螺旋夜話

冬野 俊

夜話1 この世の地獄


「いやあ、嬉しいですよ、このように沢崎さんとお食事することができて」


目の前にいる細身の男は、ゆっくりと食前酒を味わいながらこちらを見つめている。この男と出会ったのは、私がある文学賞を受賞した時のパーティー会場だった。賞自体が比較的大きなものだったこともあり、出席者も百人を超えていたのだが、その中でもこの久津見という男は極めて私の印象に残っていた。それが何故かは分からないのだが。


「私も嬉しいです。まだまだ若輩者の作家のために、わざわざこのようなフレンチレストランを貸切にして頂けるなんて。流石ですね」


もちろん、本音ではなく建前だ。何が楽しくて、あまり親しくもない男同士が共に食事をしなければならないのだろうか。

久津見はITのベンチャー企業で成功を収めた人物の一人だ。会社は携帯電話のアプリ制作で成功を収め、現在は不動産や外食産業にも進出している。


「沢崎さん、読ませていただきましたよ。最新作の『不遇のマリア』。大変、面白かったです。ミステリ界の新鋭と呼ばれるだけはある」


運ばれてきたステーキに久津見はナイフを入れながら、そう賞賛してくれた。だが、私にはなんとなく分かる。それが心からの言葉ではないことを。笑顔を見せながらも、目は何処となく凍りついたような冷めた視線を送ってきている。

私は「ありがとうございます」と形式的に礼を言った後、久津見に続いて肉厚のステーキを食べ始めた。


「それにしても、あの場面は描写が非常にリアルで素晴らしかった。マリアが犯人に殺される場面です。幼い少女が、歪んだ性癖を持つ犯人の男性に、悲惨と言う言葉では言い表せないくらい残虐な方法で命を奪われる。それが、マリアの純粋で華のような存在感を際立たせているとも言えます」


久津見は本当に理解しているのだろうか。発売されて三ヶ月。確かに作品の全体的な評価は貰っているが、少なくとも、あのシーンを褒め称えるような声はなかった。むしろ、あの場面は描写が残虐的過ぎると批判があったほどだ。


「それで、今日は何故、私を?」


単刀直入に聞いた。そもそも、パーティー会場で初めて会い、挨拶そこそこに私は別の知人の元に移動した。だから、「食事がしたい」と連絡が来た時、最初は誰なのか分からなかった。だが、普通のスーツ姿であるにも関わらず、見た目に何故かインパクトがあったことから、すぐに思い出すことができた。

本来なら深い繋がりのない相手と気軽に食事に行くことなどありえない。だが、「どうしても一度、二人で食事をしたい。仕事で一つお願いしたいことがある」と言われ、渋々承知した。家に帰れば愛する妻と可愛い娘が待っている。だから、なるべく早くこの場を切り上げて帰宅しようと考えていた。


「ああ、申し訳ありません。仕事の話というのは嘘です」

「はぁ?嘘?どういうことなんでしょう?人を馬鹿にするのもいい加減にしてください」


怒りが込み上げ、露骨に不満げな顔になってしまった。この男は一体何なのだろうか?


「一つ、教えてもらえませんか?不遇のマリアで、少女であるマリアが殺される場面のことです。あれは、実際に貴方が体験したことではないですか?」


その一言で背筋が凍りついた。額には、急にじっとりと汗が滲み出していたが、動揺を悟られるわけにはいかない。できるだけ穏やかな表情で返答しなくてはいけない。


「え?どういう事です?仰っている事がよく分からないんですが」


久津見は一切、口調に淀みを見せることなく、自然に答える。


「その言葉の通りですよ。貴方は少女を殺したことがあるのではないですか?」


この男の、この眼。確実に知っている。私が犯した罪を。


「何を知っている!はっきり言え!」

「やはり、殺したんですね?」


落ち着いた口調は確実に、私の心の奥底に眠っていた核心に迫ろうとしてくる。


「はぁ?何を言ってるんだ!意味不明なんだよ!」


久津見は、息を一つ吐き出すと、過去を回想しだした。


「私には一人娘が居ました。本当に笑顔が可愛らしい子でしてね。私に似なかったのが良かったんですね。名を麻理亜と言います」


言葉が出なかった。焦燥からか、恐怖からかは分からなかったが、腕が知らずのうちに震え始めていた。久津見は続ける。

「麻理亜が行方不明になったのは昨年です。学校の帰りに忽然と姿を消しました。まさに神隠しのように。当時は大きく報道もされていましたから、覚えていらっしゃるかもしれませんね。それで、私は探したんですよ。あらゆるルートで。そしたら辿り着きましたよ、貴方に」


ようやく分かった。何故、この男の見た目が印象に残ったのか。あの私が殺した少女と何処となく似ていたからだ。確かに顔のパーツだけを取り上げれば、似ていないかもしれないが、総合的に醸し出される雰囲気が似ている。


「何が望みだ?私を殺すか?」


もう、バレてしまっているものはしょうがない。開きなおろう。どうせ、私は人殺しだ。逆に誰に殺されたって文句を言うことはできない。


だが久津見は首を横に振った。


「いえ、貴方は殺しませんよ。それじゃあ面白くないじゃありませんか」


「それじゃ、誰を…」


そう言い掛けて、ハッとした。


「お気づきになりましたか?そうですよ、あなたの御家族を殺させていただきました」


目の前が真っ黒になった。妻も、娘も、殺されたっていうのか?私の家族は、もうこの世には居ないということなのか?

久津見の言葉は至って冷静だった。


「さあ、ディナーはまだ終わっていませんから、どうぞ存分に味わってください」

そう、久津見は促したが、私は放心状態のまま、目の前の食べ掛けのステーキを見つめている。


「さあ、どうぞ。早く食べないと冷めちゃいますよ。全部食べないと勿体無い。貴方の大切な娘さんの肉なんですから」


私はこの世の地獄を見た。

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