小さな娼婦編 第7話
薬屋の主人に教えられた森で集められるだけの薬草を集めて、夕焼けに染まる道を足早に、
まだ必要な材料が揃ってないから、調合するのは明日以降になるだろうが、今日のうちに出来る処理は終わらせておくつもりだった。
昨日アレサと共にたどった道を今日は1人でたどり、アレサとその母親のささやかな家屋が見えてきたとき、その違和感に気がついた。
乱暴に開け放たれた扉に嫌な予感がよぎり、雷砂は足を早めて家の中へ駆け込む。
そこには床に倒れ伏したまま意識を無くしているアレサの母親がいた。
慌てて抱き起こすと、彼女の頬は誰かに殴られた様に腫れており、気を失う直前まで泣いていたのか、目元が涙で濡れていた。
彼女の呼吸が荒く浅い事に気づいた雷砂は、その額にそっと手の平を押し当てる。
そこは燃えるように熱くなっていて、雷砂は急ぎ彼女の体を抱き上げると、昨夜と同じように彼女のベッドに優しく運び込んだ。
とりあえず彼女の額に水で絞った布を乗せ、今日集めてきた薬草の中から解熱作用のあるものを選び出す。
それを手早く処理しながら、雷砂は昨夜と打って変わって荒れ果てた印象の家の中を観察した。
すんっと鼻を鳴らし、臭いをかいでみれば、アレサと母親の他に見知らぬ臭いが数人分。
その臭いは恐らく男のものだと断じて、雷砂はしばし黙考する。
どうも、きな臭い感じがした。
だが、どうにも事情が分からない。
その事情を説明して貰うために、まずはアレサの母親に意識を取り戻してもらう必要があった。
雷砂は一つうなずき、思考を切り替える。そして手早く丁寧に、解熱の為の薬の調合を行うのだった。
小さな体が、風を切って移動していた。
金色の髪が風になびき、闇夜を明るく彩る。
今夜は月も出ておらず、町の中を歩く人も少ない。
ましてや、今雷砂が向かっている先は町外れの、お世辞にも治安が良いとは言えない地域だった。
雷砂が進むにつれて人通りは少なくなり、ついには途絶える。
人通りが途絶えてしばらく進み、あばら屋の様な家々が更にまばらになった頃、雷砂はやっと目的の場所にたどり着いていた。
その家もあばら屋と言っていい様子だったが、周囲の家よりも少ししっかり補強されていた。
窓から漏れる明かりを確認しながら、雷砂は無造作な足取りで家に近づく。
ドアの前に立ち、耳を澄ませると酒を飲んで騒ぐ男達の声がはっきりと聞こえた。
ドアの隙間から漏れる臭いが、アレサの家で嗅いだものと同じ事を確認し、雷砂は獰猛に笑う。獲物を見つけた獣のように。
だが、その笑顔に反して、雷砂はゆっくりとドアをノックした。問答無用でドアを蹴破る事をせずに。
バタバタと、家の中で人の動く気配がする。そして、ドアの向こうから誰何する声。
「こんな時間に何の用だ!?」
「アレサを迎えに来た」
「アレサ?ああ、あのメスガキか」
そんな声の後、ドアが開く。
ドアを開けた男は、雷砂を見て一瞬動きを止めた。
そしてそのままマジマジと雷砂の人間離れした美貌を見つめ、慌てたようにその腕を掴んで家の中へ引き込んだ。
こんな上玉を逃がすわけにはいかないとばかりに。
「兄貴!やべぇ。男か女かわかんねぇけど、ものすげぇ上玉だぜ!?」
大声で奥に向かって話しかけながら、男は雷砂の腕をぐいぐいと引きながら、引きずるようにして歩いていく。
雷砂はあえて無抵抗のまま、その後に続いた。
「アレサはどこ?」
一言だけ、質問をする。
男は雷砂を一瞥し、
「良いからついて来いよ。すぐに教えてやるからよ」
そう言って、雷砂を広間の様な場所に連れ込んだ。
そこでは数人の男が酒盛りをしていて、男と雷砂が入っていくと一斉に視線が飛んできた。
「上玉ってのは、そいつか?」
一番奥まったところで酒を飲んでいた男が声をかけてくる。
恐らく、その男がこの集団のリーダーなのだろう。
雷砂の目がギラリと光り、だがそれを隠すように慌てて顔を伏せた。
その様子が怯えているように見えたらしい。
酔っぱらい達は面白そうに声を上げて笑った。
