第56話 アントベア商会
「さて、オンテミオンのお弟子たち。ここにはどんな用事で来たのかな?」
マーシャルは、そう言って紅茶をひとくち含んだ。深い茶色の目は、オンテミオンの弟子たちに注がれ、ジャシードたちは何だか試されているような気分になった。
「はい。僕たちはこれから、冒険者として生きていこうと思っています。オンテミオンさんに、そのための特訓をたくさんして貰いました。でも、冒険者として生きて行くには、目的も必要だと思っています」
ジャシードは、紅茶をひと啜りして、喉を潤した。マーシャルは、黙ってジャシードの方を見て話を聞いている。途中で口を挟むつもりはないようだ。
「僕は昔から、誰かの役に立ちたいと思って生きてきました。でも今は、それだけではないです。……笑われるかも知れないけど、僕は世界のどこでも、みんなが安心して住めるような状態を作りたいんです。でも、どうやったらそうできるか……今はまだ、分かりません。きっとそれを分かるためには、もっともっと、世界を知らないといけないと思っています。だから、今の僕の目標は、世界をもっと知ることです」
マーシャルは、僅かに笑みを浮かべながら、少年の話を聞いていた。
「マーシャルさんは、商人だと聞いています。きっと商売をしているうちに、たくさんの人の困っていることを聞いて、知っているのではないかと思っています。マーシャルさんの手伝いをすることで、もっと世界をよく知ることができるような、その切っ掛けを掴むことができるような、そんな気がしています。僕たちに、何か手伝わせてください。僕たちはまだ駆け出しだけれど、きっと役に立ちます」
マーシャルの目を見つめながら、ジャシードはそう締めくくった。
「君たちは、私の手伝いをして、金持ちになりたいのかい?」
マーシャルは尋ねた。
「きっと武具を揃えるような、僕たちがもっと冒険に行くために必要な物を、手に入れるためのお金は必要です。でも、僕はお金持ちになりたいから冒険するわけではありません。みんなが幸せに暮らすことができる世界を探すための冒険をしたいんです」
ジャシードは思いを繰り返して言った。
「なるほど。それは皆も同じなのか?」
マーシャルは他の五人を見渡した。
「おいらはアニキについて行くから、同じ」
「僕もジャッシュについて行くと決めた」
「私も同じよ」
スネイル、ガンド、マーシャは即答した。
「……僕は、レムリスでレイフォン家を捨てて、ここに来ています。お金持ちのままでいたかったら、僕はレムリスに残ったでしょう。でも、僕が求めているのは、お金持ちの家には無かった……。今それはジャッシュの側にある気がしています。だから、僕もついて行く」
オーリスはそう言いきった。
「わしは、この若いのについて行けば、なかなか楽しめると思っておるぞ。マーシャル」
バラルはニヤリとしながら、マーシャルに言った。
「そうですか、バラル殿。根っからの自由人たるあなたが、誰かに与する日が来るとは、夢にも思いませんでしたよ。しかもそれは、オンテミオンの弟子たちだという。あなたがそこまで買う程のものを彼らが持っているのなら、この熱い思いを胸に秘めているジャシード君は、本物なのかという気分にさせられます」
マーシャルはもうひとくち、紅茶を口に含んだ。
「そして、残りの四人も、このジャシード君に強い期待を寄せている。この若さでここまで期待され、信頼されている人を、私は見たことがない。なるほどオンテミオンが私に頼んでくるほどの事はある、と言うことか……」
マーシャルはそこで一旦言葉を切って、若い五人を見渡した。それぞれがいい顔をしてマーシャルを見つめ、次の言葉を待っている。
「よし。私もオンテミオンやバラル殿の期待を後押しすることに決めた。だが、君たちに頼む仕事については吟味させて欲しい。君たちに相応しい仕事を見繕ってあげよう。バラル殿もいるから、多少難しくても良いかも知れないな。そして君たちは今日から、ここおよびアントベア商会の全施設を、自由に使うことを許可する。まず、ここにはたくさんのものがある。案内しよう」
マーシャルはそう言って立ち上がった。
ただの屋敷のように見えたそこには、本当に様々なものが設置されていた。部屋ごとに様々な生産活動を行うことのできる道具が所狭しと配置されていて、鉄鉱石を溶かす炉や、鉄を打つ金床、撚り糸を作る回し車、機織り、細工をする工具の数々、文字が書き込まれていない巻物、宝石のような輝きを放つ石。そして極めつけは、ハンフォードが使っていたものに酷似している金槌があったことだ。
