初めてのバーは危険な香り(4)
初めて目にしたカクテルメニューに載っていた飲み物は、どれも千円以上だった。しかも、表紙には小さく「チャージ料千円」という記載まである。
つまり、一杯飲んだだけで、最低一人二千円、三人で来ているなら計六千円からスタートだ。そこに、さらに追加オーダー分が加算されていくことになる。私はすでに四杯目を注文している状態だし、A女史はもっと飲んでいるはずだ。
「なんか……、ずいぶん高いんですね」
私がささやくと、先輩はけろりとした顔で、「都会は何でも高いよね」とヒトゴトのように言った。
「でも、いいじゃん。今日は彼持ちなんだし」
「はあ、でも……」
「今後のためにも、ここはこちらの決意をキッチリ見せとかないとね」
彼女の言う「決意」とは何なのか。奴をシャットアウトするなら、直ちに帰るのが一番ではないのか。
しかし、このバーまでついて来た時点で、手遅れのような気もする。
怪訝な顔をする私に構わず、A女史は語った。
「あの人、言いなりになりそうなコを手あたり次第に狙うんだよね。うちの部にいる女性陣、だいたいは声かけられてるよ。そこで変にいい顔すると、後々しつこいの」
ということは、A女史も声をかけられた一人なのだろう。その時、彼女はどんな対応をしたのだろう。
私が彼女を頼ったように、彼女もさらに上の先輩を頼ったのだろうか。それとも、クールビューティな都会派女性は、クソ男など一人でどうにでもあしらうことができたのだろうか。
尊敬のまなざしで話を聞いていた私に、先輩A女史はピシリと言った。
「ヘラヘラしてると、マジでつけこまれるよ」
グサリとくる言葉に、私の意識は完全に覚醒した。
「ヘラヘラしている」というのは、私の抱える数多くのコンプレックスの一つだ。子供時代にはよくこのセリフを親に言われたが、直そうとしてもどうにもならなかった。おそらく、先天的に怒りを表現できない造りの顔なのだ。
童顔がヘラヘラしていたら、確かに、見るからにおバカだ。せめて顔つきを化粧でごまかす技術を習得していればよかったが、そういえば、ファッション以上に化粧には興味がなかった。社会人たる者、さすがにノーメイクではないが、賢く見えるメイクなど研究したこともない。
やはり、私がバーに行くのは二十年早かったのか……。
少し凹んだ私に何かのソーダ割りを勧めてくれたA女史は、それと自身の飲み物、さらには何品かの食べ物もオーダーした。
「私が帰る時に一緒に帰る、でいい?」
もちろん、もちろんでございます。どんなにクソ男が引き留めようとも、脱兎のごとくセンパイの後に続きます。
それにしても、センパイはこのテのトラブルに慣れている、とつくづく感心する。ホントに経験年数が一年しか違わないとは思えない。
さすがはクールビューティ。師匠と呼ばせていただきます。
先輩A女史と私の「密談」が終わった時、ちょうどクソ男がトイレから出てきた。なんとなく彼女の「作戦」が分かった私は、店員さんにお冷をもらい、臨戦態勢をとった。
先ほどA女史の注文したものが、ぞろぞろとカウンターに並べられた。バーといいつつ、ピザだのパエリアだの、結構お腹にたまるものがどんどん出てくる。
あのクソ男め、こちらが何も言わないのをいいことに、すきっ腹で飲ませる魂胆だったんだな。
カウンターにぞろりと並んだ料理を、A女史はよく飲みよく食べ、いっこうに「帰る」とは言い出さない。食事が終わると、今度はお決まりのキスチョコとナッツを注文し、さらにチーズの盛り合わせを追加。無論、カクテルのほうもペースは落ちない。
口数が多かったクソ男はだんだん静かになり、酒好きな女二人ばかりが賑々しく喋った。
奴は意外とアルコールに弱いのかな、などと気にはなったが、そこで甘い顔をしてはならない。A女史と共に、私もよく飲み、よく食べる。時々お冷を飲んでクールダウンすることも忘れない。飲み物を注文するときは、頼りになる先輩のほうに顔を寄せる。
そんなことをしているうちに、再び生演奏タイムに入った。軽快な音楽に耳を傾けつつ、二人揃ってますます食べる。
タクシーが深夜料金になる時間帯に入った頃、ついにクソ男は口を開いた
「お前ら、ぜんっぜん酔わねえのな」
先輩A女史と二人、口をそろえて「まあねー」とふざけた返事をすると、クソ男は露骨に睨みつけてきた。さっきまで酔いが回ってぼんやりしていた、という風情ではない。ずっと黙っていたのは、間抜けな新人が予想外の大酒飲みで、怒り心頭だったからなのだろう。
そうかい、そうかい。やっぱり「酒を飲ませて酔ったところを×××……」って腹積もりだったのか。
彼が過去にA女史と飲んだことがあるなら、彼女が酒豪だと知っているはずだ。ということは、やはりターゲットは私だったわけだ。
雰囲気につられ、酒豪のA女史につられて、私がすっかり飲み過ぎて酩酊したら、「後は任せて」なんて適当なことを言って彼女を先に返すつもりだったんだな。都会知らずの人生を送ってきた人間を、甘いカクテルとムーディな生演奏で翻弄する計画とは、邪悪にもほどがある。童顔で地味なボディだがどうせ夜の街もホテルも暗いからまあいいや、なんて考えてたんだろ。
最後はかなり自虐的なことを思いつつ、顔色は全く変えずに、「アルコールはたいがい何でも飲みますよお。それにしても、カクテルって美味しいですねえ。バーって初めて来ましたけど、いいですねえ」と、得意の「ヘラヘラ」をやった。
「もう帰れ」
「ごちそーさんでしたっ!」
ウワバミの女二人は、店員さんにタクシーを呼んでもらうと、仏頂面のクソ男を残して意気揚々とそのバーを後にしたのだった。
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