第21話 俺、今、女子探し物中

 俺の中に入った喜多見美亜あいつが百合ちゃん(つまり今の俺)の家にやってきた週の土曜日、俺は大掃除を始めた。

 ——いや、実は大掃除は口実。探し物をするというのが本当の目的だった。

 とは言え、普段掃除もろくにしない俺みたいのが突然大掃除とか言い出したなら、一体どういう風の吹き回しなのかと、なんだか家族に疑われることしきりかと思うが、麻生家で唯一の女手で、家事を一手に引き受けていると言っても過言では無い、綺麗好きの百合ちゃんが大掃除をするというのなら、それは単なる日常の一コマである。

 むしろ、

「そういやここ最近、ちゃんと掃除してなかったね。そろそろ——する頃かと思ってたよ」

 柿生くんに言によれば、俺が中に入ってしまってから掃除がおろそかになってしまっていたので逆に変に思われていたくらいなのであった。

 なので俺は大手を降って家の掃除兼探索を始めるのだが——いきなり本丸の百合ちゃんのお父さんの部屋を攻めるのも疑われるかと思ったのでまずは風呂場とかトイレとかから掃除を始めるのであった。

 だが、そこは、もともと百合ちゃんがしっかり掃除をしていた場所なので、正直備え付けの洗剤をつけてブラシでちょっとこすればすぐにピカピカ。両親とも働いていて、家事に時間が取れないとはいえ、風呂場の目地になんとなくしつこそうな黒シミが現れては、慌ててカビキラーで漂白している、俺の家とはえらい違いである。まあ俺も全く掃除してなかったけどな。

 ——で次はキッチン。こちらこそ、今でも毎日、喜多見美亜あいつの中に入った百合ちゃんがやってきて、食事を作った後にしっかりと掃除をしていくので、汚れと言っても、午前遅くに起きた百合ちゃんのお父さんが朝食を食べた後にパンのクズとかが少し落ちている程度のものだった。

 だからここキッチンの掃除はさっさと終わり、俺はリビングに掃除機をかけ——そのまま廊下——階段を上がり——二階の廊下までしっかりと埃を吸い取るのだった。まあ疑われないように掃除はしっかりとまじめにやるのだが、廊下を5往復くらいして——で、そろそろ良いかな? 俺はそう思うと百合ちゃんのお父さんの部屋を開けるのだった。

 お父さん自体は、今日はもう家にはいない。掃除をするから邪魔なので少し外に出ていてと言ったら——それはちょうど良かったと——趣味の写真を撮りに、家から少し歩いた低い山の上にある、時期的にそろそろ咲き始めの紫陽花あじさいで有名な寺に行ったのだった。

 手伝わなくて悪いねとか言いながら外に出た百合ちゃんのお父さんは、お詫びに、帰りに何かお土産買ってくると言っていたが——週末のお出かけならば、お土産は、毎日会社帰りに買ってきてくれるコンビニスイーツが駅前のケーキ屋のものになるのだった。

 百合ちゃんからはそのは「褒めてあげてね」と言われていた。

 ちなみに、先週のお土産はモンブラン。しゃれたケーキ屋に入るのなんて恥ずかしいらしいお父さんの買ってくるケーキは、適切に、正確に逆方向に、アンテナが高く、あえてそこをと思うようなさびれた店を引き当てて買ってしまうようだった。いや、正直にあけすけに言えば、先週のはかなりいまいちなものであった。

 でも俺は言われなくても、それを、先週、自然に褒めたのだった。

 なぜなら、それを百合ちゃん(俺)と柿生くんに渡すときの柔和な、嬉しそうでもあり、でも、美味しく思ってくれるだろうかと不安そうな表情——愛情に——ケーキはなんだかとても味わい深くなる。柿生くんの淹れてくれた美味しい紅茶とともに、家族団欒で食べたケーキは、なんだか良い家族だなって俺はしみじみ思ったのだった。

 ほんと誠実そうなお父さんと、良い子供たち。俺は回想をしながらますます確信するのだった。こんな家族が——いやお父さんが——をするわけが無い。俺はそう思い、掃除をしながら目的のものを探す。

