第33話 僕、今、女子リア充

 ははは、自由だ!

 僕——喜多見美亜の体の中に入った下北沢花奈——は心の底から溢れ出る喜びを抑えきれずに、

「ははははっはは!」

 思わず声に出して笑ってしまう。

 周りの人たちは奇異な目で僕を見るけれど、構うもんか。

 僕は逃げ切ったんだ。

 この炎天下でめちゃくちゃ汗をかいて、息を荒げている女子高生。

 それだけでもかなりへんな感じだけど、そのうえ奇声をあげてるなんて、明らかにみんな僕のことを避けて通ってるけど、——構うもんか。

 僕は自由になったんだ!

 その喜びを、自分の心の中にだけに抑えておくなんてことできるもんか。

 僕は、笑い、踊るようにくるくると回りながら御茶ノ水駅に入り、ポケットからスマホを出すと、空いているコインロッカーを探してそれを入れる。

 あのメイド喫茶での二人の会話、ちょっと離れた席で見張っていたからちゃんと全部は聞けなかったけど、——喜多見美亜、いやその中の向ケ丘勇の驚きっぷりと、スマホを握りしめながら落胆する様子、十中八九このスマホの位置情報サービスかなんかで場所を突き止められたに違いないよね。

 違ったにしても、——念には念を。

 僕は小銭を、——ああ喜多見美亜の財布からちょっと拝借するけど、これは絶対返すからね、と心の中で呟いてから、——ロッカーに入れるとガチャリと鍵を回す。そして、僕は駅から出てさっと裏道に入って、なるべく大きな道に出ないようにして、まずは神保町駅に向かう。御茶ノ水ここで電車に乗ったと思わせて、また駅から出て、別の駅から遠くへ。もしかして、まだ喜多見美亜が近くを探してるかもしれないから、気をつけて、なるべく目立たない通りをこっそりと慎重に、でも素早く僕は走る。

 うん、でも「素早く」って、——本気で早いなこの体。あの二人が朝いつもジョギングしてたのは知ってたけど、不摂生で、徹夜で漫画ばかり描いてる僕の体と比べたら雲泥の差だ。ほんと風のようにと言うか、ちょっと走ったくらいじゃ息も乱れない……

 でも、追いかけてきた向ケ丘勇も結構早かったな。さすが毎日、中身きたみみあの健康バカに鍛えられてるだけのことはある。僕がアキバの街中小走りに逃げてたら、すごいスピードで追いかけて来て、あれ、中の人も向ケ丘勇そのものなら危なかったけど、——追いつかれてたかもしれないけど、……入っているのが喜多見美亜リア充女子なら秋葉原ここで恐れることはない。裏道に入ったり、ショップに表から入って裏口から出たり、何回かそうやって引き離してるうちに、あっという間に向ケ丘勇の姿は見えなくなって、僕はまんまと逃げおおせたと言うわけ。

 そして、僕は、ビルの谷間をこそこそと周りを伺いながら走り、神保町から半蔵門線に乗って、移動して、——表参道。

 やっぱ、せっかくリア充になったんだからおしゃれなスポット来なきゃ損だよね。

 そう思いながら、僕は地下鉄駅から青山にでるが、

「ううう〜ん」

 僕は出た途端にその場で固まる。

「ううう〜ん」

 途方に暮れるとはこのことだ。

 せっかくリア充になったんだから、おしゃれなスポットに行きたいとは思ってたが、来てからどうするかはまるで考えていなかった。体はリア充女子を乗っ取ったが、心は下北沢花奈のままだと、こんな場所は気後れしてどうしたら良いのかさっぱりとわからないのだよ。

 ちょっと歩いてみて、ファーストフードとかラーメン屋とか、僕も気兼ねなく入れそうな店もあるのは分かったけど、リア充になって青山に来たのにそんな店に入るのは負けなような気がする。それに喜多見美亜あのこに失礼なような気がしてしまうのだ。リア充がそんな店に入ったなんて評判を立てないのが、今回犠牲になってもらったあの子へ対する私のせめてもの償い。我が矜持にかけて、この苦境を私は乗り切らなければならないのだ——かな。

 大丈夫。大丈夫だよ花奈。と僕は僕に言い聞かせる。

 僕は今、オタク女子じゃない。リア充の中のリア充。こんなオシャレな街でも誰もが振り返るとびきりのキラキラ系女子のはずだ。

 どんなオシャレスポットにだって入ってもおかしくない、そんな外見のはずだ。

 でも内面は? どうだろ。こころが外見に出ているってことはないかな? 今の自分の気持ちと同様、おどおどして、挙動不審の怪しい人物ってことはないかな?

 って思うとなんだか不安になる。

 でも、——どうした花奈。君はもっとやれる女だろ。たまたま目立たない凡庸な外見に生まれてしまったために、引っ込み思案で出不精のダーク花奈となってしまったが、こんなパッとした外見をもらったのなら僕の人生は全てが変わっていたはずだ。僕の妄想の中の理想の僕のように、僕の描くマンガの中のヒロインのように、僕の精神はもっと高く羽ばたけていたはずだ。

 そして、僕は変わったんだ。

 なら……


「うー! やってやるぜ!」


 僕は南青山の街に向かって、高らかに、そう宣言をするのだった。


   *


 で、気合が入ってつい叫んでしまった僕を見て、通りすがりのカップルがギョッとした感じになってひいてしまっていたけど、なんだか変にテンションが高くなっていた僕は、それくらいでは全く動じることもなく、その近くにあるオシャレそうなカフェ? レストラン? に入るのだった。

 だが……

「ハロー」

 ——はい?

 なんだか外国人の店員さんに英語で話しかけられたんですけど?

「さ、サンキュー」

「オー、ウエルカム!」

「さ、サンキュー」

「ディナー? カフェ? 」

「さ、サンキュー」

「……? ディナー?」

「さ、サンキュー」

「オー、フォローミー」

「さ、サンキュー」

 ん? なんだか良くわからないうちに、外国人の店員に案内されて店の奥のソファーの席に案内されちゃうんですけど?

 でも何? この店内。

 なんだかくたびれたような皮のソファーに、ちょっと汚れた感じのスチールのテーブル。壁はところどころ塗りムラがあって、それを古ぼけた感じの灯りが照らして。

 なんだかこぎたな……いや知ってるよ。こう言うのはアンティークとか言うんでしょ。知ってるよ。青山にあるんだからきっとそうなんでしょ。

 ふふん知ってるよ。僕は今オシャレ女子なんだ。それくらい知ってて当然だよね。

 ……って顔をしたつもりだけど、うまくごまかせているのかな?

 不審に思われてないかな?

 僕は、ちょっと緊張してるのを隠して、店内をちらりと見回すけど、——なんだかみんな会話や、スマホなんかに夢中で僕のことを気にかける人なんて……

 ひっ! 外国人のウェイターさんとまた目があっちゃった。

 うわ、やって来ちゃったよ。

 なんだ、ソーリーとかレイトとか言いながらメニュー渡してくるよ。

 何、僕、どうしちゃうの?

 なんか食べなきゃいけないの?

 うわ、なんだかメニュー良くわからないんですけど。

 何のコンポートだとかポアレだとか、何を言っているのか意味不明なメニューなんですけど。

 でも、安めのコース料理で、魚と肉があるのはさすがにわかったので、それ頼んどけばなんとかなるかも。

 うん。じゃあ、魚食べよう。こう言うとき、オシャレな女子なら魚だよね。でもリア充は肉食系とか言うから意外と肉でもありなのかな? でもなんだか、緊張して疲れてるから肉食べたら胃にもたれそう。とは言え、鹿肉のローストってなんだかオシャレっぽくないか? スズキのポなんとかより、こっちの方がリア充っぽくないか? いや、でも、スズキにはオシャレそうなハーブがのってるみたいだぞ。

 うん、迷うぞ。どうしたら良いのかな?

 僕は、メニューを得体の知らぬ秘密の力でも発動しそうなグルグル目でにらめながら、息を飲み考える。そして、振り向けば心配そうに僕を見つめるウェイターさんの目をしっかりと見つめながら、決心を固めて言うのだった。

「あ……アイアムフィッシュ」

「ユー? フィッシュ?」

 面白そうに笑う外国人のウェイターさん。

 あれ、僕って魚?

 じゃなくて、魚のディナーコースを頼みたいんだけどどうすれば良いのかな?

