水魔の村編 第30話

 「もうすぐ、村長の狩猟小屋です」



 ジルゼの案内で獣道を進む。

 目的地はもうすぐだと告げる彼の声に、アスランとイーリアがほっと息をついた。

 雷砂らいさはけろりとした顔をしているが、2人には雷砂ほどの体力はなく、山道を歩き続け流石に疲れていたのだろう。


 もちろん大変なのは目的地に着いてからなのは2人とも分かってはいたが、それでも張りつめた空気が少しゆるんでしまうのは仕方がないと言えた。

 だが、そんな空気感も長くは続かなかった。

 木々の合間に小さな小屋らしきものが見え、皆の足に勢いが付き始めたとき、それに反して雷砂の足が止まる。



 「みんな、戻れ」



 次いで響く制止の声。

 先行する3人は一様に怪訝そうな顔を雷砂へ向けた。

 坂道を再び降りるのが嫌なのか、それとも思考が追いつかないのか、足を止めたものの戻る様子のない3人を見やり、雷砂は足早に歩を進め、彼らの前に躍り出る。



 「嫌な感じだ。武器の準備を」



 雷砂の言葉に、背後から息を飲むような気配。

 次いでイーリアが弓の準備をする様子が伝わってきた。

 アスランも、いつでも力を使えるように元の姿に戻った気配が伝わってくる。イルサーダに力の制御を習い、ここまでの間は人の姿で過ごしていたのだ。

 ただ1人、ジルゼだけは武器の持ち合わせもなく、戸惑った様子だった。

 雷砂は腰に差した短剣を鞘ごと抜き取り、ジルゼに手渡す。



 「護身用だ。もっておけ」


 「……いいのかい?」


 「ああ。オレは別の武器がある。……ロウ?」



 声をかければ、待ってましたとばかりに何もないはずの虚空に突如として少女の姿が現れ、雷砂の胸に飛び込んでくる。

 自分より背の高いその少女を危なげなく抱き留め、雷砂は小さく苦笑い。

 人としての有り様を少しは学習したのか、今度はきちんと服を身につけている。

 ロウは雷砂の首にしっかりと腕を巻き付けて、嬉しそうにその顔をなめ回した。

 雷砂は困ったような顔をしたものの、しばらくの間その愛情表現を受け止め、それからそっと少女の身体を引きはがす。

 彼女の顔をのぞき込み、



 「ロウ?剣が必要なんだ。力を貸してくれるか?」



 そう話しかけた。

 少女形態のロウは、不満そうに唇を尖らせたものの、雷砂が頼むよと微笑みかけると、素直にその身を剣に変えた。

 それを見ていたジルゼが心底驚いたように目を見開く。



 「お、女の子が剣に?」



 そんな叫びにも似た声を聞いて、思わず苦笑を浮かべた。

 ちなみにイーリアとアスランは一度ロウが狼になるところを見た事があるせいか、特に驚いた様子はない。

 雷砂は、ジルゼの方をちらりと見て、



 「ロウは……なんていうか、ちょっと特殊なんだ。あんまり気にしないでくれ」



 そんなおおざっぱな説明を投げつけ、再び前を睨むように見つめた。

 何ともいえない異様な空気がその場を少しずつ、包み込むように広がりはじめていた。


 アスランはそれを感じて表情を引き締め、イーリアはアスランを守る様に彼の斜め前にその身を置く。

 それに気づいたアスランは、何とも言い難い表情をしたが、小さく吐息を漏らして言葉を飲み込んだ。

 イーリアはおとなしく人の言葉に従うような少女ではないし、自分を守ろうとする彼女ごと守れば良いだけのことだと思い直して。


 そんな2人の様子を背中越しに感じ、雷砂は口元をかすかにほころばせる。

 一緒に連れてきはしたが、アスランやイーリアを戦いを強いるつもりは無かった。

 ただ、アスランにケジメをつけさせてやりたかったのだ。

 父母を殺した相手の顛末を、アスランは己の目で確かめる権利がある。


 互いを守り合おうとする2人を背後に庇いつつ、雷砂は油断なく剣を構えた。

 木の陰から、1匹また1匹と異形の獣達がわき出してくる。

 霧の魔素に犯され変質させられた獣達。

 魔鬼になれるほどの力もなく、中途半端に変質し、生き物としての理から離れてしまった哀れななり損ない達は、大きなものも小さなものも隔てなく、1つの集団となって少しずつ包囲を縮めてくる。

