知っても意味が無いと言って、ルールを知ろうとすらしない。賭けをしていないし、ルールも随分略称化しているのだが」

「チェスもあるけど、それじゃあ、三人でできないからな」


 レンとクレセンチは配り終えた札を受け取りながら答えた。中を素早く確認し、互いの顔色を窺っている。

 リムは三人がそれぞれどのような手札なのかが気になったが、今は観察に集中することにした。


「しかしなぜ、お前たちはポーカーのルールを知っているのか?」

「ああ、それは俺たちが外で仕事をしているからだ」


 当たり前のことのようにユーシーはそう言ったが、初めて知る事実にリムは驚きの声を上げた。


「では、昼間は人間と混じって生活しているのか!」

「三人が三人ともそうだとは言い切れないが。少なくとも、ゲネラルプローベはそうだ。……ドロー」


 レンは淡々と札を捨て、山札から新たな一枚を取った。

 リムは好奇心の混じった目で、ユーシーを見詰めた。


「一体、何の仕事をしているんだ?」

「うん? んー、ある会社の社長をね」

「会社を経営しているのか……。まさか、催眠術を使って社長に成りすましているのではないのか?」


 リムが疑問の目を鋭くユーシーに送った。


「人聞きの悪い。俺は実力で、今の地位に登りつめたんだ。そもそも、社長になったのは吸血鬼になる前だったからな」

「ではお前も、一度別の吸血鬼に噛まれたというわけか」

「ああ、もうかれこれ二十年以上前だな」


 ユーシーはシャツの襟元をめくり首筋に残った、小さな二つの痣を見せた。

 リムは、無意識に自分が噛まれた部分を触っていた。まだ、かさぶたが残っている。


「……元々は人間だったというのに、今はずいぶん開き直っているように見えるな」

「最初は絶望したけど、もうなってしまったのは仕方ないからな。それに、怪我とかしてもすぐ治るし、運動神経も上がったし、年取るのもゆっくりになったからな、慣れれば吸血鬼も悪くないさ」

「私は、絶対に怪物などにはなりたくない」


 リムは強い意志を込めて、ユーシーを睨み返した。

 何が何でも、吸血鬼になるのは、怪物の仲間入りを果たすのは、阻止したかった。


「そーか、そーか。ま、もちろんリムが何もしなければ、俺も何もしないさ。そういう約束だからな。それに、吸血鬼になっていい事尽くめってわけでもないし。血が飲みたくてたまらない時もあるし、会社の人間に正体が気付かれないように、いつも催眠術を使っているし」

「でも、羨ましいよなー、正体を隠せるって。俺、そういう力全然持ってないから。……ドロー」


 クレセンチは溜め息をつきつつ、札を捨てた。


「そうか? 俺は、何をされても絶対死なない、の方が羨ましいな」

「以前、レイジアは首を切られても、元に戻ったと言っていたな」

「それは本当か!」


 レンの一言に、リムはすぐさま飛びついた。

 一方でクレセンチは、なぜリムが驚いているのか、不思議そうな顔をしている。


「戻ったって言っても、半日もかかったぞ? 痛みもちゃんとある」

「いや、半日だけなら、十分早いぞ……」


 リムは流れ出た冷や汗を拭った。死神を甘く見ていたと、彼女は思い知らされている。


 その事には全く気付かず、ユーシーはにやにや笑いながら、クレセンチとリムの間に立てかけられた、大鎌を指差した。


「それを言うなら、これもすごいだろ。最強、最悪の凶器」

「確かに大きいが、普通の鎌と何がどう違うんだ?」

「リム、触るなよ。軽い切り傷だけでも、死んでしまうから」


 包帯でぐるぐると巻かれた三日月形の刃に顔を近づけていたリムは、慌てて身を引いた。


「ゲネラルプローベ、お前の番だぞ」

「ああ、悪い、忘れてた……じゃあ、ドロー」


 レンが手札を見詰め、悩みだした時、ユーシーは懐から細煙草を取り出して、口にくわえた。


「レン、悪いけど、火を出してくれないか?」

「ああ、構わない」


 レンはそう言うと、煙草の先を右手で指差した。一瞬で、煙草に赤々とした火が灯り、煙を出し始めた。

 一連の動きを、レンは何でもないようなことのように行っていたが、あの小さな火を出現させるだけでも、リムは強大な魔力を感じ取った。


「……悪魔には天使と同じく、一人に一つ、特別な能力を持っていると聞いたことがある。お前の能力は火を操る事なのか?」

「火を操るなどと大層なことではない。右手が指したものを、燃やすことが出来るだけだ」


 彼は変わらず無表情でそう説明し、天井を差した右手の先に、小さな炎を出現させた。


「燃やせるだけって言っても、木でも鉄でも焼いて溶かしてしまうからな。それも最強だろ」

「確かに火力は調整できるが、それ以外は一般的な火とあまり変わらない」


 レンは指先の炎を、右手を握って消すと、無言で札を伏せた。

 クレセンチが「やっぱり羨ましい」とぶつぶつ呟きながら、「ドロップ」と言い、ユーシーも「俺も能力が欲しい」と嘆きながらドローをした。


 しかし、リムは、そんな三人のやり取りなど全く目に入らず、じっと考え込んでいた。

 レンはあのように説明していたが、彼の出す炎は魔力の塊だった。普通の水などで消すことは不可能だろう。とすれば、必要になってくるのは聖水か……やはり、あの悪魔と丸腰で退治するのは難しそうだと、彼女は感じていた。


