三十六、意思
重たい本棚をずらし、古びた扉をあらわにする。あまりにも本がぎっしりと収められていたので、リルに〈フライ〉の魔法で手伝ってもらってようやく動かせた。恐る恐る開けてみると緩やかに曲がりながら下りの階段が続いている。どうやら当たりのようだ。
一応階段はあるものの壁は自然のまま土や岩がむき出しで、下りるにしたがってぽつぽつと〈魔光石〉が交じり始めた。たぶんダンジョンの第一階層より少し浅いぐらいなのではないだろうか。
リル、俺、イリアの順に並んで階段を進む。リルが魔法で杖の先端を光らせていて、その明かりの下で俺たちは足を踏み外さないように注意しながら一歩一歩、下りていった。普通の階段より蹴上げが一回り大きく、またところどころ石がぐらついていて崩れそうになるなどしたため、進んだ距離のわりにずいぶんと疲れてしまった。
イリアが音を上げそうになったとき、やっと底に着いた。リルが再び木の扉を開けた先には、そこそこの広さを持つ円形の部屋があった。
人の気配はおろか魔物すらおらず、がらんとした空間に俺たち三人は踏み込んだ。警戒していたわなもなく、俺は安堵の息を漏らした。
「君たちは誰かな?」
唐突に話しかけられて、俺たちは文字通り飛び上がるほど驚いた。何しろ誰もいないことを確認した矢先である。三人揃って全速力で声の主から離れた。
「ななな何あれ!? あの男の人、こんなところにいるなんてまさか亡霊!?」
「なんで誰もいなかったのに急に現れたんだ!? 入り口は一か所しかないはずだろ!?」
半ば錯乱しつつ口々に話す。俺も彼がなぜいるのか、まったくわけがわからない。
しかし別に襲ってくるわけでもなく、むしろ怖がっている俺たちを見て困ったように頭をかく姿を見ると、なんだか俺たちまでつられて冷静になってしまうのだった。
いささか落ち着いて、リルが彼に尋ねた。向こうから話しかけてきたんだから話はできるだろう。
「えーっと、生きてますか?」
おいおいリル、その質問はどうなんだ。まるで死人を前にしたような――。
「いいや、生きてはいないな」
思わず血の気が引いた。一歩、そしてもう一歩下がる。
「すまんすまん、ちょっと待ってくれ! 怖がらせるつもりはないんだ」
いやあんた絶対怖がると思って答えただろ。
「あなたは誰なんですか? それから生きてないっていうのはどういう意味ですかね?」
「ああ、生きてないっていうのは私が生物ではないという意味だよ。むろん原物は人間由来だがね。時に君たちは、この部屋の床には魔法陣が描かれていることに気付いているかな?」
言われて目を凝らすと、白い細線がくるりと部屋を一周しており、この部屋全体がひとつの陣になっていることがわかった。
「それが私だ。私は複製にすぎない。過去に記録されたものの再生だよ」
「何の、複製なんです?」
聞いていいものなのだろうか。おっかなびっくり尋ねると男はあっさりと答えた。
「カトラ・イーゼスという男の意思と外見だ」
もう一度、俺たちは驚いた。そう言われれば目の前の男は、以前見たイーゼスの肖像画に似ていなくもない。
「意思の複製なんてできるの!?」
リルがあまりのことに目を見開きながら言う。
「厳密に言えば、この魔法陣によってかつてのイーゼスの思考を模倣している、といったところか。起動には君たちの意識の中の、ここには何かいるんじゃないかって意思を利用させてもらった。今は人が消えるはずがないって意思だ。実体はないから私に触ろうとしても突き抜けるぞ」
わけのわからない魔法をわけのわからない方法でさも当たり前のように駆動させる男を見ていると、イーゼスは魔法の天才だったのだなと改めて実感する。
「あのー、質問があります」
リルがおもむろに口を開いた。
「あなたがダンジョンを作ったというのは本当ですか?」
「ああ、もちろん本当だとも。あれは私の作った機構の中でも屈指のすばらしさを持つものだ。私があの閉鎖された空間を生み、魔物という生命体を造形して放った」
その口ぶりからは誇らしさまで感じられ、手記から受けた印象とはかなりの乖離を感じた。少時考えて、おそらくこの意思が複製されたのは外見と同じでまだ若い頃だろうから、手記を書いた晩年の頃には考え方が変わったのではないか、と思い至った。
「ではこちらからも質問をしよう。君たちは何のためにここまで来たんだね?」
簡単に言えばイーゼスの作った魔法陣を破壊しようとしているのだが、俺は目の前にいるのがイーゼスの複製であるということをすっかり忘れていた。
「あ、はい。俺たちは魔物を発狂させている魔法陣を破壊するため、それを維持する修復魔法陣を探しに来ました。ここにありますか?」
そう答えた途端、男はけげんな顔をして言った。
「あれを壊すだと? 君たちは正気か?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます