水魔の村編 第16話

 セイラとリインが用意してくれた昼食の後、雷砂らいさは早速森に入っていた。

 村は結界に守られているから、しばらくは心配いらないだろう。

 イルサーダから村長へその旨を伝え、雷砂が森へ出かける頃には村の住人にもその情報が伝わったのか、家から出て外を歩く人の姿もそれなりに見受けられた。


 だが、一歩村を出ると、やはり霧は周囲を覆い尽くしていて。雷砂は視界の悪い中、森の中へと足を踏み入れる。

 問題の泉の場所は、森の大分奥の方らしい。

 まあ、森自体がそれほど広いわけではないので、奥と言ってもたかがしれているとは思うが。



 (泉に行って、そこに何が住み着いているかをみて、まずはそれからだな)



 そんな風に思いながら、雷砂は取り立てて急ぐわけでもなく、ゆったりと動いていく。

 この森に入ってから、何となく自分が見られているのを感じていた。

 近くからではない。匂いや気配を感じないから恐らく大分遠くからだろう。

 だが、雷砂は特に警戒をしていなかった。その視線に、嫌なものを感じなかったから。


 誰が見ているのかは分からないが、きっと悪い奴じゃないーそんな風に思いながら歩いていたが、飛んできた1本の矢によってその思いは裏切られた。


 かなり離れた場所から放たれた筈なのに、その矢はかなりのスピードをもって雷砂の身体に届いた。

 己の身体の中心を狙って放たれた矢を何とか避けたものの、かすめた矢に腕の肉を持って行かれてしまう。

 連続して飛来する矢を避けて、雷砂は大きな木の影にその身を隠した。


 小さく息をつき、右腕の傷口を確認する。

 それほど深い傷ではない。

 放っておいても、そう時を待たずに血が止まるくらいの傷だ。

 だが、傷の周りが不自然に黒ずんでいた。



 「毒か……やっかいだな」



 雷砂は1人呟き、吐息を漏らす。

 どんな毒かは分からないが、まずは毒を吸い出したいところだ。

 しかし、場所が悪くて自分では出来そうになかった。

 かといって、ここは森の中。

 他の誰かがいるとも思えない。自分を襲撃した人物以外には。



 (でも、こっちを狙っている相手に、毒を吸い出してくれって頼むのもまぬけだよなぁ)