 一方円卓の上では、ユーシーとレンがカードを開いていた。


「えっ! レン、ツウ・ペアだったのかよ!」


 クレセンチが驚きの声をあげて、リムはふと我に返った。


「ゲネラルプローベがストレートか。彼の勝ちだな」

「うわー、俺もツウ・カードだった! 降りなきゃよかった……」


 レンが黙々とトランプをまとめている正面で、クレセンチは頭を抱えて盛大にのけぞっていた。


「降りていなくとも、私と同着になるだけだ」

「いや、これは俺の自尊心の問題でな……」

「どちらにしても、俺の勝ちだな」


 ユーシーがにやにやと意地悪く笑う横で、クレセンチはぐうの音も出ずに唇を噛んでいた。そして、恨みがましくトランプを混ぜ始めたレンを見た。


「レンはいい札が来ても、悪い札が来ても無表情だからな。そこが全く読めない」

「これは私の性分だから、仕方がない」

「でも、何年か前に、ウルルにくすぐられた時があっただろ? そん時も全然変わんなかったよな」


 ユーシーに指摘され、ああ、あの時かとレンは頷いた。


「あれは十二分に可笑しかった」

「可笑しくても顔に出ないのは、かなり変わっているぞ。悪魔は皆、そうなのか?」


 リムが冷たい視線を送っても、レンは混ぜ終えたトランプを配るだけだった。


「ここまで表情が変わらないのは、悪魔の中でも私だけだろうな」

「……自覚はしているのか」

「自覚があるんだったら、治せばいいのにな」


 リムとともに、クレセンチも溜め息をついた。

 それを見たユーシーは、クレセンチを皮肉るように言った。


「クレセ、それを言うんだったら、お前も有利だろ」

「え? なんで?」

「フードで顔半分が隠れている」


 ユーシーが、クレセンチのフードで隠れている部分を、自分の顔の上で手で線を示すように表した。

 すると、クレセンチが今気付いたかのように「ああ」と頷き、気まずそうにフードの頭の部分を押さえた。


「いや、これは別に……」

「メデューサみたいに取ったら大変なことになる訳じゃあないんだろ? だったら、せめてポーカーの間だけでも取ったらどうだ?」

「取るのに抵抗はないけど、いつもこうだから落ち着くっていうか……」

「しかし、私たちから見ると、表情が読み取りづらくて、邪魔なだけだ」

「……正直、レンにはそう言われたくなかったな」


 リムは三人のやり取りを、興味深く眺めていた。

 ここまで嫌がるのなら、フードの下にはこの死神が隠し通したい秘密があるはずだ、それをうまく利用できれば……リムは心の内で、にやりと笑った。


「口元見れば、表情ぐらいわかるだろ! リム、ちょっといいか?」

「へっ? 私か?」


 突然名指しされて、リムは素っ頓狂な声を上げた。


「これから、俺がどんな顔をしているか当ててくれ」

「わ、分かった……」


 リムはクレセンチの真剣な顔に呑まれて、頷いてしまった。


「この顔は?」

「笑っている」

「これは?」

「怒っているな」

「じゃあ、これ」

「泣き出しそう?」

「よし、次は、」

「私を馬鹿にしているのか!」


 やっと無意味なことに付き合わされていることに気付いたリムは、椅子から立ち上がって激昂した。


 しかし、クレセンチはそんなリムなど無視して、嬉々としてユーシーとレンの方へ向いていた。


「な? 口元だけでも十分伝わっているだろ?」

「それくらい、誰でも分かるだろ」

「私達が指摘しているのは、ポーカーに必要な感情の機微を……」

「あ、リム、協力ありがとう。これ、お礼な」


 クレセンチが急に振り返り、リムにマント中から取り出した棒付きの飴を手渡した。


「……馬鹿にされているというよりも、子ども扱いしているな……」


 リムはぶつぶつと文句を言いながらも、その飴を受け取った。


 死神という者は、全ての人間を見下しているものだとリムは思っていたが、クレセンチはその想像とかけ離れていた。

 クレセンチは飴と子どもが大好きで、顔をフードで隠している割には表情がころころと変わる、非常に人間臭い死神だった。


 他の死神がどうだかは分からないが、彼も恐らく変わり者と呼ばれる部類だろうなと、リムは溜め息をついた。

 ふと、リムが顔をあげると、三人が一斉にこちらを見ていた。特にユーシーとクレセンチは、にやにやと笑っているのを隠そうとしない。


「ど、どうした?」

「いや、なんだかんだ言って、突っぱねても、ちゃんと飴は受け取るんだなーって思って」


 彼女の真正面に座ったユーシーがそう言ってからかうと、リムの顔はあっという間に林檎のように赤くなった。


「う、う、う、うるさいぞ!」

「可愛いなー、リムはー。いつもこうならいいのにー」

「レイジア、その格好でそう言うと、ただの変態だぞ」

「こっちを見るな! お前らはポーカーに集中しろ!」


 リムが視線を振り払うかのように、飴を持っていない片方の手をぶんぶんと振った。三人は渋々、しかし笑っていた二人は表情をそのままで、レンが配ったトランプを手に取った。


 リムは諸悪の根源である飴を投げ捨てようとしたが、何となくそれは気が引けてしまい、そっと上着のポケットにしまった。


「……さっき、いろいろと言ってたけど、レンの手札を知るにはすごく簡単な方法があるんだよな」


 ユーシーは配られた手札が芳しくなかったのか、不満そうな顔をして、ちらりとレンのほうを向いた。きょとんとしたレンに向かって、ユーシーは質問を投げかけた。


「なあ、レン。そっちにエースはあるか?」

「ああ、ある」

「じゃあ、二は?」

「ない」

「エースは何枚だ?」

「二枚ある」

「……ちょっと待て!」


 ぽかんと呆気にとられて二人のやり取りを眺めていたリムは、慌ててレンの後ろに回り、彼の手札を確認した。そして、穴が開くほどレンの顔を見詰めた。


「なんで本当のことを言うのだ……」

「何故と言われてもな、これも私の癖だ」

「そうそう、レンは度を越えた正直者なんだよ」


 ユーシーが笑いを必死に噛み殺しながら説明した。

 リムはそんなユーシーに避難の目を向けつつ、自分の席に戻る。


「一番卑怯なのはお前だぞ、吸血鬼……」

「レンは嘘も信じやすいんだったよな?」

「上司に言われた、月に女性の影が映っているのは巨人が住んでいるからという嘘を、つい先日まで信じていた」


 死神と悪魔の力の抜けた会話を聞き流しながら、リムはなんて平和なんだと、妙に呆れていた。

 しかし、この悪魔の癖を利用すれば、聖剣の場所を聞き出せるのではないのかと思いつき、急に姿勢と表情を正した。


「おい、悪魔」

「む? どうした、サクラメント」


 レンが見ると、リムはいつになく真剣な表情をしていた。


「私の聖剣は、お前の部屋にあるのか?」

「いや、ない」

「では、この円卓に座った誰かの部屋にあるのか?」

「この円卓なら……」

「何言おうとしてんだ!」


 突然、イノンの怒声が響き、ごん! という大きな音が聞こえたかと思うと、レンは円卓の上に俯せになって倒れた。

 後頭部には大きなこぶができ、足元には握りこぶしほどの石が転がっていた。


 石が飛んできたのと同じ方向から、肩を怒らせてイノンがやってきた。


「全く、馬鹿正直にも限度があるだろ」

「おお、イノン、助かった」

「ユーシー、近くにいたならお前が止めろよ。クレセも」

「突然のことに俺たちも驚いてな」


 まだ息が荒いイノンに対して、ユーシーとクレセンチは緊張感がない。

 イノンが、聖剣がリムの元に戻った時こそがホテルの危機だと説教している間も、レンはぴくりとも動かない。


 リムは心配そうに、レンの顔を覗き込もうとした。


「だ、大丈夫なのか、悪魔は」

「大丈夫だろ、気絶してるだけだから」

「全く動かないぞ」

「一応、手加減もしておいたし、こんなことでやられるほどやわな奴でもないさ」

「しかし……」


 石を魔法で投げた張本人の言葉を聞いても、リムはどこか不安そうだ。

 そんなリムの様子を、やはりユーシーはにやにやと笑いながら見ていた。


「なんだかんだ言って、やっぱり優しいよな、リムって」

「う、うるさい! こっちを見るな!」

「はいはい。あ、イノン、レンが気絶させた責任取って、チェスを出してくれ」

「いいね、それ。二人だけでポーカーとか味気ないし」

「……お前たち、さっきの反省はしないのか」


 何が? と心から不思議そうにするユーシーとクレセンチを見て、イノンはため息をついたが、何を言っても無駄だと思い、呪文を唱えて円卓の上にチェス盤を出してあげた。


 待ってました! と手を叩いて、二人は盤を広げて駒を並べ始める。

 リムは精巧に作られたチェス盤を感心しながら観察していた。


「この短時間で、こんな立派なものを作れるとは。流石だな」

「いくら魔法でも、一から物を作るのは難しい。これは、レンの部屋にあったのをこっちに持ってきただけだ」


 イノンは苦笑を混ぜながら、種明かしをした。

 それを聞いてリムは、ならば私の聖剣も移動することが出来るのではないのかと閃いた。


 しかし、彼女の企みを見透かしたのか、イノンが鋭く彼女を見た。


「魔法で、聖剣を持ってこさせようとか考えるなよ。俺の魔法は『聖』のものには効かないからな」


 読まれていたかと、リムは内心で舌打ちする。しかし、何故丁寧にここまで教えてくれるのだろうと、一瞬そのような疑問が頭をよぎった。


「あ、リム、まだ飯食っていなかっただろ。ギギとググとゲゲが心配していたぞ」


 ふと、思い出したように、イノンがリムに言った。


「そう言えば、まだだったな。ところで、少し気になったんだが、ここの食料は、どうやって集めているんだ?」

「……主に、ユーシーたちが持ってきてくれるのとか、外で実っているのとか、狩りで捕まえたのとか……」


 急に歯切れが悪くなり、気まずそうに顔を背けたイノンを見て、リムは不審がって眉根を寄せた。


「それだけでは足りないだろ。町で買っているのか?」

「町には行っていない、畑とか、牧場とかで……」

「自分たちで食料を作っているのか?」

「いや、他の人間の畑や、牧場から、俺の魔法で……」

「盗んでいるのか!」


 突然、叱責して立ち上がったリムに驚いて、チェスをしていた二人もこちらを見た。

 イノンはますます小さくなっている。


「ここの怪物たちは人間に手を出さない、平和に暮らしているだとは、とんだ大嘘だったわけだな」

「あ、いや、全部ただでってわけじゃないぞ? 俺が調合した万能薬とか、ライオットが作った椅子とか、たまに交換したりしている」

「いきなり現れた薬や椅子など、気味が悪くて使わないだろ。それに、たまにってことはほとんどが盗んでいるということじゃないか」

「……はい、その通りです」


 さっきまでユーシーとクレセンチを叱っていた威勢はどこかに行ってしまい、イノンは素直に頭を下げた。


「いつか必ず、その畑と牧場の主に、直接謝りに行くことだな」

「はい、そうします」

「リム」「サクラメント」「退魔師」


 唐突に後ろから話しかけられて、リムが振り返るとギギ、ググ、ゲゲの三匹が彼女たちの円卓の隣の円卓の上に勢ぞろいしていた。


「どうした、お前ら」

「お前らと言わないで」「君たちと呼ばないで」「皆さんと口にしないで」


 いきなり両手を挙げて抗議し始めた三匹を見て、リムが困惑していると後ろでイノンが教えてくれた。


「ギギ、ググ、ゲゲはひとまとめにされるのが一番嫌がるんだよ。それぞれの個性を把握してほしいとかって」

「はあ、そうか」


 リムははっきりと面倒くさいと思い、「それで、お前たちは何の用だ?」と呼び方を変えずに言った。


 ギギ、ググ、ゲゲは不満そうだったが、顔を見合わせると話が進まないと判断して、順番に喋りだした。


「食べたいもの」「注文」「オーダー」

「そういわれてもな、あまり腹が減っていないからな……」


 リムは自分の腹を撫でながらそう言ったが、ふと彼らの限界まで困らせてやりたいと思い、意地悪く笑った。


「では、古今東西の甘い物を山ほど、作れるか?」

「お菓子?」「甘味?」「スイーツ?」


 ゴブリンたちは、杏子の種のような目をさらに丸くした。


「どうした? 怖気ついたのか?」

「できる」「可能」「やり遂げる」


 リムに挑戦状を叩き付けられて、ギギもググもゲゲも前のめりになり、意気込みを叫んだ。

 それを見て、イノンは窘めるように言う。


「いいのか? 晩飯も食わずに甘いもんばっか食ったら、体に悪いぞ」

「なんだ、魔術師の癖に人間を心配しているのか?」

「……そういえばそうだな」


 リムの子供っぽい反論を真に受けて、イノンは首を捻っている。

 リムはそれを見て、変な奴だなと口の中で呟いた。

 ギギとググとゲゲは、ぴょんと円卓の上から飛び降りて、リムに向かって直立した。


「待ってて!」「お楽しみに!」「期待して!」


 彼らは口々にそう言って、嬉しそうへキッチンへ駆けて行った。

 リムは少し驚いた様子で、その後ろ姿を見送った。


「あれほど無茶を言ったというに、これっぽっちもめげていないな」

「そりゃそうだ。料理人の腕の見せ所だからな」

「あいつらはなぜ、あれほど料理が得意なのか?」


 リムは尋ねると、イノンは「色々あったからな」と複雑そうな表情を見せた。


「ローム一族は、地下のゴブリン王国では、王室の調理係だったらしい。だから、小さい頃から料理を叩き込まれたんだろうな」

「その王国はどうなったんだ?」

