鋼鉄の負けフラグ
烏多森 慎也
序章
「ベルンハルト、まだ生きてるか!」
『ああ! 残念ながらな! まだ楽にはなれないってことだ!』
雑音に混ざって野太い男の声が聞こえる。
この狭いコクピットの中では、彼の声はよく響きすぎる。
急制動がもたらす左右への揺れに翻弄されながらも、行馬はヘッドセットに向かって怒鳴り返した。
「本隊の撤退は完了したか!?」
『だいたいな! あとは俺たちがトンズラできればいいんだが、そいつは厳しそうだ!』
だから声がでけえよ、と文句を言い、行馬は戦場の全体図を映すモニタをちらりと見る。
そこは敵を示す無数の赤い点で埋め尽くされていた。
敵、敵、敵。周囲にあるのはただそれだけだ。味方を示す青い光点は自分と、遠くに見えるベルンハルトの二つだけ。そんな彼とも今は散り散りになっており、孤立無援と言って差し支えない状況だった。
(クソッタレめ……ここが地獄の一丁目ってわけか)
舌打ちをして、正面に視線を戻す。
メインモニタの向こう側は、地獄の炎で染め上げられていた。
岩と砂だらけの枯れた大地には、鋼鉄の屍がいくつも転がっている。技術の粋を集めて作られた高価な兵器群が、破壊された今はただの屑鉄となって燃え上がっていた。戦場という名の地獄でまだ動いているのは、自分とベルンハルト、そして敵だけだ。
その敵が、目の前に迫ってくる。
それは機械の体を持つ、巨大な人型の兵器だった。全長七メートルはあるだろう巨躯は人体の構造を忠実に再現しており、しなやかさと力強さを併せ持った動きを実現している。一方で腕や足は分厚い積層装甲に覆われ、歩兵の携行兵器程度では傷一つつけられない強靱さを誇っていた。よく見れば足元は地面からわずかに浮いており、
人類が生み出した、最も精緻で最も危険な兵器だ。
巨人サイズの突撃銃を撃ちながら、敵機が距離を詰めてくる。
だが行馬は落ち着いて機体を操り、敵の射撃を回避する。彼の操る装甲機――《
照準を定め、トリガーを引く。
小刻みな反動と共に火線が閃き、38ミリ徹鋼弾が敵へと食らいついた。白熊のような輪郭をした敵機は穴だらけとなり、前のめりに崩れ落ちる。
行馬は戦果を確かめることもせずに、流れるような動きで次の敵に狙いをつける。
発砲。無慈悲な銃弾の雨を浴びた敵機が、二機、三機と倒れ、物言わぬ鉄屑へと還っていく。
次々に敵を打ち倒していく行馬だが、しかしその顔に喜びの色はなかった。
(くそっ、多すぎる……! 真面目に俺らを包囲しに来てるな、これは!)
戦況図には、いまだ多くの赤い点が明滅している。
敵はまだまだいる。援軍は望めない。数の差は開くばかりだ。倒しても倒しても、すぐに次が沸いてくる。
機体の損傷も、徐々に蓄積し始めている。
左腕は先程から反応していない。
だが、そんなことは些細な問題だ。
真に脅威なのは――
(来る!)
被弾して膝を突いた敵機の向こう側に、赤い影がちらりと見えた。
瞬間、行馬は機体を翻して全力の回避行動を取る。
その一瞬後に、先程まで自機のあった場所を銃弾の嵐が通り過ぎていく。砂と岩で構成された地面が銃弾で掘削され、砂煙を舞い上げた。判断が少しでも遅れていれば、蜂の巣になっていたところだ。
「く、そっ……あの赤い野郎、なんて
右へ左へと機体を操りながら、行馬は心中で毒づく。
モニターの中に映るのは、見たこともない真紅の機体だった。
騎士を連想させる流麗なシルエットに、翼を模した推進器。細身の機体に似合わぬ大型の突撃銃と、戦場でも一際目立つ真っ赤なカラーリング。
兵器というよりは精緻な芸術品を思わせるその
先読みしたはずの銃弾は回避され、逆に避けたはずの敵弾はこちらに当たっている。分かる範囲だけでも、こいつはすでに友軍の機体を三十機以上、撃破していた。化物と呼ぶ他にない、常識外の性能だった。
「そろそろ当たりやがれ!」
乱数機動で敵の射撃を回避しながら、行馬はライフルを撃ち返す。
だがそれはことごとく空を切り、赤い機体の残影を切り裂くにとどまった。逆に敵の射撃はこちらの装甲をかすめ、着実に防御力を削り取っていく。
(冗談じゃないぞ……化物かよ、あいつ!)
