第113話 チルシュの街に向かって

 キャベチ軍が深淵の森を焼き払いながら進軍して来た為に、森の中には燃え燻った臭いが漂っていた。


 それでも魔境と言われている深淵の森である。

 生き物の身体が新陳代謝を繰り返して再生して行く様に、森も再生して行く。

 そして、この森は、その再生速度が異様に早いのである。


 たった2日前に焼かれた森の木が、その燃え跡から新しい命を芽吹かせていた。

 地球にある木と変わらないように見えるが、この世界では魔力の関係なのか、ひと月もすれば森の木は元通りになっているだろう。


 その森の中をグングンと進む一行がいる。

 ワタル達、チームハナビのメンバーである。


 ワタル達は森の小人族の村から、キャベチ領のチルシュの街に向かって急いでいる。

 今回、森の小人族の村を襲わせた元凶であるキャベチ公爵を倒す為である。

 キャベチ軍との戦闘から一夜明けただけで、そのままチルシュの街に向かっているのだから、かなりの強行軍である。


 森の小人族の村では、このワタル達の行動を、かなり強く引き止めていた。

 村長のミグミグなどは、ワタルに縋り付く勢いで懇願していたのである。

 ワタルが直ぐにでもチルシュの街に向かおうとしたからだ。


「村の恩人をこのまま帰す訳には参りません!せめて、ゆっくりと体を休めて下さいませ」


「そうは言ってもなぁ」


「村に損害が出なかったのは、あなた方のお陰です。これではご先祖様にも申し訳が立ちません」


 必死で食い下がるミグミグに、ワタルが静かに告げる。


「まだ、戦争は終わって無いんだよ。悪の元凶を叩かないと、また襲われる事になるよ」


「……それは……そうかも知れませんが、せめて今夜だけでも体を休めて、おもてなしをさせて下さい」


 涙を流さんばかりのミグミグの態度に、堪らずエスエスが声をかける。


「ワタル、今夜だけ村に泊まって行こうよ。これではちょっとミグミグが可哀相だよ」


「うん?そうか?……そうだな。そこまで慌てなくても良いのかな?俺もちょっと焦ってたかな」


 と、いうやり取りがあって、ワタル達チームハナビは、森の小人族の村に一泊したのであった。

 確かに、ラナリアも魔力を消費していたし、コモドもそれなりには疲れているはずである。


 まだ、戦争が終わっていないのに、余り緊張を緩め過ぎるのは問題だが、適度な休息は必要である。


 一晩村に留まる事を決めたワタル達に対して、ミグミグは派手な宴会でもてなそうとしたが、流石にそれは却下されて、ささやかな食事会が催されたのだった。

 それでも、森の奥地に棲息する希少な魔物の肉や、村に伝わるとっておきの木の実など、相当に張り切った料理が振る舞われた。


 これらの中には、魔力や体力を回復させるものも含まれていて、結局、ワタル達は非常に助かったのであった。

 そして、ゆっくりと睡眠を取り、夜が明けてから村を出たのであった。


 チルシュに向かっているメンバーは、チームハナビだけでは無い。

 イリアが同行している。


「キャベチ公爵子飼いの兵は、かなり手強いと聞くぞ。私を連れて行け。役に立つぞ」


 エスエスの話では、魔法剣士の冒険者、というイメージのイリアだったが、実は市街戦も得意で、対人戦闘や索敵、罠の解除など、斥候としての能力も高いフリーの傭兵の様な仕事をしているらしかった。

 イリアは、キャベチに対する怒りもあるのだろうが、ワタルをはじめとするチームハナビのメンバーに興味を持った様だ。


 森の小人族の村の守りも心配ではあるのだが、イリアの仲間の冒険者達が村に残っている。

 もし、逃げたキャベチ軍の残党が襲って来ても、冒険者達はBランク相当の腕前だそうなので、逃走した程度の腕前の兵士にやられる事は無いだろう。

 イリアが、信頼できる仲間だと太鼓判を押していたので大丈夫そうである。


「イリアが来てくれるのは心強いです……えへへ」


 エスエスは嬉しそうである。

 憧れの女冒険者なのだから当然であろう。

 ラナリアとは魔法について話をしているし、ルレインやシルコとも剣術の事で話が合う様である。


 イリアの出身や経歴については、本人が話したがらないので謎のままである。

 ただ、若いのに高等魔法を使う事や、並外れた戦闘力を持つ事から、ワタルと同じ様な転移者なのではないか、と想像しているのだが、ワタルの秘密も話していないので詳しく聞く訳にもいかないのである。