 数えるのも嫌になるくらいの集団に、アスランもイーリアも顔の色を失わせた。

 一番年長であるジルゼも、青い顔で雷砂に与えられたナイフを抱えて震えている。


 それ程、圧倒的な数量だった。

 突き刺さるような殺気に、雷砂は眉を潜め、哀れな獣のなれの果て共を見つめる。

 これほどまでに歪んでしまった命は、もはや元には戻らない。

 純粋な魔になることも出来ず、かといって元の獣として生きることも叶わない。



 「かわいそうにな」



 ぽつりと雷砂がつぶやく。深い、悲しみを込めて。



 「すぐに、楽にしてやるからな」



 流れるような仕草で、剣を肩に担ぐように振りかぶる。

 彼らは被害者だ。

 この閉じられた空間から逃れることも出来ず、不自然に高められた魔素を防ぐことも出来なかったのだろう。

 元々、獣の魔素に対する耐性は人間より遙かに低いのだ。彼らには、為す術もなかったに違いない。


 彼らのうなり声が徐々に高まり、緊張感もまた、高まっていく。

 1匹のなり損ないが、気が狂うような飢餓感に背を押される様に獲物に向かってかけだした。


 それが合図だった。


 まるで雪崩のように、なり損ない達が一斉に向かってきた。

 その圧倒的な物量に、雷砂の後ろから悲鳴にも似た声が上がる。

 だが、雷砂は落ち着きを崩さない。

 手の中の相棒に、自分の力を流し乗せていく。

 白銀の刀身が淡く輝き、その輝きが少しずつ増すのを感じながら、雷砂は一番効果的な瞬間を待つ。

 ギリギリまで異形共を引きつけ、より多くを一度に切り裂くために。


 先頭を走る異形が、雷砂の目前に迫る。

 その牙が己に届く寸前、雷砂は貯めに貯めた力と共に、鋭く刀を振り抜いた。

 刃は目の前の異形を紙切れのように切り裂き、その刃の軌道を追うように、白い衝撃波が異形の雪崩を蹂躙した。

 吹き出した血が霧のように大気を彩り、視界を一瞬赤く染める。



 「イーリア、オレが切り込むから、討ち漏らした奴は任せるぞ」



 雷砂はそう言い置いて、イーリアの返事を待たずに血煙の中を分け入り、縦横無尽に刃を振るった。

 剣を振る度に新たな血が宙を舞い、むせかえるような血臭に酔いそうになる。


 なり損ない達は、肉体のすべてを魔のモノへ変じた魔鬼と違い、死んだ後にその肉体を残す。

 だが、魔に犯された肉体を食料とする者はなく、死んだ後はただ朽ちて大地に返って行くだけ。

 変わり果てた肉体で子を成すことも出来ず、肥大した食欲と憎悪に引きずられ他者を害すだけの、未来無き存在を哀れみながら、雷砂は迷うことなく歪な命をほふっていく。

 山の斜面は、あっという間に肉塊と流れる血で赤く染まっていった。


 やがて。

 最後の1匹をしとめて、ようやく雷砂の動きが止まる。

 流石に肩で息をしているが、目立った怪我はない。


 雷砂は振り向いて、背後に取り残した3人を見た。

 彼らは異形の死体が作り出した血の海を渡ることを躊躇している様だった。

 あまりの凄惨な光景を前に、気分が悪くなったのだろう。

 しゃがみ込んだイーリアの背中をアスランが撫でてやっているのが遠めにも見えた。


 彼らの無事を確認し、雷砂は少し先に見える小屋へと目を移す。

 ジルゼの話通りなら、セイラはあそこに居るはずだった。


 早く助けないとー少しだけ重くなった足を踏み出したとき、山小屋の扉が勢いよく開いた。

 そこから駆けだしてきた人影は雷砂がよく知っている人のもの。それは、捕らえられている筈のセイラだった。


