Chapter5 ③


あわてて飲んだ水に咳き込みながら、どうにか河原の岩にはい上がる。

もたついたのは身体の感覚が大きく違ったせいだ。

性別のみならず身長まで違う。今はおおむね6フィートぐらいか。


「けほっ! 我ながら、ずいぶん育った、もんだなぁ」

叩いた軽口はたしかに自分のノドから出ているのに、その声は意外なほどに高く、透きとおるように涼しげだった。


全身ずぶ濡れになった僕は、へなっと岩に腰を下ろす。

と、薄衣からはたちどころに水が抜けていく。鎧についた水滴も、まるで焼いた鉄板の上よろしく弾けて消えた。

わずか数秒で、服はきれいに乾いてしまった。


「便利だな…………でも、うん。しかしだ」


改めて、今着ている鎧には別種の問題があると気づく。

というか、お世辞にだってこれを鎧だとは言いたくない。


大きく張り出した肩鎧や無駄に尖った膝当てには百歩譲るとしても、お腹も、お尻も、太ももすらもバッチリむき出しなのはなぜ?

胸鎧だって二つのふくらみを被うだけの面積しかないんですが?

女物のコルセットの方がこれより大きいよ?


はっきり言おう、この鎧はとっても破廉恥ハレンチ、かつ実用性皆無だ。


肌の上には絹のような布が一枚あるきりで、攻撃を受け止めたらアザになること間違いなしだ。

といって、この鎧の防御が固い事に疑う余地はない。杭は止められたし、あの高さから水面に落ちて、これといった被害がないのも事実だ。


「こうなった原因はカルネ?」


自称神さまの少女を呼んでみるが、いつまでたっても耳の奥に返事はない。


いなくなったとは考えにくい。おそらく気を失っているか、はたまた寝ているのか。どちらにしても返事できないのだろう。


「ま、いいか。問題があるにせよ身体は僕に返ってきたわけだし」


とりあえずどうするか。

このまま川を下って助けを求めるか。いや、はたしてこんな服装で出て行って、説得力があるものだろうか。

制服も荷物もどこかへ消えてしまって、身分を証明するものもない。


「それに……これはちょっと。いやちょっと以上に恥ずかしいぞ」


背中に垂れた青絹のマントを羽織ろうとしてみるが、そもそも圧倒的に幅が足りない。

一生懸命引っ張っても隠せるのは腕ばかり、前は全開になる。

かといって前に回せば頭隠して何とやら、確実にもっと恥ずかしい絵面になること請け合いだ。


なら顔を隠して……と思ったが、妙に軽い兜はどうやら面頬バイザーと羽根飾りの耳当てしか付いておらず、後頭部を被うのは薄いベールのみだ。

後ろからどつかれたら即死じゃないかな?


