大森林のエルフ編 第3話

 腕の中で、何か暖かいものが動いてる。

 誰かに抱きしめられて眠ったことはあっても、誰かを抱きしめて眠った経験のないシェズェーリアは、その不思議な感覚に目を覚まし、自分の腕の中をのぞき込んだ。

 まず最初に見えたのは黄金の髪。その小さな頭はもぞもぞと動いて、ぎゅうっとシェズの身体に抱きつくと、その胸の間に顔を埋めた。

 その子供らしい仕草に、シェズが微笑みそっと抱き返すと、腕の中の存在は満足そうな吐息をもらし、そのまますりっと彼女の胸に頬をすり寄せ、



 「……セイラ」



 甘えるような声音で、誰かの名前を呼んだ。

 耳に届いた女性の名前に、シェズはほんのりと首を傾げる。その名前が、腕の中の子供の母親のものかそうじゃないのか、はかりかねて。

 常識的に考えて、この年頃の子供が甘える相手といったら母親、あるいは母親のような存在か、年上でかつ身内の女性である可能性が高いとは思う。

 だが、そうじゃない可能性も、ないとは言えない。

 親しい友人とか、恋人だとか。

 まあ、年齢から考えると、恋人という可能性は極めて低いような気もするが。


 まだ覚醒しきってないぼんやりとした思考のまま、つらつらとそんなことを考え、シェズは無意識のまま柔らかな金色の髪を優しく撫でる。

 眠りに落ちる前はまだ濡れていた髪が、今はさらりと乾いていることに安心しながら、指の間をくぐる柔らかな髪の感触が気持ちよくて、何度も何度も飽きずに指先で丁寧に髪をすいていると、それがくすぐったかったのだろう。

 腕の中から小さな笑い声が聞こえて、更にぎゅうっと抱きしめられた。

 子供の割に力が強いものだと感心しつつ、シェズもまたそっと抱き返して、安心させるようにその背中をぽんぽんと叩いてやる。



 「大丈夫だぞ?ここにいるから」



 驚かせないように、小さく優しく、そんな風に声をかける。

 その声を聞いた腕の中の存在が、ほんのりと首を傾げた。そして不思議そうに呟く。



 「ん……あれ?シンファ??」



 さっきとはまた違う名前を。

 今度は誰の名前だろうな、とシェズは思わず口元に笑みを浮かべ、腕の中の子供の顔をのぞき込む。

 目を閉じたままのその顔は、改めて見てみても驚くほど美しく整っていて、彼女は違うとわかっていても確かめずにはいられずに、手を伸ばして少女の耳に触れていた。

 もしや、自分が里を離れてから生まれた、一族の子供ではないだろうか、と。

 だが、触ってみてもその耳の先はやはり丸く、その少女がエルフの身内ではないことを明確に伝えてくる。



 (ちがう、か。しかし、美しいな。これほどまでに美しいものは、我が一族の里でも見たことがないほどに)



 そこまで考えて、彼女はある面影を思い出して目を細めた。

 かつての幼なじみ。彼女が愛し、庇護し、守らねばならぬと思っていた、美しき年下の巫女の事を。

 彼女もまた、類稀な美しい人であった。

 その彼女がもし、当時彼女が焦がれていた相手と結ばれたのなら、この腕の中の子供のような美しい後継を得ていてもおかしくはない。彼女が恋うた相手もまた、一族の中でずば抜けた美しさをもつ男であったから。

 だから、シェズは思ったのだ。もしかして、と。


 だが、どうやらちがったらしいな、と苦笑を漏らした彼女の腕の中で、小さな身体が身じろぎをする。

 考え事をしながら、シェズは無意識のまま、少女の耳を指先でもてあそび続けていたらしい。

 んっ……と、甘い吐息をもらし、くすぐったそうに身もだえた少女は、



 「……セイラ?」



 再び、最初に呼んだ人の名前を口にした。

 そして、その口元に優しい優しい笑みが浮かぶ。

 すまない、くすぐったかったか?と謝罪を口にしようとしたが、その言葉が唇から外にでることはなかった。

 それはなぜか。

 その言葉を発するより早く、少女の腕がのびて彼女の首を力強く引き寄せ、そして。

 彼女の唇を優しく、だが強引にふさいでしまったからだ。少女自身の、柔らかな唇で。


 かつて。

 罠にはめられ、奴隷に落とされていた短くはない時間の中で、彼女は汚し尽くされ、傷つけられ、踏みにじられた。

 仲間に助けられた後も、体中に刻まれたその記憶が消えてなくなる事はなく、他者との触れあいを恐れるようになった己を守るために、生まれ育った里を捨てた。

 そして、森で行きあう者と時折言葉を交わす程度のつき合いをするだけの、孤独で心穏やかな日々を長く長く過ごしてきた。


 そんな彼女の心の鎧の表面に、小さな少女が柔らかく、優しく触れた。

 驚きと動揺に、さざ波のように心が震え、だが、不思議と拒絶する気持ちが湧いてこないことに、シェズは思わず目を見開いた。

 相手が子供だからか?ーそれも理由の一つかもしれない。

 だが、一番の理由はきっと別にある。


 その口づけは、優しかった。この上もなく、彼女が今までに受けた、どんな口づけよりも遥かに。

 小さな少女が与えてくれたその触れ合いは、優しく、甘く、そして愛に溢れていた。彼女の想うその対象が、シェズではなかったとしても。


 小さな舌先に唇をくすぐられ、思わず唇を緩めていた。己の鎧の内側へ、少女を招き入れるように。

 自分がそうして他者を簡単に受け入れた事に対する驚きと、久しくなかった誰かとの触れあいへの喜びに、シェズはその身を震わせる。

 そして気づいた。

 心の奥底で本当は、誰かとこうして温もりを分かち合いたいと思っていたのだという事に。

 本当はずっと、寂しかったのだという、その事実に。

 こうして無理矢理にでも気づかせて貰わなかったら、きっとずっと気づかぬまま、長い時を生き続けた事だろう。

 だが、気づいてしまった以上、もう無視することは出来そうになかった。


 夢中で口づけを交わしながら、シェズは腕の中の少女を抱きしめる。

 他者の温もりを感じる心地よさと、それに気づかせてくれた相手への愛情にも似た愛着を、しっかりとかみしめながら。

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