第10話;橋本も覚醒?
教室に入る直前で、どうにか白江を捕まえた。部活を辞め、最近はお腹が曲線を描き始めたとは言え、ここに来るまでに捕まえられなかった事が悔しい。いや、それ以上に彼が速かった。体力と運動神経なら僕が上だ。白江は、本気でカードを奪おうとしたのだ
捕まった彼はその場で倒れ、もの凄い形相になった。彼との友情を見直すべきだ。ただ、僕も軽率だった。
教室ではなく、非常階段の外へと彼を引きずった。彼の事だ。教室に入ったら騒ぎ始める。それは避けたい。
引きずられる彼は無抵抗だった。本当に疲れ切っているのだ。しかしカードはまだ、その手に握られている。
「こうしよう…。カードが売れた金額の、30%を俺が頂く。」
交渉が始まる。踊り場で、彼が取り分を要求する。
「馬鹿言え!どうして30%なんだよ!?カードを買ったのは僕だぞ!?」
その要求と、詫びない態度に腹が立つ。…人間とは、実に現金な生き物である。僕らには妖精やドラゴン、呪術や魔法のような幻想を信じる欠片はなく、目の前でキラキラと光るカードが金の卵にしか見えなかった。
「はぁはぁ…。それじゃ20%…。」
白江は粘った。カードはまだ彼の手の中にあり、今にも握られて潰されそうだ。
「15%!」
とっさにそう答えた。しまったと思った。しかし彼は譲らない。
「駄目だ!20%!!」
僕の弱気に勘付き、むしろ大きく出てきた。
「…分かった。20%…。だから、早くカードを解放しろ!」
僕は折れた。カードが握り潰されでもしたら価値が下がってしまう。
納得した彼が、ゆっくりとカードを差し出す。お互い顔を見合わせながら、僕もゆっくりとカードに手を運び、それを受け取った。
「約束だからな!」
カードを手放した白江が念を押す。要らない約束を交わしたものだ。仕方ない。カードの価値も知らずに見せびらかし、1度はあげると言ってしまったのだ。
僕らは上がった息と服装を整え、お互い無言のまま教室へと向かった。
「それじゃ…また明日な。」
授業を終えて、一緒に下校した白江に駅で手を振る。結局、彼との友情は繋がった。僕も線路へと続く階段を登り、そして下る。ホームに着くと、向かい側になってしまったホームから僕を睨む男がいた。友情は切れなかったものの、白江はしっかりと取り分を奪うつもりだ。高校生にとって万単位のお金は魅力である。5万円を下らないカードの20%を求めた理由がここにある。
「しつこいって!」
大きな声で突っ込みを入れ、いつもの場所まで歩く。
そのまま大声で話し続けても良かったけど、その場合は気まずい雰囲気に陥る。カードの事が他の人にばれる。そして何よりも、どちらかの電車が来るまでの会話が続かず、妙な空気が流れるのだ。
人は何故、あの空気を我慢出来ないのだろう?気まずくなるあの雰囲気は、何故生まれるんだろう?多分、それより遠い距離で誰かと話した事もあるだろうに…。
「あっ、井上君。」
白江と距離を置いて電車を待っていると、女子が声を掛けてきた。僕と話す女子と言えば1人しかいない。
いつもの公園…。今日も訓練に明け暮れる。ただ今日は、僕の方から誘った。試したい事と、自慢したい事があった。
「最近、新しい透視カードを買ったんだ。橋本がこれを、透視出来るかな?と思って…。」
カバンの中から、例のカードを取り出す。
「……。」
橋本は、既に意識を集中させていた。空ろな顔をして、目は半開きだった。
「何か…」
5分程して、彼女がゆっくりと話し始めた。僕はにやけた顔を止め、少し真剣な表情になった。
「うん…。どんな絵かは分からないけど…何か…キラキラしたものが見える…。」
「…!」
そして驚いた。橋本が、ゆっくりと目を開ける。
「私…見えちゃった…。井上君が持ってるカード…。絵なんて描いてないでしょ?キラキラ光るだけのカードでしょ?」
その顔は、真剣そのものだった。そして回答を待っていた。
「せ…正解…。」
おどおどしながら答えた。橋本がはしゃぎ出す。腰を上げ、2、3回とジャンプをしながらクルクルと回り、最後にバンザイをして、そのまま背伸びをした。僕はその傍らで、ただただ口を開けていた。
「えっ…。…何で分かったの?」
ゆっくりとカードを捲り、絵の方を見せた。すると彼女は喜ぶ事を止め、その場に腰を落とした。
「何だ…違うじゃん。絵が描かれてるじゃん!」
落胆した橋本に代わり、今度は僕が興奮し始める。
「いや、それでも凄い事だよ!周りのキラキラ当てたじゃん!?」
「あーっ!ずるい!こんな複雑な絵、分かる訳ないよ!」
橋本が、カードに描かれたドラゴンの絵をマジマジと見て怒る。透視カードには単純な絵しか描かれていない。記号にも近い、抽象的な絵だ。丸や二重丸だったり、波模様だったり、×の字だったり…。透視をさせたカードは複雑過ぎたのだ。
「あっ、いやっ、それはご免。でも凄いよ。橋本凄い!」
褒め続けていると橋本の表情は解け、徐々に笑顔に変わっていった。
「んじゃ、これで井上君も少し、『信じる人』に近づいたね?」
そして顔を近づけた。
「いや、信じるよ。信じる!凄い!橋本、本当に凄い!」
素直にそう答えた。ドラゴンの絵は駄目だったにしろ、橋本は背景の色を当てたのだ。透視カードはこれまた、白背景に黒字で絵が描かれている。だから透視に成功でもしない限り、背景のキラキラは当てる事が出来ない。信じるしかなかった。
僕は、橋本の能力を信じた。心の底からそう思った。…その時は…。
「…んじゃ、このカードを集めている人には、5万円以上で売れるんだ?」
お互いに落ち着きを取り戻し、カードに関した説明をする。手に入れた経緯には口を閉ざした。ばつが悪い。
橋本がカードを奪い取り、珍しい物を見るかのように眺める。いや、実際に珍しい物なのだ。
「でも凄いね?こんなカードに、5万円も出す人がいるなんて。」
何気ない一言が、僕の心を突っつく。確かにそうだ。ドラゴンの存在なんて信じない人達が、このカードに大金を支払う。本物のドラゴンが召還出来ると言うなら安い。でもそれはあり得ない話だし、アイドルの生写真よろしく、本物のドラゴンを撮影した写真でもない。何処かのお菓子会社が利益を上げる為に、おまけで付けたカードだ。それがお菓子そっちのけで一人歩きし、人気を得ただけのカードなのだ。お菓子は確か、100円したかどうかの値段だ。それに入っているカードが、数万円の価値を生んでいるのだ。
100円にも満たない利益を求めて作られたカードが、100倍以上の金額で取引される…。カードを集める人達は、それを知っていながらも大金を出すのだろう。…分からなくなる。作る側が思う価値と求める側が思う価値…。果たして、どちらの価値が正しいのだろう…?
「で、どうやって売るの?このカード?」
また変な事を考えていた僕は、橋本の一言で我に返った。
僕は、このカードに価値を見出していない。誰にも売らず、所有して満足するコレクターではない。白江に無償で譲ろうとした程だ。カードを売って、お小遣いを稼ぐ事しか頭になかいのだ。白江に20%の約束をしてしまったので、売らない訳にもいかない。
「どうやって売る…とは?」
ただ単に売れば良いと思っていたけど、確かに方法を知らない。
「井上君、未成年じゃない?物を売って良いのかな?犯罪じゃない?少なくとも違法だよ。」
「…そうなの?」
橋本が追い撃ちを掛ける。経験もない僕は、急に現実的な話を持ち出されて戸惑った。
「20%…。」
「……!」
橋本が、鋭い声で呟く。授業中の彼女ではなく、超能力を前にしてテンションを上げた彼女でもなく、また普通の女の子として、素敵な笑顔を見せてくれる彼女でもなく、まだ、僕が知らない橋本の姿があった。その未知の姿にぞっとした。
…人間とは、実に現金な生き物である。僕らには妖精やドラゴン、呪術や魔法、そして超能力を信じる欠片もなく、目の前でキラキラと光るカードが、金の卵にしか見えなかった。
「それじゃ…カードの事は橋本に任せるよ。」
橋本との交渉も終わった。交渉と言うより一方的な提案があった。提案は2つ。1つは、オークションサイトに出す事。もう1つは店に売る事。トレーディングカードの専門店があるらしい。しかしどちらの方法を執るにしても、保護者や成人からの委任状が必要となる。その委任状を利用して、未成年の僕らがカードを売るのだ。
僕は、ラグビーしか知らない筋肉馬鹿(只今、ぜい肉増量中)で、『委任状』、『未成年』、『違法』…。よく分からない言葉に怯えるだけだった。橋本も話の進め方が上手だ。結論から言うのではなく、先ずは不安にさせてから救いの手を差し伸べる…。そんな手口を活用した。彼女が宗教を立ち上げたら、巨大な団体の教祖になれる事だろう。
橋本は、一番高く売れる方法を検討すると言う。未成年問題も解決してくれるとの事だ。それで交渉が成立した。
1週間が経過し、その間に橋本からの報告はなく、時として白江から睨まれた。彼らとの取引が成立した週末の勉強会は、集中出来なかった。
「井上君…ちょっと…。」
ある日の放課後、当番である僕は掃除をしていた。
床を掃き終え、下げた机を元の場所に戻す。とある机を元の場所に戻しながら、そこに描かれた落書きを目にした。誰の机か直ぐに分かった。落書きは、『呪』と書かれたものだった。
「……。」
見慣れた一文字ではあるものの、この時は怯えた。白江が僕に、呪いを掛けているのではないか?と思った。
それにしても彼は、この落書きをどうするつもりだろう…?ペンで書いたものではなく、鋭利な何かで削っている。席替えの時、ここに座る事になった人に迷惑では?新しい席になっても落書きは続けるのだろうか?そうして来たのなら席替えの回数分、教室には『呪』と書かれた…いや、刻まれた机が存在するはずだ。
「井上君ってば!」
さっきは上手く聞き取れなかった声が、音を少し大きくして、それでも抑えたように僕を呼ぶ。扉の向こうに、橋本の姿が見えた。首と肩を縮めて、手招きをしている。仕草の理由は理解出来た。売り先が決まったのだ。掃除を放棄し、彼女の下へと向かう。すると彼女は歩き始め、僕はそれを追って、時間差で非常口の外に出た。
「!!本当に!?」
「しっ!声が大きい!」
「あっ、ご免…。でも、本当にそれで売れるの?」
提示された金額に驚いた。予想していた以上の金額…7万円で売れるとの事だ。売り先は、オークションではなく専門店だそうだ。少し怖くなる。高校生としては、現実離れし過ぎた金額だ。7万円で売れたとしたら、彼女と白江に1万4千円、僕には何と4万2千円もの大金が転がり込むのだ。
(………。仮にカードが5万円で売れたとして、2人が噛んでなかったら、僕は全額を手にする事が出来た。そう考えると、手に入る金額との差額はマイナス8千円。しかし白江はカードが7万円で売れる事を知らないので、5万円で売れたと嘘をついて1万円だけ渡し、残りの4千円は僕が貰う。僕の取り分は4万6千円になり、差額がマイナス4千円になる。橋本へのお礼だと思えば、元は取れたようなものだ。実際、橋本は色々と手伝ってくれている。何の努力もせず、棚ぼたを狙っている白江とは違う。…うん?そう考えると1万円を出す事も惜しい。そうだ!彼には『頑張ったれど、4万円でしか売れなかった。』と嘘をつき8千円だけ渡そう。…あれ?それでも5万円には及ばない。3万円で売れたとすれば、僕は5万円を手に出来る…。そうしよう!大体彼にお金を渡す事が、冷静に考えて理解出来ない。白江は必死になって、カードを握っていただけなのだ。)
7万円と言う金額に驚きながらも、これまでの人生で経験した事がない速さで計算を始めた。この物語の内容を一掃する人間臭さだけど、計算には1秒も掛からなかった。白江に対する後ろめたさも一切ない。ただ、彼を騙す事への緊張感は強くあった。彼は呪術に関心があるのだ。
だから、次の言葉に驚愕した。
「何で橋本が噛んでんだよ!?」
僕の背中で白江が大声を上げた。そんなはずはない。僕らはこの話をする前に、周りに誰もいない事を確認したのだ。だけど用心が甘かった。僕はこの1週間、彼の視線を感じながら過ごしていたのだ。
僕らは一旦冷静になった。白江には、彼の取り分は減らない事を説明した。橋本は白江も20%貰える事を不満がっていたけど、僕はそれを抑えるように目で促した。
…2人がお互い睨み合っていた姿は、今でも鮮明に覚えている。しつこいようだが…人間とは、実に現金な生き物なのである。金の卵を目の前にしては、妖精やドラゴン、呪術や魔法、そして超能力などは、その存在が薄れて見えるものなのだ。
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