 それでも、キャベチを倒すという目的は一致しているので、気にしない事にしたワタル達であった。



 一路ワタル達はチルシュの街に向かっている。

 急いでいても日数のかかる道のりである。

 それでも、5日間で森の外れまでたどり着いた。


 途中、魔物に襲われる事もあったし、何しろ魔の森と言われる深淵の森である。

 これだけの日数で踏破したのは、驚異的なスピードだと言えるだろう。


 時刻は、まだ夕刻には早い午後の時間である。

 街に近付いても、特別に変わった様子は無い様だ。

 少し静か過ぎる位である。

 小人族の村でのキャベチ軍の敗戦の情報は、まだ届いていないのだろうか。


 情報が足りない、と判断したワタル達は、取り敢えず街に入る事にした。

 キャベチ領の街は、特に城壁で囲われたりはしていないので、特に問題無く街に入ったメンバーだったが、街中の雰囲気の変化に驚く事になった。


 とにかく静かなのである。

 まだ陽の高い時間にも関わらず、街のメインストリートにも人影は疎らであった。

 キャベチ領内でも有数の大きな街であるチルシュの大通りとは思えない。

 そんな中を、キョロキョロしながら、ぞろぞろと歩いているワタル達は少々目立つ存在になっていた。


「冒険者ギルドで情報を探ってみようか」


 と、ルレインが言いだした。


「危険じゃないか?」


「冒険者ギルドは、領主の思惑とは独立しているはずよ。まあ、危なそうなら無理はしないから心配しないで」


 ワタルの心配を他所に、ルレインはギルドの方へ走って行ってしまった。

 走り去るルレインの形の良いお尻を見送りながら、ワタルは軽く息を吐く。


「はぁ……ま、ギルド関係はルレインに任せておけば大丈夫かな」


 冒険者ギルドがキャベチ公爵の手に落ちていない、という保証はないが、現状ルレインに危害を加える事が出来そうな大きな気配は近くには無い。

 ラナリアやシルコは、長くチルシュに暮らしていたが、住んでいたのは貧民街で、当時冒険者ギルドになど行った事も無かった。

 だから、チルシュの冒険者ギルドについての予備知識は全く無いので、ルレインに任せた方が良さそうである。


 と、そこで、ワタル達の方に向かってくる2体の騎馬があった。

 その騎士が早足で近付きながら声をあげた。


「おい、そこを動くな!」


 騎士の肩に装着されたプレートには、キャベチ公爵のエンブレムが刻まれている。


「公爵直属の騎士ね……」


 ラナリアが小声で呟く。


「お前達、何をしている。出頭命令が出ているだろう」


 騎士が馬上から鷹揚に声をかける。


「私達は旅の者で、今し方この街に着いたばかりでございます。出頭と申されましても何の事だか……」


 そうラナリアが応えながら頭を下げる。

 キャベチの騎士など大嫌いなラナリアだが、わざとらしい程の丁寧な言葉遣いである。

 この場で大騒ぎになるのを避ける為だ。


「ふん、余所者か。今、この街は戒厳令下にある。戦える者は軍に参加し、そうで無い余所者は即刻街から出て行け」


 騎士は鼻を鳴らして言い放つ。

 そして、ジロリと一同を見回して


「はははっ。まあ、この中にまともに戦える者はいそうに無いがな」


 と、嘲る様に笑い声を漏らす。

 ワタル達は気配を抑えているだけなのだが、騎士にはそれが分からない様だ。

 そして、更に侮蔑の言葉を続ける。


「ん、それでもいい女であれば、兵士達に身体で奉仕する事も出来るぞ」


 いやらしい笑みを浮かべながら手にしていた槍を向け、その穂先で俯くラナリアの頭のフードを取ろうとした。

 鋭い槍の穂先を、大した意味も無く市民に向けるなど、騎士としては余りに非常識な行為である。


 しかし、この騎士達は敵意も殺意も発していなかったので、ラナリアもワタル達も黙っている。

 それに、キャベチ領の騎士や役人が横柄で態度が悪いのは、昔から変わらないのだ。


 しかし、これをどうしても我慢出来ない者がいた。


 ガイィィン


 コモドの槍が、騎士の槍を打ち払い、地面に叩きつけた。

 余りの威力に驚き、動作が固まる騎士達。


 騎士の槍は真ん中から大きく曲がり、地面に落ちている。

 騎士の馬も驚いて暴れそうなものだが、コモドの殺気に当てられて微動だに出来ない。


「姫に対するその様な態度、見過ごせるものでは無い。しかも、槍をその様な事に扱うなど……不埒者が!」


 コモドの槍が、馬上の騎士の心臓を貫いた。

 一瞬の出来事に、騎士は呻き声さえあげていない。


 そして、コモドの着ていたコートのフードが後ろに落ちて、コモドの顔が現れる。


「ひっ、りゅ、竜人?!」


 もう1人の騎士が、コモドの顔を見て引き攣った様な声をあげた。

 彼は、何処かで竜人の事を知っていたのかも知れない。

 急いで馬を返すと、その場から逃げようとしている。


 しかし、


 ザシュッ


 その騎士は首を刎ねられ、馬上からずり落ちた。


 ヒマルが手首をプルプルと振っているので、彼女の風魔法であろう。


 この従者コンビには、騎士の態度は我慢の限界を超えていたのだ。

 しかし、この場合、ラナリアはキャベチ軍を燃やし尽くすつもりで乗り込んで来ているので、騎士の行為は間違っている、という訳でも無かったとも言えるのだが……


(あぁあ、やっちゃったね)


 などとワタルが呆れていると、通りの脇の建物の陰から、サササッ、と近付く者が現れた。


 コモドは警戒して前に出ようとするが、それをワタルが手で制した。


「よっ、久しぶり」


 ワタルが片手を挙げて、軽く声をかける。


「これでも変装してるんですけどね。自信無くしますね」


 近付いて来たのは、ロザリィの冒険者ギルド諜報部のカイであった。

 チルシュの貧民街に住んでいる者の様な、薄汚れた格好をしている。

 いくら変装しても、ワタルはカイの気配で見分けているので関係無いのだが、カイはそれを知らないのであった。


 それに加えてワタルは、チルシュの街に入った時からカイの気配が近くにいるのを分かっていたのだ。

 ワタルの気配察知の能力は、この世界では常識外れで、たとえスパイを生業としているカイの隠密行動でも問題無く捉える事が出来るのである。


「ノク領の外でも活動しているんだね?」


「いや、通常では領の外には行かないんですよ。特別……だと思いたいですね。何だか闇落ち専門、みたいにされちゃって参ってるんですよ。大変だし、危険だし……」


 ワタルの質問に、カイが愚痴り出した。

 言ってはいけない事も漏らしている様な気もするが、そこはスルーするワタル。

 キャベチ軍にも闇落ちの獣人奴隷がいた位なので、この国の支配階級にも闇落ちした者がいても不思議では無い。

 カイはその辺りを探っているのだろう。


「それにしても、アッサリと騎士達をヤッちゃいましたね。まあ、この件はこちらで処分しておきますよ」


 カイはそう言うと、後方の建物に向かって合図をする。

 すると、ワラワラと貧民街の住人と思われる者達が、建物の陰から沢山現れ、騎士の死体や馬に群がり始めた。


「この人達は、貧民街の普通の住人ね。知った顔もあるわ」


 シルコが小声で囁いている。

 元住人のシルコやラナリアには分かるのだろうが、向こうからは彼女達を認識出来ない様である。

 シルコは、奴隷紋が外れて半獣人になっているし、ラナリアは痩せたおばさんから、巨乳美女に変わっているからである。


 貧民街の住人達は、瞬く間に騎士達の死体から、装備品や服を剥がして持ち去って行く。

 何人かの者達は、コモドに深くお辞儀をしたり、ハンドサインで「よくやった」的な合図を送っている者もいる。

 騎士に対しては思う所があるのだろう。


 馬も何処かに連れ去られ、裸にされた騎士の死体も引き摺られて持ち去られてしまった。


「もう、この街はお終いですよ。ここまで滅茶苦茶に住民から吸い上げたら街が保ちません……と、あなた方が何しに来たかは聞きませんよ。邪魔はしませんので、お好きな様にやって下さい」


「助かるよ」


「あ、これは独り言ですが、キャベチ公爵はこの街に来ていますよ。国のトップが闇落ちしたらお終いですよね。では、また」


 カイはワタルと挨拶を交わすと、何処かへ去って行った。

 これは暗に、闇落ちしているキャベチを討って欲しい、と言われた様なものである。

 冒険者ギルドの思惑に乗るのも気が進まないが、利害が一致しているのも事実である。


 やはり、キャベチは滅ぼすしか無い、と思うワタルであった。



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