第11話 ケルウィムの霊薬

「おや、久しぶりに人間が来たと思ったら、オンテミオンじゃないか」


 深い緑色の肌をした、金髪の美しいエルフの衛兵は、笑顔でオンテミオンに近づいてきた。

 オンテミオンは軽く手を上げ、以前一緒に行動していた冒険者仲間を連れてきたと説明した。

 すると衛兵は少し考えてから、セグムとソルンの顔を思い出したと言った。この衛兵は、一目見た顔を忘れない特技を持っているらしい。


 そんなわけで、一行は特に止められることもなく、ケルウィムへと入った。


 エルフを初めて見たジャシードは、尖った耳と肌の色に興味をそそられた。肌は深い緑から肌色、果ては白っぽいものまで様々だ。

 衛兵をじっと見つめていると気づかれたようで、手を振られ、ニッコリと微笑まれた。ジャシードはどぎまぎして、小さく手を振り返した。


「オンテミオンは、なんだ、ケルウィムに通ってるのか?」

 セグムは眉間に皺を寄せながら、オンテミオンの特別対応を不思議に思って言った。


「ふっふ。わしの人気に嫉妬したか、セグムよ」

「別に。よく言うよ全く」

 セグムは、ふんぞり返っているオンテミオンに言った。


 オンテミオンさんは、なんだかお茶目だな、と二人を見ながらジャシードは思った。凄腕の戦士でありながら、お茶目なおじさんだ。

 それでいて、父親を叱ったりするところから、存在が大きく感じられる。悪いことをしたと思えば、すぐ謝る素直さも持ち合わせている。


 これまでの旅でムッとする事を言われたこともあったが、そんなことはどうでもいいと思えるほど、ジャシードはオンテミオンが好きになっていた。


「わしには研究の手伝いがあるからな。定期的にケルウィムに素材を取りに来なけりゃならんのだ。素材がなくなるとハンフォードが五月蠅いんでな」

 オンテミオンは髭を引っ張りながら言った。


「そこまでして取りに来ないといけない素材ってのは何だ?」セグムは尋ねた。

「『マナの欠片』と言う奴だ。言わば魔法に使うチカラを結晶化したような、そんなものだな」

 へえ、とセグムは大して興味なさげに言った。



 ケルウィムは、道などを敢えて整備していない街だ。そこにあるのは立派に育った木や、移動する時に邪魔にならない程度に繁っている草や花だ。

 所々にある家は木で造られていて、石で造られたレムリスとは、まるで趣が異なる。


 今朝の出来事が夢に思えるほど、ケルウィムに漂う空気はノンビリしたものに感じられた。

 木の上で寝ている人、草原にそのまま座って話している人、歌って踊っている人。そこにあるのは平和そのものだった。


「さて、わしは自分の用事を片付けてくる。お前達はグラウドゥーサの所に行くんだろう? 宿でまた会おう。帰りもドゴール行きの三叉路まで供に行く」

 オンテミオンはそう言って離れていった。


「グラウドゥーサって人は、どんな人なの?」

 ジャシードは視線を上へと上げて、ソルンに質問した。


「グラウドゥーサは、ケルウィムの長で、ケルウィムで一番長生きしているエルフよ。エルフは人間よりも長く長く生きる種族で、グラウドゥーサは、八百歳は超えているらしいわ」

 ジャシードは、自分の百倍長く生きている人の見た目は一体どんな風なのかと想像して、ちょっと怖くなった。


 三人は、ケルウィムの北の外れまで歩いてきた。半島の先端であるそこは砂浜になっていて、右を見ても左を見ても海だった。前方ももちろん海だが、少し離れたところに島が浮かんでいるのが見える。


