大森林のエルフ編 第13話

 早朝の森の中、道無き道を男は一人、歩いていた。

 己に下された逆らうことの出来ない命令を、正しく果たすために。

 人らしい感情をすべてそぎ落とされたその男は、なにを思うこともなく、かつて恋した女の住処へ、黙々と歩を進める。


 歩き慣れた道だ。


 何度と無く、彼はその家へ通い、少し離れた木立からただその人を見つめて過ごした。

 他者との接触を拒絶するような冷たい横顔もまた美しいと、そう思ったことを思い出す。

 傷ついてもなお、彼女の美しさは何一つ損なわれる事はなかったと、感動にも似た思いを抱いた日々を、彼は無感動に思い出しながら、森の切れ間から覗く彼女の家を見つめた。


 今、その家には彼女ともう一人、巫女に連れて帰れと命じられた少年がいるはず。

 幼いとは言え、男は男。

 彼女が自分以外の男を家に招き、一夜を過ごした。

 相手は幼く、きっとなにもなかったに違いない。だが、その事実を思うと、何故か凍りきったはずの胸の奥でなにかがぞわりと動くような気がした。


◆◇◆


 外で小鳥の鳴き声が聞こえる。

 きっと今日はいい天気なのだろう。

 そんなことを思いながら、シェズは己の意識が眠りの淵から浮上するのを感じた。

 それと同時に、腕の中になにか暖かいものを抱きしめている心地よさに気がついて、寝ぼけた頭で首を傾げる。

 はて、自分のベッドにこんなもの、あっただろうか、と。

 それがなにか、確かめるように腕に力を込めれば、



 「んっ……」



 少し苦しそうな、けれども甘さを含んだ、そんな声が間近から聞こえて。

 シェズはまどろみながら、その眉間にしわを寄せて首を捻った。

 正直言えば、まだ眠い。が、腕の中にあるのがなんなのか、どうしても気になったシェズは、中々去らない眠気と戦いながらゆっくりと瞼を持ち上げた。


 最初に目に飛び込んできたのは、金色のなにか。

 手を持ち上げてぽふぽふと触ってみれば、思いの外そのさわり心地は良くて、シェズの口元にうっすら笑みが浮かぶ。


 極上の手触りを堪能しながら、ほんの少し視線を下へ移せば、そこにあったのは、おもしろそうにこちらを見つめる色違いの瞳。

 その瞳は、シェズの片方だけの目が自分を認めたのを確かめるようにじぃっと見つめ、それから柔らかく細められ。



 「おはよう、シェズ」



 ほんの少し笑い混じりの声が、シェズの耳朶を打った。

 その声が耳から入り、脳へ到達し。

 そうしてやっと、シェズは己の状況を理解した。

 腕の中にいる存在が誰で、昨日なにがあって、どうしてこうなったか、ということを全て思い出し、シェズの顔に一瞬で血が上る。



 「シェズ、顔が真っ赤だよ?」



 そんなシェズを間近から見つめ、雷砂が可笑しそうに笑った。

 その笑い声の心地よさにシェズは思わず聞き入り、だがすぐに困ったような顔で雷砂を見つめた。

 一体全体、なにがどうしてこんな状況になってしまったんだ、と困惑しきって。



 「ごめん。実のところ、オレにもよく分からないんだ。どうしてこうなってるのか。目が覚めたらこの状態だったし」



 シェズの表情を正確に読んで、雷砂は言葉を紡ぐ。

 それを受けて、シェズもわたわたと言葉を返した。



 「そ、そうか。だが、この状態から考えると、私が君を抱き込んでしまったようだ。すまない。苦しく、無かったか?」


 「大丈夫。むしろ柔らかくて暖かくて気持ちがいいよ?」


 「そ、そうか……。その、ずいぶん前から起きてたのか?」


 「ん? そんなに前じゃないよ? シェズが目を開けるちょっと前くらい、かな」


 「お、起こしてくれて良かったんだぞ? 窮屈だったろうに」


 「大丈夫だって。心配性だなぁ、シェズは。なんだか、すごく気持ちよさそうに寝てたから、起こす気になれなかったんだよ。それに、シェズの寝顔を見てたから、別に退屈しなかったし」


 「ね、寝顔!?」


 「うん。大丈夫、すごく可愛い寝顔だったよ?」



 言われた瞬間、ベッドの角に頭をぶつけて死にたくなった。

 まあ、それくらい恥ずかしかったと言うことだ。


 なにが恥ずかしいって、自分よりずっと年若く小さくて可愛らしい生き物から、可愛いと誉められる事ほど恥ずかしい事など、そうそう無いに違いない。

 顔から火を吹くというのは、まさにこう言うことを言うのだろう。


 さっきよりも更に顔を赤くしたシェズは思う。

 一刻も早く、ベッドから飛び起きてしまいたい、と。

 だが、そんなシェズの気持ちも知らず、雷砂は無防備にシェズにすり寄ると、



 「人の体温ってやっぱり気持ちいいね。いつまでも、寝てられそう」



 そう言って、幸せそうにその口元を微笑ませた。

 シェズはちょっと困ったような顔をしたものの、そんな雷砂を無理矢理引き離す事も出来ず。

 こうなってしまったら仕方ないな、と雷砂の背中に手を回して柔らかく抱きしめる。

 そうしてしまえば、腕の中に感じる自分と違う体温は思いの外心地よく、気がつけばシェズの口元にもふんわりと笑みが浮かんでいた。


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