小さな娼婦編 第51話

 ノックをして返事を待つと、中から何とも言えないうなり声が聞こえた。

 そんなミカには結構慣れっこな雷砂は、



 (昨日も飲み過ぎたんだな)



 と小さく苦笑し、鍵のかかってない扉を開けて中に入り込む。

 鍵がかかっていないことに助けられたものの、部屋の鍵はちゃんとかけるように注意しようと思いつつ。

 いくらミカの腕っ節が立つとは言え、彼女は女なのだ。何かがあってからでは遅い。


 ミカに何かがあったらきっと辛い。そう思うくらいには、彼女を好きだと思っている自分がいる。

 まあ、彼女の兄であるガッシュに対しても同じくらいの好意を抱いてはいるが。


 だが、ガッシュと違い、ミカは一応女の子だ。

 女の子という柄じゃないと言われそうだが、女の子は女の子と言うだけで男よりも気をつけなければいけないことがたくさんあると、雷砂は思う。

 自分の事はすっかり棚に上げて。



 「み、水……」



 ベッドの中から水を求めるうめき声。

 雷砂は軽く部屋の中を見回して、テーブルの上に水差しを見つけて歩み寄ると、近くにあったグラスに水を注いだ。

 それを持ったままベッドの端に腰掛けて、布団にくるまったままのミカへそっと声をかける。

 少しだけ見える深紅の髪に指を滑らせながら。



 「ミカ?大丈夫?ほら、水だよ」


 「うえっ!?雷砂!!」



 雷砂の声に反応して、ミカが変な声を上げて飛び起きた。



 「雷砂、戻ってたのか!?心配したんだからな~~!!」



 いいながら、昨日からずっと心配で心配でたまらなかった雷砂の顔をのぞき込む。

 そして、きゅううっと首を傾げた。

 真正面にあるミカが大好きな雷砂の顔が、なぜか水浸しだったのだ。



 「ん?なんでそんな、びしょ濡れなんだ??」



 なんでと言われても、ミカのためにくんだ水の入ったグラスが、彼女がいきなり元気良く起きあがったせいで吹っ飛ばされ派手にこぼれた結果がコレなのだが、まだ酔いが抜けきっていない彼女はその事に気付いていない。

