第42話 俺、今、女子妥協中

 ——少なくとも俺は嫌だな。

 と言う俺の言葉に、喜多見美亜あいつは納得できなようだった。

「だって好きで描いてるわけなんでしょ? マンガを。それを納得できない形で出すなんて嫌じゃない? もし私なら——そんな不本意な状態にある体になんて戻りたくはないわよ!」

 俺は首肯する。

「何? あんただってそう思ってるんなら、描き直すべきでしょ? それが締め切りに間に合わなくても仕方ないじゃないないの!」

 同意するのなら——どうして?

 あいつは俺が矛盾したことを言っていると思って言うようだ。

 だがそうではない。

 不本意なマンガを世に出すのが嫌だとは思っていても、締め切りに間に合わないのは仕方ないか、と問われたら?

 俺は首を横に振る。

「…………!」

「まあ、まて——」

 さらに温度高くなって、俺をキッと睨んでくる俺(喜多見未亜あいつ)。俺はそれを止めるように、腕を前に出しながら言う。

 しかし、

「何を待つのよ!」

 もちろんあいつはそんなことで止まるわけもなく、さらにテンションマックスと言った様子だが、

「確かに作者としては不本意な作品を世に出すのなんていやだろうけどな、世の中にはもっと嫌なこともある……」

「なによ! 何があるのよ!」

「読者の期待を裏切ることだよ」

「っ…………」

 俺の言葉にハッとしたような表情になり……

 ——言いかけた言葉を喉の奥に飲み込むのだった。

 あいつも俺の言いたいことに気づいたようだった。斎藤フラメンコ先生の新作が夏のコミケに間に合わない。もしそんな事態になったら? 読者は、少なくなくとも俺は、相当落胆して悲しむだろうな。

 もちろん、即完売が予想される先生の新作がコミケでゲットできるかどうかはわからない。そもそも出不精な俺がコミケにいくかも危ういし、——始発でビックサイトに行って並ぶなんて絶対にしないだろうなって思う。だから俺がコミケでその新作を買える可能性は相当低いと言わざるを得ない。

 でも、コミケに先生の新作が並ばないなんていやだな。

 ——いや、それがファンの勝手な言い草だなっては思ってるよ。

 たぶん、その日にゲットするわけでもなく、委託の書店に置かれてから読む事になるだろう俺が、コミケに新作が間に合わないことを非難する——までいかなくても——残念がるのもおかど違いな感じはする。

 でも、やっぱり、

「斎藤フラメンコ先生がコミケ落としたって聞くのは嫌だな……」

 俺はそう思うし、

「そんなの——ファンの勝手よ……」

 あいつの言葉も少し弱々しい感じなる。

 そして、

「僕も……そんなのは嫌です」

「…………」

 トドメのように言った下北沢花奈の言葉に、あいつは黙るのだった。


   *


 いや、コミケに間に合わない。

 原稿を落とすよりも今のまま出してしまった方が良い。

 ——と言っても、書き上げたのが箸にも棒にもかからないような作品なら話が別だ。

 あまりに安易でつまらないストーリーだったり、作画が崩壊してたり、ページ稼ぎででかいコマに極端にアップシーンばかりとか……

 そんな斉藤フラメンコ先生の作品としてどうかと思うような作品が出てきたのなら落とすよりも良いとは俺も断言できない。

 でも、今の作品は、これはこれとして、問題ない出来に俺に見えた。これなら、このままコミケに出しても良いだろうと思ったのだった。

 そりゃ、安易に無に帰る選択をする提督や、秘書艦がそれにくっついていく選択とか、ちょっとモヤっとこないでもない。

 でも、いつもと同じように全身全霊の魂のこもった作画で伝えらえられると、言葉で伝えられない、残された者たちのボンヤリとした悲しみエレジーに満ちた、なんとも言えない読後感のある作品に仕上がっていたのだった。

 やっぱり、俺は、これはこれで好きだな。

 だが、

「何か違うんです……」

 そう言う下北沢花奈(喜多見美亜の体)は、首をたれて、肩を落として、どうすれば良いのかわからないと言った表情を顔に浮かべていた。

 でも、

「これ以上入稿を遅らせるわけにもいかないし、少しでも良いものをとか思っていたら創作にはキリがないし……僕の、斎藤フラメンコの作品を待っているかたがたが世の中にいるなら——決断をしなきゃいけないと思うんです。もう決めなきゃ間に合わないんです……」

 と言うのだった。

 なるほど……

 この子。『思う』とは言うが『決断』はできてないな。

 その迷いに俺は気づいた。

 ——決心ができていない。

 いや、決心が鈍っている。

 本当に間に合わないならば、そんな迷いは起きないはずなのに?

