その三


 ……箒に乗ったイノンは、二階の窓からホテル内に戻った。

 魔法による蛾や人影などの幻が消えたホールでは怪物たちが、酒と料理を用意して勝手に宴会を始めている。


 イノンは空から見た、トミーが逃げ去っていく背中を思い出しながら、大声で皆に呼びかけた。


「あいつは行っちゃったぞー。もう、二度と戻ってこないだろうなー」


 しかし、誰も返事をしない。それもいつもの事だったので、イノンは小さくため息をついただけだった。


 このホテル・トロイメライの正体は、森に迷った旅人達のためではなく、居場所のない怪物たちが暮らしたり泊まったりするホテルであった。

 営業時間は、夜に活動する怪物に合わせて、日が落ちてから朝日が昇るまで。昼間は、ホテル中の怪物たちが寝静まっているため、魔法によって玄関や窓の鍵も閉められ、外から中に入ることはできない。


 よって、ホテルの従業員にも宿泊客の中にも人間の姿はなく、人間が間違えて入ろうとしてきた場合、ホテルの中のみんなで驚かし、追い出すのだった。

 イノンは幼いころから高い魔力を持つ、魔術師であった。得意な魔法は、物や自分を浮遊させること、瞬間的に移動させることである。だが、道具や魔方陣を使えば、苦手な魔法も使うことが出来る。

 魔術師である彼の老化は酷くゆったりとしたものであるため、見た目は二十代前半だが、優に百年以上生きている。


「ようイノン! 今日も大活躍だったな!」


 地面に降り立ち、箒を右肩に担いだイノンに、ラム酒の瓶を持って、足取りをふら付かせながら、狼人間のウルル・トロイデが陽気に話しかけてきた。

 ウルルは、満月を見ると狼に変身するという特殊な体質を持っていた。しかし、変身しても、特に狂暴化したり、理性を失ったりなどはしない。


 ただ、体系や腕力は大きくなってしまうため、酒乱の彼女がこの状態で酒を飲むと、皆に多大な迷惑が掛かってしまう。

 イノンは彼女の狼の顔を見て、眉をひそめた。


「お前、いつまでその姿でいるんだ?」

「いいじゃん! せっかくの満月なんだから!」


 ウルルは目の前の相手に対して、耳がびりびりするほどの大声で反論した。


「それよりもイノンー。今度、あたしにも案内人役やらせてよー。変身しなかったら普通の人間の見た目なんだしー」

「それは駄目だ」

「なんで?」

「丁寧な口調で案内できるか?」

「……できないね」

「なら諦めろ」


 ウルルは不満そうに、頬を膨らませた。そんな彼女をよそに、イノンは歩き出す。

 迷い込んだ人間を滞り無く驚かすためには、案内人役が一人必要だった。それはいつも、人間の姿に近く、ある程度の人間の常識も知っているイノンの役目だった。


 しかしイノン自身は、人間を強く恨んでいるため、この役割に不満を持っていた。

 それをよく知っているウルルが代わってくれるというのは、イノンにとって嬉しいことではあったが、彼女は正直に言うと、礼儀正しさとは真反対の位置にいたため、案内役には向いていなかった。


「ウルルよりも、お前らが案内役をやってくれた方が助かるけどな」


 イノンは、ポーカーを楽しむ三人が座る、トランプやらタバコと灰皿、多種多様の飴、平積みにされた本などでごちゃごちゃとしたテーブルの前に立ち止まった。

 時計回りに、スーツ姿の吸血鬼のユーシー・ゲネラルプローベ、タキシードを着た悪魔のレン・カフカ・アシュタロト、フード付きマントを羽織った死神のクレセンチ・レイジアの順に座っていた三人は、一斉にイノンの顔を見ると、気まずそうに顔を見合わせた。


 ユーシーは、元々は人間だったが、十年前に別の吸血鬼に噛まれてしまったため、吸血鬼となってしまった。だが、今ではそのことを受け入れ、むしろ体に丈夫になったこの体を楽しんでいる様子すらある。

 生まれつきの吸血鬼と違い、ユーシーは空を飛ぶことや霧に変身することは出来ないが、日光も平気であり鏡にも映るため、人間社会に交じって暮らすことが出来る。

 たまに血が飲みたいという衝動に駆られることがあるが、ユーシーは人間の血を呑むことをあまり好まず、動物の血などで代用していた。


 レンは、右手の指先がなぞった範囲を、炎で燃やすという能力を持つ悪魔である。普段はこの能力を駆使し、罪を犯し、地獄から地上に逃げ出した悪魔を捕まえるという仕事をしている。

 高い魔力を持つ一方で、大の読書家でもあり、ホテル内一の知識量を誇る。


 クレセンチは、三日月形の大鎌で、人々の魂を狩っていく死神であった。……今その鎌は、無造作にテーブルの縁に立てかけてあるのだが。

 五千年以上の年月を過ごしているが、性格は気さくで、人間臭いものであった。普段からマントのフードを被っており、それを一度も外したことが無いため、その下がどうなっているのかはホテル内の誰も知らない。


 彼らはここに住んでるのではなく、外に仕事を持っているため、ホテルにはたまに泊まりに来る面々だった。


「いや、イノン、俺はこのフードの下がすごく目立つし、」

「私も、羽は仕舞えるが、目がよく目立ってしまう」

「俺も、牙がなー」


 クレセンチ、レン、ユーシーのそれぞれが仕方なさそうに首を振って、ポーカーに戻ろうとした。


「ちょっと待て。それくらい何とかできるだろ。ユーシーの牙も、吸血鬼様得意の催眠術でいくらでも誤魔化せるんじゃないか?」

「俺はこのホテルで思いっきり羽を伸ばしたいんだ。外と同じように催眠術を使うのは、とっても疲れるし、何よりめんどい」

「……そうかそうか、それは仕方ないよな、諦めるよ。じゃあレン、お前はどうだ? 目が赤いのを気にしない人間も、多いんだよな?」

「確かにそうだが、私は表情を変えられず、嘘をつけない性格からな、どちらにしても無理だ」

「そんな胸張って言うなよ……」

「まあまあ、俺たちだって全く感謝していないわけじゃないんだし、ほら、お礼に飴やるよ」


 クレセンチはそういいながら、マントの内側に大量に括り付けた飴から、一つ取り出してイノンに渡した。


「あ、ありがとう……」


 イノンは、笑顔を引き攣らせながらその棒付きの飴を受け取った。

 だが、なんでこいつは、ここでは一番年上なのになんでこんなに飴が好きなんだろうと、内心呆れていた。


「では、私からは欲しい本をなんでもひとつ贈ろう」

「じゃあ俺からは、高級なワインで」

「なあ、お前ら、そんなに申し訳ない気持ちがあるんなら、一度ぐらい代わってもいいんじゃないか?」

「……」「……」「……」

「黙るなよ」


 勝手にポーカーの続きを始め出した三人の隣に、イノンは目を向けた。

 二〇三号室に暮らす、ツギだらけの大男ライオット・ダイナモがイノンに向かってにこやかに手を振りながら、やって来た。


「ライオット、大丈夫だったか? 人間を目の前にして」

「大丈夫、だった。おいら、気合を、入れて、頑張った、から」


 ライオットは、にっこりと笑って見せた。


 巨大で恐ろしい見た目をしているこの怪物は、実際はホテルで一番温厚な性格をしていた。彼は生物ではないため、食事や睡眠を必要としない。また、痛覚も持たない。

 死体をツギハギにして人間に作られたが、作った当の本人に捨てられたという過去を持つため、誰よりも人間を恐れていた。


 今回初めて、ライオットに単独で人間を脅かす役割を与えたが、思ったよりも落ち着いてやってくれてよかったと、イノンは内心ほっとした。

 だが、急にライオットは悲しそうな顔をした。


「だけど、あの、人間が、おいら、より、大きな、声を、出して、びっくり、した」

「確かに、あんなにでかい声出されたら、びっくりするよな」


 イノンは、トミーが飛び出した後の二〇三号室の中で、驚きのあまり動けなくなってしまったライオットを思い出し、堪え切れずに吹き出してしまった。


「今度は、もっと覚悟を決めて、望まないとな」

「うん、頑張る、よ」


 ライオットは勇気を振り絞るように、真剣な顔をして両手で拳を作った。

 イノンは、何でも一生懸命なライオットの姿が妙に可笑しくて、笑いながら励ますように背中を叩いた。


「イノン」「ニクロム」「魔術師」


 イノンが声のした方、右の足元を見ると、ホテルのコックであるゴブリンの三つ子、ギギ・ローム、ググ・ローム、ゲゲ・ロームが立っていた。

 それぞれが、自分の顔よりも大きな皿に乗った牛肉、豚肉、鶏肉がメインの三つの料理を両手で持っている。


「おっ、うまそうだな。今日の主菜か?」

「うん」「そう」「はい」


 三人は自信作を誉められて、満足そうに笑い合った。

 ギギ、ググ、ゲゲは、三人ひとまとめにされるのを極端に嫌い、発言もそれぞれが似たような言葉を別の言い回しに変え、料理もそれぞれが全く別の物を作っている。


 しかし、三人とも全く同じ見た目と声をしていて、さらにいつも三人で一緒に行動しているため、ホテルの誰も彼らを個々に区別できていない。

 ただ、ギギ、ググ、ゲゲはそのことに気付いていなかったのだが。


「んー、腹減ってるけど、食べるのは後ででもいいか?」

「分かった」「了解」「がってん」


 ギギ、ググ、ゲゲは素直に頷いて、皿を頭の上に乗せて、手と合わせて三点で支えると、ひょこひょこと駆けていった。


 イノンはそんな三人を見送って、別のテーブルへ向かった。

 そこには、髪の毛が蛇の女、メデューサ・ゴルゴンが優雅に足を組んで椅子に座り、すぐ横には幽霊の少女、ルージクト・カドリールがいつもと変わらない笑顔のまま、微かに浮いていた。


