第6章 第16話

 宴も終わり宿に戻った頃には、もうすっかり夜も更けて日付ももう時期変わるくらいの時間になっていた。

 順番にお風呂を使うように指示を出した後、自身は風呂場に向かうことなく早足で部屋へと戻る。途中でぬらしたタオルとたらいをもらってから。

 部屋に戻ると、一足先に戻っていた雷砂らいさが、椅子に座って窓から夜空を眺める後ろ姿が見えた。



 「おかえり、セイラ」



 戸を開けた音が聞こえたのだろう。雷砂は振り向き、セイラの顔を見上げる。さっきの宴で殴られた頬が、時間と共に痛々しいくらいに腫れてきていた。

 駆け寄り膝を付いて、濡れたタオルを頬にあてる。



 「ごめんなさい。痛かったでしょ?」



 あの後から何回も繰り返された謝罪の言葉。

 もういいのに、と雷砂は瞳を柔らかく細め、



 「痛くないよ。大丈夫」



 そう言って微笑んだ。



 「お風呂は?入ってこなかったの?」


 「他の子達に先に入るように指示してきたの。私は後にするわ」



 言いながら、熱を吸ってすっかりぬるくなったタオルを水に浸して絞る。

 それから少しだけ冷たさを取り戻したタオルで再び雷砂の頬を冷やすのだった。



 「セイラ?本当に大丈夫だよ。これくらい、どうってことないんだから。すぐ治るよ」


 「でも……」


 「見た目ほど痛くないんだ。セイラの方が、よっぽど痛そうな顔してる。心配かけてごめんな?」



 そう言って立ち上がり、セイラを椅子に座らせた。

 そしてそのまま、セイラの膝に跨がる様に座り、向かい合った彼女の瞳をのぞき込み、それからぎゅっと抱きついて柔らかな金髪をそっと撫でた。



 「こんなの、なめときゃ治る。セイラが気にする必要、全く無し!第一、悪いのはあのオッサンなんだから」


 「……うん」


 「ほんと、すぐ治るから」


 「……ん」


 「ほんとにほんとだから!!」



 セイラが余りに落ち込んでいるので、言葉を重ねながら雷砂も少し焦ってきたらしい。

 セイラの瞳を間近からのぞき込み、心配そうに眉尻を下げている。



 「なにか、私にしてあげられること無い?」



 真剣に問われ、更に焦った。

 冷やしてくれればいいよと、普通に答えていれば良かったのだが、この時は本当に焦っていた。

 だから、いつもの習慣をそのまま口にして、墓穴を掘ってしまった。



 「えっと、えっと……あ、そうだ、なめてくれればいいよ」



 思わずそんな言葉が口をついていた。それが常日頃、怪我をした時にしてもらっていたことだったから。



 「なめる?」



 セイラが首を傾げる。

 それはそうだろう。いきなりなめろとか言われても、普通の人は困る。

 それが通じるのは、獣人族だけなのかもしれない。たぶん。



 「うん。オレが怪我をすると、いつもシンファやロウはそうするし……」



 そこまで言って、うん?と心の中で首を傾げる。

 やっと違和感が追いついてきたのだ。

 なめるという行為は、獣人族の部落ではよく見られる行為だ。

 しかし、果たしてその常識を一般の人間に当てはめて良いものだろうか。

 良くないような気がする。・・・・・・たぶん。



 「や、今の、やっぱり」



 なし、と言おうとした時にはもう遅かった。

 柔らかくて暖かで湿った何かが頬に触れた。

 それは、とても丁寧に優しく雷砂の腫れた頬の上をたどり、何度も何度もその行為を繰り返す。

 心地よくもあったが、シンファやロウに比べると優しすぎて何だかくすぐったい。

 しばらくは我慢してたものの、終いには堪えきれずに笑い声をたててしまった。

 いきなりクスクスと笑い出した雷砂に、セイラは驚き、なめるのを一時中断した。



 「雷砂?」


 「ごめん。セイラがあんまり優しくなめてくれるから、くすぐったくて」



 止まらない笑いと共にそう言われ、セイラはすねたように頬を膨らませる。



 「仕方ないじゃない。人をなめてあげるなんて初めてなんだから」


 「……うん。ごめんね」



 かすかに頬を染め、唇をとがらせるセイラが、何だか可愛らしかった。

 だから。

 なめてもらったお返しとばかりに、雷砂はセイラの頬に顔を寄せ、力強く1なめ。

 そしてすぐさま、



 「う……」 



 と小さくうなって顔をしかめた。



 「雷砂?ど、どうしたの?痛かった?」



 おろおろと問うセイラが、また何とも可愛くて。

 雷砂は微苦笑を浮かべて、彼女の肩へ頭を乗せた。



 「ううん、痛くない。ね、セイラ、やっぱりお風呂、入ろうか」


 「え?うん、それはいいけど、なんでいきなり?あ、もしかして、臭い!?」



 そんな誤解をして慌てて離れようとするセイラの体を止め、至近距離で彼女の目をのぞき込んで誤解を解く。



 「臭くない。セイラの匂いは好き。化粧しててもね。でも」


 「でも?」



 再びそっと、セイラの顔をなめた。



 「化粧の味は、すっごくまずい」



 本当にまずそうに顔をしかめて、力強くそう言った。



 「え、まずい?美味しくないってこと、よね?」



 いきなりの事で、言葉の意味を上手く飲み込めなかったセイラが問い返す。雷砂はしごくまじめに頷いた。



 「そう、美味しくない。すっごく!だから、早く落としてこようよ、お風呂で」



 そうして再度、力強く入浴を促され、少しずつ雷砂の言葉が頭に浸透して。気が付いたときには、笑いがはじけ、止まらなくなっていた。



 「ふ、ふふ、ま、まずいって…お、美味しくないって…ふふ、ふふふ」



 最初はなるべく堪えた。

 だが、笑いの発作は収まらず。びっくりして目がまん丸くなった雷砂の目の前で、セイラはしばらく笑い続けていた。

 そして。

 やっと笑いが収まった後、



 「あー、おかしかった。いいわ、お風呂に行きましょ。お化粧落としてきれいに洗って……」



 そこで言葉を切り、笑いすぎて涙のにじんだ目元を微笑ませて、いたずらっぽく腕の中の少女を見つめる。



 「そうしたら、もっとなめてくれるのよね?」



 少しかすれた声で問いかける。からかうように、でもどこか真剣に。



 「えっと……セイラが嫌じゃなければ、いいけど」



 嫌じゃない?ー上目遣いに聞かれて、妙にドキドキしながら、それを誤魔化すように、黄金色の柔らかな髪に頬を寄せ、そして。

 嫌なわけ無いじゃないーそう答えて、腕の中の細い体をぎゅーっと抱きしめるのだった。


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