第13話 “独り”と“一人”


「ん……」


窓から差し込む陽の光にフェリシアは目を覚ました。


(またあの夢……)

 

時々見る誰かの記憶のような夢。

目を覚ますと曖昧化し、一部しか思い出せないそれ。

フェリシアはしばらく白い天井を見つめながら、その記憶のような夢を思い返していた。


(なんなんだろう、この夢。……何か、あるのかな)

 

同じ夢を何度も見るとなると、何かしらの意味があるように思える。

しかし、思い当たるものはない。予想することすら難しい。

 

「…………。はぁ」

 

小さくため息をつき、体を起こす。

その時、今までにないほど軽く感じる体を不思議に思い、どこかすっきりした感覚に首を傾げた。

自身の手を握り、そしてまた開いてみる。

久しぶりの感覚。……いや、初めてかもしれない。


「……よく寝れた、みたい」

 

そう呟き、ふと周りを見回してみた。

するとすぐにレネクスの姿が目に入ってくる。

彼はベッドに寄りかかり俯くようにして寝ていた。


(悪魔も寝るんだ……)


そう思いながらベッドから降りてレネクスの前にしゃがみ込んだ。

彼をじっと見つめる。


(綺麗な顔……。悪魔とは思えないくらい)


おもむろに視線を下に向けると彼の手に傷が出来ているのに気づき、そして昨夜の出来事を思い出した。



レネクスが何をしたのかはわからない。

ただ、彼のお陰であの恐怖が和らいだことはわかる。


――あの痛みは、恐怖は、死よりも恐ろしいものだった。


背中に大きな傷跡があるのは知っている。

両親曰く赤子のときからあったらしく、夜になると時々激しい痛みが襲ってきた。

そしてそれは幼い頃であれば幸せを得すぎたときに。

今では自分の立場を忘れたとき――幸せをふと感じてしまったときに、罪を思い出させるかのように痛みが襲ってくる。

その痛みは尋常なものではない。いっそ死んでしまいたくなるほどだ。

背が裂かれるような痛み。それが本当に酷い時は、骨を抉り出されるように痛み、息ができなくなりそうになる。


そのせいか熟睡できることはそうそうなかった。

ただでさえ熟睡できる頻度は少なかったというのに、殺しをしてからは一度もない。

体が殺しに慣れても心が慣れることはなく、ただ無心になるよう努めている。

心が休まるときなどあるはずもなく、くることはないと思っていた。


それが、彼――レネクスと出逢い一緒に行動するようになってからというもの、安らぎに近いものを感じられる。

まだ出逢って間もないというのに、フェリシア自身不思議に思っていた。



――『俺がいる限り、お前の手はもう、汚させない。――お前が傷つくようなことは、全部、俺がやる』――



昨夜、彼のその言葉を聞いた時、フェリシアの中で固く凍っていた何かが温かいものに包まれ、溶けていくのを感じた。


我が家が焼けていくのを側の空き家で見ていた時、心の支えとなっていた何かが確かに失われ、心がまた死んでいくのだろうと思っていた。


でも彼の言葉が、その存在が、心に寄り添ってくれている気がして。


心は死ぬどころか、忘れていた温もりを再び感じていたのだ。


それが彼女が無意識に浮かべた一瞬の微笑みの理由だろう。


――だからこそ、夜中あの激痛が襲ってきたのだろうが。




(この人、本当に魔王なのかな……)


そんなことをふと思ってしまうほどに、彼のフェリシアに対する言動は魔王らしくなかった。

魔王だというのに、フェリシアを助けようとする。

助けても、彼にメリットなどあるはずがないのに。


「あなたは、何が目的なの……?」


そう問いかけてみるも、返答が返ってくる様子はない。

はぁ、とため息をつき、フェリシアは立ち上がった。


そしてもう一度ベッドに乗り、カーテンの隙間から外をのぞき込む。

その明るさから陽がだいぶ高く昇っていることを知った。

つまりはもうすぐ昼。

……しかし、空き家に食料があるはずもなく、食料を調達してこようにも、この明るさの中、フェリシアという存在が生活していたこの街に出るわけにはいかない。


(……どうしよう)


夜になるまで待つとして、それまで何をしようかと考えを巡らせる。


その時背後で物音が聞こえ、それに振り向くとレネクスが立ち上がり、パキパキと音を鳴らしながら体を伸ばしていた。


「おはよ」


「おう」

 

たったそれだけの会話。……いや、会話と呼べるのかわからないほどの短いそれ。

それが、フェリシアにはとても嬉しかった。

 

久しぶりの“普通”だったからだ。

何気ない日常から遠く離れていた彼女にとって、朝の挨拶はとても新鮮だった。

独りじゃないことに、安心感のようなものを感じていた。

 

「? なんだよ」

 

思わずじっと見つめているとレネクスにそう言われ、フェリシアは窓の外に視線を戻し「なんでもない」と返す。

そんな彼女の表情はとても柔らかい。小さな笑みさえ浮かべるほどに。


その時、背後から布の擦れる音が聞こえフェリシアは再び振り返った。

目に映ったのは玄関へと向かうレネクスの姿。しかしその姿は僅かに変化していた。

 

彼の髪は短くなっており少し肩にかかるくらいの長さ。その色は黒一色となり、紅い瞳もまた黒くなっている。なにより、魔族特有の尖った耳が、人間と同じように丸くなっていた。

ふと側のダイニングの椅子に目を向ければ、そこにコートや上着、ネクタイが雑にかけられている。


「……? あぁ、これ。魔王の姿じゃいろいろめんどくせぇからな」

 

フェリシアの視線に気づいたレネクスがそう言う。そしてドアノブに手をかけるが、そんな彼をフェリシアが止めた。


「待って。どこ行くの?」

 

そう問いかけると、彼は開けかけたドアを一度閉め答える。


「メシ。必要だろ? 手に入れてくっから、ちょっと待ってろ」


「え、でも――」

 

「いいから。待ってろ」

 

魔族の糧は魂。人間のような食事は必要としない。

そのためレネクスの言動がフェリシアを思ってのものだということはすぐにわかった。


(本当、魔王らしくない人)

  

フェリシアはベッドの側に置いてあったウエストバッグから財布を取り出し、レネクスに駆け寄る。

 

「じゃあこれ。渡しておく。盗みをしないで済むように」

 

「……おう」

 

一瞬の間の後に受け取ったレネクス。フェリシアは僅かな疑問を持ったが、大して気にすることでもない。すぐにその疑問は消えていった。

  

「じゃあ、行ってくるわ」

 

「うん。気をつけて」


そうしてレネクスが家の外に出ていき、閉まったドアの音が一人になった家の中に響いた。

フェリシアは、徐(おもむ)ろに家の中を見渡す。

 

同じひとりでも、“独り”と“一人”はこんなにも違うのだと、そんなことをふと思った。

 

 

 

 

 

 

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