「イノン、お疲れ様ァ」

「ああ、メデューサとルージクトも、ご苦労さん」


 イノンは二人に労いの言葉をかけて、椅子に腰かけた。


「きょうはとっても楽しかったわァ。久しぶりの人間で、それもとても怖がりだったものォ」

「いつも、メデューサは驚かすのを楽しんでいるな」

「もちろんよォ。昔を思い出しからねェ。……ねェ、今度、一人くらい、石にしてもいいんじゃないのォ?」


 メデューサは、イノンに目隠しをした顔を近付け、怪しく笑いかけた。頭の蛇たちが、シュウシュウと鳴く。

 イノンは、そんなメデューサを鋭く睨んだ。


「……メデューサ、ここのルールを忘れたのか?」

「冗談よォ。アナタはほんと、真面目よねェ」


 メデューサはけたけたと笑った。

 ホテルでは、迷い込んだ人間を脅かすが、傷つけたり殺したりすることを禁止している。


 ここでは、人間によって傷つけられたり、殺されかけたり、または肉親を殺されてしまった怪物たちが多い。

 そのため、人間を深く恨んでいるが、彼らと同じ行為をすることを怪物たちは拒んだ。そうしていつの間にか、そのようなルールができていた。


「でも、脅かすのがとても楽しいのは、本当よォ」

「けどメデューサ、目隠ししたままじゃ、相手の顔も見えないだろ? どうやって楽しむんだ?」

「簡単よォ。相手が怖がっているときの雰囲気や、悲鳴を聞いて楽しんでいるのよォ」


 一人で鏡のない自室にいる時以外、目隠しを外さないメデューサだったが、まるで目が見えているかのように、何かにつまづいたりぶつかったりせずに歩くことができた。

 音の反響や空気の流れから、どこに何があるのかが分かるのだと、彼女は以前イノンにそう語っていた。


「ルージクトはどうだったか? 大変じゃなかったか?」


 イノンがそう声を掛けると、ルージクトは満面の笑顔で首と手を振った。

 若干十八歳で亡くなったこの少女は、力が弱いため、霊感のない者に姿を見せることはもちろん、物を持つことも声を発して空気を震わすことすらできない。


 今夜のように人間を驚かすときは、イノンが相手に気付かれないように魔法をかけて、一時的に幽霊を見えるようにしていた。

 ちなみに、名前や年齢などは、初めてホテルにやって来た日に、イノンが魔法によって調べていた。


「ルージクトも、脅かし役が板について来たよな」

「そうねェ。もう、貫録が出てきちゃってるわァ」


 二人が誉めると、ルージクトは笑顔のままで恥ずかしそうに指をくねらせていた。


「そういえば、今日はオーナーも出たのォ?」

「いや、オーナーはいつも通りだ」


 イノンは、玄関から見て右手側、階段から一番遠い場所にある二一四号室を見上げた。その部屋に、ホテル・トロイメライのオーナーが暮らしている。

 怪物たちがオーナーと呼ぶ男こそが、この建物の持ち主であり、ここをホテルとして怪物たちに提供している張本人であった。


 誰よりも人間を憎んでいるため、今夜のように人間が来た日は、部屋から一歩も出てこない。

 そうでなくても、ここ数年、彼は自室から出ることは少なくなっていた。


 メデューサもそのことをよく知っていたため、軽口を叩くこともせず、「少し寂しいわねェ」と呟いて溜め息をついただけだった。

 テーブルの周りを、どこか物悲しい雰囲気が包んだその時、


「イノンー!」


 背後から完全に酔いが回ったウルルが、イノンに抱き付いた。


「ちょっ! いくら狼の姿だからって、これは駄目だろ!」

「そうよォ。ウルル、弱いのに飲みすぎよォ」

「ふへへー、酔ってなんかいませんよーだ」


 ウルルは笑いながら、ふらふらとイノンから離れた。


「おっ! ルーちゃんもいるじゃないか! ルーちゃんー、元気ー?」


 数歩先の相手に対して、大きく手を振るウルルに、ルージクトも笑顔で小さく手を振って応えた。


「ルージクトも、よく相手にできるよな」

「ウルルに対しても優しすぎよォ。もうちょっと厳しくしてもいいと思うわァ」


 イノンとメデューサは呆れ顔で、二人のやり取りを見ていた。

 そんな事には構わずに、ウルルはキッチンに大声で呼びかけた。


「ギギー、ググー、ゲゲー、酒持ってこーい。みんなで乾杯するよー」


 キッチンから慌ただしく準備する音が聞こえて、ギギとググとゲゲがそれぞれワインとグラスを持ってやって来た。


「お待ちー」「どうぞー」「召し上がれー」


 テーブルに置いたグラスに、三人はなみなみと赤ワインを注いだ。物を持てないルージクトも、手をグラスを持つような形にして乾杯に備える。


「おーい、みんなも準備いいかあー」


 別のテーブルに座っていた怪物たちも、急に呼びかけられて、驚いた表情でウルル達の方のテーブルを見た。


 煙草を吸っていたユーシーはワイングラスへと、棒付き飴を舐めていたクレセンチは紅茶の入ったティーカップへと、慌てて持ち替えた。

 対して、もともとワインを味わっていたレンは、ゆったりとした動きで自分のグラスに新しい分を注ぐ。


 飲食を必要としないライオットも、ギギからワインを少し気恥ずかしそうに受け取った。

 ゴブリンの三兄弟も、ライオットの近くにあるテーブルによじ登り、自分たちにとっては大きなワイングラスを、それぞれ抱えた。

 それを見たウルルが、満足そうに笑いながら飲みかけのラム酒の瓶を高々と掲げた。


「かんぱーーーい!」

「乾杯!」


 勢い余ってグラスからワインを零してしまったもの、一生懸命グラスを持ち上げるもの、グラスを持ち上げるふりをするもの。満面の笑みのもの、妖艶に微笑むもの、いつもと変わらぬ無表情のもの。

 個性豊かな皆の声が1つに重なり、天井のシャンデリアが小さく揺れた。







 こうして、人知れず、怪物たちのホテルの夜は賑やかに更けていった。















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