第7話 目覚めの予兆

 ジャシードはふと目を覚ました。いつの間にかベッドに寝かせられていて、毛布が掛けられていた。

 暫くベッドがない生活を覚悟するように言われていたが、寝心地は自宅のベッドよりはよくないものの、翌日ベッドで眠れるとは思っていなかった。

 隣のベッドではソルンが、セグムとオンテミオンは床で寝息を立てていた。


 まだ世の中は暗い。もうひと寝入りしようかと思ったが、なにやら心がざわついて眠れそうになかった。

 周囲を見渡せば、二階の部屋の奥には鉄でできた重厚な扉を、消し忘れて消えかかっている蝋燭がぼんやりと照らしていた。


 ジャシードは大人達を起こさないようにそっと移動して、鉄扉に掛かっている、金属でできた重いかんぬきを横へそっとずらした。微かに金属がすれる音がする。

 扉はきちんと油が差されているようで、殆ど音もなく開いた。外の澄んだ空気がすうっと入ってくる。寝ている大人たちが冷えないように、そっと扉を閉じた。


 まだ外は暗いが、守衛所の松明が仄かに周辺を照らしている。二階のバルコニーに衛兵の姿はない。外側に下へ降りる階段があり、衛兵達はそこからバルコニーに登ったりするようだ。


 空を見上げれば、満天の星空が広がっている。所々雲が浮かんでいるが、星々の美しさをより引き立たせている。


 バルコニーの端まで歩いて下を覗き込むと、衛兵が二人、守衛所の入口に立っているのが見える。レムリスでも良くある光景の一つだ。


 街の入口には、何人かの衛兵がどんな時も必ず見張っている。街に近づく怪物が少なければ門番だけで始末するし、手に余るようなら助けを呼び、協力して対処する。この守衛所の守りは街の縮図だ。


 急に胸騒ぎが強くなった。それは、レムリスで感じたことのある胸騒ぎだ。ジャシードは瞬間的に周囲を見渡したが、見える範囲には何もいない。怖くなったジャシードは、そろりそろりと縁伝いに移動し、鉄の扉を目指した。


 半分ほど移動し、あと少しで鉄の扉に辿り着くと思った刹那、肩に強い衝撃が加わり床に倒れ込んだ。痛みに耐えながら後ろを振り向くと、コボルドが二階の屋根から、飛び降りざまに攻撃を仕掛けてきたのが分かった。


 ジャシードは声を上げようと試みたが、突然の出来事に身体がついていかず、声が上手く出ない。コボルドは声を出そうとしているジャシードの喉を掴み、馬乗りで小さい身体の全体重をかけてきた。


 コボルドの大きさはジャシードとほぼ同じだが、鉄鋲が埋め込まれた革の鎧を着込んでいる分、総重量はコボルドの方が上だ。ジャシードは完全に不利な状態になっていた。



 ドスッと言う鈍い音にセグムは目覚めた。


 ぼんやりとまだ暗いな……などと考えたセグムだったが、外に気配を感じ、はっとベッドを見ると息子の姿がなかった。セグムは咄嗟に剣を取り上げ、柄を放り出した。柄は石の床に当たって、乾いた金属音が弾けた。


「どうした」

 オンテミオンはムクリと床から身体を起こした。


「敵襲だ! ジャッシュがいない!」

 セグムは、かんぬきが抜かれている鉄の扉へ走った。


(息が……できない……)


 ジャシードは身を捩ろうとしたが、上手く行かない。

 ふとコボルドの腰を見ると、柄に納まっている短剣が見えた。が、手が届かなかった。

 精一杯ありったけの力を込めて身体を捩り、短剣に手をかけて引き抜こうと画策したが、コボルドはそれに気づいてジャシードより先に短剣を引き抜く。そしてニヤリと笑みを浮かべ、刃を下向きに持ち替えた。


(まずい……やられて……たまるか……)


 ジャシードは全身にありったけの力を込めた。コボルドを跳ね除けようとした行動だったが、残念ながらそうはならなかった。

 意識が朦朧としてきた中、思いっきり力を込めるジャシード。苦しみに悶える身体が、微かに目をこらして漸く見えるほどの薄赤い靄に包まれた気がした。

 不思議なことに喉を押さえていたコボルドの指が首から浮いて、息を吸えるようになった。

 吸えるだけ息を吸い込み、コボルドをはね除けようと更に踏ん張った。


 コボルドの短剣は、真っ直ぐジャシードの腹を目掛けていたが、途中で止まった。コボルドはチカラを込めているようだが、短剣がそれ以上びくとも動かなくなった。コボルドは両手で短剣を握って刺し込もうとしたが、やはり短剣は一定距離から先へ進んでいかない。