「うん……色々あって、滅んでしまった」


 リムは、何か気を使われていると感じていた。これ以上追及しても話さないだろうと思い、「ところで」と倒れたままのレンを指差した。


「悪魔はいつ起きるんだ?」

「……ちょっとやりすぎたかも」


 流石に心配になったイノンは、耳元で「おーい」と声をかけたり、遠慮なく背中を叩いたりした。


 乱暴に扱うのは逆効果ではないのかと思いながらも口には出さずに、リムは椅子から立ち上がった。


「料理が来たら邪魔になりそうだから、別の円卓に行ってくる」

「ああ、分かった」


 イノンは一瞬だけ顔をあげて頷くと、再びレンを起こそうと肩を強引に揺らし始めた。

 その横では、ユーシーとクレセンチがチェス盤を睨みつけていた。


 リムが奥の方へ少し歩くと、ライオットとジェンティレスがホールの隅の方で何かをしているのが見えた。気になったリムは彼らに近付き、声を掛けてみた。


「何をしているんだ?」

「あ、リムちゃん。あのね、壊れた円卓を直しているんだよ」


 ジェンティレスが自身の両手の幅ほどある木の板を押さえつけながら答えた。その板に、ライオットが円を描いている。


「満月の、夜に、変身、した、ウルル、円卓の、上で、跳び、はねて、壊し、ちゃった」

「もう、ずっと前のことなんだけどね、今日やっとユーシーが材料を準備してくれて、直せるようになったんだよ」


 リムが話を聞きながら相槌を打っている間に、ライオットは綺麗な円を引き終えていた。その大きな手で書いたとは思えない、美しく完璧な丸だった。


「その……お前はなんだ?」


 工具箱から鋸を探していたライオットは、リムから唐突に尋ねられて手を止めた。


「何、と、言われ、ても」

「ライオットの名前は、ライオット・ダイナモだよ」

「いや、そういう名前とかではなく、怪物としての種類、例えば吸血鬼とか魔術師とかなら、なんなんだと思ったわけだ」


 ジェンティレスとライオットは腕を組み、うーんと真剣に悩み始めた。


「たぶん、人間に作られたから、人造人間だってレンが言ってたよ」

「うん、そう、だった。思い、出した」


 リムは驚愕の目で、ライオットを爪先から頭の先まで眺めていた。


「人工的に、怪物が作れるんだな。どうやった?」

「いろんな、死体を、つなぎ、合わせた。あとで、魔術で、人の、魂を、入れた」

「でも、反魂術はとっても難しいって、クレセが言ってたよ。人間を生き返らせることになるから。だから、実際には死んだ人が残した、悲しみとか悔しさとかいろいろな感情が混ざって、一つの魂の代わりとして、ライオットの体を動かしているんだって」

「そう、そう」

「では、何故そのようなことを人間がしたのか?」

「何でも、言う事、聞いて、戦うの、大好き、最強の、兵士、作る、ため。でも、おいら、失敗作、だった、から、捨て、られた」

「ライオットはおとなしい性格で、戦うのがとっても嫌だったんだ。だけど、そのせいで、役立たずって言われちゃったんだよね」


 無言で首肯したライオットの目には、悲しみの影があった。

 すぐにそれを見つけたジェンティレスは、慌ててライオットを励ますように明るい声を出した。


「でも、その後にこのホテルに迷い込んで、みんなと出会ったんだよね? その時は、嬉しかったんでしょ?」

「みんな、おいらを、兵士と、して、扱わ、ない。おいら、のこと、仲間、だって、言って、くれた。おいら、この、ホテル、の仲間、大好き、ここに、来れて、とても、幸せ」


 ライオットは照れ臭そうに笑っていた。そんな彼に、ジェンティレスは思わず抱き付いた。


「ぼくも! ライオットが大好きだよ!」

「ジェン、ありが、とう」


 ライオットはジェンティレスを抱きしめて、自分よりもずっと小さな背中を優しくさすっていた。


 そんな光景を前にして、リムは我が目を疑った。怪物と人間が、抱き合っている。相手を利用しようというような思惑も持たずに、純粋にお互いを思いやっているように見えた。


「おーい、リムー」


 後ろから声を掛けられてリムが振り返ると、狼人間のウルルが円卓の一つに片足を乗せて、右手を大きく振っていた。左手にはラム酒の瓶を握り、随分と飲んでいるのかすでに顔は真っ赤になっていた。