 とか焦って思えばますます頭はパニくって、

「あ……アイラヴフィッシュ」

「オー! ファイン!」

 何だ褒められたよ。

 いやウェイターさんは優しそうな微笑みで僕を見てくれているが、別に魚の好きなことはこの際どうでも良いよな。

 だから、そうじゃなく、あれれ、何だっけ。

 と、考えれば、考えるほど、僕は思考の泥沼の深みにはまって行くのだが……

「……?」

 そんな僕を見てなんだか思い当たったような雰囲気のウェイターさん。

「あっ、あなたはあの時の……」

 と、それからは流暢な日本語で注文を取ってくれて、僕は無事に魚のコースを食べることができたわけだ。

 だけど、なんでも、前にも喜多見美亜はこの店で、英語で注文しようとして同じヘマをやらかしてて、ウェイターさんはその時のことをしっかりと覚えていたようで。……今日は、なんだか僕(喜多見美亜)にまた恥かかせたみたいになってしまったって随分恐縮してたけど、——そんなヘマやらかしたのはきっともう喜多見美亜の中に向ケ丘勇が入ってからのことだよね? あのリア充ならこのくらいで焦らないでもっとうまくやるに違いないもの。

 すると……?

 店を出るときには、またお友達も一緒に来てくださいねと言われたけど。それって、麻生百合のこと? 彼女が喜多見美亜と一緒にここに来たのなら、まだ向ケ丘勇が麻生百合に再入れ替わりする前? なら、僕が連中の秘密に気づく前。……こっそり、監視をストーカー始める前のこと?

 ——うわっ、それ、なんだかちょっと興味あるんだけど。麻生百合事件は、ちょっと創作に役立てるには生々しすぎるんだけど、——あの二人のドタバタは見てて面白いよね。まだ入れ替わりそのものとバレーボールくらいしかネタにできてないけど、きっともっと面白いエピソートがありそう?

 と僕は夕闇の表参道を歩きながら、創作意欲を刺激されるあの二人の災難、体の入れ替わりについていろいろと考えるのだが。……


 ——いや、だめだめ!


 ——創作のプレッシャーからやっと逃げ出せて、こうやって自由を謳歌してるのに、そんなこと考え始めたら台無しだ。


 と、僕は自分の中途半端な、未練がましい、自分のマンガへの思いを断ち切る。

 そうだよ。僕は、締め切りのストレスから、やっと解放されたんだ。

 今は自由を満喫しなきゃ。

 ……うん。

 そうなら。

 ——慣れないリア充なんかをやるのもやめだ!

 なんだこの街ここ。僕は、店を出てから、表参道、原宿と僕はとぼとぼと歩いたのだけど、せっかく喜多見美亜になったのだから、オシャレなリア充ライフでもしてみようかと思ったのに、——そのせいで僕が緊張して心休まらないなくちゃ意味ないじゃないか。

 リア充の体に入ったら、リア充ライフも思うがままと思ってたけど。考えが甘かった。反省するよ。

 僕は僕らしく、漫喫にでも行きながらのだらだらとした逃亡生活をすべきだった。

 だって、

「ねえ君、僕はこういうもんだけど」

 突然名刺を差し出してくる派手な風貌の中年男に絡まれて、僕は蛇に睨まれたカエルみたいに身動きができなうなってしまってるんだもの。

「まだどこかの事務所に所属してないのならぜひ話をさせて欲しいんだけど」

 うわ、リア充美少女ともなれば流石違うわ。

 原宿にちょっと立ってるだけでこんなのよって来るんだ。

 でも、  

「いえ私友達待っていますんで」

 と断る。

 しかしそれでも食い下がってくるその男。

「じゃあ来るまで間でよいからさ」

「いえ、そういうの興味ないですので」

 しかし、断わってもしつこく食い下がってくるこういう男にはどうすりゃいいの。地味子一代に生きて、男に付きまとわれるなんて経験なんてない僕は、どうしたら良いのか分からずに受け答えもしどろもどろ。

「ねえ、その辺でお茶して連絡先を教えてくれるだけで良いからさ……ってあれ?  君?」

「……?」

「前もこうやって、君をスカウトしたよね?」

「えっ……?」

 そうなの? やっぱりリア充はこんなの日常茶飯事なの?

「そしたら、あの根暗女がでてきて邪魔して……でも、今日は君一人? じゃあ、今度こそ話を……」


「ダメです!」


 はい?

 僕とおじさんが振り返れば、そこにいたのは麻生百合だった。

「友達が迷惑してるんです! それ以上付きまとうなら警察に電話しますよ!」

「百合さん……」

 そういうと麻生百合は僕の手を取って、その場、原宿駅を後にする。後ろからはあのおじさんの舌打ちする音が聞こえる。

 でも? うわ。助かったけど、——なんで麻生百合がここにいるの?

「あっ、美亜さん? うん。予想どうり、原宿駅前に『あなた』が現れたわ。地元駅の待ち伏せはやめて、こっちに合流お願いします」

 ですよねー。

 ああ、僕、結局、捕まっちゃったみたい。

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