 ここに今すぐ呼べる存在がいるといえばいるが……



 「……ロウ?」



 呼んだところで何をしてもらえる訳では無いことは分かっているが、念のためというか、一応というか、とにかく呼んでみた。

 ロウはいつもの如くどこからともなく現れた。見慣れた巨狼の姿で。

 その姿を見て微笑みかけ、口元をじっと見て嘆息する。

 分かってはいたが、その口は傷口から毒を吸い出すには適した形をしていなかった。



 「毒を吸い出してもらうのは、やっぱり無理だよなぁ」



 苦笑混じりに呟いて、せめて傷口から毒を絞り出そうと血の勢いが弱まり始めた矢傷に手を伸ばした瞬間、ロウの身体に変化が起きた。

 いつも、剣に姿を変えるときの様に銀色に輝き、光そのものになった姿が形を変える。


 獣の形から、人の様な形へ。


 光が収まると、そこには銀色の髪と黄金の瞳の、美しい少女が立っていた。

 獣の時の名残のように、銀色の耳と尾が、ちょこんと生えている様子が愛らしい。

 その少女は、けぶるような眼差しを雷砂に向け、ふらふらと近づいてきた。

 服も何も身につけていないから全裸のままで。だが、恥じらう様子はかけらもない。

 年の頃は、雷砂より少し上だろうか。

 華奢な体つきだが、胸が意外と大きい。歩くとその振動で悩ましく揺れ動くくらいには。


 そんな彼女の肢体を目にした後、雷砂は思わず自分の胸を見下ろしていた。

 見事にまっ平らなそこを見ながら、はたしてこれはいつか大きくなるのだろうかと、かすかな危惧を抱きながら。


 ロウの身体から変化したのだから、彼女は恐らくロウの姿の1つなのだろう。

 少女は、頼りない足取りで雷砂の側に来ると、すとんと腰を落として右腕の方へ座り込んだ。

 そして、何の躊躇もなくその傷口に可憐な唇を押し当てると、ちゅうちゅうと血を吸い始めた。

 だが、その後がいけない。

 吸い上げた血を、ロウはゴクリと飲み込んでしまう。毒を含んだ血だ。吐き出しておかないと、危険かもしれない。

 雷砂が慌てて、



 「ロウ、毒が混じってるんだから飲んだらダメだよ」



 そう言うものの、きちんと伝わってないのか、ロウらしい美少女は雷砂の血を飲み込むことを辞めなかった。

 まるでこの上もなくおいしい飲み物を飲むようにうっとりした表情で喉をならし、しっかり毒を吸い出した後は名残惜しそうに傷口を舐め回した。

 ぴちゃぴちゃと音を立てながら。


 だが不思議なことに、そうやって舐められる毎に少しずつ傷口の痛みが少なくなり、やがてはぱっくり開いていた傷口に薄皮が張るくらいに回復してしまった。


 雷砂は自分の傷口を確かめ、それから隣にちょこんと座り込んだままの少女の顔を見る。

 ロウは、何とも表情の薄い、茫洋とした顔をして雷砂を見ていた。

 そのふっくらとした唇の周りに自分の血がこびりついているのを見て、雷砂は手を伸ばしてそっと拭う。

 だが、乾いてしまっていて上手くとれない。雷砂は首を傾げて少し考えたものの、



 (相手はロウなんだから、まあ、いいか)



 そんな風に心の中で呟き、生まれたままの少女の方へ身を乗り出した。

 ほっそりとした肩に手を置き、少女の口元へ唇を押し当てる。

 そして舌を伸ばして丁寧に汚れを拭っていった。



 「ん……マスタ」



 少女の唇から、くすぐったそうにそんな声が漏れる。

 雷砂は少女の口周りの掃除を続けながら、そっと唇だけを微笑ませる。

 マスターとは自分の事だろうか。その声はロウの声とは思えない、何とも可愛らしい声だった。


 一通り舐めて、雷砂は顔を離すと、改めてロウの顔を眺めた。

 綺麗だけれど、どこか愛らしさを残す顔。美少女だ。

 どこかで見たことがある気がして少し首を傾げた。

 しばらく考えてはっと思いつく。目の前の少女は、どこか夢の中の青年に似ていた。


 まあ、イルサーダの話によれば、ロウは夢の中の青年ー守護聖龍の分身の様なものだというから、似ていてもおかしくはないのだろうが。

 夢の中の青年に似ている、そのことでロウに対する信頼に加えて妙な親近感を覚え、雷砂は彼女に微笑みかける。



 「傷も毒も、治してくれたんだな?おかげで助かった。ありがとう、ロウ」



 手を伸ばして頭を撫でると、ピコっと耳が立ち、お尻から生えているふさふさのしっぽがパタパタと揺れる。

 嬉しい気持ちの表現はロウと同じなんだなと微笑ましくそれを見つめ、無表情な愛らしい顔を見ながら、笑った顔が見てみたいなと思う。


 ロウは、まだ人の身体に慣れていないようで、表情は一切変わらない。

 だが、慣れてくれば人らしい表情を表に出せるようにもなるだろう。その時が、楽しみだった。


 だが、とりあえず今はー。


 矢の襲撃はいつの間にか収まっていた。

 雷砂をしとめたと安心しているのか、ただ様子を伺っているだけか。だがどちらにしろ、このまま襲撃者を見逃すつもりはなかった。


 しかし、素直に下を歩いていけばさっきの二の舞になりかねない。

 雷砂は盾としていた樹にとりついて、するすると登り始めた。

 下の道が危険なら、上を行けばいいのだ。木々とその枝を道として。



 「ロウ、また後でな?」



 雷砂はちらりと下を見下ろしてそう言うと、あっという間に登っていってしまった。

 美少女の姿のままのロウは、その後ろ姿を無表情にじっと見送っていた。

 その耳としっぽだけを、心のまま正直にしょんぼりとうなだれさせて。


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