 ——それは書類であった。

 探すのは一枚の紙切れ。

 でもそれは、今の状況を大きく変えるはずの紙切れなのであった。

 俺はそれが入ってそうなファイルがならぶ本棚の最上段に手をかけながら、その下の棚もざっと目を走らす。

 お父さんの愛読書なのだろう、上の段には時代小説や経済小説が並ぶ。そして一番下の段には、幼児向け絵本や小学生くらいが読みそうなマンガとか……

 きっと、これはこの部屋で家族全員が寝起きしてた時の名残なんだろう。きっと家族全員でこの部屋で幸せいっぱいで過ごしたのだろう……

 お母さんが生きていた時のことは百合ちゃんもあまり覚えていないようであるが、でも彼女の醸し出す雰囲気でわかる。百合ちゃんは今の陥れられたひどい境遇の中でも、人に愛されることの嬉しさと希望を忘れずに持っている。

 それはきっとこの部屋での幼児期からうまれたものではないだろうか? 俺は想像する。赤ちゃんのころの百合ちゃんはどんなに可愛かったんだろうな——とか。お母さんも揃って幸せいっぱいだった頃の家族の様子を思い浮かべ思わず顔がにやけるのだが、気づけば、その幸せな家族の様子が映った俺の心の中の鏡は、突然バラバラに割れる?

 すると、横には、それを叩き割った王禅寺沙月がハンマーを持ってにやりとしている……

 ——ああ、頭くる! 

 俺は、一瞬で、頭の中が怒りでいっぱいになる。激しい感情がぐるぐるしてしまい、不注意にも、つい手をかけていたファイルを荒っぽく引き出してしまう——それは俺の手を滑り落ちて床に落ち、

「ヤバい、ヤバい……」

 そのファイル——百合ちゃんのお父さんの会社関係のものらしい——の留め具が外れて中の書類が床に散乱。

「うわっ、すぐに治さなきゃ……」

 俺は、床にばらまかれたそれらを、なるべく元の順番どうりにもう一度たばねようと慌てて拾い始めるが……

「あれ?」

 俺は、一枚の紙を手に取り立ち上がる。目的のものを見つけたのだった。

「これだな……」

 俺は低い声でそう呟いたのだった。


  *


 さて目的の紙が見つかれば今日の俺のすべきことはあらかた終わり。別に行動している喜多見美亜あいつの報告を待つくらいしかすることもないので、ただぼんやりとベットに転がりそれを待っていると、どうやってあの沙月を陥れてやろうかとか、奴が泣き崩れる姿はどんなものだろうかとか思ってしまう。

 そうすると、その瞬間は気持ちがスキッとする。

 なんだか奴を百合ちゃん以上の不幸に陥れようと想像すると、俺はなんだか少し後ろめたくも気持ち良くなるのだった、

 でも、

「うわ、これあかんやつだ……」

 俺は沙月の胸ぐらを掴み手を挙げている自分を想像したところでベットから立ち上がりながら言う。

 俺は気づいたのだった。妄想の気持ちの良さが途切れた瞬間、前よりも強くどす黒い怒りが俺の中にあることを。その魔物を抑えるためにはより強い妄想が必要な事を……

 妄想している時は心が落ち着くのだがそれが終わったあとはより強い怒りが心にある。

 なんだかこういうのって——多分良くないよね。

 ならば、

「気分転換にどこかに出かけるか」

 俺は際限のない怒りの増幅を断ち切るべく、ベットから立ち上がると、外で散歩でもするかと簡単な身じたくだけすると外に出る。

 今年は受験生になる柿生くんは家で勉強しているとの事だったので、俺は今日は一人で外に出ると、まずは多摩川まで行き、その川沿いをずっと歩く事にした。

 それは、何日かに一回はジョギングしているルートだが、今朝は逆に山側に走ったので、同じ方向に行くのも何かなと思って水辺のルートを選んだのだった。


 太陽に垂らされた水面がキラキラと輝く。ところどころ花の群衆する河原の草が風に揺れる。今日の多摩川は天国的に綺麗で心地よい風景にであった。

 春が終わったが初夏というには少し早い、心地よく湿った爽やかな風が吹き抜ける堤防沿いを、俺はテクテクと下流に向かって歩いていく。

 今日は橋を渡り、東京側を歩いていく事にした。

 堤防の上から下を見れば、前に喜多見美亜あいつによるの女装がクラスのみんなにバレた、踊ってみたのオフ会をやった思い出(?)の草地。その先の河原ではテントやテーブルを持ち混んでデイキャンプを楽しんでいる人たちがたくさんいた。

