拝啓 闇の中から秘事が見えた(Bパート)

 帝都イヴァン北西部。昼間でこそあったが、ここの雰囲気は独特だ。どこからともなく漂う、あまったるい香水の匂い。魔導式ランプで制御される、ネオンめいた看板こそ火を消しているが、夜になれば、まるで宝石をばらまくかのごとく通りを照らすだろう。夜に向けて準備を進める、娼婦の世話役や娼館の従業員たち。

 ここは、イヴァン唯一の風俗街。通称色街だ。この界隈の成り立ちは、帝国成立以前に遡る。かつてこのイヴァンという街は、対立する王国と魔国、二国の境界線で二分された交易都市であった。当時経済的に優位に立っていたのは、境界線の東側を支配する魔国であり、西の王国側、特に北西部の発展度は、イヴァン全体を見ても大きく劣るものであった。苦肉の策として、限定的ながら風俗街を承認することで、魔国の外貨すら得られるようになった王国は、やがて魔国に比肩する経済力を手にした。それが戦争長期化の遠因ともなったのであるが、今重要なのはそういった歴史のことではない。

 色街の本分は、夜である。昼はというと、貴族や騎士など、外泊に制限のある者が出入りするのが常である。もちろん、それ以外のものがそうしてはならないという決まりはないのだが、自然と『そういうもの』になっているのだった。

 さてそんな昼の色街のとある娼館『マリアン』にて。背が高くくすんだ青い前髪のシスターが、わざわざ見送りに出た支配人にお辞儀をしてから去っていった。くねくねとした細身の中年支配人はその後姿に彼女より深々と頭を下げてから、やれやれと腰を叩きながら娼館の中へと戻る。不安げな顔つきの従業員が、彼を待ち構えていた。


「帰りましたか」


「帰ったわよ。んまあ、凄かったわね。何人やられたのよ」


 支配人は頭を掻きつつ、従業員の用意したコーヒーカップを、小指を立てて飲んだ。温かい。彼からの報告を聞いて背筋が凍りかけた支配人にとって、丁度よい暖かさであった。


「三人です。ジムとカールは、ありゃ今日はダメですね。明日は休ませたほうが良さそうです。カイはなんとかやれますが、夜お客様にはお出しできませんよ」


 支配人は再び頭を抱えた。あのシスターはわざわざ昼間に来るなり、金貨を三枚も差し出すと、可愛らしい少年のような風貌の男娼を三人つけてくれと言い出したのだ。もちろん、そういう趣味に対応できるよう様々な種類の男娼が所属しているマリアンであったが、一度に三人もというのは聞いたことがない。支配人はてっきり、被虐趣味の変態かと思ったのだが、事実は違った。文字通りそのシスターは男娼を『責め殺した』のだ。搾り取られたぞうきんのようになった男娼達を見て戦慄しながら、支配人はどうしたものか、と頭を抱えるほか無かったのだった。


「……とにかく、三人にはいいもの食べさせてあげて」


「またあのシスター来たらどうします」


 考えたくもないことだが、十分ありうる未来であった。支配人は数秒考えた後、口を開いた。


「誰か、生贄になってもらうしかないんじゃない」






「機嫌良さそうじゃない、アリー」


 アリエッタが色街から戻り、ヘイヴンに辿り着いたのは、もう昼を過ぎた頃であった。いつの間にか、ちょろちょろと金髪にハンチング帽、白いシャツにワーカーパンツをサスペンダーで吊った青年が回りをうろついており、話しかけてきていたのだった。


「ええ。やはり喜捨は良いものです」


「……喜捨? どういうこと?」


「喜捨は喜捨です。私は神に仕える身。生活には金貨一枚もあれば十分です。残りの金は喜捨しました」


 青年──ジョウは細い目をさらに細めて、彼女の真意を探る。ハンチング帽をぐいとかぶり直し、にやりと笑みを浮かべながら、アリエッタの前に踊りでた。まるで、親子かそれ以上の身長差だ。見上げるような長身のアリエッタを仰ぎ見ながら、ジョウは人差し指を立ててみせた。


「わかった! 男を買っ……」


 瞬間、アリエッタの右手はジョウの口を塞ぎ、彼の顔はひょうきんな顔に変形させられた。もちろん潰されるようなことはない。もっとも彼女が本気を出せば、この顔に整形することくらいは朝飯前だろうが。


「私は、神に、仕える、身です。喜捨、いたしました」


「男を……」


「喜捨、いたしました。三度は言いませんよ、ジョウ」


 ジョウは頷き、アリエッタは口元で微笑んだ。彼女の目はくすんだ青い前髪で覆われており、窺い知れない。もっとも先程の様子で彼女の視線まで加われば、ジョウはただでは済まなかっただろう。


「いきなりは酷いんじゃない」


「ひどくはありません。……ところで、あなたは何をしているのです?」


 ジョウは自分の顔が本当に変形していないかどうかを確認してから、彼女を路地裏へと引きこむ。ヘイヴンはとにかく人が多い。行商人、冒険者、観光客、亜人にアウトローに騎士。誰が聞いているか、わかったものではない。


「実は今『つなぎ』を受けてるんだけどさ。なあんか断罪になりそうなもんだから、みんなにつなぎをつけてるところなんだよ」


 断罪。仰々しい言葉に、アリエッタは身を固くする。神に仕える身なれば、許されざる蛮行。アリエッタは、そんな蛮行を実行する者の一人である。


「一体どんなつなぎなのですか?」


 ジョウの言うつなぎの意味は多岐に渡る。彼の職業の名前であり、文字通り連絡をつけるという意味だったり、関係をつなげて欲しいという意味だったり──まちまちだ。


「ヘイヴンにある本屋で『ケノクニ屋』って大きな店があるんだけどさ。そこの奥さんから『主人が浮気をしているかもしれないから、調べられるような人を探して欲しい』って言われてさ。で、知り合いの探偵を紹介して──ネタが挙がっちゃったんだよね」