「なんだよ、ただの臆病そうなガキじゃねぇか」
リーダーのそんな言葉に、雷砂の腕を掴んだ男が不満そうな声を上げる。
「待ってくれよ、兄貴。文句はこいつの顔を見てからいってくれ。ほら、顔を上げて兄貴に顔を見せるんだ」
ぐいっと腕を引かれ、わざと足下をふらつかせた雷砂は、あえて気弱そうな表情を作っておずおずと顔を上げた。
その顔を見て、男達は息を飲む。
彼らが今までに見たどんな美しい顔よりも美しい、そんな美貌がそこにはあった。
まだ幼くはあるが、その幼さすらも、その美貌を引き立てるスパイスでしかない。
雷砂はわざと瞳を潤ませて、リーダー格の男を見上げた。
その瞳に引き込まれるように、男は腰を上げて雷砂に近付いてくる。
そして昼間アレサにしたように、雷砂の頬を片手でぐいと掴んだ。
「おいおい、なんだってこんな上玉がこんな場所に飛び込んできやがったんだ?」
「アレサを迎えに来たんだ」
「あ?アレサ?」
「あ、兄貴。多分、昼間捕まえたメスガキのことじゃねぇかと」
「あ~、あのお嬢ちゃんの事か」
子分の言葉に、やっと合点がいったとリーダーが頷く。
それからニヤニヤ笑いながら、雷砂の瞳をのぞき込んだ。
「左右の目の色が違うんだな。こりゃあ、高く売れるぞ」
「オレはお前等を稼がせてやるためにここに来たんじゃない。アレサはどこだ」
「おー、おー、威勢がいいねぇ。昼間のガキも中々のもんだったが、お前には負けるな。オレってこたぁ、女じゃねぇのか」
「アレサはどこだ?」
「ま、お前ほどの素材なら、男でも高値で売れるな。むしろ男の方が、女にも男にも需要があっていいのかもしれねぇ。俺にゃあわからねぇが、こういう綺麗なガキのをしゃぶるのが好きな変態もいるっていうからよ」
「もう一度だけ聞く。アレサはどこだ?」
雷砂は底光りする眼差しで、男を睨みあげた。
その瞬間、男の背中をぞくりとした寒気が這う。
しかし、まさかこんなガキ相手に何かの間違いだと自分の中の怯えを押さえつけ、
「さぁなぁ。おい、おめぇら。このガキを逃がさねぇように縛っとけ。今日は遅ぇから明日売りに行くぞ。くれぐれも顔に傷つけんなよ。値打ちが下がるからな」
「お前が素直に答える気がないのはよーく分かった」
静かな怒気がこもる声が響いた直後、男の視界がぐるりと回った。
気がついたときには床に背中から叩きつけられていて、あまりの衝撃に息が詰まった。
せき込みながら目を開ければ、目の前には自分に馬乗りになった世にも美しい鬼神の姿。
その小さな鬼神はぎらぎらした瞳で男を睨みつけ、子供のものとは思えぬ力でその襟元を締め上げた。
「さあ、もう一度聞くぞ。アレサをどこへやった?」
「ぐっ……てめぇ」
「答える気がないのなら、お前を殺して部下に聞いてもいいんだけどな」
雷砂はにっこり微笑み、男の襟元を絞める手にじわじわと力を込めていく。
その無邪気な笑顔が、逆に男の恐怖心を煽った。
チンピラのリーダーをやっていても、しょせんは三下である。
「わか……は、はな、す」
早くも降参したリーダーを呆れたように見下ろしながら、雷砂は少しだけ襟元を緩めた。
男は荒い息をつきながら、憎々しげに雷砂を睨んだ。
「くそっ、なんてガキだ。化け物か!?」
「で、アレサは?」
「……もう、ここにはいねぇよ」
「じゃあ、どこへやった?」
「娼館へ、売り飛ばした」
ふてくされたようなその返事に、雷砂は大きくため息をついた。
この建物の中にアレサがいないのは、中に連れ込まれた瞬間には気がついていた。
血の臭いもしなかったから殺されたり傷つけられたりはしていないとは思っていたが、実際にアレサが生きていることが分かってほっとした。
「なるほど、な。まあ、売っちゃったものは仕方ない。取り敢えず娼館の情報と、売った代金を寄越せ」
「は?なんで!?」
「アレサを買い戻す為にきまってるだろ?」
雷砂の言葉に、男がぽかんと口を開ける。
「はあ?あそこの死んだ親父が作った借金のかたに売り飛ばしたんだぜ!?売った金は俺達のもんだろう!?」
