第7章

第7章 第1話

 1番最初にその現場を見たのは、幸運にもそれなりの年齢の男性だった。もちろん、彼にとっては不幸な事ではあっただろうが。


 まだ、日も昇りきらない早朝。


 祭も近づき、色々物騒な事が多く起こっていることもあり、村の自警団を中心に始めた見回りの最中の事だった。

 夜間の担当よりはましだが、早朝の担当もあまり人気はない。

 その辺りはそれぞれの仕事の都合などもかんがみて話し合って決めているのだが、男は昼間に仕事を持つため、早朝の見回りを担当することが多かった。


 あくびをかみ殺しながら、男は1人、人の気配すらない早朝の道を歩く。

 他にも早朝担当の者はいるが、いつも別れて回るようにしていた。なぜなら、その方が早く終わるからだ。

 今までの見回りでも、特に危険な事や変わった事は無かったし、今日の見回りも何事も無く終わると思っていた。

 その現場にさしかかるまでは。


 最初の違和感は匂いだった。

 なんとも生臭くて不快な匂い。はじめて嗅ぐその匂いに、男は顔をしかめた。だが、顔をしかめはしたものの、危機感はなかった。

 誰かが適切な処理もなくゴミを放置しているんじゃないか、そのくらいの事しか思いつかなかったから。



 (どこの家だ?こんな臭いゴミを放置してんのは。後で注意しておかないとな)



