第36話 俺、今、女子交渉中

 玄関先でのキス騒動を終え、とにかく、もう一度アパートの中に戻る俺。そしてそれに着いてくる三人であった。

 そして、

「……なので花奈は私たちの同人サークルのメンバーで、今日はこの部屋に詰めて作業するはずだったのよね」

 約束通り、花奈(俺)を拉致して連れて言った——ように見えた——事情の説明をする代々木公子お姉様だった。

 まあ、そんなことは、多分、みんな、喜多見美亜の体の中にいる下北沢花奈本人から聞いているだろうから、ちゃんと話を聞いてるフリをして適当に頷いているような感じだが、

「だから、安心して——そろそろ引き上げて欲しいのよね」

 一通り理を説いてから、先方の都合を押し付けてくる。

 ここからが交渉の正念場だ。

「これ以上同人誌の作成が遅れると本当にまずいのよね。使ってる印刷所の早期入稿どころか通常締め切りだって超えてしまいそうなの。別の印刷所で、もっと短期間でやってくれるところもあるけど、高いし、品質も不安……だから、君を愛する花奈と週末の夜に引き離すのは心苦しいけど……ね!」

 喜多見美亜——その中に下北沢花奈の本物がいるとも知らず——に向かって、懇願するような様子だが、口調は少し脅すような感じの代々木お姉さんだった。

 まあ、彼女らにして見たら、もともとギリギリで建ててたスケジュールだったのに、下北沢花奈が逃亡した上、やっと連れ戻してみれば途中から筆は進まないし、よく分からない高校生たちに踏み込まれて作業の邪魔をされている。彼女らは、この状態からは一刻も早く脱却して、早く下北沢花奈を執筆に戻らせたいと思っているのだろう。

 だから、

「ねっ、どうかな、美亜……ちゃんだっけ? 今は、花奈の頑張りどこなんだよ。好きな人のピンチを助けると思って……ねっ? だめかな?」

 赤坂律お姉様の方も物腰は柔らかいが有無は言わせないって感じだった。

 二人とも、百合ちゃんも向ケ丘勇も無視をして、喜多見美亜に向かって話しかけていた。下北沢花奈が執筆に戻るために一番邪魔なのが花奈の同性の恋人だと思っている喜多見美亜に違いない。なので、二人が語りかけるのは、主に喜多見美亜あいつに、となっているのだった。

 まずは喜多見美亜をなんとか追い返そうと全力を投入して説得しているのだった。

「ねっ、今月だけだよ! 八月入る前に花奈は開放するから。そこまで我慢してくれないかな。ねっ」

 赤坂律お姉様がつづけて必死で喜多見美亜を集中攻撃であった。中にいる下北沢花奈本人はどう思っているんだろ? と俺は興味を惹かれるが、

「そんなずっと下向いてないで……恋人と一緒にいれなくて悲しいのはわかるけどさ……」

 ずっと下を向いて表情を見せない下北沢花奈であった。

「どうしたらいいのかしら……」

「ううん……」

 すると、そんな彼女の様子に手詰まり感の漂うお姉様たち。さすがに力ずくとか、恫喝してとかはやるような様子はないが、そうでもしないと下北沢花奈は、ただじっと下を向いているばかりで動きそうにもない。

「…………」

「…………」

 で、お姉様方も沈黙して今うと、もう誰も喋るきっかけの掴めない、重い空気の漂う室内であった。

 でも、

「じゃあ、どうでしょう? 逆転の発想をしてみては?」

 そんな場の雰囲気をあえてぶち壊す、明るく、ちょっとインチキくさい口調で語り始めたのは——そんなことができるのは——リア充女子。俺らの中での唯一のコミュ強者の喜多見美亜あいつなのであった。

「「逆転……?」」

「そう逆転ですよ!」

 あいつは得意そうに、鼻にかかったような声で言う。

 でも、何を言われているか分からないでぽかんとした顔の代々木、赤坂の両お姉様。

 ちなみに俺も、こいつが何を言いだすきかよく分からんが、

「逆転ってなんのことかしら?」

「そうだね。何の逆転?」

「それは……」

 なんだか神妙な顔をするあいつ。うん、多分、十中八九、こいつは「逆転の発想」って言って見たかっただけで、具体的な中身を考えていなかったに違いない。その証拠に、俺の方をチラチラ見て、なんとかしろと言ったような顔をして、

「それは——花奈ならもう分かるよね?」

「へっ?」

 やはり(下北沢花奈の中にいる)俺に丸投げの喜多見美亜あいつであった。

 だが、と言われても、策士を気取るが、想定外のアドリブにそんな強くない俺であった。

「それは……ええと……なんと言うか……あのことでしょ……」

「「………………?」」

 俺は口ごもりながら、曖昧な言葉を言って時間を稼いでるうちに、何か気の利いいたことを考えようと思うのだがまるで思い浮かばすに……焦ってこめかみに冷たい汗がたらりと垂れてくるのだが……


「僕たちも残って手伝えばいいのさ」


 ——はい?


 みんなが顔上げ、そう言った喜多見美亜——下北沢花奈に注目する。

「それなら、邪魔って言えないよね!」

 なんだか、怒ったような冷たい顔? いや、悟りきった、何かを諦めたような顔をした喜多見美亜——下北沢花奈は、深い嘆息とともに、続けてそう言ったのだった。


   *


 もちろん、手伝うって言ったって、素人が?

 って、代々木お姉様も赤坂お姉様も否定的な反応だった。

 最初はうさんくさげな様子で、拒否モードで対応して来たお姉様たちであった。

 そりゃそうだ。何者かも分からないような高校生たちが適当に仕事して簡単にでき

るような——そんな仕事はしていない。させない。マンガの制作は全部斉藤フラメンコこと下北沢花奈にさせている二人だって……もしかしたらそれだからこそ、許せない、一線があるようだった。

 確に、実際、本物の喜多見美亜あいつ、ゆりちゃん、俺が手伝うって言ったって、ろくに何もできなかっただろう。でも、今は喜多見美亜の中には下北沢花奈ほんものがいるのだった。


「「えええ?」」


 実際に作画てつだいを始めると、目を見はりびっくりとした様子のお姉様方であった。 

 机に向かい、液タブにペンを下ろすと、鬼神のような勢いで手が動く。

 さっき達人は体が覚えていると言ったばかりだが、今度は今のこの状態に弘法は筆を選ばずと言う言葉を捧げたい。自分が入った体を瞬く間に使いこなしていくのが見て取れた。

 一筆目は少し迷っていた線は、二筆目には迷いなくすっと引かれ、三筆目にはアドリブが少し加わって、手が少しうねり、すると液晶上に残るのは、躍動する生きた線。手から意識が消えたように見えた。迷いも衒いもない。何度も練習して、考えなくても動くようになった手でこそ達する、心のまま、創意のまま、そっちの世界からこの世界に本物を連れてくる魔法のような技。それを他人の体で、あっという間にものにするのだった。

 さっきは体が覚えていることに、下北沢花奈は本物だと言った俺だったが、——本物は体さえ越え、乗り移ることができるようなのだった。それは、神秘的とさえ言って良い、崇光な行為に見えた。まるで、修行僧の行動を見ているかのようだった。

 まったく……

「うわあ! すごいわね君」 

 代々木お姉様は、下北沢花奈の操る喜多見美亜の筆のさばきに目が釘付けであった。

「ふぅー……あなた? 何者なの?」

 赤坂お姉様は呼吸も忘れて見入ってしまっていたようであった。

「なんだか……ずっと花奈の絵を見てる私たちにも見分けがつかないレベルだわ。斉藤フラメンコの絵そのものよ」

「いやいや、これって、花奈も相当調子が良い時の作画だよ。今まででも何回あっただろうってレベルの、気合が入った時の線の冴えだよ!」

 確かに、今、下北沢花奈が描いている絵は、ずっと彼女の同人を追い続けてる俺の目から見ても、今までにないくらい凄い絵に見えた。なんと言うか、——迷いなく、洗練されて、正確で、美しい。

 でも……

「なんか気になるな……」

 俺がボソッと呟いた時、一瞬、下北沢花奈(喜多見美亜)の筆が一瞬止まったような気がしたが、すぐに動き始めると、停まる前よりもずっと素早い手の動きに、——見間違いか何かかな? と俺は思いながら心に浮かんだちょっとしたモヤモヤは無視をするのだった。

 なにしろ、そのあとは、なんの問題もなく作画をつづける下北沢花奈であった。この調子なら、残りの枚数から見て、もう数時間もあれば一応主なとこは完成するんじゃないかと思えた。最初に代々木お姉様から聞かされた今日の目標はペン入れの完成と聞かされていたので、その目標が、日曜を待たずにもう達成されてしまいそうな様子だった。

 だが、その達成のためには、ちょっと問題があるのだった。


「美亜さん……そろそろ帰らないと電車あぶないかもしれません」


 百合ちゃんが、困ったような表情で言う。

 そう、喜多見家の自慢の娘たる美亜には、彼女を愛する両親がおり、特に父親の溺愛ぶりというか心配ぶりは、できればあいつを箱に入れて外に出さないようにと思っているんじゃないと言うもので、外泊なんてもってのほか、となるはずなのであった。

 前に、夜の学校に忍び込む時に、百合ちゃんにアリバイの電話を入れてもらったこともあったが、あの時もあとで随分色々聞かれたし、遅くはなったがちゃんとその日のうちにかえっているのだから、泊まりとなると随分とハードルが高い、と言うかそのまま娘が誘拐されたとか届けを出されてしまうかもと言う心配も杞憂ではない。そんな親なのであった。


「もちろん、一緒に都内に出かけていて遅くなるって、私からもう連絡はしてますが……」


 百合ちゃんも俺と同意見のようだった。喜多見家の娘に泊まりをさせるのはまずい、と言うか面倒臭い。きっと大騒ぎになる。それならば、今日のところは一旦帰った方が良い。もちろん、できれば下北沢花奈とはこのまま離れないでいて、また入れ替わりキスを試みたいと思うのだが、喜多見家が騒ぎになって、それを抑えることの方が大変だ。

 ならば、下北沢花奈がまた逃げるリスクはあるけど、今日はここで諦めて帰ってもらって、俺はこのアパートで、スランプで何も描けないふりして、お姉様たちのプレッシャーに明日まで耐え忍ぶしかないのだった。それはできれば避けたい状況であるが……

 でも——しょうがないか。

 俺はまた、あの監視のプレッシャーが始まるのかと思うと胃がキリキリ痛んできたのだけれど、これ以上は引っ張れないと観念する。俺は、もうみんなに帰えるようにと言いかける。

「それじゃ、みんなそろろ……」

 だが、

「ちょっと、待って!」

 んっ?

 リア充あいつが何か思いついたのか?

「やっぱり、逆転の発想ってあるんだと思うだよね。こう言う場合も」

「……って、何を」

 また俺に「逆転の発想」を丸投げする気なのかと牽制して、俺はあいつのことをジロリと睨む。

 でも、今回は違うようだった。

 あいつは何か「逆転」のアイディアがあるようだった。

 だから……

 あいつは、俺——向ケ丘勇の顔を得意げに首肯させ、

「うん。逆転の発想。美亜を家に帰さなければいけないのなら……」

 にっこり笑いながら言うのだった。

「みんなで美亜の家に行ってしまえば良いじゃないか!」






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