 ウルルの横にはメデューサが椅子に座っていて、その隣にルージクトが浮かんでいた。

 円卓の上には数皿の料理と、たくさんのラム酒の瓶が、空き瓶も含めて無造作に置かれている。


「こっち来いよー。一緒に飲んで、食おうぜー」

「ウルル、リムにお酒をすすめたらダメよォ。まだ子供なんだからァ」


 嬉しそうに呼びかけるウルルに対して、メデューサは苦笑しながら注意した。

 ライオットとジェンティレスは作業に戻っていたので、リムは三人のいる円卓へ行き、空いている椅子へ座った。


「リム、どうなのォ? ここの暮しには慣れたァ?」

「慣れたと言われてもな……」

「でもさー、夜起きるのに抵抗が無くなっているんじゃない?」


 リムはウルルの言葉を受けて、不服そうな顔を見せた。

 確かに、昼夜逆転の生活にすっかり体が慣れてしまっていたが、それを認めてしまうのは怪物たちと馴染んでいることも肯定しているように感じられた。


 納得の行っていないようなリムの表情など気にせずに、ウルルは残りわずかになったラム酒をぐいっと飲み干した。


「もう、ここでずっと暮らしちゃえば、いいんじゃない?」

「はあ?」


 リムは大声で聞き返した。自身が侮辱されているように思えてきて、みるみる顔が怒りで真っ赤に染まった。


「な、何を言っているんだ? 私は、お前たちを退治しにここへ来たのだぞ? そんなことをする訳がない!」

「ダーイジョウブ、ダイジョウブ。今更、人間が一人増えようが、二人増えようが、関係ないんだって」

「……私が話の論点にしているのは、そこではないのだが」

「でも、リムもここで暮らし始めたら、オーナーはますます部屋から出て来なくなるじゃないのォ?」

「……オーナー? 誰のことだ?」


 いきなり出てきたその名に、少しだけ落ち着きを取り戻したリムは分かりやすいほど怪訝そうな顔をした。


「オーナーは、このホテルのオーナーで、全然部屋から出てこないんだねー」

「ホテルの誰よりも人間が嫌いだから、リムがここにいる間は、出てこないんじゃないかしらァ」

「すべての人間を、憎んでいるからなあ、オーナーは。あ、ジェン以外だね。それでも、ジェンと会ったことは何回かしかないんじゃないか?」

「そうねェ。まず、私たちの前にも、あまり顔を出さなくなっているからねェ」


 ウルルとメデューサの愚痴交じりの会話を聞きながら、リムはオーナーと呼ばれる怪物への興味が積もっていった。

 一体どのような怪物なのか、どれほどの力があるのか、他の怪物たちが秘密にしていた所を見ると、ホテルの切り札なのではないのか……。


 しかし、この二人の様子では、秘密にしていたというよりも単純に忘れていたようであった。


「ルーちゃんは最近、オーナーと会った?」


 ふとウルルが、ずっと黙ったまま笑顔で立っていたルージクトに尋ねた。

 ルージクトは、笑顔のままで首を振った。


「そうかー。オーナー、ルーちゃんのことを気にしてたみたいだから、知ってるかなーって思ったけどなー」

「そもそもオーナーは部屋から出ないから、ルージクトに会うのも無理なんじゃないのォ?」

「ルーちゃん、幽霊だから、オーナーの部屋に簡単に入れるでしょ。だから、そうして会いに行ってるんじゃないの?」


 そうウルルに断定されたルージクトは、慌てて苦笑しながら手と首をぶんぶんと振った。


「ルージクトがそんなことするわけないわァ。ウルルみたいに、無神経じゃないんだからァ」

「あたしだって、好きで無神経になったんじゃあ、無いんですよーだ」


 ウルルは舌を出すと、やけになって新たなラム酒を手に取った。メデューサの「また飲むのォ?」という声を聞き流して、瓶から直接酒を胃袋に入れた。


「……人間の男でも、こんな飲み方はしないぞ」

「ほらァ。リムも呆れちゃってるじゃないのォ」


 メデューサがため息とともにそう言うと、ルージクトも大きく頷いた。


「ルーちゃんまで、あたしの敵なのか……」


 ウルルは先程よりもずっと衝撃を受けているようで、そっぽを向くと顔を隠して泣くふりを始めた。しかし、よく見ると涙が流れ出ていて、リムは驚いた。


「本当に泣いてるぞ?」

「ほっといていいのよォ。酔いが回っていて、感情的になっているだけだからァ」

「しかし……」

「きっとすぐに、泣き止んで、今度は大笑いし始めるわァ」

「へっ! いいよ、いいよ、ほっといても! その代わり、メデューサの部屋は三日間掃除してあげなーい!」


 ウルルが突然メデューサを指差して、子供のような口調でそう言うと、頬を膨らませてまたそっぽを向いてしまった。

 メデューサは思わず笑ってしまっている。


「また、地味な復讐ねェ」

「メイド服を着ていると思っていたが、ちゃんとそのような仕事もしていたんだな」

「そうよォ。ウルルは乱暴だけど、掃除の腕はいいのよォ」


 背中越しに誉められていることが分かったウルルは、そのまま振り返ろうとしたが、メデューサが続けた「でも、裁縫は全然なのよォ」の言葉を聞き、動きが止まってしまった。


「では、お前たちも何か仕事をしているのか?」

「いいえ、ワタシたちは特に何もしていないわァ」

「他の怪物たちは、仕事が与えられているというのに?」


 驚きと非難の色を隠さないリムに、メデューサは肩をすくめた。


「仕方ないわァ。ワタシは目隠ししているし、ルージクトは物に触れないんですものォ」


 ルージクトは笑ったまま、こくこくと頷いた。

 リムは悪びれる様子のない二人に、ため息をつく。


「幽霊は確かに力が弱いため、仕方ないだろう。しかしお前は、目隠しのままでも自由に動き回れるだろ?」

「いろいろ大変なのよォ。色や絵とかは見えないのォ。人の顔も、ぼんやりとしか分からないわァ。じゃあ、目隠しを取ってもいいのかしらァ」