 その時鉄の扉を開けて、セグムが息子の名前を叫びながら飛び出してきた。驚いたコボルドは、後ろへ飛び跳ねて距離を取ろうとしたが、セグムの剣はコボルドを捉え、喉を掻ききり、胸をひと突きにした。


「ブビェ……」

 胸を貫かれたコボルドは、緑色をまき散らしながら崩れ落ちた。

「と……父さん……」

 ジャシードは父親の姿を見て安心し、身体の力がふっと抜けた。身体を取り囲んでいたように見えた薄赤い靄はすうっと消え、そのまま気を失ってしまった。



「う……うう……」

 ジャシードは目を開けると再びベッドの上だった。夢でも見たかと思ったが、喉の辺りにまだ違和感が残っていた。


 ソルンが心配そうに顔を覗き込んでいる。手は息子の喉の辺りに優しく当てられ、ぼんやりと緑色の光を放っている。

 緑色の光は暖かく、徐々に喉の痛みが引いていくのが分かった。


「ジャッシュ、気がついたか」

 セグムが心配そうにベッド脇にしゃがみ込んだ。

「父さん、ありがとう」

 囁くような掠れ声で礼を言う息子の頭を、セグムはくしゃくしゃと撫でた。

「いいんだよ、元はと言えば、おれのミスだ……。ところでお前、あれはどうやって……」

「ちょっと、まだ治療中なんだから、後にして」

 ソルンはセグムの発言を遮って、空いている手でセグムを遠くに追いやった。


 外はもう、空が明るくなってきていた。日光が木々の隙間を縫って、守衛所に差し込んでくる。守衛所の二階にある部屋の窓からも光が差し込み、石造りの壁に窓の形を投影した。


「怪物はどうなったの? 他にも来た?」

 元気を取り戻したジャシードは、起き上がりながら父親に質問した。


「休んでいた衛兵もたたき起こして捜索したが、他の怪物はいなかったな」

 セグムはベッドの端っこに座り、顔だけ息子に向けた。


「きっと、昨日の昼間のやつだよ」

「ああ……おれもそう思っていた。お前を喰おうと、こっそり尾けてきたのかも知れない……。また、おれはしくじった」

 セグムは頭を抱え込んで、両手で頭をくしゃくしゃにした。


「ぼくはまだ生きてるから、気にしないで。ありがとう」

 ジャシードはセグムが落ち込んでいるのを感じて、助けてくれたことに感謝した。

 セグムの気分は収まらない様子だったが、息子の言葉を受けて、少し落ち着きを取り戻したように見えた。



 朝食を済ませ、オンテミオンを加えて四人となった一行は守衛所を後にし、再びケルウィムを目指して街道沿いに南東へ歩き出した。


 トゥール森林地帯は、守衛所のあたりを境に北東側だけになり、南西側には木があまり生えていないシャルノ平原が広がっている。


 見通しが良くなると、潜んでいる怪物の襲撃を受ける可能性が低くなるため、危険性が幾許か低くなる。これから暫くは同じような風景が続いていくはずだ。


「ジャッシュ、痛いところはもう無いのか?」

 セグムはジャシードを心配して尋ねた。

「うん、母さんが治してくれたから、もう大丈夫。あとは、お腹がいっぱいで苦しいぐらい」


 セグムは夜中の不手際をネタに、衛兵達から食料をせしめていた。そのため、一行は美味しい食事をお腹いっぱい食べることができた。

 恐らく衛兵達はあと三日ほど、いつもより粗食になるだろうが、そのぐらいの緊張感があの守衛所にはあったほうがいいだろう。


「ねえ母さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ、この街道って、魔法がかかってるって言ってたけど、誰がかけてるの?」

 ジャシードは不思議に思っていたことを訊いた。


「魔法は、今誰かがかけているわけではないのよ。大昔のすごい魔法使いの人がかけたらしいわ。部分部分の魔法効果は弱くても、イレンディア全体の道にいつまでも効果が続くようにする魔法をかけられる程の生命力って、私には想像も付かないわ」

 ソルンは過去の記憶を掘り返しながら、そう答えた。


「イレンディア全部の道かあ。すごいなあ」

 ジャシードはマーシャの一件を思い出し、確かに想像も付かないと思った。


 ジャシードは北西の方角、シャルノ平原の果ての、どっしりとした作りの塔を指さして、あれは何かと訊いた。遠く離れていても見えるその塔は、かなり大きいものであろう事は容易に想像ができた。


「あれは、グヤンタの塔、と呼ばれている」

 オンテミオンが髭を弄りながら言った。グヤンタの塔には、とびきり強力な怪物たちがたくさん棲んでいると説明した。


「その向こうの煙は? 山が燃えているの?

