第5話 冒険者の心得

 一行は、街道に沿って歩き始めた。街道は曲がって南へと折れているため、レムリスを出て少し経つと城壁がトゥール森林地帯の木々に遮られて見えなくなる。

 今まで街の中だけで生活してきたジャシードにとって、両親と一緒に旅をしているとは言え、この光景はかなりの不安を覚えた。

 しかしそれと同時に、城壁の外の世界というものは一体どのようなものなのか、激しく好奇心をかき立てられていた。


「もう、街が見えなくなっちゃったね」

 ジャシードは後ろを振り向きながら口を開いた。


「そうだな。この旅が終わる頃には、イレンディアの広さとレムリスという街の小ささを実感することになるだろうよ」

 セグムは周囲の気配を探りつつ、警戒しながら先頭を歩いていく。


「まさか自分の子供と旅に出るなんて、思ってもみなかったわ」

 ソルンは、我が子の小さな頭を見下ろした。


「しかも、自称冒険者だ。笑えるよな」

「こんなに幼い冒険者なんて、聞いたことないわね」

 ソルンは、後ろを振り返ったセグムに微笑んだ。


「そうだ、ジャッシュ。街の外の行動で気をつけて欲しいことが幾つかあるから聞いておけ」

「どんなこと?」

 ジャシードはセグムに追いついて見上げた。


「ソルン先輩が言っていたが……」

「ちょっと、もうその呼び方やめて」

 ソルンは後ろから発言を遮った。


「はっはは、悪い悪い。母さんが言っていたが、街道は魔法が掛かっているとは言え、衛兵が昼も夜も関係なく守っている街と比べたら、遥かに危険だ」

「うん、分かってるよ」

「いいや、分かるのはこれからだ。分からない方が有り難いが、いずれ分かるときが来る」

 セグムは息子を見下ろして、どんな顔をしているのか確認した。


「街道沿いを進んでいる間も、大声で話すのは禁止だ。トゥール森林地帯にも少なからず怪物がいる。……この間の襲撃でかなり数が減ったとは思うが、それでも恐らくレムリスの近くだけの話だ。だから油断してはいけない」

「わかった」

 セグムの言葉を聞いて、ジャシードは囁くように言った。


「そこまで小声だと聞こえないから、聞こえる程度でいい。でも大声はダメだ」

「このぐらい?」

 ジャシードは少し音量を大きくしてみた。


「そうだな。そのぐらいでいい。それから怪物のことだ。怪物たちがいつどこで産まれているのか、誰も分かっていない。この辺りにはこんな奴らが棲んでいる、と言う大雑把なことしか分かっていないんだ」

「どうして分からないの?」

 ジャシードは、そんな事はみんな分かっている物だと思っていた。怪物たちがどこで暮らしているのか、大人達はみんな知っているものと思っていた。


「それを調査できるほど強い者は多くない。今ある情報は、何人もの冒険者達が、それぞれ別々に集めてきた情報を一つに集めたものでしかない。情報が少ないのもそのためだ。そして、情報だけを集めようという冒険者も少ない。彼らにも生活があるからな」

 セグムは周囲に目を配りつつ説明した。実際このトゥール森林地帯でさえも、詳細な調査などできていない。街まで来てしまったら対処する、完全に後手に回っているのが現状だ。


「何年も衛兵をやってきたが、この間の襲撃のようなことは無かった。それにお前が教えてくれなかったら、おれは大怪我を負っていたかも知れない」

「でも迷惑をかけたよ」

「いいんだ。すまない、もうそれを言うのは止めよう」

 セグムはジャシードの頭に手を当てた。


「おれと母さんも、仲間と共にいくつもの町へ行ったし、いくつもの依頼を解決してきたが、まだまだ知らないことだらけだ。世界を知るには強さが必要だ。しかし残念なことに、おれたちはそこまで強いと思えなかった」

「父さんは強いよ」

 ジャシードは父親が弱気なことを言ったので、少し驚いて訂正しようとした。


「お前にとってはそうかも知れないが、怪物にとってはそうではない。怪物討伐の依頼を達成できなかったこともあるし、仲間を守り切れずに死なせてしまったこともある。冒険者はそう言った危険が、衛兵よりも、もっとずっと近くにある」

 セグムは、遠くを見るような目をしていた。


「だから、今は安全そうに見えるこの旅だって、おれと母さんが行ったことのある場所であったとしても、何事もなく終われるなんて思ってはいけない。いつも警戒を怠るなよ、ジャッシュ。お前はおれの子供でまだ半人前だが、冒険者となるのならば、おれの言ったことを心に刻んでおけ」

「うん。わかった」

 少年はしっかりと頷いた。


「もしお前がおれより強くなったとしても、決して驕るな。驕りは弱さになる。この間のおれのような失敗をする原因になる。……っと、街道だからと言って、必ず安全ではないという例が早速……」

 そう言うとセグムは、剣を抜いて走り出した。


 ジャシードは何かと思ったが、近くの茂みからコボルドが一体、顔を覗かせた瞬間、セグムにその首を切り落とされた。コボルドは声を上げる暇さえ与えられず絶命した。緑色の体液がコボルドの身体からぴゅうぴゅうと迸った。