男の言葉に雷砂はにっこりいい笑顔を浮かべた。
その瞳には、男が震え上がるような凄みを残したまま。
「ああ、話は聞いてる。でも、借金なんて嘘だろう?アレサの父親の書いた手紙は借りてきたから見比べてみよう。その借金の証書とやらを見せてよ」
「わ、わかったよ。でもな、あの証書は確かな筋から手に入れたんだ。偽物のはずはねぇ!!おい、誰か、取ってこい」
「アレサの父親はおまえ達から直接借りた訳じゃないんだな。借金の証書の信憑性が更に減ったな」
ばたばたと出て行った男達の1人が、紙切れを手に慌てて戻ってくる。
雷砂はそれを受け取り、懐から別の紙を取り出して見比べた。
そしてすぐにニヤリと笑う。
そしてその笑いを引き出した証拠を、組み敷いたままの男へ示した。
「見てみろ。この文字とこの文字の書き方の癖が違う。よく似せて書いてるけど、これはやっぱり偽物だ。というわけで、アレサの父親の借金っていう事実はないんだから、娼館の情報とあり金全部、さっさと吐き出してもらおうか」
男の襟首を掴みあげ、顔を近づけると再び獰猛な笑みを見せた。
「なっ、なんでさっきより金額があがってんだよ!?さっきは娘っ子を売った金だけしかいってなかったじゃねぇか。あり金全部って、お前……」
「決まってるだろ?アレサ達への迷惑料だ。身ぐるみ全部剥がされないだけありがたく思うんだな。ま、身ぐるみを剥いで売ったところで対して高くも売れそうにないしな」
どうしてもって言うなら剥ぐけど、どうする?ーと可愛らしく小首を傾げて聞き返してくる相手に、男は降参の意を込めてがっくりと肩を落とす。
大の大人でそれなりに力自慢の自分がどれだけ力を込めてもピクリとも動かないのがまず不気味だったし、目の前の可愛らしい猛獣に逆らうのは得策では無いことが分かるくらいには、防衛本能も残っていたから。
その後、男達はなんとも素直に全てを吐き出し、夜の闇の中に溶けるように消えていく雷砂を、全員揃って魂の抜けたような顔で見送った。
「兄貴……」
「……なんだよ」
「いったいなんだったんだろうなぁ、あのガキ」
「知るか。俺に聞くなよ」
リーダー格の男はガシガシと頭をかきながらぼやく。
さっきまでの心地良い酔いはもうすっかり覚めてしまった。
大金が手に入ったと思ったら、あっという間に一文無し。どうにかして金を手に入れないと、子分共々路頭に迷うことになるだろう。
どうすっかなーそんなことを思った瞬間、今回の件の依頼主の顔が頭に浮かんだ。
黒いフードをかぶった怪しげな男だったが、金払いは悪くなかった。
結果としては騙された形になったが、後金さえもらえるのならそこまで文句を付けるつもりは無かった。
まあ、その後金に少々色を付けて貰えるように説得はするつもりではあるが。
(そうだな。明日は坑道に行ってあの不気味な男に後金を貰ってくるか。ひょろひょろした奴だし、年もくってた。少し脅せば、多めに金を吐き出すだろ)
さっき、その依頼人よりも遙かに弱そうな相手に手も足も出なかった事実をすっかり棚に上げて、男は小さくうなずきニヤリと笑う。
金の算段が出来て、気持ちに少し余裕が出てきたようだ。
「おい、おめぇら。明日は鉱山まで足を伸ばすぞ」
「鉱山っすか?」
「おう。依頼人のじーさんにまだ後金を貰ってねぇからなぁ」
もともと依頼人からは、仕事が終わったら鉱山の使われなくなった旧坑道へ来るよう言われていたのだ。
そこで成功報酬を支払うとも。
「あのじーさんから貰った地図はちゃんとあるだろ?」
「へい」
「じゃあ、明日は朝からそこに向かうか。金が手に入ったら、改めて酒盛りを仕切り直そうぜ」
リーダー格の男が機嫌良くそう言い放ち、彼らはそれぞれ家の中に戻っていく。
依頼人から渡された地図。
それが獲物を誘い込む罠だと、まるで気づかないまま、彼らはたった一夜の良い夢を見るのだった。
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