「んん……? いや、あれは火山と言って、溶けた岩がぶくぶく出てきているところだ。あの火山の辺りは、ヴォルク火山地帯と呼ばれている。溶岩が出ている山がたくさんある場所、と言うことだな」


「よくわかんないけど、岩って溶けるんだ……。すごいなあ」

 ジャシードが育ったレムリスの周辺には、岩山こそあれ、火山などない。ジャシードは山が燃えているのかと思ったが、そうではないと知って驚いた。


「オンテミオンさん、物知りだね」

「このぐらい……。いや、伊達に冒険者やっておらんわい」

 オンテミオンは子供相手に胸を張った。



 一行は、シャルノ平原を街道沿いに調子よく進んでいた。シャルノ平原には遮蔽物が殆ど無いため、怪物が寄ってくればすぐに分かる。そのため、休憩も取りやすい。


 セグムは昼食後の休憩中に、ジャシードを連れて周囲の植物で食べられるものや、役立つものを教えていた。セグムはこの旅の中で、できるだけ息子の知識を増やしてやりたいと思っていた。


「こっちの茎は、かじると甘いぞ」

「本当だ!」

 ジャシードは、かじると甘い茎を囓りながらたくさん収穫し、自分の荷物に差し込んだ。見るもの触れるものが、ジャシードにとっては新しい。辛い思いもしているが、ジャシードは心の底からこの旅を楽しんでいた。


 一行は順調に歩を進めた。日が傾き、空が綺麗な夕焼けに染まった。

「サベナ湖が見えてきたわね」

 ソルンが夕焼けを反射して輝く湖を見つけて言った。まだ日の入りまでには時間に余裕があったため、一行はサベナ湖の近くにある三叉路まで歩を進める事にした。


 更に小一時間ほど歩いて、一行は三叉路までやってきた。今日はこの三叉路を野営地にすることが決まった。

「ケルウィムまであとどれぐらいかかるの?」

 ジャシードは皮の敷物をソルンから受け取り、草原の上に広げながらセグムに尋ねた。

「予定より早く来ているが、南へ向けて歩いて、早くてあと二日……だが恐らくケルウィムの手前で怪物と戦闘になるだろう。怪物の数にも寄るが、そうなれば三日か四日かかる」

 セグムは今後の戦いに思いを馳せてそう言った。


 ケルウィムの周辺にいる怪物たちは、レムリスの周辺とは比べものにならない強さだ。セグムは当初、かなり厳しいと思っていたが、思いがけずオンテミオンと合流できたため、気持ちに余裕ができていた。オンテミオンは頼りになる男なのだ。


「ところで、聞いてなかったが、オンテミオンは何の用事でケルウィムに行くんだ?」

「んん、宝石誘導の素材を取りにな」

「まだあれ、やってんのか」

「そうは言うが、日に日に成功率は上がってきておるぞ。その手に持った武器に、魔法効果を後付けで付与できる技術だ。諦めるわけにはいかんだろう」

「確かにそうだな……」

 宝石誘導というのは、オンテミオン達が研究している新しい技術で、通常の武器に魔法の力を与える手法のことだ。まだ研究段階のため、上手く行かないことが多いという。

 セグムとオンテミオンは、宝石誘導の話で盛り上がり始めた。普通の武器が魔法の武器になるなら、それは戦士たちにとって嬉しい知らせになるからだ。

 二人は、自分の武器にはこんな魔法の力が欲しいだの、その場合の戦闘の進め方についてだのと、野営の準備もそっちのけで話し続けていた。


「ほら、無駄口叩いてないで、二人ともテントを張る!」

 ソルンは、宝石誘導の話で盛り上がっている二人の尻を叩いた。

「はい、すぐに! ソルン先輩!!」

 男二人を自在に操るソルンを見て、ジャシードはぷぷっと吹き出した。

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