「コボルド、ゴブリン、オークの仲間は、逃がすと仲間を連れて戻ってくることがあるから厄介だ。ああいう奴らはすぐに倒す必要がある。もし逃げられたら、逃げた方がいい。あんな連中だが、十体、二十体となれば捌ききれなくなる。もしその中に、弓矢だの魔法だのを使う奴らが混じっていたら、大変なことになる。もっとも、この辺りでは滅多に見かけないがな」

 セグムはコボルドの首を茂みの奥に転がしながら言った。


「気づきもしなかったよ……」

「こう言うのは訓練の賜物だ。お前もいずれ分かるようになるさ」

「あとでコツを教えてよ」

「コツかぁ。考えたこともなかったな。ちょっと考えとく」

 いつの間にか習得し、ごく自然とやっていることのコツは、なかなか説明しにくいものだ。身体に染みこんでしまっていては尚更だ。セグムは息子に言われてその事に気づいた。


「ふふ、課題がいっぱいね」

 話を聞いていたソルンは、ジャシードににっこりと微笑んだ。


「遣り甲斐があるよ」

 ジャシードは特に深く考えもせずに言った。


「あっはは、聞いたかソルン。こいつは楽しみだ」

「ええ、本当に」

 そう言いながらソルンは、セグムがジャシードに稽古を付けてその成長を見るに付け、こいつは将来が楽しみだと、何度も言っていたのを思いだして微笑んだ。



「そろそろ、お昼ご飯にしましょう」

 ソルンが敷物になる毛皮を取り出しながら言った。


「やった!」

 ジャシードはソルンの言葉にうっかり大声を出しそうになったが、何とか堪えた。まだまだ育ち盛り、食べ盛り。食事は彼の原動力だ。


「あら、ジャッシュ。あなたが喜びそうなメニューはなかなか作れないから、そのつもりでね」

 ソルンは荷物の中から硬いパンと干し肉を取り出した。それは確かにジャシードの好物とは違うものだ。

 取り出しながら息子を眺めると、余程腹が減っていたのか、その目はソルンの手元を追うように動いている。余程お腹を空かしていたのだろう。


 セグムは食事と聞くや、近くに生えている草を物色し始めた。あれこれと葉っぱを眺めて、ハーブの類の葉っぱを何枚か持ってきた。

 ソルンはそれを受け取ると、ナイフでちょうど良い大きさに切って、硬いパンと干し肉の間に挟んだ。


「こうして、食べられる葉っぱとか、そう言うものを見つけるのも、冒険者に必要な知識だ。時には治療薬の材料になる薬草なんかも必要になる」

 セグムは息子が感心して見ている様に気づいて説明してやった。


「はい、どうぞ」

「ありがとう。いただきます」

 ジャシードは干し肉とハーブが乗った硬いパンに齧り付いた。しかしやはり硬かったようで、手にも力を入れて引きちぎった。


「水もいるわね」

「あいあほ」

 口いっぱい頬張ってしまい、言葉にならない。


「あんまり頬張るなよ。怪物が来たら慌ててしまうぞ」

 セグムは息子の様子を見て言った。

「んん」

 もごもごとしながら、一応返事をする。


「あなたも食べて」

「おう、ありがとうな」

 セグムもパンを受け取った。


 三人は周囲に気を配りながら、質素な食事を楽しんだ。ジャシードは、もぐもぐしながら両親を交互に眺めた。

 今後の旅について話している両親は、今まで彼が見たことのない表情をしているように感じた。

 生命の危機と隣り合わせである旅だが、二人は過去のことを思い出しているようで、楽しそうだった。


 食事を済ませた後、一行は再び歩き始めた。ソルンは息子の体力を気にかけているようで、時折疲れたか、まだ歩けるか、と声がけを怠らなかった。

 ジャシードはその度に平気だ、まだ歩ける、心配しないでと返した。事実、ジャシードは日頃の鍛錬のおかげで、そう簡単に疲れたりはしなかった。


「止まれ」

 セグムは左手を水平に出して歩みを止めた。

「どうし……」

「シッ」

 ソルンは、ジャシードが話し始めようとしたのを見て、口に指を当てて声を出さないように合図した。それを見たジャシードは無言で頷く。


「五つぐらいは気配がある」

 セグムはそう小声で言うと、音を立てないように剣を鞘から抜いた。ジャシードも短剣を抜こうとしたが、ソルンが剣の柄に手をかけて押さえた。


「あなたは身を守りながら見ていなさい。危険な怪物と戦わせたりはしないわ」

「でも……」

 ジャシードはソルンの顔を見て、それ以上抵抗するのはやめた。


「大丈夫、五体ならお父さんだけでも平気かも」

 セグムはゆっくりと怪物の気配がある方向へ歩を進めた。


(コボルドの近接戦闘型が四……おかしい……もう一つはどこだ……)

 セグムは周囲を注意深く探ったが、もう一体が見当たらなかった。


「ギャア、ギャア!」

 コボルドがセグムを視界に捉え、大声を出した。


「気づかれたか」

 セグムはコボルドの群れに走り込んでいった。そして一閃、早々にゴブリンの腕が一本飛んで、ギャアギャアとわめき声が響いた。

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