 まるで邪気のない問いに苦笑を浮かべ、せめて顔の水気だけでも拭いたいと上げた手を、ミカの手が掴んだ。

 ん?と思ってミカを見上げれば、彼女はかすかに上気した頬でにまっと笑った。

 まずいかも、と思った瞬間にはもう遅かった。



 「ま、ちょうどいいや。のど乾いてたんだよな、オレ」



 なにがちょうどいいんだよ、とつっこむ間もなく、大きな舌に頬を舐めあげられた。



 「ちょっと、ミカ。のど乾いてるなら、もう一度水を持ってきてあげるってば!」


 「ん~こっちのがいい。甘くて旨い。そんでもって雷砂が可愛い」


 「んんっ。さ、最後のは水と関係ないだろ!?ミカは、獣人じゃなくて人間なんだから、水はコップで飲みなよ」


 「いーじゃんか。別に。減るもんじゃねぇし。ってか、獣人は舐めっことかすんの?」


 「まあ、種族の特性というか、スキンシップ的には……」


 「なら、いーだろ」



 言いながら、ミカの口が徐々に首元に降りてくる。



 「ん……だめだってば。こらぁ」



 首はまずかった。結構弱い場所なのだ。

 背中がぞくぞくして、なんというか、とにかくやばい。

 このままじゃダメだと、ミカを押しのける決意をするが、その前にミカが自分から動きを止めた。

 彼女は雷砂の両手を掴み、その首筋に目線を落としたまま、なんだか今にも泣き出しそうな顔をしていた。



 「ミカ?」



 なんでそんな顔をしているのかと、問うように彼女の名を呼ぶと、ミカはのろのろと雷砂の顔を見て、



 「それ、キスマーク、だよな?」



 そう、問いかけた。

 その問いに、昨夜セイラの唇で色々な場所に痕跡を残された事を思い出す。

 思い出すのも恥ずかしい、自分の乱れっぷりも。

 意識せぬまま顔を紅く染め、だが隠す言い訳も出てこず、



 「まあ、そうかも」



 微妙に曖昧な答えを返した。恥ずかしそうに上目遣いでミカを見上げて。

 それがどれだけ、相手を煽るかも分からずに。



 「無理矢理、か?」



 一縷の望みをかけるように、小さく小さく問う声。



 「ちゃんと、合意の上だよ。一応」



 だが、そんな彼女の望みを絶ちきるように、さらりと返される答え。



 「恋人が、いたんだな」


 「うん。いるよ。ミカやガッシュにも、今度紹介するな」



 ミカの唇から沈んだ声がぽつりとこぼれ、それに気付かない無邪気な声が追い打ちをかける。



 「男?」


 「ん?」


 「雷砂の、恋人はさ。男なの?」



 思わずそんな問いが、口をついて出ていた。

 いくら少年の様に見えても雷砂は女の子だから、相手はきっと男だろうと半ば確信しつつも。



 「違うよ。女の人」



 だが、違った。雷砂の口から出たのは否定の言葉。

 その言葉を聞いた瞬間、雷砂の相手が女だと理解した瞬間、ほんの少しほっとした。

 雷砂の恋人が、自分と同じ性別なのだとしたら、自分にも少しは可能性が残っているのかもしれない、と。なぜか何の根拠もなく、そう、思った。


 昨晩、一緒に酒を飲んでいた女友達の声が耳の奥によみがえる。そんなに好きなら告白すればいい、と。

 ミカはじぃっと雷砂を見つめた。


 小さな顔の上に、綺麗なパーツがそれこそ神の采配であるかのように完璧に配置されて。

 だが、ミカが好きなのは雷砂の顔だけじゃない。

 その中身こそ好きだった。

 子供なのに子供らしくなく、真っ直ぐで、賢くて、優しくて、強い。

 女らしくしろと頭ごなしに言ったりせずに、そのままのミカをちゃんと見てくれる。

 そんな雷砂が、ミカは大好きだった。


 2年前、ほんの少しの時間を共に過ごした時からずっと、ずっと焦がれていた。

 もう会うこともないと思っていたから諦められた。

 でも再び出会ってしまった。想いは自分の想像以上に燃え上がり、もう止められそうもない。



 「好き」



 想いがこぼれた。

 雷砂が目を見開き、驚いたようにミカを見つめている。

 その事が妙に恥ずかしくて顔が熱かった。

 その事を自覚しつつ、ミカは目を逸らさずに雷砂を見る。



 「好きなんだ」



 もう一度、繰り返す。ぽろりと、涙がこぼれた。

 雷砂は少し、困ったような顔をしていた。それは困るだろう。

 だって恋人がいるのだ。恋人以外の人に愛を告白されても素直に喜べる訳もない。



 「好きなんだよぅ、雷砂」



 それでも告げる。

 自分でも情けないと思う、涙声で。

 涙で雷砂に姿がゆがむから、それが嫌で両手を使って涙を拭う。

 でも、涙が止まらなくて雷砂は見えにくいままだ。

 うーっと唸って、さらに乱暴に目元をこすっていると、



 「しょうがないなぁ、ミカは。顔がぐしょぐしょだよ?乱暴にこすったらだめだって」



 苦笑混じりのそんな言葉と共に、柔らかく湿った何かが優しく彼女の頬に触れた。

 そしてそのまま、丁寧に丁寧にミカの涙を拭っていく。

 雷砂の顔が、なんだかとても近くにあった。


 自分の顔に触れているものが何なのか、それに気付いたミカはガチリと固まって動きを止める。


 雷砂は一生懸命に、ミカの顔を舐めていた。

 さっきミカが、欲望まみれの気持ちでしたのとは違って、とても優しく、穏やかな愛情を込めて。

 泣いているミカをそっと慰め包み込むように。



 (好きな奴に舐められるのって、すっげぇ気持ちいいもんなんだな)