 なら、それって、

「本当に決めなきゃ間に合わないのか?」

「えっ……」

 俺の質問に一瞬ぎくっとなった下北沢花奈。

 この反応。

 これって?

 たぶん、

「……まだ時間はあるんだな」

「それは……」

 あるようだった。

「七月中に完成できるなら。——まだ二週間あるわけだし、少し八月に入っても、今の予定している印刷所に割増料金で入稿して急いでもらえれば。……でも割増分は僕の取り分から払えば他の二人も納得してくれると思う」

 つまり、まだ諦める時間じゃない。ようだった。

 なら、……俺は言う。

「描き直しはできないのか?」

 しかし、

「……描くだけならなんとかなると思うけど——僕は他の結末を思いつかないんだ」

 下北沢花奈は、気力なく、疲れ切ったような感じでこたえ、

「……でも」

 それに、頑張ってみようじゃないか、みたいな言葉をかけようとした俺は、——喜多見美亜の顔を歪ませて、自信なさそうな、心底こまった下北沢花奈の様子を見て、口を閉じるのだった。

 ——そうだな。今のマンガのストーリーは、この子なりに、悩みに悩んで選んだ結論だったのだ。入稿のスケジュールを睨み、妥協するところは妥協しながらも、できるかぎり頑張って出した結果なのだった。

 それに——頑張ったのに——頑張れと言ってみても、鼓舞になるどころか、無意味にこの子を追い詰めているだけのことになってしまう。

 プレッシャーをさらに酷くしてしまって、体が元に戻るのがさらに難しくなってしまう。戻りたくないと思わせてしまう。

 だから、俺は、次に話すべき言葉に迷って、口元をもぞもぞさせて、黙ってしまうのだった。

 しかし……


「ああ、全く二人ともまったく鬱陶しいわね!」


 悩む俺らに喝をいれるように喜多見美亜あいつは言うのだった。

「やるまえから悩んでないで——やるだけやったらいいじゃない。そんな悩まれたら——私のひたいにシワが寄っちゃうわよ!」

「……ん」

「…………え」

 腕組みをして、呆れた様子で俺たちを睨むあいつだった。

「まったく、二人とも、頭でっかちなんだから——考えてもわからないなら……動くしかないじゃない!」

 でた、体育会系リア充の脳筋思考。

 とは言え、そうは言ってもな、

「動けたって言ったってね……どう動くか考えないといけないんだから」

 プロットをどうすれば良いのか斎藤フラメンコ先生こと下北沢花奈が思いつかないんだから、動きようがないじゃないか。

 俺は、そう思ってあいつに抗議の言葉を続ける。

 しかし、

「はん? 動くと言っても、家の中でできることしか思いつかないヒキオタらしい発想ね!」

「は? 家の中でダメって、じゃあどこでマンガを描けって言うんだよ」

「ほら、やっぱりわかってない。そもそも、マンガかけなんて言ってないじゃない」

 なんだか呆れたような視線のあいつに俺はキョトンとした表情になっていたに違いない。

「その呆然とした表情じゃまだわかっていないようだけど……私がしようと言うのはマンガを外でかけとか言うんじゃなくて……」

 と言ったあいつは、

「じゃあ、なんだよ?」

 と言う俺の問いに、

「それはね……」

 ちょっと鼻を高くしたドヤ顔で答える。

「じゃあ、明日から目立つわよ! 下北沢さん! 覚悟しといてね! ああ、もちろん、向ケ丘勇あんたもね!」


 はい?


 俺と下北沢花奈は喜多見美亜あいつの言葉に、二人で目を見合わせるのであった。

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