第三章『新しい』2/3
学園生活は、良くも悪くも単調だ。授業は難しいがついていけないほどではないし、課題も多いがこなせないほどでもない。同じクラスになったものは、流石あの妙なテストで高得点を取るだけあって変人が多かったが、同時に良家の子息が殆どで皆良識を弁えている様子だったので、大きな問題も起きていない。教師陣は自分の研究に忙しく、生徒達への関心はあまり感じられなかった。
ただ一つ気にかかったのは、初日に絡んできた少女だ。フェレーナは、所謂優等生らしい優等生で、授業では人一倍積極的に参加し、実技で何か出来ないことがあるクラスメイトがいれば親切に教えてやっているようだった。姿勢も美しく、優しく、クラスで浮いている風もない(浮いているのは寧ろカルステンとエンゲルハルトの方で、まぁそれは二人の立場を鑑みれば当たり前と言えば当たり前のことではあった)。カルステンだって初日に絡まれてさえいなければ気にも留めなかったであろうし、エンゲルハルトに至っては初日の出来事をすっかり忘れたような無関心さだった。
それでもふとした時に視界に入ったフェレーナは何故だか初日に会った時よりも幾らか憔悴している様に見えて、カルステンは面倒ごとの予感を察知していた。
ゴーン、と終業のチャイムが鳴る。本日の授業は終了した為、後の時間はフリーだ。エンゲルハルトは何やらまた教師と話す事があるらしいので一緒にはいない。
「ヴェーラー殿」
そう声を掛けられて、カルステンは驚かなかった。ただ(やっぱりな)と面倒にだけは思ったが。しかし振り返って見た顔がフェレーナのそれではなかったので、カルステンははた、と首を傾げることになった。
(……誰だろうか)
正直に言って未だクラスメイトの名前を覚えていないカルステンである。授業が始まってからも殆どエンゲルハルト以外のクラスメイトとの関わりがないのだから仕方がない、と自分に言い訳をしてみるけども、カルステンはそれがどちらかというと気難しいタチである己の性格故であると認識していた。
「……私、ベルタ=アベーユと申します。入学試験十八位で貴方よりも百五十点低い三百三十五点。同じクラスに在籍しています。以後お見知り置きを」
反応の鈍いカルステンから何かしら察したのか、カルステンを呼び止めた少女が自己紹介をした。
(ベルタ=アベーユ……何処かで聞いた名前だな)
何というか、極最近聞いた名前のような気がして、しかし出てくるようで全く思い出せない。カルステンの眉間にシワが寄った。
「フェレーナ様の侍女を務めさせて頂いております」
「それだ」
「えっ」
そういえばそうだ、そんなような事をエンゲルハルトが言っていたような気がした。
カルステンが一人至極納得いったように頷いていると、ベルタは気難しげな表情でカルステンを見上げた。平均身長よりも低めの彼女にとっては、ひょろりと背の高いカルステンが物理的に目を合わせ辛い人間であるのは明確だった。
一呼吸置いてから、ベルタは口を開いた。
「フェレーナ様の事なのですが」
「ああ」
「あまり、関わらないでいただけませんか」
「ああ?」
うん? とカルステンが首を傾げる。関わった記憶が全くなかったからだ。強いて言えば初日に絡まれたことくらいだが、あれだって別にフェレーナの方が声を掛けてきただけで、カルステンには過去にも今にも積極的に彼女に関わろうという意思はない。
「貴方があの方を気にしているのはわかっています。素晴らしい方ですから目で追ってしまうのもわかります。しかし、それは辞めていただきたいのです。これ以上あの方の気を煩わせないでください」
正直な話何を言われているのかわからなかった。カルステンはふむ、と一寸考えて、しかしやはりわからなくてまた首を傾げた。
「では、これで失礼致します」
カルステンが何か言う前に、ベルタはぺこりと一礼すると小走りでいなくなってしまった。
(何だったんだ……)