冷や汗を流し、行馬は心中で悲鳴を上げる。
駄目だ。こいつは冗談抜きで格が違う。
行馬の駆る《影式》は、第二世代型装甲機のA級機体だ。汎用型装甲機の中では上の下といった性能を持っており、ごく一部の特注機を除けば遅れを取ることもほとんどない。これほどの差を見せつけられるなど、ありえない事態のはずだった。
(となると、こいつは第三世代か。しかも恐らくは、A級からS級。とんでもない奴に出会っちまったもんだな……!)
機体の損傷をチェックしながら、行馬は必死に回避行動を続ける。
残念なことに、この赤い死神は機体だけでなく、中の人間も優秀だった。正確な射撃に、巧みな位置取り。行馬と同等以上の技量を誇る人間が、この規格外の化物を操っている。
加えて、周りには援護射撃を行う敵機も続々と集結しつつある。退路も塞がれ、もはや打てる手はほとんどない。できるのはただ、死を待つことのみだ。
(だが――それでも、諦めるわけにはいかないな)
無理矢理に不敵な笑みを形作り、行馬は唇を舐める。
最後の最後まで抵抗し続け、少しでも足止めを行う。それが、
「ベルンハルト、悪いな! 俺は先に行くことになりそうだ!」
『ああ!? なに格好つけてやがるんだ、テメェは!? 今どこだ、おい!』
「死神のすぐ近くだよ! 今から最後のダンスに――」
交信しつつ行馬が突撃を行おうとした時、横殴りの衝撃が彼を襲った。
「う、ごっ!?」
機体がきりこみして吹き飛ばされ、《影式》は鉛玉の散らばる地面に叩きつけられる。
(敵の支援砲撃か?)
そう思った行馬だが、モニターを白滅させる強烈な光が、それを否定していた。
衝撃の正体は、すぐ横を通り過ぎたプラズマの奔流であった。
恐らくは、
それが、ほんの数十メートル横を通過したのだ。
この光と衝撃は、大気との摩擦によってプラズマ化した重金属粒子が、余剰エネルギーを暴れさせた結果だろう。たったそれだけで十トン近い装甲機が殴り飛ばされるとは、恐ろしい破壊力である。直撃したらどうなるかなど、考えたくもない。
瞬間的に急激なGをかけられた行馬は意識を飛ばしかけていたが、すぐに
『行馬! 聞こえるか! 今の一発で包囲網が崩れた! 脱出するぞ!』
「ぐ……」
『行馬!? おい、生きてるのか!?』
「辛うじて生きてるから大声出すな、トドメを指されるだろ……」
頭を振りつつメインモニタを見れば、赤い死神は彼方で膝をついていた。
奴の中の人間も、行馬と同様に少なからぬダメージを受けているのだろう。敵機はライフルを杖にして姿勢を保っているだけで、動く素振りも見せなかった。こちらへと攻撃を行う余裕はないようだ。
今なら逃げられる。
行馬は《影式》を操り、唯一残った閃光弾(フラッシュ・グレネード)を投擲すると、一目散に逃げ出した。
背後を気にする余裕もなく、ただ前だけを見て全速力で機体を駆け抜けさせる。幸い、先程の荷電粒子砲の一撃で、敵の数も大幅に減っていた。これならベルンハルトの言うように、突破できないこともない。
「頼むから、追撃してくるなよ……」
祈るような気持ちで、行馬は機体を走らせる。
赤い地獄は、少しずつ遠ざかっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます