chapter 4 第1の審判 -2

2  5月20日 第1の審判




 この日は朝からどんよりとした雨模様で、土砂降りとなっていた。

 仕方のないことだが、こんな日は朝から沈むような気分にさせてくる。

 陽太がそんなことを思っていた矢先、とある人物がC軍・伊瀬友昭の机を思い切り叩いた。

 その衝撃音が教室中に響き渡った。

 怯える伊瀬の前には眼光鋭く五十嵐が立っていた。


「おい、あのメール送ったのはてめえか? ああ? 正直に答えろ、ふざけてやがったらぶっ殺すぞ」

「ち、ちがうよ! 僕は何もしてないっ……です」

「くそっ!」


 そうやって次々と教室中の生徒たちへ恫喝していく五十嵐だったが、誰が犯人だと名乗り出ることもなく、その様子を陽太は呆れ顔で見ていた。


「……」


 何か暴力沙汰でも起こそうとするなら止めに行ったほうがいいのかもしれないが。

 桜もどこか怯えた表情をしている。


「五十嵐何やってんのあれ?」


 教室後方に座っていたミキが呆れ声で問いかけた。


「な~んかさ、最近になってあの迷惑メールのことすげえ気にし出してんだよ五十嵐」


 隣に居た金城が調子の良い声で答えた。


「五十嵐さあ、もしかしたらびびってんじゃね? 確か『刑』がどうしたこうしたって書いてあったでしょ?」

「うーん。びびってるってよりかは、苛立ってるっていうふうに見えるけどね。俺には」


 そのままの物凄い剣幕で五十嵐は予習に当たっていた東佐紀の机を蹴り飛ばした。

 ノートや参考書などは机から吹き飛ぶ。


「東! やっぱりてめえなんじゃねえのか!」

「し、知らないです……私は、何も」

「ふざけんてんじゃねえぞ! てめえメールで俺のことおちょくれて内心ほくそ笑んでるんじゃねだろうな!」

「ち、違います」

「くそ、くそ! むかつく! もうてめえでいい! ぶん殴ってやる!」


 慌ててその間に陽太が駆けつけた。

 遠目から心配そうに見ていた桜もやって来る。

 そのまま五十嵐の腕を掴み、陽太は反論した。


「東さんがあのときスマホ持ってなかったことなんて五十嵐もわかってるだろ? あの状態からメール送るなんて無理だし。第一に東さんはお前の宛先知ってるのかよ」

「陽太の言うとおりだよ」


 桜も陽太に同意する。


「なんなんだよ、てめえらよ! やたらと俺に突っかかってくるじゃねえか! ああ? お前らがやったのか!」

「ふざけるな。俺たちは言いたいことがあるなら直接お前に言う」


 五十嵐は言葉を詰まらせる。

 そして横にあった椅子を思い切り蹴り飛ばした。


「くそ! んじゃあ誰だってんだよ! 罰だって! ふざけてんじゃねえぞ。お前らみたいな低脳が! 俺をからかっ――」


♪ ♪ ♪ ♪ ♪


「!」


 陽太も桜も五十嵐もその音に驚愕してしまった。

 東佐紀のスマホが音を鳴り着信したのである。

 肝心の東佐紀自身も急な着信に驚いていた。


「……びっくりした。東さんのスマホか」

「……」

「そうだ! てめえが本当に俺に送ったかどうか、俺が確認してやるから貸せ!」


 五十嵐は無理矢理奪おうとしたとき、東佐紀はそのままスマホを開き見た。

 しかし、送られてきたメッセージは再び奇怪な内容であった。


――――――――――

5月20日


東 佐紀 様


先日『罪人』として認定シタ

五十嵐 アキラ を裁ケル者としテ

あなタは『審判者』に任命されマシた


よかったネ! 拍シュ! ハクすュ!

――――――――――


「なに……これ」

「なんだよ、これ」

「『審判者』ってなに?」

「五十嵐君を……裁く?」


 その場にいた全員が混乱し、驚愕した。

 その内容は全く理解ができないものだった。

 以前に罪人として決定を受けた五十嵐を裁ける人間として東佐紀が選ばれたという通告。

 勿論差出人は不明、というか全く判別できない。


「悪戯? にしては手が込みすぎてる?」


 陽太もスマホに映る不気味なメッセージを眺めることしかできずにいた。


ザー ザー ザー


「!」


 そのとき教室中にいた全ての人間が体を強張らせた。

 突然教室内のスピーカーから放送が鳴り出した。


『アーアー。宵崎高校3年1組のチンカスの皆さん、ごきげんウるわしゅウ』


 突然流れ出したその放送に生徒たちはざわつき、動揺し、注目した。

 その放送から流れてくる声は男性にも女性にも聞こえる、また子供にも大人にも聞こえる、また老人にも聞こえるような、全てをぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたような、この世のものとは思えないひどく不気味な声だった。