 ケノクニ屋は、ヘイヴンは愚か、帝都だけでも八店舗展開しているという本屋である。その主人が、浮気。事実ならば確かに大問題となるだろうが、アリエッタにはそれがどうにも断罪に結びつかなかった。


「しかし、それだけでなぜ断罪に」


「アリー、君だって女の人でしょう。嫉妬だよ、嫉妬。要はさ、浮気する事自体、その裏切りが許せないんだってさ。でも、嫉妬してても結構冷静でさ。もし、旦那さんが騙されて引きずり込まれたんなら、許さなくちゃって思ってんだって。旦那さんから持ちかけたんなら、相手の女ごといっその事叩き殺して欲しいって。そういうことの出来る人をつないで欲しい。そういうわけなのさ」


 アリエッタはふうん、と興味なさげに頷く。彼女は、結婚自体にあまり憧れがない。だからこそ神に仕える道を選んだし、我慢できなければ男娼で発散すれば良いと考えている。結婚相手に執着して殺すことまで考えるなど、彼女の考えの範疇を超えていた。


「依頼金は、前金で金貨四枚。成功したらもう八枚。ま、断罪になるかどうかは五分五分ってとこかな。正直、理由が理由だしね」


「もし、断罪になるのなら私も及ばずながら手を貸しましょう。なれば、ですが」


「頼むよ。レドとドモンの旦那にはこっちからつなぎつけとくからさ」






 一方その頃、おなじヘイヴンの中の通り。レドの店は、相変わらず人が居なかった。レドはと言うと、木箱を椅子にして、傘の骨の角度を、鎚で調整していた。傘のシルエットは、この傘の骨の反りで決まると言って良い。文字通り機械の如き正確さでつくり上げるレドの傘は、非常に手間がかかるが出来は良い──と自分では思っている。

 父親に、昔は鉄製の傘を一本作れば一年暮らせたと聞いたことがある。だからこそ、殺し屋などしていても余裕を持って暮らせたと。それは、傘が珍重され、貴族の財産として扱われていた時代のことだ。今は庶民にも安価で作りやすい竹の傘が行き渡るようになり、傘の珍しさもずいぶん薄れた。貴族の財産として扱われるような事も、なくなってきていると聞いたことがある。その結果が、レドの目の前で転がるばかりの傘なのだった。

 しかし、彼は悲観していなかった。むしろ、そうでこそ殺し屋として生きていけるとすら考えていたのだ。なにしろ、傘が売れなければ、殺しで稼ぐしか無いからだ。


「あのう」


 レドは、何度か鎚を叩いた後、ようやく店の前に立つ彼女に気づいた。外出用のパステルカラーのドレスを身にまとった、妙齢の女。年頃は、三十手前といったところだろうか。細身で肩までかかる茶髪、薄紅色の唇が印象的だ。


「どうも、奥様。傘が入用ですか?」


 意外にもレドは商人めいた笑顔を作ってみせた。口元の両側にできるえくぼは、たいていの人間に好意を与えることができるだろう。彼は、社会不適合者ではない。むしろ殺し屋として、光の当たる面の世界でも十分に生きることが可能な能力をきちんと身につけている。ただ、彼の目は全く笑っていなかった。見るものが見れば、この男は本当の笑顔など誰にも見せたことがないのだと感じさせることだろう。


「ええ。日傘が欲しいのだけど、竹の傘だと味気なくて。なにか絵柄が入っているものはあるかしら」


 気品ある佇まいに、優雅な物言い。恐らく、良い所の奥方であろうと、レドは自ら作った傘を手に取り勧めようとしたその矢先の出来事であった。


「アイシャ! ここにおったか!」


 野太い声怒声が、突如ヘイヴン中に響いた。筋骨隆々の男。遊撃隊の印である、カーキ色のジャケットを羽織り、まくり上げた太い腕には、もじゃもじゃと毛がまとわりついている。むさくるしい大男だ。


「あなた、どうして……」


「この痴れ者が!」


 いうが早いが、男は大きな手のひらでアイシャの頬を平手打ちにした! 思わぬことにアイシャは軽く吹き飛ばされ、地面に倒れ伏す! 男は怒気に満ちた瞳で彼女の胸ぐらを掴みあげ立たせると、なおも怒声を浴びせた!


「このおれに、また恥をかかすのか!」


「お、お待ちください」


 レドはおずおずと言ってみせた。まさか目の前で殴られている彼女を、なにもせず放っておくわけにもいくまい。レドはなるべく『ただの傘屋』に見えるように、言葉をつまらせながら言った。


「なんだ!」


「遊撃隊の方、往来で……あ、あまりに御無体ではありませんか。この奥様が何をされたのかわかりませんが、どうかここでは……」


「何を! 貴様……この俺が遊撃隊のアトキンスと知っての狼藉か? 傘屋風情が、夫婦の事情に口を挟むな! 来い、アイシャ!」


 言うが早いが、アトキンスはアイシャの細い腕を掴むと、まるで犬を引きずるがごとく強引に連れ去っていった。レドにはそれ以上何もできず、見せようと手にとって地面に転がった傘の埃を払うのだった。

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