 その気持ちよさは穏やかで。ミカの心のさざ波を少しずつ落ち着かせてくれた。

 涙は次第に止まってきて。

 ミカは赤くなってしまった目元をさらに赤らめて、恥ずかしそうに雷砂を見た。

 雷砂は目を細め、ミカの頭を撫でながら、



 「しょうがないなぁ、ミカは」



 雷砂はもう一度、そう繰り返した。

 困ったように、でもとても優しく笑いながら。



 「だって、好きなんだ。ずっとずっと、好きだった」


 「オレ、そんなにミカに好かれるような事、したかなぁ?」



 心底不思議そうに、首を傾げる雷砂。

 その仕草が可愛いと思い、そんな可愛いところも好きだと思う。



 「した。雷砂がオレをメロメロにしたんだ。責任とれ」



 唇を尖らせ、わざと子供のように、甘えるように言葉を紡ぐ。

 雷砂は両手でわしゃわしゃ~っとミカの髪をかき回し、それからはーっと息をついた。

 そんな想い人の様子に、少しだけ不安になる。自分に可能性は無いのではないか、と。



 「オレの気持ちは迷惑?雷砂は、オレのこと、嫌い、か?」



 恐る恐る、尋ねる。

 そんなミカの頬を両手でぺちんと挟んで、雷砂は頬を膨らませた。



 「迷惑じゃないから、ミカのこと、嫌いじゃないから、困ってるんだよ」


 「じゃあ、好き?」



 問いかけたその声は、自分でも正直恥ずかしくなるくらい甘ったるくて。思わず赤面しつつも、それでも瞳は雷砂から外さない。

 今が正念場だと、恋愛経験はさほど多くないが、冒険者としての戦いの場数は踏んでいるミカの勘がそう告げていた。

 引くつもりのないミカに、雷砂は諦めたような吐息をひとつ。

 それから改めてその瞳に真剣な光を宿した。



 「……うん。好きだよ。ミカに好きだって言われて、嬉しいって思うくらいには」


 「じゃあ、じゃあさ。オレをお前の女にしてくれよ」


 「いまのままじゃ、ダメなの?友達のままじゃ」


 「友達じゃイヤだ。オレはもっと雷砂にベタベタしたいし、雷砂からもベタベタされたい」


 「それくらい、友達でもできるだろ?」


 「違うよ」



 手を伸ばして、雷砂の唇を指先でなぞる。狂おしいくらいの羨望を込めて。



 「雷砂の服を剥いて思う存分触れ合いたいんだ。キスだってしたい。ぐっちょぐちょの、べったべたのやつ。それはもう、友達の領分じゃないだろ?」



 にやりと笑ってみせれば、雷砂はほんのりと頬を染め、



 「……大人って、みんなエッチなものなの?」



 そういって、唇を尖らせた。

 そんな仕草がキスをせがむようで、ガリガリと理性を削られるが、我慢する。

 自分が雷砂に向ける想いは肉欲だけではないのだ。

 もちろん肉欲だって十二分にあるが、それ以上に目の前の存在が愛おしい。

 もし結ばれるのであれば、それはお互いで求め合ってのものにしたい。



 「エッチかぁ?普通だろ?好きな奴と、体を重ねあわせたいって思うのはさ。雷砂はイヤなのか?その、恋人とは、そう言うことヤってんだろ?」


 「い、やじゃない、けど」


 「だろ?好きな奴とそうするのは、きっとすっげぇ気持ちがいい」



 ニッと笑って、雷砂のほっぺたをふにふにと摘む。

 愛おしくて、愛おしくて、気が変になりそうだ。

 抱きしめて、囲い込んで、自分だけのものにしたいとも思う。


 だが、きっとそれではダメなのだ。


 ミカは雷砂を困らせたいわけでも、悲しい顔をさせたいわけでもない。

 ただ、笑う雷砂の隣に居たいだけ。友達とは違う、特別な距離感で。



 「一番にしてくれとか、そんな無茶な事は言わない。二番でも、三番でもいいんだ。なんだったら、四番でも五番でも良い。少しでも可能性があるなら、オレをお前の女にして欲しい」