「この金槌は……」
ジャシードがそれに気づくと、マーシャルは満足そうに頷いた。
「その金槌は、宝石誘導を行うための金槌だよ。現在の技術者はハンフォードただ一人なんだが、いずれその技術を受け継ぐ者が現れるだろう。その時のために、道具だけは揃えてあるんだ」
「宝石誘導というのは、どういうものなんだい?」
オーリスが質問したので、ガンドとジャシードが説明してやった。
「それは素晴らしい! 僕もエルウィンに来る前に、ドゴールへ行けば良かったかも知れないな」
「そのうち行こう。行く前に部品とマナの欠片を探さないとね」
オーリスの逸る気持ちを、ジャシードが受け止めた。
「僕は、その組み合わせにも興味があるよ。きっと何かしらの法則があると思うんだ。それを纏めることができたなら、人間の発展に貢献できる気分にさえなる」
オーリスは、自分の中の目標を一つ見つけた。
「それから君たちには、この部屋を使って貰うことにしよう。エルウィンの宿に毎日泊まっていては、日銭がいくらあっても足りない。ここを部屋割りして、ここで生活すればいい」
マーシャルは、二階にある、小部屋が連なる通路に皆を案内した。通路の左右には、扉が四つずつある。
「ありがとうございます!」
ジャシードは元気よくお礼を言った。早くもエルウィンでの、住まう場所の問題が解決した。
マーシャルは、更に他の部屋を案内した。近接戦闘の訓練用人形やら、弓の的なども備わっている。
この屋敷は、様々な人材の訓練や、生産活動を支えることのできる場所だった。
「アントベア商会は、実力がある人材を雇うのでは無い。志が同じ者を訓練して、同じ志のために、共に働ける人材に育成するのが基本だ。ここにはそのための知識と、訓練施設がある。君たちもその一員として取り扱う事に決めたから、施設の全ては自由に使うと良い。だからといって、君たちを商会に縛り付けはしない。私の必要なときに、助けてくれることを期待する。今日は長旅で疲れているだろうから、まずはゆっくりと休んだら良い。ちなみに、キッチンは一階だ。わからないことは、召使いのクリーヴに聞くが良い」
マーシャルはそう言って、三階の部屋へと上がっていった。
「ジャッシュ、マーシャルさんに何を言い出すかと思えば……何を言うか、用意していたのかい?」
オーリスは、マーシャルの姿が見えなくなるのを確認して、小声で話しかけた。
「さっき、言うことを決めたんだよ」
ジャシードは、あっけらかんと答えた。
「ジャッシュに計画性を求めるのは間違いよ、オーリス」
マーシャは笑いながら言った。
「いつも根拠のない自信と、無計画に支配されているのがジャッシュなのよ……なのに、色々上手く行っちゃうの。なんなの? ってよく思うわ」
マーシャがそう言ってジャシードを見ると、ジャシードは苦笑を浮かべるのみだった。
「アニキは昔から、なんかすごい。なんかは良く分からない。でも、なんか」
「スネイルのその、なんかって、良く分かるなあ。捉えどころが無いというか」
スネイルとガンドも、ジャシードの捉えどころの無い事について言っているが、全く説得力を持たない会話だった。
「とにかく部屋を決めて、荷物を持ってこないか」
「そうだね」
ジャシードの提案に、オーリスが同意した。
それぞれの部屋は、決して広くは無かった。しかし、部屋にはベッドと、机と椅子が一つずつ、タンスが一つ、クローゼットが二つ。生活するには問題ない。
部屋を覗き込んでいる間に、素早く荷物を持ってくるクリーヴは、全員を驚かせた。ラマを見に行くと、一時的に止めておく場所から、敷地奥の厩舎に移動されていた。
更に、ジャシードの部屋には、ピック用の止まり木が素早く用意された。フンをされても部屋が汚れないように、取り外しのできる受け皿に、紙が幾重にも敷いてあった。
「クリーヴさん、ものすごく仕事ができる人なんですね……」
ジャシードは、その流れるような仕事ぶりに舌を巻いた。
「いえいえ、このぐらい、大したことはありません。アントベア商会にいれば、自然と身に付くことです」
クリーヴは、クローゼットの脇に、ジャシードの剣『ファング』がきちんと収まるように、柄をはめ込む木製フックを取り付けながら言った。
クローゼットの一つは、きっちりと鎧が収まるように調整され、まるで元々専用として作られたかのように、これ以上ない収まり方をしていた。
このような変更が加えられたのは、もちろんジャシードの部屋だけでなく、全員の部屋に等しく、手早く行われた。
この屋敷にいる召使いはクリーヴだけだが、一人いるだけで何人分もの働きをしていた。
「見ろ。召使い一人とっても、マーシャルの性格が表れとる。奴は効率の良いことを好む。その仕事も、効率良く最適なものが割り振られる事になる。最初の仕事が見ものだな」
バラルは、マーシャが準備をしていたところに、クリーヴが混じって作り出した、新たな味のスープを口に運びながら言った。
「クリーヴさん、本当にすごいわ……修行させて貰おうかしら」
「なんだ、嫁入りでも意識しだしたか?」
「ち……バラルさん! やーねー、もう! やーねー!」
マーシャは慌てて、あっちこっち見ながら、誰に言っているのかも良く分からない発言をした。
対してジャシードは、まるでいつものことと言わんばかりに、パンに齧り付いていた。
◆
エルウィンでの生活は、その後数日間、何事もなく過ごした。マーシャと街を散歩して迷子になって、みんなをかなり心配させたり、クリーヴを先生として、ジャシード、ガンド、スネイル、オーリスの四人で鍛冶の勉強をしたり、マーシャはバラルと魔法の練習をしたりして過ごしていた。
ジャシードは、手紙を書いてピックに託し、レムリスに向けて飛ばした。ピックは、屋敷の周りを何度も回り、高度を上げつつエルウィンの周りを何度も回りながら、やがて南の方へと飛び立っていった。ピックの事だから、きっと帰ってくるだろう。
そして、エルウィンに着いて六日目。遂にマーシャルからお呼びが掛かった。
マーシャルは例の長テーブルに、見知らぬ魔法使いを一人、連れてきていた。
「さて、今日集まって貰ったのは、もちろん仕事の話だ。今、我々は旅をするときに徒歩やら、馬やらを使う。もちろんバラル殿のように、空を飛ぶお人も中には居るだろうが、基本は陸を行く。私は、これを変えたいと願って、随分長い間、研究をして貰ってきた。ここに座っているのは、その研究をしていたヘンラー殿だ」
「よろしく、皆さん。一人、知っている顔もありますが」
ヘンラーと呼ばれた白髪の男が、立ち上がって一礼した。
「ヘンラー、お前老けたな」
「バラル、君もな。お互い五十を超えて、もはや寄る年波には勝てない。だから若い面々と共に居るのか?」
「バカを言うな。彼らと共に居るのは、面白いことがありそうだからだ」
バラルは、ヘンラーと親しげにやり取りをしている。
「ヘンラー殿、説明をお願いできるかな」
「ええ、もちろん。……私とその弟子達は、この何年か、旅を大幅に変える為の研究を行ってきました。それが殆ど完成しようとしているわけです。まだ未完成のものをお見せしましょう」
ヘンラーはそう言って立ち上がり、部屋の隅に移動した。
「私は今、見てのとおり部屋の隅にいます」
ヘンラーは杖を手に持って地面に付けると、勢いよく上へと持ち上げた。
すると、杖の位置にもやもやとした青白いものが立ち上がった。
「部屋の反対側を見てください」
ヘンラーに言われて皆がその方向を見ると、部屋の反対側にも、青白いものが存在していた。
「では、行きます」
ヘンラーが、青白いものに飛び込むと、部屋の反対側にある同じものから出てきた。
おお、と声が上がった。さしものバラルでさえ、驚いて声を上げたほどだ。
「もう一度……」
ヘンラーは、青白いものに飛び込むと、最初にいた場所に戻ってきた。
青白いものは、すうっと掻き消され、その場にはヘンラーだけが残った。
「この魔法には『ゲート』と命名しました。これが完成すれば、旅は激変することになります。街から街へ、街道を使う必要がなくなるのです」
ヘンラーは、そう言いながら椅子に戻ってきた。
「しかし、これには問題があります。第一に、今の段階では、このゲートを作る距離が、精々二十メートル程度だと言うことです。第二に、これが仮に完成して一般化すると、街の中に人が自由に出入りできてしまいます。戦いを想定した場合、これは由々しき問題となります。ですから、これを一般化すると言うことは、今はできません。ゲートの生成を防ぐ結界の完成を先にしなければなりません。ですがそれでは歩みが遅いので、同時にゲートの距離を伸ばす試みをしたいと考えています」
ヘンラーはそこまで言って、マーシャルの方を見た。
「そう言う事で、君たちにはゲートの距離を伸ばすために必要と思われるものを取ってきて貰いたい。やってくれるかな?」
「やります!」
何も考えずに、ジャシードは返事だけした。人間の可能性を広げるための研究に参加できる。それだけで、動機としては十分だった。
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