 いやこの声は、『音』といったほうがいいかもしれない。


「な、なんだ……?」


『ただいマ送信したメールにヨり、今回の審判ノ断罪決定権は、東佐紀さんに委ネられました。罪人ノ名は 五十嵐アキラ でス。他の皆様は、一般ピーポーの聴衆でございますのデ、ご静粛にお願いいたしまウ』


 その言葉に困惑と混乱しか感じず、クラス中は「なに?」「どういうこと」「意味わかんねえ」と、スピーカーの声が掻き消されるほどざわつき乱れた。


『静粛に! 静粛に! ……よっしゃー、コレ一度言ってみたかったんダよネー』


「おい! てめえ! 誰だ、何なんだよお前!」


 五十嵐の苛立ちはピークに達しているようで、スピーカーに向かって怒号を浴びせた。


『ちなみにこの放送は3年1組内にしカ流れておりませぬのデ、ご安心を』


「そうじゃねえんだよ! てめえ今から何しようとしてやがる?」


 スピーカーから生まれる音はひどくガサついたこの世のものとは思えない音となり、陽太たちの背筋を凍らせた。


『罪人・五十嵐アキラは日々の素行及びクラス貢献から〈死刑〉に値すると判断し、罪人に選ばせて頂きました』


「!」

「し、しけ……い?」

「死刑って馬鹿じゃないの?」

「は? 意味わかんね。付き合ってらんねー」


 さすがのA軍・金城やミキも呆れかえった様に声を発した。

 だがしかし、その声は今繰り広げられている奇妙な空間に怯えを感じているかのように震えていた。


『私は要らないと思ウのでスよ、市民を甚振リ不快な気にさせる自分を偉いと勘違イしたド腐れファッキンボーイ&ガールは。死刑、死刑、死刑。それが一番の平和的解決デス』


 陽太は拳を力強く握り締めた。

 冗談であろうとも言っていいことと悪いことがある。


「お前……ふざけてんじゃねえぞ」


 桜も怯えているのか隠れるように陽太に凭れかかる。


『だがしかーし。私は選ばせて頂いただけでス。実際に断罪すルのは今回の審判者・東佐紀さんデース』


「!」


 東佐紀がびくんと小さな身体を震わせた。


「ど、どういうこと」


『ちょ、お前ラ本当に無能。察し悪スギ! 頭悪スギ!ネットばっかりいじってるからそうなるんだヨ、ばーカ』


 クレイジーな放送は一呼吸置いた。


『東佐紀さんが〈有罪〉の判決をスレバ、五十嵐アキラは死刑デス。一方、〈無罪〉の判決をスレバ、罪人の肩書きは撤廃。五十嵐アキラには何の刑も執行しません! 無実で釈放デス』


 東佐紀はスピーカーを見つめ佇む。


「……」

「おい! なんでこんな女に俺が!」


『それでハ。適切な審判をよろすくお願いしまス! 制限時間は1時間デス』


 ぶつん――と放送が切れてしまった。

 教室中はこの意味不明な空間に静まり返った。

 そんななか五十嵐は一言ぼやいた。


「ふざけてる……何もかもだ!」

「こんなの信じるかよ!」


 と、五十嵐の怒号に続くように金城も苛立ちの声をあげた。


「どうせ、てめえらがこんな小細工したんだろ! こんなことでしか俺に逆らえねえだろうからな! 文句あるなら言えよ! ぶん殴ってやる!」


 教室中の生徒たちは五十嵐から視線を逸らし、体を震わせ、隅へと固まっていった。


「……」


 東佐紀は五十嵐の前に佇み、ただ怯えているように見えた。

 そんな様子を陽太と桜は困惑の眼差しで見ることしか出来ず。

 そんな静寂が教室を包み込んだとき、小さくポツリと声を発した人物がいた。


「で、でも、い、五十嵐君って……いつも、僕らを見下している……」


 沈黙を破ったそのか弱き声に教室中の誰しもが注目した。

 その視線の先にいたのは、4月に五十嵐との間に揉め事があったC軍・平森隆寛であった。


「ああ? てめえ、今なんつった?」


 びくびくとさせながらも平森は言葉を続けた。


「五十嵐君は……いつもそうやって僕たちを脅したり……、暴力を振るったりする……から。ぼ、僕は……五十嵐君がこのクラスから居なくなってくれたほうが、う、嬉しい……」


 流石の陽太も平森のその言葉を信じられずに反発した。


「平森君! なんてこと言うんだ!」


 陽太もこのクラスの状況は嫌だった。

 そしてたぶんその状況を創り出したであろう五十嵐も好きではなかった。


【だが「居なくなったほうがいい」など……俺は思っ……テは、い、な――――】


「でも! 五十嵐君は僕たちをC軍だとか、最低階級だとか言って! いつも見下してひどいことを言ってきたのは五十嵐君のほうだ!」


 五十嵐はその言葉に信じられないような表情を見せ、平森を睨んだ。


「平森……てめえC軍の癖に、いつからそんな口を俺に利けるようになりやがった、ああ!」

「う、……うるさい! 黙れ!」


 平森は今までの全ての屈辱を弾き返すかのように大きく叫んだ。

 A軍たちだけでなく五十嵐ですら、その声にひるんだ。

 そして陽太も、平森のそんな声を聞いたことがなかった。

 平森はさらなる憤りを吐き出すように続けた。


「お、お前はいつも馬鹿の癖に偉そうにしやがって! いつも僕たちがどれだけお前たちに怯えながら暮らしてきたか、お前なんかにはわからないだろ! お、お前みたいなゲスで学校の、社会のゴミみたいな人間は……し、死刑になるべきだ!」