 真剣な眼差しで願う。

 幸い、この国は一夫多妻に寛容だ。

 雷砂が女だから、一夫多妻というのは正確ではないが、一人の人間が多数の恋人を持ったとしても、それほど責められる事もない。



 「四番でも五番でもって……それほどモテるつもりもないし、それほど節操がないつもりもないんだけどなぁ」



 ミカの言葉に、自分の事をまるで分かっていない発言を、雷砂が苦笑混じりにこぼした。

 節操がないとは言わないが、きっと雷砂は死ぬほどモテる。

 少なくともその事に覚悟がなければ、雷砂の女になどなれないくらいにはモテるに違いない。



 「それでもダメならキッパリ振ってくれ。そうしたら、死ぬ気で諦めて、もう二度と会わないようにするから」



 覚悟を決めて、雷砂に迫った。

 雷砂の女になれるなら、雷砂を独り占め出来ないことは何とか我慢してみせる。

 だが、もしダメなら、雷砂の側には居られない。雷砂が視界に映ってしまえば、諦めることなどきっと出来はしないのだから。



 「もう、二度とミカと会えないのはイヤだなぁ」


 「じゃあ、オレをお前のモノにしてくれるか?」


 「でも、セイラを悲しませるのも、イヤなんだ」



 どちらも選びきれないと、雷砂が顔を歪ませる。

 まるで泣き出してしまいそうに見えて、ミカは焦った。



 「セイラって、名前なんだな。恋人、だろ?雷砂の」


 「うん。大事なんだ。悲しませたくない」



 言いながら、雷砂はミカの服の袖を掴む。

 恋人が大事なのに、ミカも手放したくないと。そんな無自覚なわがままを言うように。



 「そうか。なら、オレも大事にする。お前の恋人を。セイラって人を」


 「でも、ミカはオレの恋人になりたいんでしょう?」


 「ああ。そうだ。オレはお前の恋人になりたい。でも、だからって、そのセイラって人を押し退けようって訳でもない。一番じゃなくてもいいって、言ったろ?」


 「うん……」


 「雷砂が大事にしているなら、オレにとっても大事って事だ。なあ雷砂。大切な事だからもう一回聞くぞ?オレのこと、好きか?」


 「好き、だよ」


 「ちょっとは、恋人にしてもいいかもって思うくらいに?」



 困ったように、ミカを見上げる。

 だが、その手は彼女の服を掴んだままで。その行為が、ミカの問いに対する答えだった。



 「よし、分かった。一度、お前の恋人と話してみる」


 「え?」


 「彼女が悲しまないように、きっちり話をする。彼女が嫌がるなら諦める。もしOKがでたら、その時は……」



 そこで言葉を切って、真摯な眼差しで雷砂の瞳をのぞき込む。

 この世の何よりも綺麗だと断言できる色違いの宝石の奥に隠れた、雷砂の心までも見つめるように。



 「その時は、オレを近くに置いてくれ。お前がオレを、恋人にしても良いと思う、その時まで」



 妙に晴れやかな気持ちでその言葉をつげる。

 幸い、昨日の酒もだいぶ抜けてきた。

 好きな奴の正妻に愛人宣言するにはちょうどいいと、何とも複雑な顔をしている雷砂の顔を見ながらミカは微笑み、その体をぎゅーっと抱きしめた。 


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