 そんなのんきなことを考えながら角を曲がり、それなりに大きな通りへと出た。

 そこは村の商店が集まる商店街で、道幅も広く、昼間であればたくさんの人が行き来する。

 そんな大通りのど真ん中、彼が居る場所より少し先の辺りに、普段であればあり得ないはずの色を見つけて首を傾げる。


 商店街は荷馬車も良く通るからと、村長の意見で取り入れられた白い石畳の道を、赤い色が染め上げている。

 赤い何かをぶちまけたかのように。



 「なんだ?誰かが赤い塗料でもこぼしたのか?」



 男は首を傾げ、無造作に歩を進める。だが、進むうちにそうじゃないことに気がついた。

 漂ってくるのは、良く知る塗料のつんとくる匂いではない。

 生臭く、不快な匂い。その中には、排泄物の匂いも混じってるように思えた。


 遠目に、赤い液体の中にぽつぽつとある固形の何かが見えてくる。

 これ以上、進みたくないと思った。だが、そういう訳にもいかない。

 一応は見回りの最中だ。不審なモノがあるならきちんと確認して、報告をしなければならない。


 ごくりと唾をのみこみ、男は震える足を進める。

 本能では、もうあれが何か分かっている気がした。だが、心はそれを認めようとしない。そんなモノが、この平和な村にあって良いはずがない、と。


 俯き、歩を進める。

 足下を見ながら歩くうちに、随分そばまで来たようだ。つま先の先に赤い液体を見たところで足を止める。

 匂いは、むせかえるようで、男は思わず己の口元を手で覆った。


 こみ上げる吐き気をこらえながら、そろそろと顔を上げていく。

 赤い液体は、まだ乾ききっていないように見えた。

 それが一体何なのかは、あえて考えないようにしながら、ゆっくり視線をめぐらせ、そして。

 彼は、それを見た。


 痛みと恐怖に顔を歪ませ、恨めしそうにこちらを見ている男の顔を。

 人が居る。助けなければーそう思ったのは一瞬のこと。

 すぐにその必要がない事は分かった。

 その男には体が無かった。正確には、首と、体の残骸しか残っていないと言うべきなのだろうか。

 だが、あまり詳しくは見ていられなかった。

 ほんの数秒見ただけで限界は訪れ、男は現場から顔を背けてその身を折り曲げた。

 胃の中身を全て吐き出し、現場を避ける様にしてよろよろと動き出す。


 この凄惨な出来事の報告のため。


 朝の日がすっかり登り、村人達が活動を始める前に、何とかしなければと、それだけを思って男は足を前に出し続けた。

 早朝に起こされ、不機嫌な村長の顔が事件の報告を受け、真剣な表情に変わるのはそれから少し後の事。

 村長の指示を受けた男が雷砂の滞在する宿の戸を叩くのは、更に後、日が昇りきり人々が活動を始めるその少し前の事だった。







 その朝、セイラの傍らでその腕に抱き抱えられたままの雷砂らいさは、慌ただしく近づいてくる人の気配で目を覚ました。

 その人物が、どうやらこの部屋を目指しているらしいと当たりをつけた雷砂は、ノックの音でセイラが目を覚ましては可哀想だからと、その腕の中から抜け出して、部屋の外へ顔を出した。

 すると、それを見つけた宿の主人がほっとした顔で駆け寄ってくる。それを見た雷砂は、やはり自分に用事だったかと、部屋の外に出て小太りの男が近づいてくるのを待った。



 「朝早くからすまないね、雷砂」



 彼は雷砂の前に来るなり、そう謝罪した。



 「かまわないよ、丁度目が覚めたところだったから」



 そう言って、しきりに恐縮している宿の主人の顔を見上げて微笑んだ。 それから、すこし表情を引き締めて、



 「それより、何かあった?」



 そんな風に問いかけると、宿の主人は真面目な顔でうなずきを返す。



 「私も詳しくはわからんのだが、商店街の方で何かあったようだ。村長からの伝令で、雷砂に来て欲しいと」


 「わかった。伝令の人には先に戻ってもらえるように伝えてもらえるかな。オレはすぐに行くからって」


 「ああ。伝えよう。なんだか物騒で嫌だなぁ、ここ最近は」


 「そうだね。なるべく早く解決するようにオレも頑張るよ」


 「すまんなぁ、雷砂。お前の村のことでもないのに、いつも頼ってばかりで」


 「いいさ。オレもこの村にはいつも世話になってるんだから」



 雷砂は微笑み、まだ宿の前で待っているであろう伝令の所へと、宿の主人を送り出した。

 それからの雷砂の行動は早かった。

 音を立てず素早くセイラの部屋にとって返すと、自分の荷物を持ち出してから、今度はジェドの部屋へと向かった。

 昨日、色々と忙しくて、彼に確認し忘れていた事があったから。

 一応ノックをしたが返事はなく、雷砂は何の遠慮もなくジェドの部屋に乗り込む。そしてぐっすり寝込んでいる男の耳元で、



 「朝だよ。起きて、ジェド」



 そう声をかけた。ジェドはその声に一瞬反応したものの、すぐにまた眠りの世界へと戻ってしまう。

 こんな早朝にたたき起こすのは可哀想だからせめて優しくと思ったのだが、どうやら無理らしい。

 小首を傾げて少し考えた後、数歩後ろに下がってベッドから距離をとる。

 そしてそのまま軽く助走をつけてジェドの中心ーちょうど臍の辺りにまたがるようにして飛び乗った。

 グエっと何か生き物がつぶれた様な声をあげて、目を開けるジェド。

 その瞳が雷砂を認めて見開かれる。



 「……おいおい、雷砂。夜這いはもう少し大人しくたのむぜ?」


 「うん、次は気をつける」



 呆れたようなジェドの言葉に、にっこり笑って答える雷砂。

 そしてそのまま、腰の辺りにさしておいた小さなナイフを彼の目の前に突きつけた。


 「うぉっ、あぶねぇな……って、これ、俺のナイフか?」



 突きつけられたナイフに、思わず驚いたような声をあげたものの、すぐにそれが自分の物だと気づいたようだ。

 ジェドは手を伸ばし、そのナイフを受け取った。



 「やっぱりジェドのだった?一昨日の晩、オレと宿で会う前に、林みたいな所で練習してたんでしょ?」


 「ん、おお。よく分かったな?ちょっとした腕ならしにな。あぶねぇから1人で遠出はすんなって言われてたけど、あの位なら大丈夫、だよな?」


 「んー、いいか悪いかって言われたら、ぎりぎりダメな感じ。でも、あの晩の事をよーく思い出してオレに話してくれるなら、お説教はしないであげるよ」


 「あの晩のことぉ?変わった事なんて無かったと思うけどな。何が聞きてぇんだ?」


 「ジェドが練習してたっていう林での事さ。あそこで、誰かに会わなかった?」


 「誰かに?んー」



 腕を組み、考え込むジェド。雷砂は黙って見守った。

 しばらくして。何かを思い出した様に、彼の瞳がはっと開かれた。

 雷砂は身を乗り出すようにして彼の顔をのぞきこむ。



 「思い出した?」


 「重要な事かわからねぇが、あの晩、練習の後、汗を流そうとして向かった林の中の小川で女に会ったぜ?」


 「女?」


 「おう。水浴びしてたみたいでな。あんまり細けぇ事は覚えちゃいないが結構いい女だったな」


 「そう……その人、なんでそんな時間に1人で水浴びなんてしてたんだろうね?もう暗かったんでしょ?」


 「ああ、日も落ちかけで薄暗かったな。なんて言ってたかな……あ、そうそう、何だか服ごとえらく汚れちまったみたいで、それで水浴びしたとか言ってたかな?服も洗ったみてぇだったが、びしょびしょで困ってたから、オレのシャツをやって、服の水気を絞ってやったら喜んでたぜ?その後は普通に別れて、オレも水浴びする気分じゃなくなったから、そのまま宿に帰って、そこでお前と会ったって感じかな」



 頭をひねりひねり、その時の事を一生懸命に思い出すようにしながら、ジェドは語った。



 「……ありがとう。助かったよ、ジェド」



 雷砂は1つ頷き、ジェドの上から軽い身のこなしで飛び降りる。



 「おう、こんな話で良かったのか?」



 そんな問いかけに、小さな頷きで返し、ドアの方に向かった雷砂は、その手前で足を止めた。

 取っ手に手をかけ、そのまま出て行くのかと思いきや、ちらりとジェドの方を振り返り、



 「最後に1つだけ……その人から、何か匂いはしなかった?」



 そんな風に問いかけた。



 「匂い?どうだったかな……そういや、何だか甘ったるい匂いがしたな。妙に鼻につく、甘いような、臭いような、変な匂いが。あんまり強い匂いじゃなかったけど、ありゃ何の匂いだったんだろうな」



 こんな回答で大丈夫か?と質問の主を見ると、彼女は大丈夫と言うようにちらりと綺麗な笑みを投げかけ、それからすぐに真剣な顔をすると、



 「朝早くから悪かったね、ジェド。後でセイラに会ったら、オレは村の用事で出かけたって、そう伝えておいて」



 そう言いおき、ドアを開けてその向こうへ消えた。

 出て行く直前、厳しく表情を引き締めた雷砂の顔が何だか辛そうに見えて、ジェドは意味もなく胸が騒ぐのを感じた。

 起き上がり、がしがしと寝癖のついた頭をかく。

 何かをしてやりたいが、何をしてやっていいのか分からないし、自分が雷砂の役に立てるとも思えないのが何とも悔しかった。



 「あ~、眠気がどっかいっちまったなぁ」



 そんな事をひとり呟き、ため息。

 早めに食堂にでも行ってセイラが起きるのを待つかと、立ち上がる。

 悔しいことだが、雷砂に関してはセイラの方が深く関わっている。ジェドが知る中で雷砂の辛そうな顔を何とかしてやれる人物がいるとすれば、それはセイラだろう。



 「……何を抱え込んでるのかはわからねぇが、あんまり1人で抱え込むなよ。お前はまだガキなんだからよ」



 もう届かない雷砂への言葉を1人呟き、ジェドは窓の外を見る。

 どこかへ向かって走っていく小さな背中が遠く小さくみえた。


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