 陽太は平森のもとに向かって止める。


「平森君! 言いすぎだ!」

「てめえ……」


 拳に力を込めて五十嵐は平森を睨みつける。

 

 そのとき、


「僕もそう思う……」


 小さき賛同にさらなる注目が集まった。

 平森の友達でC軍・伊瀬友昭である。


「五十嵐君がいないほうが……学校、楽しくなる……と思う」

「伊瀬……君」


 そう哀しく呟き、陽太も桜も絶望を感じた。

 学校が楽しくなればいいのに。

 それは常日頃から陽太も桜も思っていたことだ。

 だが、今は違う。これは違う。

 これは平和的解決なんかじゃない。

 何かもっと邪悪な何かに教室中が覆われていくような。

 そしてその邪悪さに触発されていくかのように、教室中から、


「ぼ、僕も」

「私も」

「俺も……」

「私も」

「僕も」

「俺も」

「オレも」

「僕も」

「私も」

「私も」

「僕も」

「アタシも」

「俺も」

「俺も」

「あたしも」


 と、五十嵐死刑に賛同の声が波のように広がっていた。


「み、みんな……どうしたんだ! もうやめよう!? いくらなんでもおかしい!」


 そんな教室を見回しながら、五十嵐は黒板のほうへ後ずさっていく。


「い、今賛同している奴ら……てめえら皆殺してやる……」


 声もどこか怯えているように感じた。

 こんな五十嵐を見るのは、陽太も桜も、また金城やミキでさえも初めてであった。

 平森が真剣な表情で五十嵐を見据える。


「だったら尚更、僕たちが殺される前に、五十嵐君を死刑にすべきだ」


「死刑」……「死刑」……「死刑」……

「死刑!」「死刑!」「死刑!」

「死刑! 死刑! 死刑! 死刑! 死刑! 死刑! 死刑! 死刑! 死刑! 死刑!」


 教室中が「死刑」コールで埋まっていく。


「やめろ! みんな!」

「こんなのおかしいって!」


 必死に陽太と桜が止めに入っても、もうコールに掻き消されてしまうほど。

 A軍もそんな生徒たちを怯えた表情で見ていることしかできずにいた。 

 教室中が邪悪な渦に飲み込まれ、コールがその場にいる全ての生徒の呼吸を荒げた。

 東佐紀はそんなクラスの生徒たちも様子を静かに、何度も反芻するように、眺め続けた。


「な、……なんだ、よ、くそ、が……」


 五十嵐は絶望するようにその場に膝をついた。

 何もかもが終わったとでもいうように。

 うなだれた五十嵐の表情は見えなくなっていった。

 そんな五十嵐を東佐紀は見つめる。

 そして今までの日々を思い返すかのようにすっと息を吸い込んだ。


 ――水に顔を突っ込まれ苦しそうな平森。

 ――東佐紀に金を要求してきた行為。


 そして東佐紀はゆっくりと口を開いた。


「わ、私も……五十嵐君はひどいと思う」


 五十嵐は東佐紀を見つめる。


「五十嵐君は……ゆ、有罪がいいです」


ザアアアアアアアアアアア


「!」


 しばしの沈黙のなか教室のスピーカーが音を上げた。

 そして再び、奇怪な声が鳴り響いた。


『只今審判が下されましタ。五十嵐アキラは有罪。断罪は死刑でス。さようなら』


 五十嵐は立ち上がり、その放送に耳を傾ける。


「ふ、ふざけてんじゃねえぞ……意味わかんねえ……」


 ゆっくりと静かに、教室中からは小さな拍手が連なっていった。


ぱちぱちぱち……パチパチパチパチパチ! 


 五十嵐はそんな教室を睨みつける。

 陽太と桜、またA軍はそんな五十嵐に心配の目を向ける。


『ヤはり私の選定は間違っていなかったトいうことですネ。皆様くれぐれも誰にも対しても親切でありますように。イイ人を目指しましょうネ。ソレデハ次回審判で遭いましょう。んちゃ!』


 そしてスピーカーから流れる音は途絶えた。


「く、くそ! 殺してやる……」


 五十嵐はふらふらと教室を見渡し、激昂した。


「お前らみんな! 殺してやる!」


 そして教室の扉をぶち開け、飛び出していった。


「!」

「五十嵐!」


 陽太と桜は慌てて後を追い、金城とミキもお互いを見た後、頷き、五十嵐のあとを追った。

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