第9話 触れさせぬ障壁
二日目の野営を無事に終え、ジャシード達はこの旅で一番危険だと思われる場所へと進んでいた。
今のところ街道が続いているが、街道は東へと折れて行った先で途切れる。途切れた街道のその先には『遠吠えの森』と呼ばれる森が広がっている。
オンテミオン曰く、遠吠えの森にはワーウルフと呼ばれる巨大な二足歩行の狼が潜んでいて、少人数で踏み込むのは自殺行為に等しいとのことだった。
もっとも、今回の目的には関係のない場所であるため近寄ることもしないが、ジャシードはそう言う情報をしっかりと記憶に刻み込んでいった。
一行は街道沿いに歩いて行くと、今まで一定の広さを確保していた街道が細くなり、とうとう無くなってしまった。
真っ直ぐ前を見れば遠吠えの森が、どんよりとした気配を漂わせながら広がっていた。
右側には林が広がっていて、遠吠えの森と、右側にある林の真ん中に広がる草原がケルウィムへ行く最も安全な道筋だ。
「さて、先に進む前に、新米冒険者に教えておこう」
先頭を歩いていたセグムは立ち止まって振り返ると、ジャシードに向けて話し始めた。
「この草原を抜けて行くとラジャヌ湖がある、遠吠えの森に近づかないようにするには、ラジャヌ湖の近くを通る必要がある。湖の辺りには水の怪物ウォータークロッドが棲んでいる。水の塊に手が生えたような怪物だ。ウォータークロッドは、主に魔法を使う。昨日のガーゴイルは何事もなくやり過ごせたが、ウォータークロッドはそうも行かないと思う。ソルンの傍を離れないように、十分に気をつけてくれ。それから、どんなに控えめに行動しても、この辺りでは怪物に見つかりやすい。時折戦闘になるから、そのつもりで」
セグムは幼い冒険者にそう忠告すると、とても真面目な顔で大きく頷く姿があった。
ジャシードは少しばかり怖くなっていた。元々、この辺りが一番辛くなるとソルンに言われていたし、怪物たちが強くなってきているのを肌に感じていたからだ。
その上、先輩冒険者達が警戒する場所だ。否が応でも緊張感が高まっていった。
「ジャシード。怖いか?」
オンテミオンは、ジャシードの変化を敏感に感じ取って声を掛けた。
「うん、ちょっと怖くなってきた……。冒険者になるって、衛兵になるよりもずっと大変だなって、思ってる」
ジャシードは素直に認めた。
「んん、そうだな。だが君は運がいい。こうして手本になる先輩達が、誰よりも身近にいて、誰よりも早くその怖さと、遣り甲斐とを体験する機会に恵まれているんだ。怖がることも、それをどうやって克服していくかも、きみにとってはとても重要な経験になる。怖くてもいい。今見て感じていることを、しっかりと覚えておくんだぞ」
オンテミオンは、ジャシードの肩に手を置いてそう言った。
「……うん、わかった」
ジャシードはオンテミオンに言葉をかけられ、不思議と勇気が湧いてくるのを感じた。
◆
この日は少し風が強かった。木々が風を受けて葉を揺らし、ざわざわと音を立てていた。上空の雲はとても早く移動していて、時折日の光を遮った。草原の草も波打つように倒れては起き、起きては倒れを繰り返していた。
そんな中、セグムを先頭にして冒険者一行はケルウィムを目指して歩き始めた。
草原を進んでいると、少し遠くから大きな怪物がこちらへと走ってくるのが見えた。
人間の二倍ぐらいの身長、これでもかと盛り上がった筋肉を持ち、でっぷりとした腹が特徴の怪物、オーガだ。オーガは、巨大な太い棍棒を頭上に掲げていた。
「さあ、早速お出ましだ」
オンテミオンは、セグムとオーガの間に立ってオーガの注意を引いた。振り下ろされる棍棒を軽く躱すと、長剣を素早く振ってオーガのでっぷりとした腹を切りつける。
しかしオーガの腹は、それそのものが鎧のようなもので、斬っても十分なほどの厚みと分量がある。そのため、有効な一撃にはならない。オンテミオンは自分に注意を向けるために、敢えて腹を切ったのだ。
「ウグオオオ!」
オーガは叫びながら、オンテミオン目掛けて棍棒を振り下ろしてきた。しかしオンテミオンは地面を蹴って素早く右へと移動し、棍棒の一撃を躱した。振り下ろされた棍棒は、地面に命中して小さな地鳴りを起こす。
「どうした、当たらなければ意味はないぞ。その汚らしい棒は飾りか?」
オンテミオンはわざとそんな事を言って、オーガの注意を自分の方へと向けようとしていた。
オーガが人間の言葉を理解できる頭脳があるのか不明だが、馬鹿にされていることぐらいは分かるのかも知れない。
オンテミオン目掛けて、巨大な棍棒が何度も振り下ろされる。
しかしオンテミオンは、壮年を感じさせないほどの身の熟しで回避し、一度たりとも当たらない。
オーガの巨大な棍棒は、攻撃を外す度に地面に激突し、派手に凹ませた。
オンテミオンが注意を引いている間に、セグムはオーガの後方から足を狙っていた。
オーガは体躯が大きいため、足が大きく傷つくと歩行困難になる。セグムはそれを狙っていた。
オーガが棍棒を振り下ろすタイミングに合わせ、セグムは狙い澄ました一撃をオーガの腱に見舞った。
