第6章 第19話
暗い夜道を、大小2つの人影が歩いていた。
大きい方がセイラで、小さい方が
2人は今夜の酒宴の為、移動しているところだった。
まだそれほど夜も更けてはいないが、2人の他に人影はない。
ここのところの物騒な事件のせいもあり、村人達は早々に家へ帰って家族と過ごしているのだろう。
2人はゆっくり歩く。
まだ約束の時間には早いから急ぐことはない。
「そういえば、今日はどこでやるの?その、個人的な酒宴ってやつ」
横を歩くセイラを見上げ、尋ねる。
「あれ、言ってなかった?昨日の所じゃちょっと広すぎるから、村の酒場を貸し切ってやるみたいよ?ほら、あちらもこの村には行商できてるから家もないみたいだし」
「ふうん。じゃあ、あそこか」
この村の酒場と言えば1つしかない。それほど広い村ではないのだ。
そこは、旅行者向けと言うよりは地元の人間が飲みに来ることが多い、こじんまりとした酒場だった。
村には宿が2つあり、そのどちらにも食堂兼酒場があるが、今日の会場となる酒場は、宿泊施設は併設していない。
その代わりというか、酒場にありがちな休憩するための部屋はいくつか用意されていた。
まあ、いわゆる連れ込み部屋というやつだ。
恐らく、今日の酒宴の後は、そこにセイラを連れ込むつもりなのだろう。
そんなこと、させるつもりは毛頭ないが。
では、どこまでさせてからセイラを連れ出せばいいのか。その辺りをセイラと確認しておく必要がある。
「今日はどんな段取りでやるの?」
「えーと、まずは料理と酒がでるのを待ってから、お客の前で3曲舞うわ。たぶん、ここでお酒を勧められるから、失礼にならない程度にちょっとだけ頂いて、そうしたら酒場の人に任せておいとまするつもり。一応、座長からも先方にそう伝えてくれてるはずだけど……」
「そう。お酌も仕事のうち?」
「うーん。頂いたお酒の分のお返し位はするつもりだけど、あんまり愛想良くすると期待されちゃうから、何とか言いくるめてさっさと帰るわ」
「わかった。じゃあ、しつこく強要するようなら、オレが間に入るよ。困ったら、オレの名前を呼んで」
「わかったわ。そうする。でも、無茶はしないでね?」
心配そうなセイラに、雷砂は微笑む。過保護だな、と思う。
彼女は雷砂の強さをもう見ているはずなのに。
雷砂に寄りかかって、頼っても大丈夫だと知っているはずなのに。
それなのに彼女は雷砂を甘やかす。
自分より弱くて小さな存在を庇護するように。
今までだってそんな存在はもちろんいた。
代表的な所で言えば、養い親であるシンファだが、彼女は良くも悪くも規格外だった。
シンファの愛情表現は苛烈だ。
甘いという表現は似合わない。
もちろん、たまには頭をなでたり、抱きしめてくれたりするけど、そんなことは滅多にない。
どちらかと言えば厳しく育てられたと思う。
だが、そのおかげで1人でも生きていけるだけの術を身につけることが出来た。
幼い頃からシンファと共に草原を駆け、狩りをし、戦い方を覚えた。
生きるために必要な知識を叩き込んでももらった。
厳しくも優しい彼女の愛情を常に感じて育ってきた。
シンファの事は尊敬しているし、愛している。
だが、甘えたいかと問われると、そうでもない。甘えたいと言うより、認められたいのだ。
彼女に育てられ成長した自分を認め、誇らしく思って欲しいと思う。
それが、雷砂の中にあるシンファへの気持ち。
だが、セイラに対する気持ちはそれとは少し違う。
彼女に甘やかされるのは、恥ずかしいけど気持ちがふわふわした。
守りたいと思うのと同時に、守られ甘やかされるのが心地良いと感じる。
ずーっと昔。
こんな風な思いを感じた事があったような気がする。
柔らかな毛皮で優しくくるまれ、ただ愛を与えられる幸せを。
それを与えてくれたのが誰だったのか、その人の顔を思い出すことも出来ないけれど。
その人は、きっとー。
つないだ手を、ぎゅっと握る。
それに気づいたセイラが雷砂の方を見て、優しく目を細めた。
暖かな眼差しに、胸の奥がきゅーっとする。
なぜ、これほど彼女が自分を気に入ってくれたのか、雷砂にはその理由が良く分からない。
出会ってからまだ数日しかたっていないというのに。
だが、彼女は雷砂の心を温めてくれた。
彼女を好きで、大切だと思う。
だから。
「うん。無茶はしない。でも、セイラはオレが絶対に守る」
そう、静かに宣言する。
その言葉を聞いたセイラは菫色の瞳を丸くして、それから嬉しそうに微笑んで、
「はい」
と答えるのだった。
こじんまりとした、だがそこそこの広さを持つその酒場は、いつもそれなりに賑わっていた。
だが、今夜は貸し切り。
余分なテーブルや椅子は片づけられ、それなりのスペースを確保したそこで、今夜は旅芸人の一座の舞姫が舞を披露するのだという。
客は1人だ。
この酒場の貸し切り代と、酒と料理の代金、そして上の部屋の代金と、少なくない金を落としてくれたその人は、舞台の前の特等席に悠々と座っている。
女将がそっと目配せをしてきたので、この店唯一の店員であり女将の娘でもある少女は、用意した酒と料理を男の席へと運んだ。
彼は今度の村祭りの為に訪れた行商人の1人。
その中でもかなり羽振りは良いらしく、金払いのいい客だとの噂は聞いていた。
だが反面、女癖が悪く、乱暴で横柄だとの噂も流れている。
昨日も、村長主催の酒宴で騒ぎを起こしたらしい。
たまたま酒宴の給仕に入っていた友人から仕入れた話によると、旅芸人の一座の少女に絡み、止めに入った雷砂を殴りつけたようだ。
(あの綺麗な顔になんて事するのよ!)
