2:魔女姫の世界Ⅲ

「……面倒臭い?」





 アルは信じられないといった具合に繰り返す。一瞬、ほんの一瞬だけ驚いて見せたかと思うと、アルは悲しそうに作り笑いを浮かべた。





「……そうか。そうだね。確かにムシの良い話だよ。俺では魔女姫を討つには力が足りない。だから、無償で助けてくれと言うほうがどうかしている」





 自嘲するアルは痛々しく映った。アルは言う。お礼はすると。富でも名声でも、望むものなは可能な限り必ず用意すると。


 けれど、それでも私は動く気にはなれなかった。漠然と、国を相手取るイメージが浮かぶ。辛く苦しい戦いだとか、大きな怪我や、下手したら死んでしまうかもしれない。そんな保険を考えるより、私にとってはやはり面倒臭いという感情が先行していた。





「やっぱり、あの人が特別だったんだろうね」





 ボソッと呟くアルの独り言。耳に届いたけど無視した。誰のことを言っているのか分からなかったし、私は至って平凡だ。例え誰かが優秀で特別だと比較されても、私は遥かに格下だと認めることが出来る。何かしらの感情が働くことはない。きっとこれから先もそうだろうと思う。





「でもそれなら、俺は君に余計謝らないといけない」


「?」





 まだ何かあるのだろうか。





「君が手を貸してくれる気がないのは分かった。無理強いをしたところで、魔女姫が相手だと君が死ぬだけだ。余計な犠牲は出したくない。でも君は、アリスとしての力は持っている。恐らくこの世界にいる限り、君は狙われることになる」


「……あのゾニスとかいう奴みたいにってこと?」


「そうだね。だから、戦う意思がない君は元の世界に戻してあげるべきだとは思う。ただ……」





 アルは言いにくそうに言葉を切る。一呼吸於いてから、その先を口にした。





「今はもう異世界の扉は閉まっているんだ。その場合、俺では開けることは出来ない。出来るとするなら、ここから北のギアスチャッドにいる、魔術法帝に頼むしかない」


「……それってつまり、敵に狙われながらその魔術なんとかに会いに行かないと駄目ってこと?」


「まぁ、ありていに言えばそういうことになる」


「でも、こっちに来る時、アルが魔法で穴を開けたんじゃないの?」





 確か河原で空間に穴を開けたはずだ。





「あれは元々扉は開いていたんだ。言ってみれば、俺は鍵が掛かっていない扉のドアノブを回したようなものなんだ。今は鍵が掛かってしまったような状態と言えば分かる?」


「まぁ何となくは」





 どういう違いなのか分からないけど、取り敢えずアルはもう開けられないということだ。ならもう、その魔術何とかに会いに行くしかないだろう。思ったより面倒な展開だとは思う。





「そこにはどれくらいで……」


「しっ」





 まだまだ情報は足りない。どれくらいで着くというのか。そもそもどうやって行くのか。考えるより言葉にするだけでも質問はすぐに出てきた。けれど私の続く言葉は、アルによって遮られる。静かにという、ありきたりな仕草が妙に緊迫さを表していた。





「何?」





 空気を読み、小声で尋ねる。アルはゆっくり腰を上げると、窓際に体を寄せた。外からは見えないよう気を配りつつも、外を探る動きだ。





「お客が来たみたいだ。一応穏便に済ませたけど、そうもいかないかもしれない。彩芽はそっちの部屋に隠れてこれを着てて」


「これって」


「早く!」


「う、うん」





 指示された部屋はもう一つ奥の部屋。何の部屋なのか分からない。渡されたのは少し廃れた布切れである。いや、広げてみれば羽織だった。白っぽいだけでデザインも何もない。少しサイズが大きいのが気になるけど、何故これを着る必要があるのだろうか。


 疑問には思ったが、少々力の入ったアルの声に押されて、私は奥の部屋へと引っ込む。





「良いと言うまで出てきちゃ駄目だよ」


「分かった」





 素直に従ったというのも、外に出る扉と思わしきところから、複数の人の気配がしたからだ。誰かいるか?という声が発せられている。そしてもう一つ、お客さんとアルは口にしたが、歓迎するべき訪問客でないことくらいは、さすがの私にも理解出来たからだ。


 私が扉を閉める間際、アルが優しく笑みを浮かべるのを目にした。それがどういう意味を為しているのか私には分からなかったが、すぐさま耳を扉に押し当てる。せめて向こうの様子を把握したいと思った。





「早く開けないか。何をしていた?」


「着替え中だったもので」


「……まぁいい。ここはお前の家か」


「ええ」


「一人か?」


「そうです」


「……兎の被り物をした奴を見たことないか? もしくは奇妙な格好をした若い女だ」


「さぁ。何せここは人はほとんど通りませんから」


「それもそうだな。邪魔した」





 そんな問答が繰り返された後、お客とやらは出て行ったようだ。そしてわりとすぐに、耳を押し当てていた扉が勝手に開く。否、アルが開けたようだ。





「っとと」


「お待たせ。うまく誤魔化せたからもう少しは大丈夫だろうけど、ここもすぐに離れた方が良さそうだ。って、まだ着てないじゃないか」


「す、すぐ着るから。それより、今の誰? まだ何か釈然としないんだけど」





 現れたアルはあの短い時間、いつ着たのか。フードのような大きな紺の羽織を纏っていた。そんなアルは私を見てクスっと笑う。





「まぁ当然だよね。ちゃんと教えるから、今はちゃんと出来るだけ急いで支度をして。じゃないと、怖い鬼が来ることになるかもしれない」

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