 髪も服も乱れている。だが、怪我は無さそうだった。

 小屋を飛び出したセイラは、周囲をきょろきょろ見回して、それから雷砂の方を見た。

 一瞬驚いたような顔をし、それから花が綻ぶように笑うと、雷砂に向かって走り出す。

 その姿はどんどん近くなって、そして、彼女は勢いよく雷砂の腕の中へ飛び込んできた。

 彼女を傷つけないように剣を手放すと、それは霞のように空へと溶けて消えた。

 雷砂はぎゅっと彼女の身体を抱きしめる。

 暖かな体温にほっと息をつき、その背中を優しく撫でた。



 「雷砂、迎えに来てくれたのね。信じてたわ」


 「セイラ、怪我はー」



 言葉と共に彼女の瞳を見上げた雷砂の瞳が急速に冷えていく。

 雷砂は凍えるような瞳でセイラを見つめ、



 「お前、誰だ?」



 そう、問いかけた。

 腕の中の、セイラとしか思えない顔の女は軽く目を見開いて、それから婉然と微笑んだ。

 どこか、邪悪さを感じさせる笑顔で。



 「もう、ばれちゃったか。やっっぱり雷砂はだませないね」



 するりと、冷たい刃が雷砂の背中に滑り込んできた。ごく自然に、何の抵抗もなく。

 抱きついたままの彼女の腕が、雷砂の身体に刃物を突き立てたのだ。



 「くっ……」



 彼女の身体を乱暴に突き放し、思わず地面に片膝をついた。

 熱い血が逆流し、口からあふれて地面に血だまりを作る。

 肺が傷ついたかもしれないーそう思いながらも冷静に、雷砂は目の前の女を見つめた。


 雷砂の見つめる前でその姿が揺らぎ、女の体は青年の姿へと変わっていく。

 楽しそうに雷砂を見つめる瞳は真紅。

 血のように赤い瞳を細めて、青年はにこにこと笑う。邪悪な存在の筈なのに、まるで邪気を感じさせない笑顔で。



 「また、お前か。そんなに、オレの手に掛かって死にたいのか?」



 右手で口元を拭い、目の前の男を睨みつける。

 この男が、凄惨な事件を裏で操り、あわやサライの村を滅ぼさんとした事件はそう遠い昔の事ではない。

 あの時、雷砂は浅くはない傷を、目の前の男に負わせた筈だった。

 なのに目の前の青年は飄々としていて、怪我の名残すら感じさせない。



 「ロウ、オレの手に」



 雷砂は再び相棒を己の手の中に呼び出し、片膝をついたまま油断なく構える。

 彼は危険な存在だった。今度こそ、倒さねばならないーそんな決意と共に躍り掛かろうとした時、



 「オレに構っていていいのかな?君のセイラが、危険だよ?」



 そんな言葉を投げかけた。雷砂の心を迷わすように。



 「セイラに何をした!」



 雷砂の叫びに、男は心底楽しそうな笑い声をあげる。



 「オレは何もしてないさ。彼女をどうにかしようとしているのは、頭の狂ったバカなじいさんだよ」


 「……村長のことか」


 「まあ、そうとも言うかな」



 言いながら、彼は雷砂の方へ近づいてくる。

 そしてすれ違いざま、雷砂の肩に手を置くと、



 「さ、急がないと間に合わないよ。まあ、オレはあんな女がどうなろうとどうでも良いけど、雷砂は違うんだろう?」



 雷砂はその手を振り払い、ふらつく足で立ち上がる。

 そしてそのまま走り出した。開け放たれたままの、山小屋の入り口へ向かって。

 その背中を、赤い瞳が追いかける。

 その瞳は、無邪気な好奇心をたたえて、雷砂の姿だけをただ見つめていた。

 

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