第151話 俺、今、女子報告中

 こりゃ稲田先生に報告しなきゃな。

 俺は、スマホを握りしめ宿河原桜さくらさんからのメッセージを凝視する。

 宿河原桜さくらさん。稲田先生の親友。中学校の同級生で、高校からの進路は違ったけど、なんか気があってずっと友達どうしで、しょっちゅう会い続けている。

 性格は引っ込み思案な稲田先生と、ガハハ系の桜さん。随分雰囲気は違うけど、かえってそれが良いのか、両者の足りないところを補完しあって、気があって一緒にいると楽しい同性……。

 まあ、同性って……稲田先生の場合は一緒にいて楽しい異性がいないのが問題——ってのは置いとくとして、


「結婚することになったっていわれてもな……」


 今の問題は桜さんから送られて来たメッセージの内容であった。

 なんと結婚報告であった。

 この間の合コンの時はそんな雰囲気はかけらもなかったのに。

 いや、桜さんには、趣味の吹奏楽で知り合った彼氏いるとは聞いていたが、結婚するような相手ではないかも、別れるかもって言ってたという先生からの情報であったが、

「できちゃったのか……」

 もちろん赤ちゃんが、子供が——である。

 付き合っている彼氏とできちゃったのである。

 つまり、結婚するというのは、できちゃった婚になりそうだということなのであった。

「いまどき……それがどうこうではないけど」

 結婚前に子供ができる。それは、かつてタブーなのであったと聞く。結婚にいたるまでの処女性を重視した日本の社会。少なくとも外見に『そうでない』と丸わかりの事実は恥とされた。

 いや日本だけじゃないよね。アメリカでもできちゃった婚を、妊娠した女の人の親が相手の男に銃を突きつけて結婚を強要する——shotgun weddingって言うくらい普通のことじゃないという認識だったようだ。

 でも、まあ、今、そんな話——できちゃった婚——なんていくらでも聞くし、当人たちもそんなに気にしているようには見えない。むしろ、「できちゃった」で結婚してしまおうという女性の存在も確認され……いや、それは俺が確認できなたのは薄い本の中にだが……。

「大好きホールドか……いや、いや!」

 俺は、桜さんと同じ名前のアニメキャラがそんなことをしているのをもうしそうになるのを慌てて止める。

 いくら何でも下衆ゲスだよね。乙女ではない……アラサーの体にいる俺だけど、そう言うの考えているのはやっぱ良くない。汚している。神聖なものを……ってやっぱ結婚ってそういうものって思ってしまうのだよね。中身の高校生の童貞男子的に考えちゃうとね。

 しかしね……。

 これどう扱って良い案件なんだ。

 親友の結婚。

 まあ、祝福すべき話だよな。稲田先生的に。

 でも、できちゃった婚ってどういう態度で接すれば良いんだ?

 おめでとうなのは間違い無いのだが、世間的にはまだ少し気恥ずかしいとおもうような気風も残り、思いっきり明るく祝福の言葉をかけたらちょっとひかれたら気まずいし、……なぐさめるような話では絶対ないし。

 こういう微妙な話って、二人の関係性によって対応が変わってくるんだよな。

 それに、そもそも桜さんはどうして欲しいんだろ?

 メッセージは『結婚することになった。彼氏と赤ちゃんできちゃった』だけだものな。

 このシンプルな内容は、明らかに相談したいって雰囲気を感じるのだけれども、どっちの方向になんだろ。

 後押しして欲しいのか?

 はたまた考え直すようにして欲しいのか?

 人間の考えなんて、単純に白か黒かと割り切れるものじゃないから、きっとどっちつかずでモヤモヤしているところの気持ちをスッキリさせたいのだろうけど、こっちは20年来の親友の稲田初美では無く、この間初めてあったばかりの男子高校生——向ヶ丘勇なんだよな。桜さんあんたが相談している相手の中の人は。

 親友の間にある感情の機微がわかるような相手ではないんだよね。

 だって……いるじゃない? 本当は肯定して欲しいのに、やたらと否定的な人とか?

 それはダメじゃないと言って欲しいのに、とにかくダメな理由を言って、それを否定してもらうことでしかやりたいことできないひねくれた人とか。

 逆に、ともかく何をやるにも不安で、否定的なことを少しでも言われるとそのままなにもかも放棄してしまう人とか。

 桜さんは、一件お気楽で豪放な感じだけど、実は神経は繊細で気を使う人なんじゃないかと、この間会った時の感じだけでいうと思ったけど、そういう人って自分の許容範囲内に事態があるときは随分落ち着いているけれど、それをはみ出すと途端にパニックになったりもするし……。


「ああ、めんどくせ!」


 俺は、座っていたソファーにガバって身を預けると、ダイニングキッチンの天井を見上げながら言う。

 ほんと、人の心ってめんどくさい。

 考えれば、考えるほど分からなくなる。

 理屈じゃないようでいて、理屈で動く時もあるし。

 そんな、不可解で分かるわけないもののくせに、そばにただいるだけでもなんか色々と伝わってくる。

 これって、踏み入ると二度と抜け出せない底なし沼のようなものだよね。

 人の感情と感情。心と心。

 これを通わせようとした途端、人間関係って、正解のない無限の問いをつづけることになる羽目に陥る。

 ……割り切れたらいいんだけど。

 俺って、多分、結構人の心を気にする奴なんだよね。

 相手の気持ちなんて適当に切り捨てて、自分の我を通すことができない。

 だから……。

 めんどくさい、人間関係で一喜一憂しない孤高のボッチの地位をクラスで確立してたと言うのに、体入れ替わり現象のせいで喜多見美亜あいつの他のめんどくさい連中と次から次に、本当に言葉そのままの意味で『心と心を通わせる』ことになってしまい……。


「あっ——」


 と、俺が、先生に親友の結婚報告をするというインポシブルなミッションから逃避して色々考えているうちに、お風呂ができましたと言う音声がマンション内に響くのを聞く。


 ——そうだな。


 そもそも、お湯に入って、さっぱりして寝て、ともかく今日のところは、めんどくさいことを忘れようって思っていたんだった。

 俺は、自分がしようとしていたことを思い出し立ち上がり風呂場に向かう。

 でも……。


「あの……勇です……」


 流石に、その前に先生に報告は入れなきゃと思い立ち、今は喜多見美亜あいつの体の中の人の稲田先生に向かって電話をかけるのだが、


「……ん、何? 勇くん? こんな夜中に?」


「あ、すぐ伝えないといけいといけないことできて……」


「……? 明日じゃダメなこと? 美亜ちゃんの体って朝方体質だから今すごい眠いんだけど」


 そりゃ、毎朝の過度なジョギングで培われた朝方人間だからな喜多見美亜あいつは。


「ええ、今、何かすることあるかは、わからないですが……すぐ伝えた方が良いと思って」


「……? まあ、いいわ。もったいぶらないで、話すことあるならさっさと話して」


「はい。実は、さっき桜さんからメッセージ来て……」


 というわけで、先生の許可を受けたので俺は次の一言を口にするのだが、


「……結婚するそうです」


 次の瞬間、スマホが床に落ちたと思しき激しい打撃音を聞くことになるのであった。




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