聞くにおぞましいブチッと言う音が響くと、オーガはゆらゆらと左右に揺れ、バランスを取れなくなったオーガは轟音をたてながら倒れた。
そこから先は、セグムとオンテミオンの独壇場だった。二人は立てなくなったオーガを好き放題に攻撃し、間もなくオーガは動かなくなった。
「こんなに大きい怪物もいるんだね」
ジャシードは動かなくなったオーガの周りを歩いて、初めて見た怪物を観察していた。
オンテミオンのおかげで、足の竦むような怖さは、いつの間にかどこかへ消え去っていた。
「まだまだ、大きい奴はいるぞ。エティンはオーガよりも大きいし、エティンよりも大きいジャイアントという怪物もいる。もしかしたらもっと大きい奴もいるかもな」
セグムは両手で大げさにジェスチャーしながら、何とか大きさを伝えようとしていた。
「怪物って、たくさん種類がいるんだね。人間は人間だけしかいないのに」
ジャシードは色んな怪物を見てみたい気分にもなった。
◆
強く吹いていた風は幾分収まったが、空には薄い雲がかかってきて、日の光は少し弱まった。
草の背が周囲より高い茂みを見つけ、四人は茂みに身を隠して軽く食事を摂った。
この場所でのんびりと食事をする事はできない。いつでも戦闘できるように、敷物も広げず、パンを一人一つ、黙々と食べた。
そして一行はまた歩き出した。背の高さほどあった草の茂みを抜けると、セグムは足を止めた。
「ラジャヌ湖が見えてきたぞ……ウォータークロッドを五体確認した。さて、どうしようか?」
セグムは湖の方を見ながら言った。
「わしが全部引き受けよう。お前たちは、一体ずつ攻撃を集中させて倒せ。やれるな」
オンテミオンはそう言ってセグムとソルンを見ると、二人とも揃って返事をした。
「ジャシード。お前さんに面白いものを見せてやる。ソルンから離れるなよ」
オンテミオンはそう言って、長剣を抜いた。刀身が薄曇りの空を一瞬映して煌めいた。
オンテミオン、セグム、ソルンは互いに視線を交わすと、ラジャヌ湖の畔、ウォータークロッドがいる場所へと走り出した。
ソルンとジャシードは、ソルンの魔法が届く程度に離れた場所へ陣取った。
オンテミオンは、ウォータークロッドに走り込んでいった。ジャシードがその姿を目で追っていると、オンテミオンの身体を紅い靄が取り囲んでいくのが見えた。
セグムは、オンテミオンから離れ、ウォータークロッド達が向かって行く方向の反対側へと走り込んでいった。
ウォータークロッドたちはオンテミオンを見つけて、即座に対応を開始した。水の煌めきをたたえる腕を伸ばすと、周囲の水が氷柱のように固まり、次々とオンテミオンに襲いかかっていった。
氷柱は、派手な爆裂音を立てながらオンテミオンに炸裂し、周囲に氷が砕け散って白い煙が広がった。
ジャシードは魔法に打たれるオンテミオンを見て、ゴクリと息をのんだ。あんなに打たれて無事でいるはずがないと思っていた。
しかし、オンテミオンは白い煙の中から勢い良く飛び出してきたと思えば、手近なウォータークロッドに斬りかかり、水でできた腕を切り落とした。更に下段からの切り上げを放ち、ウォータークロッドの胴体を切り裂いた。
ウォータークロッドたちはめげずにオンテミオンへ魔法を繰り出していた。しかしそのどれも、赤い靄が防いでいるように見え、オンテミオンを傷つけるに至らなかった。
「あれは『力場』って言うのよ」
ジャシードが驚いているのを見て、ソルンが言った。
「力場も魔法に似ていて、生命力を使って操るらしいわ。本人の生命力の強さを越えるような攻撃が来ない限り、どんな攻撃も本人に到達できなくなる、強力なチカラなのよ。でも、長時間使い続けることはできないみたい」
ジャシードは、凄い、と呟くので精一杯だった。
ソルンはセグムと視線を合わせ、セグムが走り込んで攻撃を開始したウォータークロッドに、絶妙のタイミングで電撃の魔法を叩き込んだ。
ウォータークロッドは電撃を受けて輝くと、形を維持できなくなって弾け飛んだ。
オンテミオンの力場が効力を保っている間に、セグムとソルンは素晴らしい連携で、ウォータークロッドたちを次々と倒していった。
そうしてラジャヌ湖の畔に静寂が訪れた。
オンテミオンは、あちこち移動して、地面に落ちている何かを拾っているようだ。
「何を拾っているの?」ジャシードは不思議に思って訊いた。
「宝石誘導の素材になりそうなものだ。ウォータークロッドが消えた後に、水の欠片と呼ばれる物が見つかる場合がある。今それを回収したところだ」
オンテミオンは手に乗った水の欠片を軽く上に放り投げては捕らえて、を繰り返していた。
「君に一つあげよう」
オンテミオンは、水の欠片を一つ、ジャシードにプレゼントした。
水の欠片は、薄緑で透明な、少しゴツゴツとした石のようなものだった。ジャシードは、初めて手に取った戦利品を一頻り眺めて、オンテミオンに礼を言うと、大事そうに荷物の中の巾着袋に入れた。
「よし、行こうか。ここを越えれば、あと一日で着ける」
セグムはそう言って、ケルウィムへ向けて、また先頭を歩き始めた。
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