 メデューサは真っ赤な唇で、怪しく笑いかけてきた。

 リムは背筋に冷たいものが走り、思わず身を引いた。


「それは、やめてくれ」

「ルーちゃああああああん! あたしを裏切らないでーーーー!」


 一瞬だけの緊迫した空気は、ウルルの泣き叫ぶ声でどこかへ行ってしまった。

 リムとメデューサは彼女に冷たい視線を投げかけた。


「お前は、まだ泣いていたのか……」

「うっぐ、うっぐ、でも、ルーちゃんはいつもあたしを見守ってくれてるのに、お酒は、えっぐ、やめなさいって、えっぐ」

「ルージクトは、酔っ払って廊下の真ん中で寝ちゃっているアナタを心配しているだけなのよォ。むしろ、彼女の方が被害者なのよォ」

「廊下で寝ているのか……救いようがないな」

「ほらァ。第三者のリムもそう言っているのよォ。今度こそ禁酒しなさいねェ」

「でも、でも、だって、おいしいんだもん!」


 ウルルが涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃになった顔でそう叫んだ直後、


「リム」「サクラメント」「退魔師」


 聞き覚えのある声と甘いにおいがしてリムが振り返ると、ギギとググとゲゲがジェンティレスと共にワゴンいっぱいの甘いものを持ってきていた。


「これら、全部をこの短時間で作ったのか!」

「すごいわァ。さすが、うちのコックねェ」

「すっごいうまそう! いいにおい!」


 リムとメデューサ、お菓子が来て即座に泣き止んだウルルが食いつき、ルージクトも拍手をして喜んでいた。

 ジェンティレスがお菓子をワゴンからせっせと円卓の上へ移動させ、ギギとググとゲゲは自慢げに胸を張った。


「すごいでしょ」「自信作」「太鼓判を押す」


 パイ、クッキー、シュークリーム、タルト、チョコレート、プディング……、次々と、できたてのお菓子たちがリムの目の前に運ばれてくる。

 リムはその夢にまで見た光景に、釘付けになっていた。


「まるで魔法のようだ……」

「本物」「手作り」「腕によりをかけた」

「え? イノンに早く焼きあがるようにって、魔法を使ってもらってなかった?」


 ジェンティエスに不思議そうな顔でそう尋ねられ、コックたちは気恥ずかしそうに俯いた。


「ちょっと」「ほんの少し」「わずかに」

「いや、それでもこれだけの物を作るとは、想像以上だ。もっと堂々としていてもいい」

「万歳!」「やった!」「嬉しい!」


 リムが素直に誉めると、ギギとググとゲゲは跳び上がって喜んだ。


「ねえ、リムちゃん、ぼくも食べていい?」

「ワタシもいいかしらァ?」

「あたしも!」

「それは構わないが……ジェンティエスはもう、円卓づくりの手伝いをしなくてもいいのか?」

「うん。あとは細かい調整だから、大丈夫ってライオットが言ってたよ」


 ジェンティレスはフォークを右手に、どれから食べるかを品定めしながら答えた。

 リムはそうかと頷き、クッキーを一枚手にとって、齧ってみた。中には何も入っていなかったが、さくりという音とともに程よい甘さが口いっぱいに広がった。


「うまい! こんなにうまいクッキーは、初めて食べたぞ!」

「ありがとう」「礼を言う」「感謝感激」


 リムが手放しで喜んでくれたのを見て、ギギとググトゲゲも満面の笑顔になった。

 他の者たちも、料理を食べて口々に「おいしい」「うまい」と連呼している。

 それを見て、満足した三匹は、そっとキッチンに戻っていった。


「まさか、ここまでやってくれるとは思わなかった」

「ギギ、ググ、ゲゲは完璧主義者だからねェ。作るなら、手を抜かないのよォ」

「それに、とっても研究熱心だよ。よく、レンにお願いして料理の本を貰って、色んな新しい料理も作れるように頑張っているんだ」

「あー、こんなに最高な料理を食べられるなんて、あたしたちはなんて幸せなんだー!」


 ウルルが一際実感を込めて言った一言に、リムは大きく頷いた。しかし、次の瞬間小さな違和感が芽生え、食事の手を止めて円卓を囲むものたちを見回した。


 今、自分の右隣りには、狼人間が座っている。

 正面には、目を見ると石にされてしまう、伝説の怪物。

 その横には、幽霊の少女だ。

 人間は、自分とジェンティレスという名の少年だけ。


 少し離れたところでは、人工の怪物が円卓を修理している。

 別の円卓では、気絶から戻った悪魔と死神がチェスをして、吸血鬼と魔術師が何やら話している。

 キッチンにはゴブリンが三匹、さらにどこかの部屋には「オーナー」と呼ばれる謎の怪物が潜んでいる……。


 彼らがあまりに自然に振る舞い、リムに対しても優しく接していたため、忘れかけていたが、ここに住むのは人を食べるという怪物なのだ。

 リムは、そんな怪物たちを退治するために、このホテルへ来たのだ。


 聖剣を奪われ、吸血鬼にすると脅されて、何もできないまま月日を過ごすうちに、すっかり敵意を抜かれて怪物たちと接するのが当たり前のように感じていた。

 もしかすると、それが奴らの狙いなのか。

 それすら気づかずに、何を馴染んでいるんだ! リムは、円卓の下で、自身を戒めるように固く拳を握った。


「リムちゃん? どうしたの? 怖い顔をしているよ?」

「あ……、いや、何でもない」


 ジェンティレスに不安そうな顔で話し掛けられ、リムは曖昧に濁した。

 私は彼らの弱みを探していたはずだ。本来の目的を思い出し、リムはぐるりとホールを見渡した。


 一番力が弱いのは、間違いなくあの幽霊だ。しかし、物に触れられないほど力が弱いのだと言っていたな。とすれば、私から触れることも出来ないのか。聖剣があったなら……いや、仮定の話をしても仕方がない。リムは、その考えを頭から追い出した。


