必殺断罪屋稼業

高柳 総一郎

拝啓 闇の中から光が見えた

拝啓 闇の中から光が見えた(Aパート)

 その帝国には皇帝がいなかった。

 戦乱渦巻く大陸に、二つの国があった。大陸は荒れ、人々は疲弊し、明日のパンやミルクを願った。

 そこに、勇者が現れた。勇者は数人の一騎当千の仲間とともに、二国を駆けた。彼は二国の戦いをやめさせ、一国の女王の心を射止め、大陸を統一した。彼は神聖皇帝を名乗り、一つの帝国を創りだした。偉大な男であった。

 しかし、彼は死んだ。

 なぜ死んだのか? 

 戦争から十年経ったいまも、それは定かではない。確かなのは、皇帝が死した事で内戦が起き──その後、帝国はようやく安定し始めたということだ。

 歴史学者ヴォルフガング・フォルマイヤー著「帝国黎明記」より




 半月が浮かぶ、薄暗く肌寒い夜のこと。

 その日、帝国財務局筆頭会計長のアルフレッドは、とある会合へ参加するため、集合場所として指定されたレストランへと急いでいた。財務局の仕事はつらいものだ。管理職となった彼ですら、このような夜更けまで仕事を強いられる。

 しかし、そんな仕事に耐えうるほどの見返りもまたある。

 今回の会合も、そうした見返りのためには出席せねばならぬ。


「全く、困ったものだ」


 彼は馬車を降りると、御者に銀貨を二枚支払った。ぺこぺこ頭を下げる御者を冷めた目で見送ると、携帯火種──簡易魔法が組み込まれた円筒状のもので、息を吹き込むだけで火が点く装置だ──を取り出し、咥えたパイプタバコに火を点けた。


「お待ちしておりました」


 いつのまにやら、ランプを手に下げた男が立っていた。レストランの給仕めいた、黒い服に身を包んでいるように見えたが、それは違った。よく見ると、闇に溶けるような黒スーツに、黒いシャツを着ているのだった。血のように赤いネクタイと、陶磁器と見まがうようなやたらと白い肌だけが、影の中に浮いているように見える。


「……ご苦労。連中はもう集まっているのか?」


「はい。こちらに」


 男の顔は、ランプが発した光の影となって見えなかった。というよりも、まるで影のような印象の男だ。不思議なことに、こんな明るい月の夜にも関わらず、彼は赤い傘を腕から下げていた。


「あなたが一番、最後でございますよ」


「そうか。はやく案内しろ」


「ええ」


 彼は杖めいて地面に傘を突き立て、突然足を止めた。アルフレッドに向き直ると、彼は傘の留め金を外し、傘を構成する骨に手を伸ばした。


「どうした」


「案内させていただきます。……地獄へ」


 彼は傘の骨の一本をぎゅっと握り──内側に折り曲げた。甲高い金属音とともに、骨は折り取れた。断面が四角くアーチを描いた鉄骨を、彼は驚愕に目を丸くするアルフレッドに対し、振り下ろした!

 しかし鉄骨はアルフレッドに突き立てられる直前で、止まっていた。彼の手からランプが離れ、地面へ転がる。割れたランプから油が漏れ、火が傘の男の白い顔を浮かび上がらせる。彼は口から血を流していた。アルフレッドの口角が上がり、彼が手にした銃の銃口から、わずか硝煙が漏れた。


「クズが。貴様ごとき下郎が、俺を暗殺できるとでも思うたか」


 アルフレッドは膝を付いた男の頭に、銃口を再び向けた。頭蓋を銃弾で砕けば、人は死ぬ。当然のことだ。そしてその当然の事を、この男はやったのだ。アルフレッドはにたりと口角を上げたまま続けた。


「どこの誰に頼まれたのか知らんが、やり方が稚拙よ。身の程を知れ」


 アルフレッドの合図とともに、砂利を踏みしめ、数人の剣を腰に携えた男たちが現れた。すべてが露呈していた。男は手に握ったままの鉄骨を振り上げ、もう一度アルフレッドに飛びかかろうとした。しかし全てがもう遅かった。彼は銃弾を今度は胸に撃ち込まれ、そのまま仰向けに転がった。


「……とどめを刺しますか」


「馬鹿な。もう死んださ。この帝都イヴァンでは、数丁も出まわらん代物だぞ。銃はいいものだな。剣を振り回すのとは殺傷力が違う。魔法と違ってライセンスもいらん」


 男たちはアルフレッドの物言いにうなずき、静かに抜いた剣を納めた。男のうちの一人、一際体が大きく、頬に十字傷の刻まれた男が耳をそばたてた後、口を開いた。


「アルフレッド様。笛の音が。恐らく、憲兵団が銃声に気づいたものと存じます」


「そうか。では行くぞ。死体に用など無い」


 鳥が仲間を呼ぶがごとく、鋭い笛の音が夜霧を裂く。その夜霧の下、男は死にかけていた。彼は、赤い傘を掴み、割れたランプから漏れる炎を見た。

 俺は死ぬのか。こんなところで。

 記憶が巻き戻る。奥底に眠る古い記憶。背中。大きな背中──。







 目を覚ますと、男はベッドに寝ていた。白壁に白いベッドの側には、黒い壁があった。正確には、黒い人影だ。見上げるような人物が背中を向けて、なにやらカチャカチャとスープの入った皿を置いているところであった。


