第6章 第10話

 書斎を出た雷砂らいさは、老執事に言われていた通り、まず厨房へと向かった。

 厨房へ顔を出すと、雷砂の顔を知っているメイドがにっこり笑って、もう準備は出来てるからお嬢様の部屋へ向かって欲しいと言うので、今度はてくてく歩いてミルファーシカの部屋へ向かっている。


 そう言えば、まともにミルファーシカと顔を合わせるのは久しぶりだった。

 昨日の彼女は気を失っていたし、その前は忙しくて会うのを避けた。

 ミルは雷砂になついているから、会う期間があいたせいで、昨日の様な無茶をしてしまったのだろう。


 悪い事をしたなーと素直に思う。

 雷砂とて、ミルの事を嫌いではなかった。むしろ、妹の様で可愛いと思っている。

 今度はもう少し気をつけて、たまにはミルの所へ来るようにしようーなどと考えているうちに、いつの間にか見慣れた扉の前に着いていた。

 ノックをし、扉を開ける。


 「あら、雷砂」


 すぐに目に入ってきたのは、ミルファーシカ付きのメイドの姿。確か、アニスという名前だったと思う。

 彼女はテーブルの上にお茶の準備をしているところだった。

 彼女を見上げ、ミルの所在を尋ねようとしたのとほぼ同時に、続きの隣部屋からどたどた騒がしい足音。


 「雷砂、来たのっ?」


 隣から駈け出して来た少女は、雷砂を認めるとぱっと顔を輝かせ、その胸に飛び込んできた。

 雷砂は優しく抱きとめ、元気そうな様子にほっと息をつく。

 動きを見た感じでも、怪我などは無さそうだ。

 ぎゅーっと抱きついてくる少女をそっと抱き返し、その顔を覗きこむ。



 「元気そうで、良かった。あんまり心配させないでよ?」


 「……そんなに、心配だった?」



 雷砂の顔を窺うように見上げ、そんな問いを投げかける。



 「心配した。オレのせいでミルに何かあったらと思って胸が潰れそうなほど、心配だったよ」



 だから、もう危ない事はしちゃだめだーと、真剣な顔で真剣にそう言うと、ミルは何故かとろけそうな表情で頬を真っ赤に染めた。



 (な、なんで赤くなるんだろう?反省して、しょんぼりする場面だと思うんだけど……)



 予想していた反応と違って、雷砂は首を傾げる。



 「もうしないわ。心配かけて、ごめんなさい」



 だが、きちんと反省もしていたらしく、真面目に返ってきた謝罪の言葉に、雷砂はにっこりと笑顔で答えた。



 「よし、じゃあ、お茶を飲んでおやつを食べよう」



 そう言って、少女を促し椅子に座った。

 雷砂は普段、甘いものを食べない。

 だからといって甘いものが嫌いなわけではない。嫌いどころか、むしろ甘いものは大好きだった。


 普段なかなか食べられないせいか、たまに食べる甘いものの味は格別だ。

 今日も、ミルファーシカのおやつはとても美味しそうだった。

 いそいそと椅子に座り、キラキラした目でテーブルの上のお菓子を見つめる。



 (クッキーってやつだよな、確か)



 以前貰った時の記憶を呼び起こしながら、雷砂はそっと手を伸ばす。サクサクして、甘くておいしいお菓子だったはずだ。

 ミルファーシカの家に来て、一緒におやつをもらう事はよくある事だが、同じお菓子がいつも出てくるわけではない。

 クッキーを食べるのはずいぶん久しぶりだった。



 「そうだね。おやつ、まずはおやつ食べようか。……おやつの後、雷砂に相談したいことがあるんだけど、いい?」



 すっかりおやつに思考が支配されていた雷砂は、ミルの真面目な声音に思わず顔を上げ、



「ん?いいよ。おやつの後で良いのか?」



 そう返しながら少女の瞳を覗き込んだ。

 その瞳の奥に、かすかな怯えの様な感情を見つけ、雷砂は形の良い眉を少し潜める。



 「うん。食べてからにしよ?お茶が、冷めちゃうし」



 少女は微笑み、おやつの皿に手を伸ばした。

 笑う顔に無理は見えない。

 無邪気にお菓子を頬張る姿に、雷砂は少し表情を緩めた。

 どっちみち、後で話を聞けば分かる事だ。

 何が、あったのか。何に、怯えているのか。

 ただの勘だが、おそらく昨日の事ではないだろう。彼女が怯えているのは、もっと別の何かの様な気がする。



 「雷砂、食べないの?」



 首をかしげ、雷砂の甘いもの好きを知ってる少女は不思議そうに問いかけてくる。



 「ううん、頂くよ。ミルのとこのお菓子は美味しいからな」



 微笑み、手に持ったままだった焼き菓子を、口に運んだ。

 サクッとした食感、次いで甘い味が口の中に広がる。雷砂にとって、久々の甘味だった。

 心配事はちょっとの間棚上げにして、しばし美味しいものを食べる幸福に浸ることにし、雷砂は再び皿に手を伸ばした。



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