少女は雷砂の事を知っていたし、話をしてくれた友人もそうだった。
ずいぶん年下ではあるが、大人びていて、びっくりするくらい綺麗な顔をしている雷砂に、少女もその友人もほのかな恋心の様なものを抱いていた。
だから、昨日雷砂の顔を殴ったという目の前の男は、はっきり言ってかなり腹立たしい存在であった。
そんな彼女の気持ちに気づいているのかいないのか、腹のではじめた中年の男は、給仕をする彼女をじろじろと無遠慮に眺めてくる。
その目線の行く先は、顔と言うより胸と尻。
好色な視線に、少女は羞恥と苛立ちに頬を染め、それから早く逃れようと作業の手を早めた。
「この酒場の娘かな?」
「……はい」
「中々可愛らしいな。名は、何という?年はいくつだ?」
「……リリア、といいます。年は今年で15歳です」
「15歳か。年の割に色々育っているな。どうだ?特別に小遣いをやるから、今日はわしの横で酒の相手になってくれんか?」
同じ年の少女達に比べ、発達の良いリリアの胸と尻に目を付けたのだろう。
男は舌なめずりをしそうな勢いでそんな提案を持ちかけてくる。
「えっと、あの……そう言うことは母ー女将から禁じられていますので」
そう断りながら、女将に目線で助けを求める。女将も慣れたもので、
「お客様、すみませんねぇ。今日は、その子の助けがないと厨房が回らないんですよ。人手不足なもんでねぇ」
朗らかにそう断りながらリリアに近づき、その手を取った。
「ほら、リリア。さっさと厨房に戻りな。それから、もうじき旅芸人の舞姫様がいらっしゃるから、準備の為の部屋にご案内するんだよ」
そう言いながら片目をつぶった。
男の眼差しが少女から女将へと移り、リリアはほっと息をつく。
早く仕事に戻りなー女将のそんな言葉に、リリアは返事を返し、急いでカウンターの向こうへ逃げ戻る。
背後から、
「商人様、よかったらあたしが酒をつぎますよ。もうすぐ舞姫様もいらっしゃるけど、先に始めときますか?」
「いや、折角だから、舞い手を待とう。その方が酒もうまいだろうからな」
「そうですね。その方がいいかもしれませんねぇ。じゃあ、もう少しお待ち下さいな。料理も酒も、まだまだ出ますから、しっかり食べて飲んで下さいよ」
「ああ。そうさせてもらう」
「じゃあ、用があったら遠慮なく声をかけて下さいねぇ」
そんなやりとりが聞こえ、カウンターの内側へ戻った娘を追いかけるように女将も戻ってくる。
「母さん、ありがと」
小声で礼を言うと、
「女癖が悪そうだから、気をつけないとね。ま、流石にあたしに手を出すつもりは無さそうだから、今日の給仕はあたしがやるよ。リリアは舞姫様のお手伝いを頼むよ。ま、1人付き人兼楽士の子が一緒に来るみたいだから、そんなにやることもないだろうけどね」
同じく小声でそう言って、豪快な笑顔を見せた。
つられたように、リリアも微笑んだ瞬間、酒場の扉が開いた。
入ってきたのは小さな影と大きな影。
大きな影の方は、すぐに旅芸人一座の舞姫だと分かった。
煌びやかな衣装に流れる金色の髪。
しっかりと化粧を施したその顔は、香り立つように美しかった。
そしてもう1人。
舞姫をエスコートするように手を引いて入ってきた小さな影は、楽器を携えていた。
リリアよりも背の小さいその楽士は、子供のはずなのにまるで子供らしくない、大人びた美しさを備えていた。
すぐ横に立つ舞姫の美しさに勝るとも劣らないその美貌に、リリアは息をのむ。
だが、すぐに小さく首を傾げた。
なんだか、その小さな麗人に見覚えがある気がしたのだ。
そんなリリアを、小さな楽士の色違いの瞳が捕らえる。
すると、彼女は薄く紅を乗せた形のいい唇をほころばせ、
「手伝いか、リリア。親孝行だな」
そんな風に、気安く話しかけてきた。
その声に、リリアは目を丸くする。それから再び、まじまじと目の前に立つ少女を見つめた。
色違いの瞳に、黄金の髪、美しく整った顔、そして大いに聞き覚えのある声。
「え、もしかして、ら……」
「しっ」
頭に浮かんだその名前を口に出そうとした瞬間、その唇に雷砂の指が添えられた。
「今日は、オレの名前は忘れて。今夜のオレは、旅芸人一座の見習い楽士なんだ。いいね?」
そう言って、彼女は微笑んだ。まるで妖精の様な麗しい笑顔で。
何をしていなくても十分綺麗な顔なのに、大人のように化粧をした彼女の美しさは破壊的だった。
リリアは茹で蛸のように真っ赤になって、こくこくと頷く。
それを見た雷砂は小さく頷き、それから何もなかったように彼女の前を通り過ぎていく。
もちろん、小さな騎士の様にしっかりと舞姫をエスコートしながら。
そんな夢物語のような様子をぽーっと見つめていた彼女に母の声が飛ぶ。
「リリア、案内!」
その大きな声に飛び上がり、
「ふぁ、ふぁい!!」
と情けない返事を返したリリアは慌てて、雷砂と舞姫、2人の前に出て彼女達を控え室へと案内するのだった。
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