「……誰だ」


「誰だ、とはまたずいぶんな物言いですね」


 くるりと向き直ったのは、シスターであった。少なくとも、格好はそうであった。黒い修道服に身を包み、白頭巾の上に黒いベール。頭巾から覗くきっちり切りそろえた前髪はくすんだブルーで、目を覆い隠しており、窺い知れない。ぷっくりした薄紅色の唇はどことなく官能的でさえあった。


「あなた、死にかけたの覚えてらっしゃいません? もう三日も寝てらしたんですよ」


「そうか」


 男はぶっきらぼうに言った。しばらく、シスターは喋らなかった。返事を待っていたのかもしれなかった。だが、男はそれ以上喋る気が無かった。必要性を感じられない。


「あなたの名前は?」


「レド。あんたは」


「シスター・アリエッタです。どうぞよろしく」


「そうか」


 またも、会話が止まった。シスターは、迷える子羊の懺悔を聞く者だ。会話を一言二言交わせば、相手がどういう人間か想像がつく。彼は、人と関わろうとしていない。かかわり合いになりたくないのだ。たとえ、自分が死にかけたところを助けられたとしても。


「あなた、わたしの事を変だとおっしゃらないのですね」


「何がだ?」


「わたしの身長。背が高いでしょう? 男みたいってよく言われるものですから」


 シスターはどこか自嘲気味に、手にした銀のお盆を抱え持った。お盆がまるで、小さなカップ・ソーサーのように見えてしまうほど、彼女の体は大きかった。レドは銀のお盆に映る自分の赤錆色の長い髪から覗く、やはり同じように赤錆色の瞳を見た。上半身には、肩から腹にかけてぐるぐると包帯を巻かれている。

 俺は失敗したのだ。


「レドさん?」


「レドでいい。……俺は、どうでもいい。あんたが背が高かろうが何だろうが、構わない。シスターなんだから、あんたは女だろう」


 アリエッタは少し驚いた様子を見せてから、背を向けて頬に手を当てた。レドには、どうでもいいことであった。今の自分には、全く必要のないことだ。俺は失敗した。だが生き残った。これから、どうすればいい。


「ここは、教会なのか?」


「まさか。慈善病院ですよ。私も一月前に来たばかりで……ここの院長さんがとても良い方で……私のようなはぐれもののシスターでも置いてくださるんで、その……とても助かっているんです」


 アリエッタはどこかしどろもどろと慌てつっかえながら、ようやく答えてみせた。なるほど、慈善病院ならばとにかく死にかけだろうが生き残れば置いてもらえる。いつまでかは、分からないが。


「この病院はどのへんにある?」


 シスターは膝を屈めながら病室の戸棚をひっくり返し、ようやくこの帝国の首都──イヴァンの地図を取り出す。イヴァンは円周上に建設された城壁で囲まれた交易都市であり、中心部に帝国の政治的心臓部である通称『行政府』が存在する。この病院は行政府から見て、南西部──貧民が多く暮らす地区に存在していることになる。

 妙だ。

 レドは声には出さなかったが、違和感を覚えた。運び込まれたこの病院は、昨日標的を狙った東地区とは、離れすぎている。慈善病院がこのイヴァンにいくつあるのか知らないが、いくらなんでも、遠く離れすぎているのではないか?


「シスター。あんた、俺がなぜここに運ばれたのか、知っているか」


「知りませんよ。どなたか親切な方がここまで運んでくれて、入り口に放り出されてたって聞きましたよ。撃たれて重症、あなた死にかけだったんです。先生も、よく生きてたっていってました」

 

 何かがおかしい。レドは自身に宿る勘が、何かを警告しているのを感じていた。俺は失敗した。客も、俺の失敗に勘付いているはずだ。失敗した暗殺者を、助けるような酔狂な客がいるだろうか。


「ああ、そうそう……実は、うちの先生があなたにお会いしたいとおっしゃってるんです。後で、連れて行きますから……ここに、朝食を置いておきますね」


 ベッドの側のローテーブルに置かれた、柔らかそうな白パンと、湯気だったコンソメ・スープ。漂う匂いに、レドは再び現実に引き戻されていた。

 俺は、生きている。

 死ななかった。死ねなかったのだ。

 原初の記憶。大きな背中。遠ざかる背中──。

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