 こんな日に、こんなとこで何にも考えずにぼうっとできたら気持ち良いだろうなとか思いながら、でも今歩くのをやめたらまた怒りと妄想の虜になっちゃうし……

 俺はそのまま堤防の上を歩き続ける。

 まあ、あんまり体力があるとは言えない百合ちゃんの体だが、結局毎朝付き合ってるジョギングに比べれば、歩くのはやっぱり楽だし、ちょうど良い気候なのもあって、このままどこまででも歩いていけそうな気がする。

 キラキラと光る川の流れを追いかけるかのように、白い鳥が低く飛ぶのを眺めながら、自然と速くなる俺の歩み。すると、呼吸が少し激しくなる。鼓動が高くなる。風がやんだ一瞬の静寂の中で自分自身の出す音を俺は聞く。

 ならば、刹那の孤独。周りには穏やかで美しい光景——河原からは楽しげな人々の声が聞こえてくるのに、自分自身の音がひどくでかく聞こえて、なんだがそれは、自分が周りの世界と切り離されてしまったかのような感覚を持ってしまう。目の間の世界がしっかりと見えているのにそれは別世界ででもあるかのような……

 人の体に入っているからかな? 体も自分ではなく、心だけ切り離されたような? 感じたその妙な感覚を——なんか嫌じゃない——自分でも持てあます。

 夢の中の自分の意思と勝手に体が動いている時のようなふわふわとした不思議な気分。自分が歩いていこうと思っている方向に体はただ動いているのになんでそんな事を思うんだろ?

 気づけば、そんな夢ごごちの状態で2キロくらいは歩いただろうか。

 ——そろそろ河原に降りるか。

 高速道の高架が川を渡る前くらいのところで俺は堤防から降りて、砂利道を歩き始める。

 下り坂を降りた勢いで歩みの早まった俺は、少し前を歩く犬の散歩のおじいさんとの距離がだんだんと縮め——抜き去る瞬間横をジョギングのお姉さんが通り過ぎる。

 空に浮かんだタコがくるくると回るのが見えた。高速道路の向こう側の野球の試合で打ち上げられたボールが俺の視線の上、それに重なって——通り抜け——飛んで行った。

 あがる歓声。二塁ランナーが走りだす。

 その先の芝生の上では投げられたフリスビーを追いかけて大きな犬が走り出し……

 ——回れ! 回れ!

 三塁脇のコーチャーがブルンブルンと手を回し、ボールに追いついたセンターが必死の形相で投げたボールはワンバウンドしてキャッチャーのミットへ。滑り込んで来たランナーはタッチとほぼ同時にホームへ……


「セーフ!」


 審判が手を横に広げながら高らかに宣言すれば……


「際どかったね」


「——あっ、はい……」


 いつの間にか立ち止まっていた俺は今セーフになった方のチームのユニフォームを着た応援のおばさんに声をかけられて、

「……ドキドキしました」

 なんだかその瞬間、平面に見えていた周りの世界が立体に見えてくるのだった。


   *


 そのまま川べりを歩いていった俺は、次の橋の下あたりの草地で適当な石を見つけて座ると、堤防の向こうの高層ビルとその向こうの空をぼうっと眺めていた。でも、さっきとまでとは違い、周りのものが全部リアルな感じのする。雲やビルの輪郭なんかがやけにくっきりと見えて少し気持ち悪いくらい。

「日が強くなってきたからな……」

 おれはこのギラギラとした風景をみてなんだかとても落ち着かない気分いなる。

 強い太陽の光でハレーションが起きて細部のわからない風景——やけに濃く感じる緑の絨毯のような草地が風に一斉に揺れ——うわっ! 

 ちょっと嘔吐感を感じそうなくらい濃いリアルを感じて俺が思わず口押さえたその時に、

「——ああ、どう明日の準備してる? 私もイベント終わったから手伝えるけど?」

 今日は別行動を取っていた喜多見美亜あいつからの電話が入るのだった。

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