 ソルンは、砂浜をうろうろと歩き出した。砂浜の砂を見て、この辺だったかしら、とブツブツ言っていた。


「何を探しているの?」

「階段よ」

「階段?」

 もちろん、そんなものはこの辺りにはない。波が寄せては引いているのみだ。


「何にも無いよ」

「今はね」

「こっちじゃないか?」

 セグムも加わって、砂浜を探し始めた。


 その後もソルンはうろうろと砂浜を探っていたが、やがて何かを見つけたようで、しゃがみ込んで砂をはらった。


 ジャシードが見に行くと、五つの丸と変な文様が刻まれている、砂色をした石版があった。

 ソルンは、五つの丸文様にそれぞれ指を合わせてから、手のひらをくっつけた。


 砂色の石版がほんのり光を放った。ソルンはそれを見て、石版から手を離した。


「あっちを見ててごらんなさい」

 ソルンは、島がある方向を指さした。


「うわああ!」

 思わず、ジャシードは声を上げた。何もなかったところに、キラキラと輝くガラスのような階段がまるで彼らを島へと誘うように、順繰りに現れたのだ。

 階段は美しい曲線を描きながら、島へと到達した。


「さ、行きましょ」

 ソルンは自分が先頭になって、階段を上り始めた。ジャシード、セグムと後を追って階段を上った。


 階段は、その見た目からは想像できないほど、しっかりしているものだった。

 最初はおっかなびっくりだったジャシードも、歩を進めるごとに慣れてきて、辺りの景色を楽しむことができるようになってきた。

 足の下には、日の光を反射して静かに輝く海が広がり、そのまま左右に広がっている。左側は遠くに陸が見えた。


「あっちの陸は、おれたちが歩いてきた場所に近いな。ワーウルフに襲われた場所は、あの辺りに近いと思う。暗かったし、詳しくは分からないが」

 セグムはジャシードの視線に気づいて言った。


 三人は、弧を描いている魔法の階段を渡り終えた。ソルンが島の側にある石版に手を触れると、階段はすうっと消えて無くなった。


「すごいなあ……」

 ジャシードは魔法の階段が消えていく様を見て、まだまだ、イレンディアには自分の知らない事がたくさんありそうだと感じた。



 島は小高い丘のようになっており、三人は丘の上の方へと歩いて行った。すると、丘の上には、ちょこんと可愛らしい木造の家が建っていた。

 家は見るからに老朽化しているが、手入れが行き届いていて、汚い感じはない。


 三人は家の前に立つと、所々虫食いのドアをノックした。


「お入りなさい」中から声がした。


 こぢんまりした家の中はとても簡素で、小さなテーブルと椅子が二脚、部屋の隅にベッドがあるだけだ。

 テーブルの上には花瓶に刺さっている花があり、簡素な部屋の空気を明るくしているようだった。


「お困りのようね」

 グラウドゥーサは、今来た冒険者を見透かすように言った。


 ジャシードは、グラウドゥーサを見てたまげた。それはどう見ても大人の女性であり、想像していた、皺だらけのお婆さんではなかった。

 波打つ艶やかな茶色い髪は胸の辺りまであり、ほのかな緑色の肌色が髪の毛の美しさを際立たせている。

 エルフに共通する尖った耳には、簡単な作りながら幾つもの耳飾りが付けられていた。

 表情は温和そのもので、何か暖かいものに包み込まれているような安心感を与えてくれた。


「ジャッシュ、お前が説明するんだ」

 セグムは息子の背中を押して前に出させた。ジャシードは突然のことで驚いたが、無言で父親に頷くと、一歩前に出た。


 ジャシードは、グラウドゥーサの存在感を改めて感じて少し気後れしたが、これまでにあったことを一所懸命に説明した。レムリスで起こったこと、マーシャが弱っていること、何日も歩いてきたことを。

 グラウドゥーサは、ジャシードのつたない説明の間に、うん、うん、そうなの、と相槌を打つのみで、決してジャシードの言葉に割り込むことはしなかった。


 一頻りジャシードが話し終えるのを待って、グラウドゥーサは話し始めた。

「あなたは、命の恩人を助けるために、ここまで来たのですね。分かりました。その労苦に報いましょう、勇敢な幼い冒険者ジャシード」


 グラウドゥーサは、とても綺麗な、透き通る緑の液体が入っている瓶を取り出し、ジャシードの前に差し出した。

「それは『トゥープコイア』と私たちが呼んでいる薬です。きっとあなたの、命の恩人の生きる力を取り戻し、救うことができるでしょう」


「ありがとう、グラウドゥーサさん」

 トゥープコイアを受け取ったジャシードは、大事に布でくるんで、荷物の奥、何かあっても影響が低いであろう場所にしまい込んだ。


 グラウドゥーサは、今日はゆっくりケルウィムで休むようにと言った。そろそろ日が陰り出す頃合いで、グラウドゥーサの言葉に従うのが一番良いと思えた。


 三人は、オンテミオンが待っている宿『アースル』へと向かった。木造の宿は、外壁に蔦がびっしりと絡まっていて、緑色に染まっている。

 看板が出ているから、辛うじてそこが宿だと分かる程度だ。経験者がいなかったら、もしかしたら宿を発見できないかも知れない。


「おう、早かったな」

 オンテミオンは、宿に併設されているバーで一杯やっていた。木製のジョッキで泡の立っている液体をグビグビ飲んでいる。


「オンテミオンさんは、何を飲んでるの?」

「こいつは、ハチミツを混ぜて作られたビールだ。エルフはワインばかり飲んでいたんだが、最近こう言うのが好きな連中も増えたようだな。いずれにしても、子供にゃまだ早い」

 子供には早いと言いながら、オンテミオンはまるで命の水でも飲んでいるかのように、美味そうに飲んだ。ジャシードは、大人になったらたくさん飲むんだ、と決めた。


 セグムもテーブルにつくと、オンテミオンと同じものを頼んだ。そしてゴクゴクとかなりの量を一気に流し込み、一頻り飲むとジョッキを置いた。

「かはぁ、うんめぇ!」

 セグムも、とても満足そうだ。飲みたくても飲めない、あの飲み物は強い大人の象徴だ。ジャシードは、誤った認識を自らに植えつける事になった。


「私はブドウジュースでも貰おうかしら……。あら、ジャッシュは何も飲んでないじゃない。自分たちのばかり頼んで!」

 宿帳を書いてきたソルンは、息子が大人達が飲んでいる飲み物を羨ましそうに眺めている姿が目に入ったため、セグムやオンテミオンを叱った。


 男達は小さくなって、ジャシードとソルンへ、交互に頭を下げていた。


 ジャシードは思っていた。マーシャを助けたいがために旅をしてきて、辛いことも少しはあった。命の危険もあった。

 けれど、薬を手に入れることができたし、新しい場所へ来た。そして、エルフにも会えた。尊敬できる先輩を見つけ、こうして家族で楽しく過ごすことができる。あとは、マーシャの元気な姿を見るだけだ。


「ねえ、母さん」

 ジャシードは手元に運ばれてきた、木の器に入ったブドウジュースを飲みながら言った。

「なあに?」

「幸せって、こう言うことなのかな」

 ジャシードは、ブドウジュースが壁に掛かっている蝋燭の光を、ゆらゆらと反射しているのを見ながら言った。

「ジャッシュ、なぁに言ってんだぁお前ぇよぉぉぉ。酔ってんのかぁ、ブドウジュースでよう」

 酔いが回ってきたセグムは、ジャシードが言った言葉に反応して絡んできた。

「ちょっと、やめなさいよ」

 ソルンはセグムの額をペチッと叩いた。


 手前で始まろうとしている夫婦のおふざけ戦争の奥で、オンテミオンは眉をちょっと上げ、微笑みながらジョッキを少し上に上げた。


 ジャシードはにっこりして、オンテミオンの真似をした。

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