ぼんやりと先程のやりとりを反芻しながら、カルステンは中庭へ続く道を歩いていく。試験結果の張り出しに使用されていたあの中庭は、丁度日当たりも良く、ゆったりとしたベンチがあるが故に居着きやすく、その上こんなにも好条件の場所であるにも関わらず人が殆ど寄り付かない。まさに一人で考え事をしたいときにうってつけの場所であった。
と、思っていたのだが、
(よりにもよって……)
カルステンは人目をはばかることなく盛大に溜息を吐く。それくらいしないとやってられない、といった心境であった。
「何故貴方がここにいますの、カルステン=ヴェーラー」
「……ここは学園の管理区域で、というか学園の中で、立ち入り禁止ですらないわけなんだが、俺がこれ以上何か説明した方がいいか?」
少し間を空けて、フェレーナは「いいえ」と控えめに首を横に振った。
「私に用があったわけではないわね?」
初日から変わらない低温の、何処か憎しみすら感じるほどの凶悪な目で、フェレーナはカルステンを疑ぐるように見た。親の仇でも見るかのような目付きに、一体全体いつの間に自分は彼女の親を殺してしまったのだろうか、とカルステンはこっそりと首を傾げた。
「ない。俺が用のあったのはこの場所で、というよりは一人になれる空間を欲していただけであるから、お前がここにいる以上それは達成されない。故にもう立ち去りたいと思っていたところだ」
キッパリと告げて、フェレーナが呆然と目を瞬かせるのを見もせずに踵を返す。
(はやく自室に帰ろう)
きっと奴自身の手持ち無沙汰になったタイミングで勝手にエンゲルハルトが遊びに来たりなんだりして、ちっとも考え事には向かないだろうが、それでもここにいて妙な言いがかりをつけられるよりは幾分もマシだと思った。
「貴方は何者なの、カルステン=ヴェーラー……」
後ろから聞こえた呟きに、カルステンは振り向かないまでも足を止めた。
「貴方は何故私を気にしないの、私が貴方よりも下だから? 下? たった一回のテストで? 貴方よりも私の方が優れているのに、なのに、貴方は私を気にしない、あの人も、あの人達も、彼も、駄目なのに、一番でないといけなかったのに、そうでないと、私にはなれないのに、」
虚ろな声が背後で喚く。カルステンは半ば呆気にとられたままそれ聞き流す。なんだか最近こういうことが多いな、と頭の片隅で考えていた。カルステンにわかるのはただ、今のフェレーナは正常ではないということだ。
一時沈黙が場を支配した後カルステンは振り返って、フェレーナの顔を見て、その顔に衝撃を受ける。虚ろな目の下には隈が残り、酷い表情をしていた。うわごとのように口から漏れる言葉は支離滅裂で、聞くに耐えない。憔悴している、なんて言葉で片付けていい顔ではなかった。
(何に追い詰められているんだ)
そうカルステンは思った。思ったけれど、特段何かしら手を差し伸べてやる義理は残念ながらカルステンにはなかったので、カルステンは一つ溜息を吐いた。
「お前の事情は俺にはよくわからないし、わかりたいわけではないし、関係もない。その上で言うが、何かしないとなれないようなものは、自分ではないのではないか」
それだけ告げて、カルステンは今度こそ少女に背を向けた。
(自己満足だったな)
余計なことを言った、と思いながら歩を進める。学寮に向かう角を曲がった時、ガタガタッという穏やかでない音と、「なッ__」という普通の会話では聞き得ないぶつ切りの声を、耳が拾った。角から首を出して場を覗くと、先程までそこで呆然としていた少女がいなくなっている。中庭に続く道は二つしかなく、カルステンとすれ違っていないということはもう片方の道__即ち講堂へ向かう道を行ったことになるはずだが、しかしそちらの道は曲がり角のない一本道であるはずで、カルステンが歩き始めてからまだ殆ど時間が経っていないのだから、そちらの道を行ったのであるならばまだ背中が見えてしかるべきだった。
__誘拐、という単語が頭をよぎる。
カルステンはギリと歯を噛み締めると、直ぐに走り出した。
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