 ならば、その次に力が弱いのは……リムの目に、ライオットの姿が入った。こいつは確かに体は大きいが、魔力や霊力は一切感じられない。

 だが、無論丸腰では太刀打ちで出来ない。何か、一瞬でも隙をつくことが出来たなら……。


「……おい、ジェンティレス」

「どうしたの、リムちゃん?」

「あいつの弱点はなんだ?」


 呼びかけられてパイを食べる手を止めたジェンティレスに、リムはライオットの後姿を指差した。


「ああ、ライオットは、クモが大嫌いなんだよ」

「蜘蛛? あれほど大きな体をしているのに?」

「うん、理由は分からないけど、クモを見たらすごくびっくりするんだ」


 リムはそれを聞き、頭の中で計画を立てた。

 まず、ライオットの近くで蜘蛛がいると嘘をつく。


 驚いて、動けなくなったライオットに体当たりをし、押し倒すとナイフを急所に突きつける。人間の死体をつなぎ合わせて作ったのならば、急所も人間と同じ所にあるだろう。


 リムは、そっとナイフを服の袖に忍ばせて、席を立った。


「……ちょっと、失礼するぞ」

「なんだ、リム? トイレか?」

「ちょっとォ。ウルルったら、失礼よォ。リム、気にしないでねェ」


 ウルルとメデューサのそんな会話も、リムの耳には入らなかった。初めてホテルに来た時と同じような険しい顔で、真っ直ぐにライオットの方へと進む。


 とうとう、ライオットの背後にリムは来た。人口の怪物は、しゃがみ込んで円卓の足の調整をしている。

 リムは音を出さぬように、そっと息を吸い込んだ。


「あっ! 足元に、蜘蛛がいるぞ!」

「ふぁあい!」


 驚いて跳び上がったライオットは、円卓に頭をぶつけて、それを倒してしまった。

 しかし、そのようなことを全く気にせず、「クモ! クモ! クモ!」と叫びながら、じたばたと暴れ出した。


 予想以上に混乱しているので、リムは慌ててライオットから少し離れた。

 このままでは近付くことも出来ないが、どこかで隙が出来るのかもしれないと、神妙な顔で袖の中に手を入れてナイフを握った。

 しかし、次の瞬間、


「うがあああああああああああ!」


 ライオットが転がっていた円卓を持ち、軽々とそれを投げ飛ばした。ライオットの長身よりも上を飛ぶそれは、真っ直ぐにリムへ向かって落ちてくる。


「……え?」


 視界が円卓の影で薄暗くなった時、リムはやっと自身に迫る危機に気付いた。

 しかし、とっさに動くことが出来ずに、リムは目を瞑ってしまった。


 ごん! という大きな音が、リムの後ろから聞こえた。目を開いたリムが音の方向へ振り返ると、階段の辺りに円卓が転がっていた。


「リム! 大丈夫か!」

「怪我はないか?」


 走り寄ってきたイノンとユーシーに顔を覗きこまれて、リムは力が抜けてしまいその場に座り込んだ。


 視界の隅では、クレセンチが「落ち着け!」と叫びながら、ライオットを羽交い絞めにしている。


「良かった。怪我してないみたいだな」

「一回椅子に座って、息を整えよう」


 イノンとユーシーは心底ほっとした顔で、リムの手を握った。

 二人とも、手が温かい。リムの目から、涙が出そうになった。


「……うるさい、うるさい! 私に触るな! 私に構うな!」


 リムは二人の手を必死に振り払って、立ち上がった。それでもまだ、目はまだ潤んでいる。


 落ち着きを取り戻したライオットも、リムのもとへ駆け寄ろうとしていた他の怪物たちも、何も言えなくなってしまい、ホテルの時が止まってしまったかのようだった。


「魔術師! 魔法で円卓を移動させたのは、お前だろ!」

「え? いや、確かに、そうだけど……」


 急にリムに指を差されて、イノンはしどろもどろになりながら答えた。


「何故、そのままにしなかったんだ! 円卓にぶつかれば、大怪我をして、下手をすれば死んでいて、退魔師の私は動けなくなるんだぞ! お前らに害をなす者はいなくなるんだぞ!」

「それとこれとでは話が別だろ」


 イノンの、真っ直ぐにリムを見据えて紡ぎだしたその言葉に、彼女は動けなくなってしまった。俯き、肩を小さく震わせている。


「……何故、何故なんだ。私は、お前らを退治しに来たのだぞ? それなのに、何故、普通に接することが出来るのか、優しくすることが出来るのか……」


 リムはそれだけを言い残すと、俯いたまま走り出した。彼女が自室に戻るまでを、皆は黙って見送った。
















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