第3章 第11話
「……よし。いいじゃろう」
少女の口から飛び出す異国の言葉をしばらく黙って聞いた後、老人はそう言ってうなずいた。
「わかった?……オレが、どこから来たのか」
緊張した面持ちで訊ねる少女に、サイ・クーは好々爺の笑みで答える。
「もちろんじゃ。ワシを誰じゃと思うとる。ま、少々意外じゃったがの」
「意外?」
首をかしげ、問いかける少女に向かってサイ・クーは頷き、類まれな美しさを秘める幼い顔をまじまじと見つめた。
「先刻話したように、容姿からの推測だけならば、お主は明らかに西洋人の特徴を色濃く宿しておる。じゃが……」
「なるほどね。サイ爺が意外って思うって事は、オレの生まれは見た目から判断できる西洋の国とはまるで違った所ってわけか」
「そうじゃ」
「西洋じゃなければ、サイ爺と同じで東洋の生まれってことになるよな?オレの生まれた国はなんて名前なんだ?もしかして、サイ爺と同じ中国ってところか?」
矢継ぎ早な質問を投げかけてくる様子に、サイ・クーは思わず笑みを浮かべていた。
いつも年に似合わず冷静な雷砂の、好奇心に目を輝かせる年相応の様子が何とも微笑ましかった。
例えその好奇心の対象が行く事の出来ない故郷の事であったとしても。
もう少し答えを焦らして、そんな少女の様子を見ていたいとも思ったが、それは思うだけに止めた。
時間は無限ではない。
自分にも彼女にもやらねばならない事は山とあるのだ。この世界で生きて暮らしていくためにやらねばならぬ事が。
「お主の生まれ故郷は日本というところじゃよ」
「日本……。それってどんな所なんだ?いい、国なのか?」
「そうじゃのう……」
目を細め、束の間かつての世界に思いを馳せる。
日本という国には何度か足を運んだ事があった。サイ・クーがまだ若く、自由な時間も十分にあった学生時代の事だ。
日本は豊かで治安も良く、住みやすい国だ。
ただ、島国のせいか、国民の大半が外から来た人間を敬遠するきらいがある。
サイ・クーも最初は日本の文化、日本の人々になじめず、苦労をしたものだ。
だが、彼らの言葉を覚え、積極的に関わっていく内に、親しい友人も出来た。
「いい、国じゃよ。日本は。この世界の基準から考えればかなり平和ボケした国と言われるじゃろうがの」
言いながら、思わず苦笑がもれる。
この世界の基準に照らし合わせれば、二人の生まれた世界にある国はどこも平和ボケしたところばかりだろう。
まぁ、その中でも日本は頭一つ飛びぬけているであろうが。
「平和で豊かな争いごとの少ない国じゃ。あちらにいた頃のワシは、日本が好きじゃったよ」
懐かしそうに目を細めて、サイ・クーは微笑んだ。
「そうか……。平和で豊かで争いごとが少なくて……きっといい王様が納めている国なんだろうな」
嬉しそうに微笑み、雷砂が呟く。
この世界の者であれば誰もが抱くであろうしごく当然なその感想に、サイ・クーは雷砂がすっかりこちらの人間になっている事を改めて感じた。
それも当然だ。
あちらの常識を大して知らぬ子供の頃にこちらに来て以来、ずっとこの世界の常識の中で生きてきたのだ。
あちらの世界で長く生き、それからこの世界に迷い込んだ己とは訳が違う。
サイ・クーは長い年月この世界で生きてきた。
あちらで過ごした時間と同じくらいの時を新しい環境で過ごした。
だが、やはりこの世界の人間には成りきれていない自分をいつも感じている。
長い時の中で、幸いにも親しい隣人や友人も数多く得る事が出来た。
しかし、それでもふと言いようの無い疎外感を感じて、この世界に一人置き去りにされたような気持ちになる時もある。
そんな時は思うのだ。
いっそ過去の記憶を全て失い、新たにこの世界で一から生き直す事が出来たならと。
そんな事を頻繁に考えていたのはまだ黒々とした髪としゃんとした身体をしていた若い頃。
今ではめったにそんな思いが浮かび上がる事は無い。
時間をかけて心の奥底に押し込んだのだ。願っても、叶う事などないのだからと。
だが、それで良かった。
もし叶ってしまっていたら、目の前の故郷を知らぬ子供にその話をしてやることも出来なかった。
だから、良かったのだ。
さて、なにから話そうか―サイ・クーは考える。
まず、日本に王はいない事を教えてやらねばなるまい。それから―。
話したいことは山とある。日本の事は、故郷中国の次に詳しいのだから。まぁ、少々古い情報なのはご愛嬌だ。
時間の許す限り、雷砂の求める限り語ってやろう。きっと自分はその為に、今ここにいるのだから。
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