「とりあえず川を下るのはナシ。カルネが目を覚ますまで隠れるしかないか」


とまどいながらも立ち上がった僕は、ふと気になって水鏡に自分の姿を映す。


顔に僕本人の面影ぐらいは残ってないかと期待したのだが、凪いだ水面に映った顔は見知らぬ美貌の女性だ。


「あれ……?」


でも見ているうちに、どこかで出会ったような気がしてくる。それも遠くない過去、いやつい最近のような気が……


突然、左耳の後ろをぞわりとした感覚がなでる。


「!!」

ふり返るが誰もいない。


しかし耳を澄ますと、風や水の音に混じって、木や草をなぐ音が近づいてくるのがわかる。演習中の生徒にしては音に遠慮がない。


二度目のぞわりが、嫌な雰囲気と黒い騎士の姿を連想させる。

「黒騎士たちか!」


首尾を確かめに来たか、それとも不審に思ったか。

どうやら黒い騎士たちはこっちを追ってくる気になったらしい。


身を隠すならせめて安全な状態にしておきたい。

いかに鎧が固くとも(それすらも信じがたいが)三対一で相手を圧倒できるとは思えない。せめてあの、馬鹿力のカカシ騎士だけでも何とかしたいところだ。


固まって考え込む僕の目の前を、ウロコ模様の透きとおるドレスを着た水の精霊が一匹、はしゃぎながら通りすぎる。


「この身体でも精霊が見えるのか。ん?」


何の気なしにその行方を追った僕は、川辺に精霊の一団を見つける。


今にも落ちそうな石をはさみ、水の精霊と石の精霊が綱引きで大騒ぎしていた。

これは自然ではよく見る光景。自然の力で引き合っている物事、あの石のように落ちそうで落ちない物などには、ああして精霊が集まってくる。

もちろん精霊が物を動かしているのではなく、これは象徴みたいなものだ。実際のところ、石はもう落ちる寸前で、後は何かのはずみがあれば……


「……その手があるな」

ふっと僕の頭に計画が閃く。

その鍵となる地形は、確かに今までの道にあった。


僕は崖に足をかけ、近づきつつある鎧の足音を避けるように反対側へと登り始める。

その足場から小石が一つこぼれ、精霊たちの石に当たった。


水の精霊たちが喜び、反対に石の精霊が腹を立てる。

石が水面に落ち、小さな水音を立てた。



 ***



追っ手の物音が向きを変えた。

それ感じて坂を駆け上がる足を速める。


追わせるためにわざと枝を切り飛ばしておいたが、それにうまく引っかかってくれたか。


手にした剣でヤブを軽くなぎ払う。

たったそれだけで絡まり合った枝は紙吹雪のように散った。


「やっぱり……すごい切れ味だ」


手にしたこの剣、青い紋が入った広刃剣ブロードソードだが、これは僕の手に忽然と姿を現した。

ちょうど崖上に上がったとき、目印を残すために枝を折ろうとしたら、まるで最初からあったかのように僕の手に収まっていたわけだが。


見た目からすれば銀無垢で、いかにも重そうなのに振り回してみるとそこらの木の棒よりだんぜん軽い。

さっき見たように切れ味も抜群で、腕ぐらいの太さの枝なら軽々と両断できる。


「銘のありそうな名剣だね。けど、人か鍛えたものじゃなさそうだ」


僕の独り言に応えるように、刃がキラリと日の光を反射した。



 ***



重い足音を響かせて追ってくる黒騎士たちを適度に引き離して、僕はついに目的地にたどり着く。

せり出した崖の下に大小の岩が積み重なった坂、そう、ガレ場だ。


ここを通ったのは昼前、まだ襲われる前のことで、その時は歩兵コンビといっしょだった。

岩に精霊たちが集っていたのを、僕は横目におぼえていた。


水辺では水の精霊が岩と競っていたが、ここでは相手が風の精霊になる。

崖を削るのは風の仕事だからね。今も積み重なった岩のあちこちで、山羊角を生やした灰色の小さな人影が、六眼の緑の小人相手に頑張っている。


精霊が見える僕には微笑ましい光景だけど、もちろんそれを眺めたくて来たわけじゃない。

重要な事は、精霊のいる岩は動く一歩手前だということ。


ガレ場全体を見わたせば、今にも転がっていきそうな岩はざっと十数個。

その中には僕の(今の)背丈を超える超大物も混じっている。

それらを崩さないように慎重に、かつ素速くガレ場の一番上に登ると、僕は改めて精霊のいる岩と地形とを俯瞰する。


どうやら僕は幸運らしい。

というのは、いくつかの岩が緩やかな勾配で繋がっているのを発見したからだ。

うまく最初の一つを落とせば、下の方では連鎖してくれるだろう。


「こっちがこうで、あっちがそう……ならこう押せば」


地面の傾きを見ながら最初の岩に手をかける。

風の精霊があまり集まってないから、この岩はまだ軽々とは動かないだろう。

そっと力をかけてみるが、ユラリと傾いだだけで落ちそうな感じはない。


「素手では難しいかな」

梃子を使った方がより確実だろう。


何か棒状のものを探してキョロキョロしたあと、ふっと僕は手にした剣を見た。

ここまでけっこう振り回したのに刃こぼれひとつ無い頑丈さ。並の剣ならともかく、この剣なら梃子にしてもけっこう耐えられるのではないか? 

そう考えた途端に刃の表面が青みを帯び、心なしか曇りが広がる。


なんだか嫌がられているような……でも、気にしてはいられない。


さらに接近してくる黒騎士たちを嫌な気配として感じつつ、僕は切っ先を岩の底に差し込んで別の岩を支点に添える。


そうして具合を何度か確かめたとき、ガレ場の下で茂みが大きく揺れた。


「来たな」


はたして僕の言葉どおり、茂みは内側からバリバリと破られ、三人の騎士が姿を現した。


見たところ様子は変わっていない。小柄は剣を抜き、カカシの一人は手ぶら、もう一人は巨大な十字弓クロスボウを構えている。


「やぁ、何か探してる?」

梃子にした剣を見られないように岩に足を乗せ、大見得を切って挑発する。


そしてよく考えてみて、今の自分がうら若き乙女であり、大股を相手にさらけ出すという非常にこっぱずかしいポーズを取っていることに気がつき、あわてて岩の陰に半身を隠した。


さいわい、当の黒騎士たちはそんな僕の行動に何も感じなかったようだ。

ただ小柄な騎士が僕を指差しただけで、カカシたちはすぐにガレ場に足をかける。


片方がクロスボウを構えるのを見て、僕は隠れた剣を思いっきり下に押した。

あまり力を込めたわけでもないのに、剣が跳ね上がって宙を舞う。そして、梃子としての効果は抜群だった。


一抱えほどもある岩は勢い付けてガレ場を下り始める。

予想した次の岩、さらにその次の岩と巻き添えを出し、黒騎士たちへとまっしぐらに落ちていった。


「あら?」

岩たちがガレ場を途中まで過ぎたとき、間抜けな声が僕の口をついて出る。


予想を超えた岩の連鎖が始まり、精霊の有無にかかわらず多くの岩が転げ落ちはじめる。

落石は岩雪崩に発展した。


轟音をたてて迫る岩に、カカシ二人が反応すらできないまま飲み込まれる。

その後ろでとっさに背を向けた小柄も、小さな石に足下をすくわれたところを複数の岩に襲われ、あっけなく下敷きになった。


カカシ騎士を一人だけ足止めするはずが、気が付けば大惨事である。

いくつかの岩はそのまま麓方向へ転がっていくが、先に生徒がいないことを願うしかない。


「けふっ、ちょっと、やりすぎたな」

湧き上がる土ぼこりにむせながら、それを空かして黒騎士たちを探す。


あちこちで大笑いしている風の精霊たちが呼んだのか、ありがたいことに突風がガレ場を上から下に吹き抜けて土煙をはらしてくれた。


現れたのはちょっとした岩の小山と、そこからのぞく黒い腕が三本。

太さと色からカカシ騎士の腕に間違いない。腕が胴から離れていないなら、騎士本人はあの下に埋まっているだろう。


「小さいのは……っ!?」

小柄を探そうと一歩踏み出したところで岩が音を立てて爆ぜ飛ぶ。

飛び散った石が練兵場の砂地と同じく風に溶けるのを見て、小柄が健在なのを確信する。だが、一対一なら勝つチャンスはある。


ガレ場だった坂道を駆け下りながら、油断なく剣を構える。

爆発で開いた穴に神経を集中させると、その穴の縁からユラリと手が上がるのが見えた。それはまだ黒い鎧に包まれてはいたが、鎧そのものがひび割れてボロボロと剥がれ落ちていく。


まるで自分自身を引きずり出すように、黒い手は続く身体を持ち上げた。


馬上剣サーベルを杖代わりに穴から姿を現した騎士は、もう半ば黒ではなくなっていた。

全身の鎧が破片となって崩れていく。下からは二度も顔を合わせた相手が、制服を着た少女が見えるが、服は破れ放題で、白い肌には血がにじんでいた。


「グ、ゥゥゥゥッ」

かろうじて残っていた兜がうめきに震え、次の瞬間、真ん中に走っていた亀裂から真っ二つに割れて落ちる。


初めて見る黒騎士の素顔とこぼれた一房の髪を見て、僕は息をのんだ。

「……君は」


見覚えがあるとか、そんな生やさしいものじゃない。

とても知ってる顔だ。

僕だ。

本来の僕にそっくりの顔が、憎悪に燃えてそこからのぞいていた。


微かな違いもある。

少女らしい頬骨の線の柔らかさ。僕より少し薄いジンジャーブロンドの髪。

それでも十人が見れば九人は僕と同じだと言うだろう。


僕に瓜二つの少女、見れば見るほど混乱してくる。問いたいことは山ほどある。しかし息を押さえて考えれば、明白なことが一つだけある。


「君が、暴行犯……だね」


黒騎士は僕を驚いたように見て、華奢な顔にはまったく似つかわしくない、重く歪んだ声を上げた。


「貴様は、まさか王子の方か? よもや〈反抗者〉と……」


「僕はカルネじゃないから、君が何を言ってるのかは分からない。でも、その続きは後で聞かせてもらう。僕の嫌疑を晴らすために捕まってもら」


「断る!」

支えにしていたサーベルを振り上げて叫び、僕に似た少女は総身を使って刃を振り下ろした。


風が裂ける。

そこから生じた見えない刃が岩を砕いて奔り、僕に正面から突き刺さった。が、銀の鎧はそよ風よろしくそれをサラリと受け流す。


「しょうがない……こっちからいくよ!」

銀の剣を返礼に振り上げ、突貫。


身体の大きさは普段と違っても身軽さは削がれてない。カルネと入れ替わってから見せる機会もなかったが、僕の剣は身軽さこそが信条なのだ。


大上段に振りかぶった剣を、しかし相手の刃に当たる寸前わずかに横へと滑らせる。


「!!」

黒騎士だった少女は鋭く反応する。


サーベルを傾けて横切りを防ごうとするが、それこそ僕の狙いどおりだ。


瞬時に右足から力を抜き、のけぞるようにして身を沈ませた。

岩むき出しの地面でやる事じゃないが、この鎧を信じて左足を前に投げ出し、滑り込みの格好をとる。

お尻が岩に触れる寸前で何か別の、滑らかなものに触れるのを感じた。僕は突進の勢いもそのままに、地面を滑って少女の真下に入りこむ。


手にした剣は振り上げたままで、相手の剣に下から軽く当たった。

これでいい、斬り合うつもりなど最初からないのだから。


「せぃやぁぁぁっ!」

右足で地を蹴り、立ち上がる勢いで相手の鳩尾めがけて剣の刃止めを打ち込む。


本来は護拳ガードつきのサーベルでやるのだが、この軽い剣と固い拳なら充分に代わりが務まる。

息を漏らして黒い少女が上体を浮かせた所へ、すかさず左拳を入れ、さらに胸元めがけて剣の柄を叩きこむ。

最初にフェイントで相手の剣を誘っておかないと、ここまで技が繋がらない。


いよいよ姿勢を崩した黒い少女に、追い打ちで左の肘。

倒れる相手と入れ替わりに立ち上がって、最後は一回転からの左薙ぎ。


「そぉれぇぇっ!!」


叩き伏せるつもりで剣の平をぶつけたにもかかわらず、少女は周囲の地面もろともはじき飛ばされ、岩に背中から突っ込んだ。


かろうじて残っていた鎧は四散し、着ていた服すら布きれとなって吹き飛ぶ。いまや少女の血の滴る裸体を包むのは、薄黒いもやだけだ。


最初から最後まで剣を鈍器として使う戦い方は、あくまでも相手を牽制するためのもの。それがこの結果とは。

この鎧や剣、いやこの姿にはとてつもない力が備わっているらしい。


自分自身に慄然としかけたが、だからといって固まっている時間はない。

「勝負は決した。さあ、降伏しろ!」


僕の宣言に、しかし白い肌をさらした少女は薄く笑うと、余裕のそぶりで頭を振る。


「ここまで〈想神族ヴァーンネロ〉と馴染む奴が他にもいるとは。しかし身体・・がもたんな……」

そして地面に手を当てる。


少女の周りで地面が沸騰し、真っ黒な液体となって少女を中に飲み込んだ。嫌な気配が足下いっぱいに弾け、僕はとっさにその場から飛び退いて吠える。


「逃げるかっ!」


「その命、預けておくぞ。プリダインの王子よ」


液面に走ったさざ波が少女の声を伝え、それか終わるか終わらないかのうちに、黒い水面は岩と土の地面にもどった。

同時に気配がスッと消えてなくなる。


「……いったのか」

直感的に敵が去ったと理解した。


その直後、ヒザからがくっと力が抜けて、僕はその場に崩れ落ちた。

また胸が熱い。

この姿になったときのように胸の奥底がガッと熱くなる。だが今度は力が満ちるどころか、逆に全身から力が奪われていく。


目の前が暗くなり、身体の感覚が消える。


『我が主、我は望みを叶えたり。我が主にも、また我にも休息が必要、今は休まれよ』


不思議に涼しげな声が耳をくすぐる。それは優しく、僕の頭の中に染み渡っていく。


『願わくば我が主、次もまた互いに健勝ならんことを』


微笑むような気配を残して、不思議な声も僕の意識も途切れた。

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